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第四十三話 0.1秒の勝機

 大ぶりの刀は縦横無尽に暴れ回る。

 速度が増したことにより重量は倍ほどになり、家具の棒で受ける俺の手はその重量に耐え切れずにいた。


 シケイレスの加速シストは執事から得たスキルの為、俺の加速シストとは効果が異なるようだ。シケイレスの速度はせいぜい二倍。しかし、持続時間が長い。俺の加速がわずか二秒で終わるのに対し、シケイレスのスキルは数十分、下手をすれば一時間ほど続くのかもしれない。


 刀を使ったバランスの良い戦闘スタイル、無理に攻めることのない安定した剣術。どちらも長期戦を見据えたものだ。


「まだ躱し続けるか。しかしもう打つ手はないだろう。貴様の残りのスキルは加速シストのみ。いや、トイプからも忠誠を得ているか? どちらにしろ、貴様の切り札を指鳴パッツェが止めた瞬間、私の勝利が確定する。悪あがきをこれ以上見るのも退屈だ」


 ペネルスは再びソファに腰を下ろし、薄ら笑いを浮かべた。

 こいつの言う通り、俺に残された切り札は二つ。

 持続時間が二秒間しかない加速シストと、トイプから得た打撃系のスキル一つ。


 加速シストはウェムの指鳴パッツェで止められる。指を鳴らした瞬間敵の体を硬直させるという最悪のサポートスキル。俺の最大攻撃力を誇る加速シストに対し、これほど相性の悪いスキルもない。


 背後で微笑を浮かべているウェムは一見油断しているようにも見えるが、常に俺の動きを捉え、いつでも指を鳴らせるように構えている。俺がスキルを発動する為には必ず手で体のどこかに触れなければいけない。手を握りながら発動することもできるが、その動きも当然ウェムには見抜かれるだろう。


 さらに言えば、加速を使った瞬間にも俺の動きは止められる。

 加速を使えば通常時の百倍ほどの速度で動くことができるが、だからといって相手が反応できないわけではない。


 俺が異常な速度で動いた瞬間、ウェムは指を鳴らす。それだけで俺の動きは止まり、スキルの持続時間は切れる。

 だから使えない。


 トイプから得た方のスキルはそれ以前の問題だ。ほのかな熱を俺の体内に宿しているが、それはトイプの不安や孤独から生じた、本来とは異なる忠誠心によるものだからだ。


 俺達はまだ出会って数分。大した言葉も交わしていない。だからこのスキルは、正直に言えば俺の素手よりも威力が低い。

 手のひらで触れた相手を押すスキル。本来は打撃系のスキルなのかもしれないが、今は殺傷力などない。


 一か八か、ダメージの少ない内に切り札の加速シストを使うべきか……?

 動けなくなったらそれこそスキルは意味を成さなくなる。それに、先手を打つことは戦闘において大きな意味を持つ。

 闇雲な攻撃が勝負を予想外の方向へ転がし、逆転するなんて話は格闘技の世界にゴロゴロ転がっている。


 しかし、これは“先手”か……?

 相手に読まれ、対策まで講じられている一手が道を開く可能性はあるのか?

 加速シストの性能は確かにぶっ飛んでいる。しかし、俺がスキルを発動してからウェムが指を鳴らすまでのコンマ一秒未満で何ができるのか……。


 思考が纏まらないまま、徐々に集中が途切れ始めた。

 シケイレスの刀が俺の棒を弾く。

 咄嗟に棒を握り、構え直そうとした。しかし――――


「だぁああああああああああああああああっ!」


 剣道とは似ても似つかない、野獣のような咆哮。

 戦闘に身を置き、命を賭けて戦っている執事が、決定的な一撃と確信しているであろう一振り。


 勝敗を決するその一撃は意外にも俺の手首へと落とされた。

 関節が咄嗟の衝撃に耐えきれず、頼みの綱が、唯一の武器が零れ落ちる。手首には痺れだけが残った。


 ガシャ…………。


 床に落ちた棒切れ。

 上段に刀を構えている執事。

 ダメージを負っていなくても、勝負がついているのは明らかだった。


「それ以上動いたらあなたをターゲットにしますよ?」


 刀を構えたシケイレスの背後で、ウェムが艶やかな声を発した。

 それは俺のサポートをしようとしていたトマトへの警告だった。

 トマトの手からも細い棒が滑り落ちる。


「葉風鳥太、続けるか?」


 妙に情の籠った声で問うたのはペネルスだった。

 既に勝利の甘美を味わっているのか、その顔には優しさにも似た憐れみが零れている。


「勝負は既に決している。私にとって重要なのは、私が葉風鳥太を超えたという事実、そして私の力が正しかったと貴様が認めることだ。敗者にトドメを刺すような美徳を私は持ち合わせていない。貴様も、メイドも、裏切り者のトイプも、寛大な心で見逃してやってもいい」


