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第四十話 トイプ・ドール

 ペネルスが強力な執事を呼ぶ前に秘密を探らなくてはいけない。


 急いで三階へ上がる。すると、薄暗い廊下から一人の執事が現れた。


 服装は戦闘用の執事服だが戦闘執事にしては服が綺麗すぎる。おそらくバトラーやハウススチュワードなどのごく普通の執事だろう。


「貴様っ……なぜここにっ――――」


 無防備な声を漏らす執事。やはり戦闘職ではない。

 が、俺はこいつを瞬殺するべくダッシュを切った。

 恨みはないが、敵であることに違いはない。ここで放置したらペネルスと再戦するとき加勢される恐れがある。


 恨むなら主人を恨んでくれ。

 心の中で呟き、黒服から伸びてきた腕を躱し、がら空きの喉に拳を叩き込んだ。


 瞬殺。


 薄暗い中でもひときわ黒さの際立つ影は、骨を失ったように床へ崩れ落ちた。しばらく起き上がることはないだろう。


 自分の戦力の向上にやや驚いたが、悠長にしてはいられない。入り組んだ廊下のどちらへ向かうか逡巡し、より暗い方へ進んだ。


 心もとない灯りが等間隔に並んでいるが、その間は広く闇に沈んでいる。

 足元が完全に見えなくなる場所を一つ二つと通過していくうちに、下の階で聞こえたのと同様、男のくぐもった呻き声が聞こえた。


 耳を頼りに辿っていくと重苦しいドアへたどり着き、上部に備え付けられた小窓から内側を覗くと、一人の男が室内に横たわっていた。


「だ、大丈夫か……?」


 意識があるかどうかもわからない。痩せこけた顔は無精ひげで覆われ、服は破れ、皮膚には無数の傷が刻まれている。


 死んでいるのかと思ったが、指先が瀕死の芋虫のようにピクリと動いた。

 再びくぐもった声。


「…………様……」


 どうやら主人を呼んでいるらしい。この状況に追い込んだのはペネルスではないのか…………? それともこいつが呼んだ名前はペネルスではないのか……?

 この屋敷で何が行われているのか、あるいは何が行われたのか、嫌な予感が渦巻く。


 男を救出しようと扉に手をかけてみるが、元々閉じ込める為の部屋なのか、ビクともしない。

 加速シストを使うか?

 しかし、ここで切り札を消費してペネルスを倒せるのか?


 躊躇っていると男の指はまたピクリと動き、続いてゆっくりと寝返りを打った。

 そっと長く息を吐き、男の腹部が上下するのを見守る。

 直ちに命の危険があるようではなさそうだ。


 救出を後回しにすることを決め、再び長い廊下の暗がりに歩みを進めた。


 そしてふと脳裏に違和感が過った。


 先ほどの部屋で何かを見落としたような予感。

 いたのは男一人、部屋に物はなかった。見落としたものなどないはずだが……。


 歩みを止め引き返すかどうか考える。すると、


「……………………ぁぁぁ…………」


 声になり損ねたような息の音が、鼓膜をざらざらと撫でた。

 慌てて振り向く。


 背筋に這い上がる嫌な感覚に堪えながら暗闇に目を凝らすと、先ほどと同じ形状のドアが見えた。


 中にいたのは瀕死状態の男。室内に物はない。つまりここで生活をしているわけではない。

 先ほどと同じ状況、これで二人目だ。一体どうなってる?

