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第四十一話 対ペネルス・ワトスキフ

 ペネルスは木刀を持った執事の腕を軽く叩いた。


 まるで従者を鼓舞するような素振りだが、スキルを付与したのだろう。


 余裕を見せつけているつもりなのか、戦闘の緊張感など一切ない様子で部屋の隅にあったソファに足を組んで座った。


「葉風鳥太、そこのシケイレスが私の最高傑作だ」


 どこか子供じみた自慢げな口調。

 トマトの予想では強力な執事が五人ほどいるはずだったが、どうやらペネルスが戦わせるのは一人だけらしい。よほど自信があるのか、あるいはこいつがずば抜けて強いのか。


 シケイレスと呼ばれた短髪の執事は木刀を片手で構える。

 予想はしていたが、この世界の木材は発泡スチロールのように軽い為、両手で持つ必要はない。リーチは俺の身長に迫るほどの長さになる。


 その重量ゆえ殺傷力はないはずだが、武器として使うということは何らかの効果があるのだろう。


 全力でその挙動に集中する。が、執事は俺の視線を欺くような刀捌きで、俺の胸を抉った。


 まるで達人のような動き。

 そして刀の重さは俺の想像を遥かに超えていた。


 胸の硬質な肉を軽々と押し込み、刃先は肺を圧迫する。


 詰まりそうになる息を強引に吐き出し、俺は自らに付与していた操作ミリカの補助で強引に体を引かせた。


 一時的な酸素不足に陥った体は血管が破裂するような負荷を感じたが、気にしている余裕などない。


 一呼吸の間もなく執事の刀が無数の軌跡を描き、視線で追い損ねた筋が一つ二つと俺の皮膚に痛みを刻んでいく。


 下がりすぎていることには気付いている。戦闘に置いてポジショニングは非常に重要で、特に室内のような限られた空間において、隅に追い詰められることは敗北の縁へ追いやられることと同義だ。


 それでも成すすべなく、刀と素手という戦力差を如実に表すように、俺は部屋の隅へ追い詰められた。


 この世界では拳の方が遥かに硬く、重く、器用に扱える武器だと思っていた。だが重量と速さ、そしてリーチを兼ね備えた執事の刀は完全に拳の上位互換と化している。


「がっ……!」


 背が壁に触れた瞬間、執事の刀はこれまでで最も重い一撃を俺の肩へ落とした。


 成す術がない。

 もう一手前に何か仕掛けるべきだった。敵の剣筋を見極めている余裕などなかったんだ。


 これまでの経験が、無敗の自信が、完全に裏目に出た。


 多少不利になったとしても逆転の目があると、スキルを使えばどうにかなると、どこかで高を括っていた。

 しかしもう俺は負けているのかもしれない。


 体は徐々に力が抜け、楽な方へ、敗北を受け入れる道を進み始めている。


 頭部へ、肘関節へ、首筋へ、素早く重たい刀は容赦なく俺の防御を剥がしダメージを叩き込んでいく。


 視界が暗転した。

 圧倒的戦力差で畳みかけられるということを、生まれて初めて知った。


 執事の刀捌きは決して大振りではない。

 刀同士で戦ったとしても相当強いほどに、その剣筋には無駄がなく、その刀を掴むなどという神業は、たとえ俺が百回こいつと戦ったとしても起きないだろう。


 それどころか剣筋を見極め、腕を犠牲に防御することすらできていない。


 相手の目はブレることなく俺の首元にとどまり、おそらくその周辺をぼんやりと視認している。その見方は凝視するよりも正確に動きを追うことができることを、俺は通常戦闘で優勢に立っているときの経験から知っている。


 ――――敗北。

 その二文字が何度も頭を過り、その度に膝の力が抜けていく。


 勝てるはずがない。

 俺のスキル――――加速シストは間違いなく後方のウェムに止められるし、トイプから貰ったばかりのスキルはあまりにも性能が低い。


 ――――どちらにしろ負けるなら、ここで立ち続ける意味はあるのか?


