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第三話 "メイ奴"の世界

 ヨーロッパの町並みを丸くデフォルメしたような景観が広がっていた。女神は可愛い世界と言っていたけど乙女チックなファンシーさはなく、清潔感の漂う落ち着いた雰囲気に満ちている。


 建物はどれも角がなく最大でも三階建ての高さ。明らかに元の世界とは建築様式が異なる。

 色は茶を基調として赤に近かったりクリーム色に近かったり、チョコレートに似た艶やマッド感が食欲をそそる。


 綺麗な景観を眺めながら異世界転生の感慨に耽りたいところだったが、俺は意識を取り戻した瞬間から周囲の注目を浴びていた。


 普段通りのTシャツに地味なチノパン姿。

 それに対して街を歩く人々は、貴族、婦人、王様、執事のような服をキッチリ着こなし、春みたいな気候なのに全員厚着をしている。シャツの襟をヒラヒラさせている男もいる。


「………………」


 女神様、服くらいどうにかなりませんでしたかね……。


 ヒラヒラを着る勇気はないがせめて悪目立ちしない黒い地味な服が欲しかったな、と心の中で愚痴ってみたものの、好奇の視線はせいぜい田舎町のゴスロリ少女に向けられる程度のようだ。


 人々の仕草は紳士・淑女的な上品さがあり、異質な俺の姿に目を取られてもさりげなく視線を逸らしてくれる。

 気を遣われる惨めさを感じるけど、迫害されることはなさそうで安心だ。


 すーっと異世界の空気を肺に送り込み、いく分軽い体にすんなり馴染むことを確認して歩き出した。


 街並みは至って平和。世界を救えと女神に言われたけど荒れてる様子はなく、戦争をしているようにも見えない。


 おしゃれなカフェ、ドレスを扱った服屋、高級そうなレストラン、庶民派っぽいけど小奇麗な食事処。日本にあれば人気観光地になりそうな雰囲気だ。


 人々の表情も現代社会で生きる日本人のような疲れは見えず、皆心にゆとりがあるような優雅さを醸している。


「異世界に来たってのに、俺が活躍するような展開はなさそうだな……」


 そんな悠長な独り言が漏れるほど平和だった。

 自然に踏み固められたような地面は思いのほか歩きやすく、変わりゆく景色も新鮮で自然と歩みが速まる。


 ふと、そんな軽快な足取りが止められた。

 メイドさんの気配。


 広い通りの脇にある木造一階建ての喫茶店の入り口に、見慣れたスカートの裾が見えた気がする。

 自然と目が吸い寄せられると、そこからおぼろげな足取りで出てきたのは、一人の小柄なメイドさんだった。


 赤茶色の髪の毛をクルクルとカールさせていて、瞳は不思議な赤系統の色。落ち着いた茶色のメイド服は、胸のところがヒラヒラした白い襟で縁取られている可愛らしいタイプだ。こんな綺麗なメイドさんに会えるとは……! 女神の言ってたことは本当らしい。ここはメイドさんのいる世界だ!


 テンションが上がりすぎて、声をかけようかと柄にもないことを考えていると、メイドさんに続いて何やら不穏な空気を纏った三人の男達が店から出てきた。

 全員紳士のような恰好をしているけど服装はやや乱れていて髭も整っていない。落ちこぼれた貴族という印象だ。


 その後から出てきたのはオーナーと思わる初老の男性。西洋風の整った顔立ちに骨ばった凹凸も様になっている。

 店から出た途端、オーナーは男達に深々と頭を下げた。


「申し訳ございません。うちのメイドが失礼致しましたことをお詫び申し上げます」

「失礼をした? 違うな。“メイ奴”が失礼をしたんじゃない。メイ奴の分際で、俺達に飯を運んだことが失礼なんだ。他の客には執事が対応しているのに、私達のテーブルには薄汚いメイ奴が飯を運んできた。私達を金のない客だと思って見下しているということだろう」


 あいつは何を言ってるんだ……?