 もう一度部屋の中を隅々まで視線を這わせる。そして、先ほど見落としていた違和感の正体に気付いた。


 ただの男だと思っていたが、こいつは…………


 執事か。


 ボロボロだがよく見れば執事服を着ている。

 喫茶ジルヴェスは最近他の執事喫茶を倒したと言っていた。それと関係があるのかもしれない。

 だが一体なぜこんなところに監禁しているんだ………………。


「――鳥太様」

「っ!」


 驚いて振り返る。と同時に、聞き慣れた声がじんわりと染み渡り、声の主に気付いた。


「トマトか……。無事でよかった」


 暗がりでも薄っすらと赤い頬。おそらく秘密を探る為に動き回っていたのだろう。執事から隠れる必要もあったので精神と体力を消耗しているに違いない。


「私は大丈夫です。鳥太様もご無事で安心しました。そちらは今どのような状況でしょうか?」

「ペネルスは切り札の執事を連れてくる。時間はもうほとんどない」

「わかりました。ではこちらへ来てください。ようやく例の人物を見つけました」


 トマトは最小限に呟き、歩き出した。

 途中で出会った下位クラスの執事を瞬殺し、目的地へたどり着く。

 トマトが歩みを止めたのは、日常的に使っていてもおかしくない普通の部屋だった。


「この屋敷の事務を行っていたというメイドが、中に閉じ込められているのです。カギがかけられているのですが、開けられますか?」

「ああ、任せてくれ」


 握力全開でドアノブを捻ると木の軋む音が鳴り、あっけなく扉は開いた。執事を閉じ込めていた部屋に比べると遥かに脆い。

 それでも中にいたメイドさんには開けることができなかったのだろう。


 ふわふわとウェーブのかかった栗毛が、儚げに揺れる。

 耳の横で束となったそれは子犬の耳を思わせ、茶色のメイド服から伸びる手足は今にも折れてしまいそうに見えた。


「君がアイス・シャベトの契約をしたんだね」


 確認を取るつもりで声をかけると、つぶらな瞳には涙が浮かび、口元には安堵の笑みが零れた。


「はい、そうです……。やっぱり、来てくれましたね…………」


 メイドさんはまるで俺を知っているかのように、警戒心のない歩みで近づいてきて、俺の手をそっと掴んだ。


「助けてください、葉風鳥太様」

「あ、ああ……もちろんだ」


 メイドさんが他人に軽々と触れた。たったこれだけのことで、メイドさんの抱えきれない不安が、その小さな手を通して伝わって来るように感じた。


 先ほどの男達と違い、虐げられている様子はない。

 服装は整っているし肌には傷もない。それでも、ここで監禁され、ずっと怯えていたのだろう。

 俺がこの屋敷の企みを全て終わらせ、この子は必ず無事に保護する。


 その決心が胸を掠めた瞬間、俺の体内に、マッチの先端に灯るような小粒の炎が宿った。

 これまで三度経験しているこの感覚は…………まぎれもなく、スキルを習得した証。


「なっ…………このやり取りで、忠誠の誓いが交わされたのか……?」


 動揺して横を見ると、トマトはさして驚いてもいなかった。


「彼女にとって、鳥太様が唯一の希望の光だったのです。一人で戦いながらずっと鳥太様を思っていたのですから……その気持ちは少なからず忠誠心を含んでいると思います。メイドとはそういう生き物なのです」


 その言葉に栗毛のメイドさんは頷き、そっと俺の手を離した。


「取り乱してしまいすみません…………そちらの、トマトさんの言う通りです。葉風鳥太様、あなたが唯一の希望です。私はトイプ・ドールと言います」


 簡単に挨拶を終え、トイプに先を促した。

 ペネルスの目的、そしてアイスを買った目的、トマトはドア越しに会話をして多少事情を知っていたようだが、全貌を理解しているのはトイプだけだ。

 

 子犬のようなメイドさんは、ちらりとドアヘ目を向け、怯えた様子で話した。


「まずは契約済みのアイス・クリムーさんに大金を積んで契約したことをお詫びします……。規約違反になることは知っていました。ですが、私にはあれしか方法がなかったのです……」

「あれは鳥太様を呼ぶ為だったのですね?」


 トマトが素早く間に入り、まるで俺の疑問を先読みしているように会話を進める。


「その通りです。鳥太様のご活躍はすでにこの近辺の街に知れ渡っているので、私も存じておりました。もちろんルッフィランテに所属していることも……。私はペネルス様のある企みを止める為に、鳥太様をこの屋敷へどうにか来ていただけないかと考えたのです。ペネルス様を止められる方、止めてくれそうな方は、噂でしか知らない葉風鳥太様、ただ一人でした……」


「ルッフィランテのメイドに異変が起これば、俺が駆けつけると考えた?」

「はい……。その為に、私は喫茶ジルヴェスの事務メイドとして使えるお金を全て使い、一般家庭に配属されていたアイス・クリムーさんの契約を買い取ったのです……。すべては、鳥太様をこの屋敷に呼ぶ為に……」