 弱気な心の声が湧き上がった瞬間、膝が床についた。

 意思は折れていないつもりだった。しかし、気力だけで耐えていた俺の体は、その芯がもはやどこにもないことを見抜いていた。


「案外あっけなかったな」


 執事は刃先を俺に向けたまま攻撃を止めた。

 その背後からは、ペネルスの高らかな笑い声が聞こえた。


「葉風鳥太、貴様には感謝してもしきれないな。私が力を得る礎となり、敗北をもって私の正しさを証明してくれた。そうだろう? 貴様が常識を打ち破った功績は認める。しかし、重要なのは道を切り開くことではなく、開かれた道の先へ誰よりも早く先へ進むことだ」


 何を言っているのかまるで意味が分からない。

 そんな感想は掠れた声となって口をついて出ていた。

 ペネルスは嗤う。


「自覚がないのか。貴様はメイ奴ごときのスキルで何人もの執事を倒してきた。それが異常なことだとは思ったことはないのか?」

「………………」


 深く考えたことはなかった。ただ与えられた力が大きかった、その程度の認識だ。しかしこいつの言う通り、メイドさんのスキルで執事と対等に戦えるというのはこの世界の常識を外れている。その理由など知らないが…………。


「“スキルの強さは執事やメイ奴の忠誠心に依存する”」


 ペネルスはオールバックの髪を無造作に掻き上げた。


「これまで誰も気に留めなかった常識だ。執事の忠誠心など、同じクラスなら大した差はない。忠誠心など持っていて当然、従者は主に尽くして当然。その常識を一人の男が未知の領域まで押し広げた」


 ああ、確かにそんなことをクシィやフィルシーさんから聞いた覚えがある。

 忠誠心、それがこいつの強さの秘密なのか。


「だがそいつは野望を持たなかった。たかがメイ奴喫茶の道具に甘んじていた。だから私が示した。本当の強さ、そしてその使い道を」


 ガシャッ。


 部屋の隅で崩れるような音が鳴った。

 視線を動かして見ると、トマトがクローゼットらしき場所に手をかけ、体を支えていた。動揺して立てないかのように。ペネルスの発言から何かを感じ取ったかのように。


「あなたは、まさか…………あの執事達は………………」

「察しがいいなメイ奴よ。葉風鳥太のパートナーだけはある。今回、貴様にはなかなか引っ掻き回されたぞ」


 屋敷に侵入してから身を隠し行動できたのはほとんどトマトのおかげだということを、ペネルスは気付いているようだ。


 しかしそんなことは眼中にないとでも言いたげに、ペネルスは口元を吊り上げ、俺に視線を戻した。


「貴様がどうやってメイ奴の忠誠心を高めたかのかは知らぬが、重要なのはその結果だ。私は私のやり方をした」

「執事を痛めつけたのですね」


 トマトが怒りを滲ませた声で呟くと、ペネルスは両手を左右に放り出し、心外だとでも言わんばかりに首を振る。


「痛めつけたのは私ではない。それでは意味がないだろう。私はあくまでも忠誠を誓われる対象なのだから」

「でもっ!」

「彼らに苦痛を与えたのは、私の配下の執事達だ。彼らは肉体的にも精神的にも追い込まれ、闇しか見えなくなった。一か月。プライドの高い彼らが折れるまでに一か月かかった。そしてこの世に光を見いだせなくなった彼らに、満を持して温かい食事を与え、優しい言葉をかけたのがこの私だ」

「…………なっ」


 こいつは執事の忠誠心を高める為だけに、自分の執事を監禁し、苦痛を与えていたのか。

 そんなことの為に、従者を犠牲にしたのか。

 だからこの屋敷で戦える執事が二人しかいないのか。


 俺が薄暗い部屋の中に見たあの執事達は、こいつの自作自演に騙されて…………。


「てめえ………………」


 体内を廻る熱が急激にその温度を上げた。

 スキルではない。常に俺の体中を廻っている赤い液体が、脳に、心に反応し、戦うべきだと叫んでいる。


 やはり俺はこの世界を、変えなければならない。


「ペネルス、俺はお前ほど弱い人間を知らない」


 口は自然に動いた。

 拳は既に握っている。

 膝は体重を支えている。

 もう何があっても、諦めることはない。負けられない理由ができた。



「お前が進んでいる道は、俺がメイドと共に歩んできた道の先なんかじゃない。紛い物の強さなんかに、俺達は負けない」




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