 メイドさんは綺麗なメイド服を着ているし、髪や爪もきちんと手入れしてある。顔に関しては欠点が一つも見当たらないほどの美少女だ。

 何が不満なのかわからないが、男の口ぶりは彼女の存在そのものを忌諱しているように聞こえる。恨みでも買っているのか。


「申し訳ございません。本日はお客様が多かったため、執事だけでは対応しきれず、メイドも給仕に出させておりました」

「ではメイ奴が私達の給仕についたのは偶然だと?」

「はい、もちろんでございま」「ふざけるなっ!」


 男は怒声をあげ、オーナーに掴みかかった。


「お前が給仕の指示を出していたことは知っている。私達のテーブルに食事を運べとメイ奴に命じていただろう!」

「いえ、ですがそれは……」

「言い訳は許さん。罰としてそこのメイ奴に砂を食ってもらう」

「そ、それは困ります……!」

「私達に歯向かうか? 三人を相手においぼれが敵うと思うのか?」

「………………」


 無言になるオーナーに男は勝ち誇ったような表情を浮かべた。三人を相手にと言ったが、こんな街中で喧嘩が許される世界なのか?

 それよりもこいつが言った言葉……。


「それでいい。貴様のメイ奴が地面に顔を擦り付け、砂をおいしそうに食す姿を目に焼き付けておけ」

「ついでに服も脱がせましょう。我らのような目に遭う客を救うために、このメイ奴には二度と給仕ができなくなる苦痛を与えなければいけません」


 左隣にいた背の高い男が提案し、主犯格の男はさも当然のように頷いた。


 その不穏な会話に俺は吐き気のようなものを感じていたが、状況の理解が追い付かず、ただ棒立ちのまま眺めていた。

 悪意の塊のような発言が突拍子もなく飛び交い、その根拠となるものだけが見えない。


 これはお芝居の練習か何かじゃないのか。

 次の瞬間、男達とメイドさんが笑い合って、『良い演技でしたね』とでも言うんじゃないのか。

 そんなことをぼんやり考えていた。


 が、男達の暴走はなおも続いた。


「まずは服を脱げ。街の皆様に貴様ごときの裸を見せることを詫びてからな。その後は食事の時間だ。どれでも好きな花壇の土を食すことを許そう」


 男は人に向けるべきではない言葉を吐き捨て、侮蔑的な目をメイドさんに向けた。そこには嗜虐的な色はなく、この振る舞いが奴にとって言葉通り報復であることを示している。理解が追い付かない。なぜ周りの人間は誰も止めないんだ。

 紳士・淑女的な振る舞いはもはや無感情な人形、あるいはそれ以上に残酷でどす黒い何かに見えた。


 オーナーは強く目を瞑り拳を握りしめているが、メイドさんの為に戦う様子はない。初老の男性に喧嘩は荷が重いだろう。

 道端で孤立したメイドさんは抵抗する素振りすら見せず、重苦しい表情で頷いた。


「街の皆さま、申し訳ございません」


 震える声で謝罪を口すると、その頬に大粒の涙が伝い落ちた。

 メイド服の腰部分のボタンに手をかける。


 一つ、二つ、言われたままに外していく。

 

 男の横暴をただ聞き入れ、瞳に悲しみを携えながら、それでも逆らう事をしない。


 三つ、四つ…………ボタンにかけるその手を、気付くと俺は握りしめていた。


「……っ」


 小さく息を飲んだメイドさんは怯えた様子で俺の顔を見上げた。

 不思議な赤系統の瞳が涙の膜で揺れる。俺が敵でないことを悟ったのか、頬が赤く染まり、震える唇が助けを拒んだ。


『だめです。放っておいてください』


 自身の尊厳を奪われようとしている中、おそらくまだ十代半ばのメイドさんは俺の身を案じた。

 震える手が次のボタンにかけられる。

 頑なに実行しようとする彼女の意思めいたものに一瞬気圧されたが、俺は手首を痛めないように加減しながらも、その細い腕を強く押えた。


「……貴様っ! 何をしているっ!」


 背後から野太く掠れた怒声が響いた。先ほどのリーダー格の男。

 何をしているか……その台詞は俺が言うべきだろう。

 気付くと俺は、威圧的な声で返答していた。その音は五十音の最初に似た別の何か、前世では頭の悪い人間しか発しないと思っていた「あ゛?」だ。


 温厚に生きてきた俺のアイデンティティが揺らぐほどの怒り。

 メイドさんを泣かせる人間を、この俺が許せるはずがない。


 リーダー格と思われる胴周りの太い男は、俺の頭部から足先までを視線でなぞった。瞳に侮蔑が浮かぶ。


「貴様……なんだそのみすぼらしい服装は。それにそんなおぞましい声を街中で発するなど、商人ですらないな。そのメイ奴の恋人か何かか」

 

