第四十二話 剣術
「状況は何一つ変わっていない。敗北寸前の貴様が突然強くなることなどあり得ない。だが構わん。そこまで言うのであれば貴様にトドメを刺し、私の強さを証明して見せようか」
ペネルスはソファに座ったまま指先で執事に指示を出した。
シケイレス。木刀を握った執事は再び戦闘態勢に入る。
「状況は変わる。いや、変えるさ。そうだろ? トマト」
俺は開いた左手をトマトの方向へ向けた。
今すぐ戦況をひっくり返すような一手などない。それでも一つ前へ進めば、次の扉が見えてくる。俺はこれまでそうやって戦ってきた。
「はい! 鳥太様っ!」
両手でふんわりと投げられた棒が部屋を横断し、俺の手に収まる。
トマトが先ほどペネルスの言葉に動揺を見せ、クローゼットにもたれ掛かっていたのは半分演技だった。
目的はクローゼットの中で、フックに吊り下げられていた棒。トマトもまた俺と同じく、常に勝機を探している。
「それが貴様の武器か?」
シケイレスは茶化されたとでも言うように、冷淡な声を漏らした。
向こうはまともな刀の形をした武器、こちらは家具として使われていた細い円柱。どちらが優秀かは言うまでもない。しかし、この世界の木材はどれも頑丈で、ただの棒ですら執事の木刀を受けとめることくらいはできる。
成すすべなく攻撃を食らっていたときとは違い、今の俺は防御という新たな選択肢を得た。
合図無く戦闘は再開された。
木材の触れ合う音が一秒間に五回ほど鳴り響き、一際硬質な音が部屋に反響する。
お互いに不意を突かれてはいない。
実力が近く、戦闘の空気を共有している証拠。
シケイレスの表情には一段階、集中力の増したような気配があった。
空気を切り裂く音が鳴る。目にも止まらない剣技。しかし、俺は辛うじてそれらを弾き返す。
やっていることはこれまでの戦闘と同じだ。脳の発する危険信号に身を任せ、ただ反射的に迫りくる脅威を薙ぎ払っていくだけ。
技と呼べるようなものではない。傍から見れば不格好に棒きれを振り回しているだけにしか見えないかもしれない。それでも、これが俺の戦い方。振るう一太刀一太刀は勝利を掴む為にある。
シケイレスの刀は俺の棒きれを躱し始めた。間一髪で迫る攻撃が徐々に増えてきている。俺の単純な防御が読まれつつあるのだろう。フェイントが厄介だ。しかしそれも俺を倒す決め手にはならない。
重量感のある刀を全力で返し、反撃の糸口を掴もうと試みる。
上辺だけの知識だが、刀を交えるとき、相手の刀を弾くことで攻撃のテンポを遅らせられると聞いたことがある。ただ受けるだけではなく、タイミングを合わせ――――弾く。
弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。
しかし一向に刀の速度は緩まず、シケイレスの猛攻は一定のリズムで繰り返される。
と、ふと生じた一瞬の気の緩み。
猛攻を受け続けた油断により、俺の読みが一つ外れ、回避不能の攻撃が肩口に迫った。
「クッ……!」
突き刺すような痛み。
棒切れを握りなおし、再び執事服の首元――――狙いを定めやすい黒のネクタイへ切先を向ける。
シケイレスも再び間合いを取り、お互いに把握しているであろう間合いから外れて仕切直す。まるで開始線に戻るかのように。
ふと光が見えた。
たった今陥った窮地を、俺はあまりにも簡単に切り抜けた。
なぜか?
