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第三十八話 侵入

 アイスが話し好きのドグダンを引きつけている間、俺とトマトは屋敷の裏に回った。


 塀は軽く俺の身長の倍を上回っているが、この世界での身体能力なら飛び越えることは難しくない。


「トマト、飛べるか?」


 と聞いてみると、トマトはぴょんぴょんと飛んで高さが足りないことをアピールする。

 人間離れした跳躍力を持っていてもさすがに届かないか。


「すみません、鳥太様。どうしましょうか……?」

「俺が持ち上げるしかないな。ほい」


 手を前に組んで一歩目の踏み台を作る。スパイ映画などでお馴染みの、男子なら一度はやってみたくなるアレだ。


「鳥太様、本当にいいのですか?」

「他に方法はないだろ? 急ごう」


 アイスがいつまでドグダンの注意を引きつけてられるかわからない。それに俺達はもう一つ、急がなければならない理由がある。


 トマトはやはり人の手に足を乗せるのは気が進まないようだったが、


「わ、わかりました。では、失礼します!」


 躊躇いがちに言った後、意を決したように顎を引き…………


 ポスッ。


 俺の手の上に座った。


「……………………」

「鳥太様、準備完了です! 遠慮なく投げてください。塀の縁に届けばたぶん大丈夫ですから」

「……………………」


 あれ、これが正しいのか?

 ……って何雰囲気に流されそうになってるんだ。明らかにおかしいだろ。


「いやいやいや、トマト、座るんじゃなくて、足をかけてジャンプするんだよ。ていうかちょっと一回降りてくれ」

「そ、そんな。足をかけるなんてできるはずないじゃないですか! このまま投げてくだされば大丈夫ですよ!」

「それはさすがに…………」

「大丈夫ですよ! 鳥太様の腕力ならまったく問題ないはずです!」

「いや、腕力とかじゃなくて……」


 メイドさんをブン投げるというのはかなり気が引ける。おまけに分厚いメイド服越しとはいえ、トマトの太ももだかお尻だかわからない部位が俺の手に触れているのはマズい。

 トマトは気にしてないみたいだけど、普通に考えてアウトだろう……。


「早くしないと執事が来てしまいますよ。最近、私も少し運動の訓練を始めたので、成果を見せるときです!」

「いや、でも万が一失敗したら危ないだろ」

「きっと成功させます! 信じてください!」

「………………」


 こう言われてしまったら否定できない。というより、話が長引く方が問題だ。


「もう仕方ない、本当に投げるからな!」

「はいっ!」


 元気のいい返事を合図に、俺は全力でトマトを真上に放り投げた。

 ファサッとメイド服がはためく音がすると、


「ほわっ! あ、とっ、大丈夫です! 成功しました! 中は誰もいませんよっ」


 トマトが興奮気味に囁く声が聞こえた。無事塀の縁に掴まったらしい。


 トマトが侵入した後、俺も敷地内に進入した。三メートル以上の高さから落下したものの、幸い縁に沿って柔らかい土が敷き詰められていた為、音は鳴らなかった。セキュリティの甘い作りだ。


 一歩踏み出すと灰色の石畳。これも安定感があるので音は鳴らない。

 そのまま目的地へ進もうとすると、


「鳥太様、ちょっと待ってください」


 トマトは真剣な声音で言い、ポケットからハンカチを取り出した。


「この石畳、一見灰色でわかりづらいですが、非常に手入れが行き届いています。おそらく侵入者用の罠でしょう。土で汚してしまうと定期巡回している執事に気付かれてしまいます」


 トマトは丁寧に靴の土を拭い、俺の歩いた石畳も拭いてくれた。


「悪い、助かった」

「いえいえ」


 脱いだ靴を手渡すと、靴底までピカピカにして返却してくれた。


「はいどうぞ」と笑顔のトマト。


 メイドさんのスキルがこんなところで役に立つとは思わなかった。俺一人だったらすぐに気づかれていたのだろう。


 その後、俺達は“入り口”にたどり着いた。

 もちろん正面玄関のことではない。


――――『私が部屋を出る直前、部屋の窓の鍵を一つ開けておきました。執事達が掃除を始めてしまう前に侵入してください。おそらくタイムリミットは一時間程度です』


 アイスは俺達が迎えに来た後、再び侵入する場合や屋敷から逃げ出す場合などを想定し、出入り口を一つ作っていた。


――――『通常、お客様がお帰りになった直後に部屋を掃除することはありません。一度忘れ物などがないか確認した後、お客様の生活臭が多少消えたのを確認し、掃除をするのがマナーなのです』