 恋人。特にカッコよくもない、背が高くもない、みすぼらしい服を着ている俺が、どうやったらこんな可愛いメイドさんの恋人になるんだ。わけがわからない。


 ここは俺が思っていた世界ではない。それだけが明らかだった。女神も言っていたが俺の持っていた常識は通用しない。ただ俺のすべきことだけがはっきりとしていた。

 

 眉間に力が入り、視界が狭まる。男達に焦点を当てる。敵を睨みつけるのは余計な視覚情報を減らす為なのかもしれないと、どうでもいい思考が過る。


 中央にリーダー格の男。その右隣で、痩せ細った男が吐き捨てるように言った。


「失せろメイ奴以下のゴミめ。紳士の服を身に着けていない貴様など躾けるにも値しない。私達が慈善でメイ奴を躾けてやる様を黙って傍観していろ」

「そうか……」


 俺はメイドさんの手を離した。静かな息が零れ落ちる。

 赤茶色の髪の下、俺を見上げる瞳には安堵と微かな失望が浮かんだ。


「わかればいい」

 

 そう語気を抑えたアホ共に、俺は静かな声で告げた。


「メイドさんを邪険に扱うお前らがまともなゴミになれるように、俺がゴミのあり方を教えてやるよ」


 俺はメイド喫茶に全額つぎ込み、ろくに社会貢献もせず、恋人も作らず、ただ無意味に生きてきたゴミだ。ゴミは世間に疎まれ、見下され、後ろ指を立てられる。それでも人を傷つけることはしない。女の子を泣かせる真似はしない。

 メイドさんを、傷つける真似はしない。


 男たちの顔から血管が浮き出し、握りしめた拳がわなわなと震え始めた。それはいささか滑稽で、胸に渦巻く吐き気を僅かに緩和させた。


「き、貴様っ……!」


 主犯格の男が弛んだ頬を震わせる。格上と自負しているこいつらにとって、俺の反抗は予想外だったのだろう。俺はするべきことが見え、何よりもメイドさんが泣き止んだことで、清々しい熱が全身に廻っていた。これに名前を付けるとすれば勇気と言うのだろうか。前世では味わったことはなかったな。


「だ、だめです! いますぐ謝ってください! 私も一緒に謝りますから! そうでないと、あなたが怪我をしてしまいます!」


 空気を裂くようなメイドさんの声は、事態の深刻さを暗示していた。

 たしかに俺は喧嘩なんてしたことがない。立場的にも戦力的にも明らかに格下。三人相手ではまず相手にならないだろう。


 それでもここで引こうという気持ちは微塵も湧かなかった。


 俺は前世でメイド服の可愛さにやられ、上品な振る舞いに惹かれ、そんな可愛い子にご主人様と呼ばれる至福に人生の全てをかけていいと思った。だけど俺は最後にご主人様を全うできず、マロフィーユちゃんの手料理を残したまま死んだ。