「……………………」


 そして、トイプの目的は達成された。

 ルッフィランテのメイドさんに異変が起これば、必ずフィルシーさんの情報網にひっかかり、メイドさんの味方で執事に対抗できる俺が、喫茶ジルヴェスを訪れる。


 執事喫茶でほとんど自由に動けないトイプにとって、俺に助けを求める方法はそれしかなかったのだろう。


「私がしたことは当然ペネルス様に気付かれてしまい、厳しく叱られた後、ここへ閉じ込められてしまいました。今日で二日目になります。私はいつどのように処分されるかわからない身です」


 トイプは最初からそうなることをわかっていただろう。

 それでも一人で戦うことを選んだ。


 俺がここに来なければ破綻していた作戦。俺がここへ来たとしても、屋敷の秘密に気付かなければ破綻していた作戦。そんな細い可能性に賭けるほど、トイプに使える手段は限られていた。

 けど、


「よく呼んでくれた」


 トイプが伸ばした小さな手は、その一筋の光をつかみ取った。

 まるで接点がなかった俺と、救いを求めた彼女は、今こうして繋がりを持つことができた。


「大丈夫だ、あとは俺に任せてくれ」


 その手をもう一度取り、指切りでもするように、誓いを込めて握った。

 トイプのつぶらな瞳は上向く。


「お願いします。ペネルス様を止められるのは、鳥太様しかいません」


 ペネルスの企みについて聞こうとした。

 その瞬間、背後から芝居がかった、嘲るような声が聞こえた。


「やはりここまで狙っていたか、トイプ」


 ペネルス・ワトスキフ。

 二人の執事を監禁し、トイプをこの部屋に閉じ込め、明確に俺の敵となった男。

 今やその顔には、表面的な善人の仮面すらない。


「メイドごときが私に牙をむくとは予想外だったぞ。アイス・クリムーの契約が愚鈍な貴様のミスなら温情を与えようと思っていたが、裏切りとなれば話は別だ。全てが終わった後、処分してやろう」

「あの執事達のようにか?」


 悪事を突き付けるように、俺は間に割って入り、呟いた。


「葉風鳥太、貴様はまだ知らないようだな。彼らはこの上なく丁重に扱われている。私の大切な執事だからな」

「お前の…………執事なのか…………? なんであんなことをしてる……ろくに飯も与えられてないだろ……」

「それはどうだろうな? 悪いが私はこれから死ぬ人間と長話をするほど暇ではない」


 ペネルスは不敵な笑みを浮かべて半歩横にずれた。

 その背後から現れたのは二人の執事。


 一人は先ほど二階で戦った“ウェム”。

 体を硬直させるスキル――――指鳴パッツェの使用回数がおそらくまだ数回残っている。最悪に厄介なサポート役になりそうだ。


 そしてもう一人は俺とほぼ同じ体格の執事。黒の短髪が執事にしては珍しく逆立ち、必要以上に開いた目は挑発的な闘志が感じ取れる。

 その手にはなぜか、木刀が握られていた。


 この世界の木材は頑丈だが、重量が軽すぎる為、武器には向かない。あんなもので殴られてもまったくダメージなどないはず……はずなのだが。


 執事が手にしている刀は空気を切れる程度に薄く滑らかなフォルムに加工されている。

 先端はやや幅広く、遠心力に乗せて振り回せる。どう見ても武器を意図した作りだ。


「ああ、一つ訂正し忘れていたな」


 ペネルスがオールバックの髪を片手で掻き上げるように手櫛を入れた。鋭い目鼻立ちが刃のような表情を作る。

 全身をビクリと震わせたトイプの身を隠すように、俺は一歩前へ出た。


「私を倒せるのは葉風鳥太しかいないと言っていたな、愚かなトイプよ。それは大きな誤りだ。貴様のくだらない企みは第一歩目から見当違いな方向を向いていた」


 自信に満ちた表情で、ペネルスは苦笑し、高らかに宣言した。




「泥沼へ沈みゆく途中で、他人の服の裾を握りしめ、巻き添えにしたに過ぎない。そこに進むべき道などない。私に勝てる者など、貴様の知る人物には、一人もいないのだからな!」





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