 アイスが部屋を出てから小一時間は経過している。

 俺達は執事が来る前に部屋へ侵入し、完全に身を隠す必要があった。


 靴を持ったまま窓枠を乗り越えると、ベッドにふわりと着地する。さすが最上級の客室だけあってサラサラとした上品な肌さわりだ。

 

 そのまま転がるように部屋の中に入ると、後からトマトも入って来て、窓を丁寧に閉じた。

 ここから俺達は執事達の目を掻い潜り、最上階の最も遠い部屋までいかなくてはならない。


「トマト、どうした? 何か気になるのか」


 窓枠をじっと凝視しているトマトに声をかけると、


「鳥太様、三分間だけ掃除の時間をください。窓枠に積もった埃が均等ではありません。アイスは窓を閉め切っていたことになっているので、これでは不自然に思われてしまいます。それとベッドメイクもしましょう。これでは人が踏んだのがバレバレです」


 窓枠は埃一つなく、高級なベッドはシーツ張りたてのように見えるが、プロの目にはわかるらしい。あまり時間は無いが……


「わかった、できるだけ早く頼む」

「はい。どこまでSクラス執事の目を誤魔化せるかわかりませんが、ルッフィランテの技術で対抗してみせますよ」


 トマトは職人のような目つきで、窓枠に息を吹きかけたり、ハンカチでポンポン叩いたりし、ベッドのシーツは一度取り外してから張りなおした。その手際の良さや、音を立てない技術を改めて間近で見ると、普通の掃除と似て非なるものだとわかる。


 俺はずっとドアに耳を押し当てて見守っていたが、そのとき、恐れていた事態が起こった。


 階段を降りてきた足音が方向転換し、コツコツと一直線でこちらに近づいてくる。


 トマトはまだシーツの皴を指先で整えている。声で合図することはできない。足音の距離はおよそ二メートル。

 俺はトマトの口を塞ぎ、そのままベッドの下の隙間に引きずり込んだ。


 ガチャ、とノックもなく部屋のドアが開けられ、足音が部屋の中へ入る。


 執事だ。このまま掃除が始まったら確実に気付かれる。しかし、ここで乱闘騒ぎを起こすのも得策ではない。

 

 足音は俺の心臓のポンプを踏みつけるように緊張感のある音を鳴らし、部屋を往復する。

 布の捲れる音や机に何かが置かれた音がひたすら続く。


 およそ三分経過。

 

 狭い空間で息を殺している為、軽く酸欠になりかけている。密着したトマトの体も汗をかき、その熱から尋常ではない緊張と恐怖が伝わってくる。


 そしてついに執事はベッドの前に立ち、布団に手を伸ばした。

 

 息を飲む。

 俺達との距離はおよそ数十センチ。

 俺と同等の聴力を持つ執事なら微かな呼吸音さえ捉えるだろう。それどころか呼吸によって上下する衣ずれの音さえも気付くかもしれない。


 トマトは言われるまでもなく息を止め、まるで植物のように微動だにしなくなった。

 

 体内を廻る血液はドクドクと爆音を鳴らしている。自分が動いているのか止まっているのかもわからず、ただ熱と酸欠で視界がぼんやりと輪郭を失っていく。


 ベッドメイクを行うということは、掃除をするということ、つまり、部屋の中を隅々まで見るということだ。雑音から察すると執事はおそらく掃除道具をすでに持っている。


 このまま正面戦闘……。

 声を出される前に気絶させるか……。

 しかし俺は身動きできない上、視界はトマトに遮られている。

 

 トマトが直したはずのベッドシーツが再びバタバタと音を立てた。その瞬間。


 コロッ。

 

 俺達の目の前に小さな何かが転がった。おそらくベッドの近くにあった菓子か小物だ。

 それを見ているであろうトマトの体は急激に強張った。


「ああ、つまらないミスをしてしまった。これはもうゴミだな。床に落ちた物をお客様にお出しするわけにはいかない」


 執事が低く呟き、シーツを一度ベッドに戻した。

 俺は左手に体重をかけ、少しでも起き上がりやすい体勢を作る。

 逃げ道は無い。


 ――――戦闘だ。


 覚悟を決めた瞬間、部屋の扉が二度高らかな音を鳴らし、艶やかな別の声が聞こえた。

 