 俺はこの世界で今度こそ、本物のご主人様になる。


 ーー感謝するぜ、女神様。


「いまさら遅いッ! 貴様もメイ奴も、躾けでは許されん! この場で半殺しにした後自宅で監禁し、三日三晩調教してやるッッ!」

「に、逃げて下さいっ!」


 メイドさんの透き通るような叫び声が、奇しくも戦闘開始の合図となった。

 男達は地面を蹴り大きく一歩目を踏み出す。その歩幅はおよそ三メートル。


 ――常識を捨て、世界に順応してください。


 脳裏に過るのは女神の言葉。

 特に体格に優れているわけでもなくトレーニングを積んでいる様子もない、その男達の動きは俺の常識を嘲笑った。


 この世界における戦闘力の基準を脳内で補正するが間に合わず、最も足の速い長身の男の拳が俺の頬に迫る。


 後悔はなかったが死の覚悟は生まれた。

 人間出身の俺にこんなものを避けられるはずがない。

 この世界に来てからせめて自分の身体能力を把握しておくべきだった。


 そんな思考が終わる頃、男達の拳は俺が立っていた場所に向かって大きく空振りしていた。


 清々しいほどの無音。


 屋外でコーヒーを飲んでいた客がカップを置き、好奇の視線を俺に向けている。その隣の店では服を持ったまま微動だにしない客が同様に俺を見つめている。


「……………………」


 周囲に目を取られていた俺は、長い沈黙の後、ようやく自分の状況へ目を向けた。

 メイドさんを抱えた状態で、さきほど立っていた位置から二メートルほど離れた場所に移動している。


「………………………………」


「あの、あなたは一体……」

 

 メイドさんの驚いた声がじんわりと頭の中に広がる。


 そういえば女神は俺の身体能力を強化すると言っていた。この世界の基準に合わせて調整されているとしたら、まだ二十代の俺は中年の男共より強い可能性がある。


 ほぼ無意識に体が動いたトリックはわからないが、考えても思考の整理は追い付かない。それなら戦うしかない。戦いの中で生じた現象を受け入れ、世界のルールを把握する。それがおそらく今できる最善だ。


「下がってて」

「は、はい」


 抱きかかえていた柔らかな温もりをそっと下ろし、最も原始的な武器を右手で形作る。もやし出身の俺だって格ゲーくらいはしたことがある。格闘漫画を読んだこともある。もしも不良に絡まれてるメイドさんを見つけたら、なんて妄想は毎晩していた。でもそれ以上に、背後にメイドさんがいるという事実が俺の恐怖を一滴残らず拭い去っていた。


 心音は至って平常。

 俺がこの世界で強いかどうかなんてわからない。けど、守るべきものがあるという事実だけで自分の命は安く思えた。この子を守る為なら死んでもいい。だから恐れるものはない。

 

 俺の回避行動は男達にも予想外だったようだが、常識で考えられないという次元ではないと見える。醜く歪んだ顔を見る限り、闘志もまだ揺らいでいない。


「…………貧乏人が、後悔させてやる」


 主犯格の男が拳を握ると、左右の二人が同時に地面を蹴った。


 不思議とその動きは俺の目で追う事ができた。

 先ほどよりも素早い連打、合計十発。

 その拳は全て空気を貫き、俺のTシャツを掠めることすらなく行き場を失った。


「――――なるほど」


 加速した思考の中で自分の力を把握し始める。

 なぜ付け焼刃の知識しか持たない俺がこの速度についていけているのか、その答えは攻撃を躱す度、明確になっていった。


 つまりこれは技でもなければスキルでもない、地球の人間にも備わっているただの『反応』だ。

 目の前に拳が来たから避ける。『避ける』という意識があれば自然と体が避ける。

 

 男たちの戦闘力は人間の常識を超えているが、俺の動体視力と身体能力は戦闘経験の不足を補って余りある。


 攻撃を躱せることがわかったので、一度下がって状況を整理する。今しようとしていることを、俺の中に眠る日本人の常識がやめろと諭している。けれど公衆の面前でこれだけ拳を振るっている相手に手加減をする必要があるのか。いや、それ以上に……。

 俺はメイドさんを傷つけた奴らを許せるのだろうか。


「き、貴様一体…………」


 男達は戦力差を思い知ったのか先ほどまでの勢いを失い、互いに狼狽した目を合わせた。

 それでも握られた拳は先ほどより筋張り、青紫の血管を浮かべている。


 背後にいるメイドさんは小さな拳を反対の手で包み込み、行く末を見守っている。その祈るような瞳に映っているのは俺一人。自分の保身など考えていないようだ。


 その健気な姿を見て、やっぱりこの世界の歪みを叩き直したいと思った。この世界の正義が何かは知らないが、俺にとっての正義は一つしかない。元の世界にあった人権だの法律だの裁判だの校則だの倫理だの道徳だのは関係なく、ただ好きなものを守る、俺の遺伝子に刻まれた正義。転生してもなお燃え続ける俺の原動力。道が示されていないなら自分の進みたい方向に進めばいい。