 ペネルスはそれだけ言うとソファのひじ掛けに肩肘をつき、口を噤んだ。

 勝者となった途端に溢れる余裕と慈悲の心、多くは語らず、自らの強さを室内に充満させているかのような態度。


 俺が取るべき選択肢はどちらか。

 ペネルスが執事を犠牲に手に入れた力は肯定できるものじゃない。その力を否定し、足掻き、敗北の闇へ飛び込むべきか。

 本来の俺なら迷わずそちらを選んだ。しかし今は状況が違う。


 俺がここで敗北を認めれば、トマトとトイプの安全が確保される。

 ペネルスが嘘をついている可能性もなくはないが、プライドの高いこの世界の人間はつまらない嘘をつかない。さらに言えばトマトとトイプを見逃したところで、ペネルスにデメリットがあるわけでもない。


 それなら、メイドを守る者として、俺が選ぶべき選択肢は………………。


「答えを聞かせてもらおうか、葉風鳥太。言っておくが私は言を違えたりはしない。貴様が敗北を認めれば全員無事に帰そう。敗北を認めておきながら、貴様がノコノコと再戦を挑みに来るなどという心配はしていないからな。それに私はこのやり方で今後、さらなる力を手に入れる。ルッフィランテなどでは到底及ばない高みへと昇る。だから貴様らがここで生きようと死のうと今後私の敵にはなりえない。さあ、カードを伏せるか、エースを持った私にキングの札を切るのか、好きな方を選べ」


 俺はトマトへ顔を向けた。

 そしてトイプへと視線を移した。

 二人はただ真っすぐ正面を向き、俺の決断を待っている。

 俺が選ぶべき道がどちらだとしても肯定してくれるだろう。

 俺はメイドを守る者。

 メイドを守る為この世界に転生させられ、メイドを守る為に生きてきた。

 だから答えは一つに決まった。


「トマト、トイプ、すまない」


 俺は力が足りなかった。

 こいつらを倒す為には、どうしても一歩及ばなかった。

 だから、


「勝てるかどうかわからない。でも、やっぱり俺は、最後まで戦うことしかできないんだ」


 俺はメイドを守る為、この世界に来た。

 ここで逃げてしまったら二度と、誰も守れない。

 勝てる勝負だけを続けて、何かを成すことなんてできない。

 俺はこの二人を守るだけじゃなく、世界中のメイドを守るんだから。


「二人共、今回はマジで勝てるかわからない。もし俺が負けそうになったら、逃げてくれ」


 屋敷を知り尽くしているトイプと優秀なトマト、二人なら屋敷から逃げられる可能性もある。

 二人に一縷の望みを託し、俺は命がけで戦うことを決めた。


「葉風、それが貴様の答えか……」


 ペネルスの笑みが凍りつき、手はゆっくりとソファのひじ掛けに爪を立てた。

 黒いソファに無数の皴が寄る。

 怒りの声が発せられる前に、主人の意図を汲んだシケイレスは瞳に殺意を浮かべた。


「使え、葉風鳥太。この状況ならウェムのスキルに頼るまでもなく、私の刀が貴様の切り札を打ち破り、トドメを刺す」

「ああ、そうかもな」


 刀を頭の上に振り被る“上段の構え”は、胴体の防御を犠牲に、剣術における最大の攻撃力と速度を誇る。


 俺は左拳を握っている為いつでもスキルを発動できるが、シケイレスは全神経を使い、俺の呼吸を読み取ろうとしているだろう。背後のウェムも油断はしていない。

 あと一つ、あと一つ小さなピースが揃えばこの状況を打破できる。


「来ないならこちらから行く」


 ―――――っ!



「鳥太様ぁあああああああああっ!」



 トイプの叫び声。

 それと同時に、俺の体内に灯っていた小さな炎が、急激に温度を上昇させた。

 体の芯から湧き上がる熱。トイプのスキルがここにきて本来の威力へと昇華した。

 しかし、


「―――――――っ」


 シケイレスの刀が振り下ろされる。

 首を傾け脳天への直撃を避けたが、


「ぐっ!」


 肩口へ落とされた刀が骨を砕き、踵まで貫いた衝撃が俺の支えを崩壊させた。

 意思に反して右膝が揺れ、右腕から下は感覚を失い、足元が重量感を無くす。

 不快な浮遊感に飲まれ、体が傾いていく。


「鳥太様っ!」


 床に倒れる直前、トマトの声が響いた。

 この場にいる誰もが俺の敗北を確信しているはずなのに、その声にはまだ力強い響きがあった。いつでも、どんなときでも、真っすぐ俺の名を呼ぶ。その聞き慣れた音色は、意識の中心へすっと届いた。


 俺の勝利を信じている。

 いや…………

 トマトはただ、俺の言葉を信じてくれている。

 最後まで戦うという言葉を、文字通り最後まで信じてくれている。


 俺は辛うじて踏みとどまった。


 左手は宙に浮いたまま手のひらを泳がせている。衝撃で握りこぶしは解けた。

 右手は力なくダラリと垂れ、腕から先にはただ痺れた感覚だけが残っている。

 この状況でスキルを付与することはできない。


 だからこそ、俺は勝利を確信していた。



 ――――加速シスト


 