それはシケイレスが勝敗を決する一撃ではなく、次へ繋げる一手を放ったからだ。
もっと重い一撃を放たれていたら、俺は負けていた。あるいは戦闘力を大幅にダウンさせるほどのダメージを負っていた。無防備を晒した俺に対して猶予を与えるような選択。
戦闘慣れしている執事なら、こんなミスはしない。
つまり、大技を放たなかったのではなく――――放てなかった。
「気付いたようだな」
シケイレスは深呼吸でもしているような落ち着きを見せ、呟いた。
主人の志向に沿っているのだろう。フェアな条件で俺を倒すことで、力量差を示そうとしている。
しかし、そのわずかな間は俺に考える猶予を与え、俺は答えに辿り着いた。
「シケイレス、お前の刀は重い。もしその刀が本当にその重量ならこの世界に存在しない物質になる。けど、違う。今お前が持っている刀は、俺の棒切れと同程度の重さしかない。そうだろ?」
「その通りだ、葉風鳥太」
ソファにもたれ掛かっていたペネルスが答えた。
揺るがない勝利を見据えているかのように、強者の振る舞いを見せつけるかのように。
「このスキルは変重、速度に比例して重量が増す特性を持つ。私は限られた資金で力を得る為、このスキルを選び抜いた。しかしそれだけではない。このスキルを刀に適用させる為には高度な技術を要する。喫茶ジルヴェスの総力を挙げ、ようやく完成した”剣術”。それを完全に身に着けたのが私の最高傑作――――シケイレス。リーチ・速度・攻撃・防御を兼ね備えた唯一無二の力を私は手に入れたのさ」
やはり、スキルの特性は俺の予想通り。
シケイレスはこれほど重い刀を持ちながら、つばぜり合いを避け、素早い攻撃のみを繰り出していた。
力を誇示するペネルスの執事でありながら力勝負を避けていた。
なぜなら、
あの刀は速度が落ちた瞬間、重量を失い、棒切れ同然になる。
だから重い一撃を、抉るような一撃を放つことはできない。
この弱点は致命的だ。
俺はこれまで刀を弾くようにしていたが、受けとめればいい。
速度を殺せば奴の刀は重量を失う。そして一瞬でも隙を作り、素手の戦闘に持ち込めば、勝機は生まれる。
「ペネルス、言っただろ。お前は弱い。俺はお前のような紛い物に負けることはない」
俺は勝たなければならない。こいつの力を否定する為に。こいつを止めようとしたトイプの意思を実現する為に。
「フッ」
ペネルスは芝居がかった笑いを零した。
「貴様の戦闘力はおおよそ把握した。おそらく追い込まれることで数段階強くなるタイプだろう。それでも届かない。貴様には万が一の勝機もない。選び抜いたと言っただろう? 私が力を得るためにどれほど知恵を絞ったと思っている」
「それがあの従者達への仕打ちか」
吐き捨てるように問いかけた。
「つまらない挑発はよせ。興が削がれる」
ペネルスは取り合わず、ソファから腰を上げた。
その右手はシケイレスへと向かう。
「闇雲にスキルを得ているだけの貴様とは違う。人間は生まれながらに持てるカードの枚数も、得られるカードの強さも決まっている。どのようにゲームをクリアするのか、どのように勝者となるのか、常に思考し、挑み続けなければならない」
不覚にも戦闘に対する哲学は、俺と近い。
常に思考し続け、戦い続けることで、勝利への道は開けていく。
だが、
「お前は道を違えた。お前の力は独りよがりの紙切れだ」
「なら超えてみろ。操作による戦闘補助が切れた状態で、この完璧の布陣を崩してみせろ」
「やってやるさ」
再び柄を握りしめ、深い集中状態へ潜る。
周囲がぼんやりと存在感を無くし、倒すべき相手に全神経が注がれる。
考えろ。
操作の効果は切れ、俺の身体能力は二割ほど落ちた。
ここから勝機を掴む為には、シケイレスの刀を受けとめ、速度を殺す必要がある。
しかしこれ以上スキルを使うことはできない。シケイレスの背後にはウェムが構えている。
緊急時の備えだろう。奴のスキル――指鳴はあらゆるスキルに対応できる。
攻防のバランスに優れたシケイレス、そして初見殺しのスキルや敵の切り札を強制的に止めるウェム。完璧な布陣という表現は嘘ではない。
しかし奴らには一つだけ穴がある。
ウェムのスキル――指鳴はおそらく、この場にいる全員の動きを止めてしまう。だから俺の動きだけをピンポイントで止め、シケイレスを自由にさせるようなことはできない。
まず倒すべきはシケイレス一人。
この刀執事を倒せばどうにかなる。
「葉風鳥太、私のスキルはあと二つ残っている。今から付与するスキルは変重と最も相性のいいスキルだ」
ペネルスはシケイレスの肩に触れながらつまらなそうに呟いた。
速度を重さに変える変重と、最も相性のいいスキル。
その答えを、俺は知っていた。
「まさか……………………」
この世界にはおよそ百万種類のスキルが存在している。けれど、同じスキルが複数存在することも珍しくはない。
ペネルスがそれを手に入れていたとしても、不思議ではない。
それは、ピンチの俺を幾度となく救ってきた……………………
「加速。抗えるものならやってみろ、葉風鳥太」