 俺は脳内で選択し続けていた『避ける』を『殴る』に変更し、拳を硬く握った。


 歩き心地のよかった地面は踏みしめると心もとなく、硬質なゴム礫を擦り合わせるような弾力が足裏に纏わりつく。

 その感触すら今は疎ましくなり、俺は全力でこの世界に敷かれた道を蹴った。

 

 一歩で男達の輪に入る。正面から拳、左右から足、連携の取れた攻撃は幼稚な殺陣たてに思えるほど遅く、男達の体中に隙が見える。当たるはずのない攻撃を避ける気分にすらならず、俺はただその足が届く前に男の頬を弾いた。


 パカッ。


 手に当たった感触は軽い。

 細身の男はその場で崩れ落ち、振り回した足は慣性に持て遊ばれる。


 攻撃と共に一歩移動した為、背後では一つの拳が空を切った音がした。

 長身の男が振り抜いた足は、空を切る代わりに地面を踏み鳴らしている。

 仲間に当たらないようにフェイントをかけていたのか。


 テンポよく放たれた二発目は俺の脇を狙った中段蹴り。その足を拳で軽く払う。無防備になった顔面を裏拳で飛ばす。


 二人目。


 ノーダメージで人を傷つけることに多少の罪悪感はあったが戦いは止まらない。手勢を失ったリーダー格の男にとっては、曲げられない意地なのだろう。

 しかしその憎悪に満ちた顔は、俺の脳裏にメイドさんの悲しむ顔を過らせた。


 一歩踏み込むと、硬く握った拳が跳ね上がる。異世界を踏みしめた足は俺の全体重を難なく支え、男の体重が追加されても悲鳴をあげることはない。


 弾力のある腹部に食い込んでいく拳が、その裏側にある背骨を捉えた気がした。 

 

 浮き上がる巨体が空の光を遮り、俺に局所的な影を落とす。その影は徐々に遠ざかる。

 再び視界が眩く照らされたとき、道脇の花壇に鈍い音が鳴った。

 

 頭を土の中に突っ込んだ男は、口をモゴモゴと動かし何か呻いている。


 うっかり致命傷を与えたかと心配したが、この世界の人間は頑丈そうだ。メイドさんに食わせようとした砂の味を覚えておけよ。と心の中で呟き、驚きと賞賛が混じったようなどよめきを聞きながら振り返った。 


 道行く人は相変わらず澄ました顔で通り過ぎていくし、小奇麗な街は何事もなかったかのようにコーヒーや買い物に戻る。

 小柄なメイドさんだけが真っすぐに俺を見ていた。


 呆然と固まっていた表情が崩れ、不思議な赤系統の瞳が涙の膜で覆われていく。


「あ、あの……あのぉ……」

「ちょ、大丈夫⁉」


 全力で駆け寄った。

 まだ幼さの残る声が震えている。目は瞬きの度に大粒の涙をこぼし、滑らかな頬を滑り落ちる。


「ありがとう……うっ……ございますぅ……ほっ、ほんとうに……助かりましたぁ……うぅ……」

「おう、怖かったな。もう大丈夫だから」


 ためらいながらその小さな頭に手をのせると、赤茶色の髪はサラサラと指を撫で返した。

 そのままぎこちない動きで撫でると、メイドさんの頬が微かに赤く染まる。


「あ、あの……その……」

「ん?」

「いえ、な、なんでもないで……す……うぅ…………優しいですぅ……」


 メイドさんは一瞬泣き止んだ後、また目をこすって泣き始めた。

 道路脇を見ると、ポツンと立ちすくんでいたオーナーと目が合った。


「あ、ありがとう……うっ……ございますぅ……」

「あんたもかい」


 泣きじゃくる初老のオーナーを微妙な気持ちでスルーして、小柄なメイドさんが泣き止むのを待った。


 俺の慰めの言葉が尽きてからも、感謝の言葉はしばらく続いた。



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