 体を包む熱に身を委ねる。

 空気に溶け込むように体が重量感を無くし、時が止まったような静寂の中。

 描き慣れた流線は、目を開けばもうそこにある。


 網膜に映し出された金色の筋を手繰り寄せ、数メートルの距離をコンマ一秒で縮めた。

 と同時に、

 スキルの持続時間が切れた。

 

 パチッ。

 ウェムが指を鳴らし、俺の体は硬直した。しかし、もう遅い。俺は攻撃の準備を整え終えた。体はシケイレスの懐に潜り込み、左手は黒服の腹部に押し当てられている。


 俺はシケイレスの刀を受ける“直前”に、自分の体へ加速シストを付与していた。

 そして、わずか二秒しかない持続時間の内、一・九秒を犠牲にした。

 すべてはこの攻撃の為。

 ウェムとシケイレスのタイミングを逸らす為。


 戦闘経験豊富なSクラス執事の二人は、俺のスキルの性能や持続時間を把握した上、全力でタイミングを読んでいた。


 その裏をかく為には、“スキルを発動できない状態でスキルを発動する”くらいしかない。それはすなわち、両手が体のどこにも触れていない状態だ。


 俺はそのトリックを実現する為、加速シストを付与し終えた後、ギリギリまで加速を使用しなかった。シケイレスの刀もあえて受け、身を斬らせた。


 そうして生み出された勝機。

 たったコンマ一秒。

 ウェムの裏をかき、指鳴パッツェの発動を遅らせた。その一瞬で、シケイレスを仕留められる態勢に入った。


 腹部に触れた左手には、トイプのスキルが付与されている。

 正真正銘、最後の一撃。


 この状況を作り出す為に右腕を犠牲にした。

 外せば次は無い。

 けれど、ついさきほど得たスキルを、トイプの心を信じる。


 トイプはまだ俺のことを深くは知らないだろう。彼女の気持ちはきっと、トマトやチズやココナの忠誠心とは異なる。それでもこの炎には、共に戦う意思がある。孤独に戦っていたトイプが俺を引き寄せ、同じ思いを胸にして生まれた絆。

 その全てを左手に籠め、ぶつける。

 ウェムのスキルによって硬直した、シケイレスの体に。そしてその延長線上にいる、ウェムへ。


 ―――――っ


 息を飲む音が複数、部屋の中でこだました。

 全身に波打っていたエネルギーが左手に収束していく。

 トイプから得た打突スキル。

 本来の威力。忠誠心によって高められた最大限の威力。

 ペネルスの紛い物とは違う、本物の心が生み出した力。


 その波長に左手が振動し、空を一直線に飛んでいくような音が爽快に鼓膜を震わせた。

 頑丈な執事服の繊維が千切れ、シケイレスの体は耐えかねたようにくの字に曲がる。



 バヂッッッッッッッッッッッッッッッッ!



 硬直した体は瞬間的に吹っ飛び、指鳴パッツェを発動した直後のウェムに向かって突っ込んでいった。

 一瞬、ウェムが諦めたように目を閉じるのが見えた。


「がはぁあああああああああああああああああああああああああっ!」


 シケイレスの苦悶の叫び。そしてウェムの微かな息が聞こえると同時に、二人は床へ崩れ落ちた。


 荒い息を整え、最後の敵を見据える。


「ペネルス、お前が生み出したエースはただの紙切れだ」

 

 執事を貶め、手を差し伸べるという自演によって得た忠誠心は、トイプ達のスキルに敗れた。

 この事実は否定しようがない。


 ペネルスは横たわる執事達を呆然と眺めていたが、やがてぼそりと呟いた。


「葉風鳥太。なぜ貴様は…………」


 強いのか。そう言われた気がした。

 しかしペネルスは一人納得したように、首を振り、続きの言葉を変えた。


「私のやり方が間違っていたことは認めよう。どれほど奴らを痛めつけたところで結果は変わらないだろう。メイドに負けてはもはやプライドなど残っていない」


 ソファから立ち上がり、扉へ向かう。そして背中越しに呟いた。


「喫茶ジルヴェスは閉店だ。執事は他へ引き渡し、その金でしばらく暮らす。そこのメイドは売っても大した金にはならん、好きにしろ」

 

 去り際の背中は幾分小さくなっていた。

 一つや二つ言いたいこともあったが、それを飲み込み、隣を見る。


 耳の左右を覆うフワフワとした栗毛。小さく口を開けたまま固まっているトイプはどこまでもか弱く見える。

 けど勝利のきっかけはトイプだ。


 と頭でわかっていても、少しだけ子犬を助けたような気分になって、俺は笑った。



「一緒に帰ろう、ルッフィランテに」





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