「シケイレス、そんな雑用は他に任せたらどうです? そろそろ例の時間ですよ」

「もうそんな時間か。けどもう少し待ってくれ。大切な客室をメイドが使ったんだ。何か汚されていては困る」

「いえいえ、その心配はないでしょう。相手は一応あのルッフィランテのメイド、分をわきまえているようでしたし、下手な上客よりは綺麗に使っているのではないですか」


 一瞬の間が空いた後、


「この間来たペネルス様の姪のことか。たしかにあのお子様は部屋にあった物の配置をほぼすべて変えてお帰りになったからな」

「いえいえ、私はペネルス様の親族を悪く言うつもりなど一切ありませんよ」

「ほざけ」


 元々部屋にいた方の声が軽く笑ったのが聞こえ、


 バタン。


 扉が閉じ、コツコツと二つの足音が去っていった。

 音が完全に消え、沈黙を貪った後、


「た、助かった……」


 ベッドの下から這い出て、ようやくまともに息を吸う。

 冷たい空気が肺を満たすと、汗だくの体もひんやりと元の体温を取り戻していくようだ。


「助かりましたね…………本当にもう駄目かと思いました…………」


 トマトは盛大に安堵のため息を零した。


 その後、部屋を出た俺達は順調に執事達の目を掻い潜り、部屋を次々と移動した。


 屋敷内にはおよそ六人の執事達が闊歩していたが、トマトが仕事の経験から執事のルーティーンを予測し、回避していく。

 その精度は執事の位置情報を全て把握しているのに等しい。


「鳥太様、そろそろ部屋の掃除が終わったはずです。そしてもうすぐ取り込んだ洗濯物を執事がここへ持って来るかもしれません。今日はお天気がよかったのでもう乾いているはずですから。先ほど部屋に入った執事が階段を上ったら、ここを出て一気に例の客室まで戻りましょう」

「ああ、そしたらあの部屋はしばらく安全だな」


 トマトの的確なナビゲーションにより、俺達は無事元の客室まで戻った。一度捲られたベッドのシーツは元通りになっている。トマトが言うには部屋全体が綺麗になっているらしいので、掃除は済んだのだろう。


「夕食の時間になれば上の階にいる執事達のほとんどがキッチンやダイニングルームへ移動するはずです。それまでここに隠れましょう」

「動けるのは夕食の間、小一時間くらいってとこか」

「ええ、たぶんそのくらいです。調べるべき場所はわかっていますから、なんとかなりそうですね」


 その後、トマトは全執事の動きを十数パターン考え、最も安全性の高いルートを割り出した。いざというときに隠れられる場所や脱出のルートなど、失敗した場合のプランも次々と決めていく。

 相手が同業の執事喫茶だからこそ、メイドさんが一人ついているという利点は計り知れない。


 そして屋敷に温かな香りが漂い始め、銀皿の乗ったキャスターの音がダイニングルームへ消えたのを聞き届けてから、俺達は廊下へ出た。

 

 階段を忍び足で上がり、光のついていない廊下に潜みながら移動していく。

 ふと、執事の気配を感じ、大きな調度品の陰に隠れると、一人の執事が三階への階段を上っていった。


 できれば誰もいないタイミングで上がりたかったが、仕方がない。待っていてもこれ以上の好条件は発生しないだろう。


「トマト、行くぞ。一気に三階まで上がって北の部屋を目指す」

「はい、わかりました」


 トマトの低い声は、これがリスクの高い選択であることを仄めかしていた。

 それでも早めに行動するのが最善だと信じ、灯りの元へ飛び出す。


 廊下に足をかけた瞬間、二つの声が聞こえた。


「申し訳ありません、ペネルス様。先に“施し”を済ませるおつもりでしたか。お料理はお作り直しましょうか」

「気にするな、私の気まぐれだ。料理は温め直してくれれば充分だ」


 オーナーのペネルスはてっきり一階のダイニングルームにいると思っていたが、まだ二階にいた。

 扉から生じた二人の声は廊下の角を曲がり、数秒の猶予もくれず俺達に近づいてくる。


 階段は一直線、どれだけ速く上っても間に合わない。もう一度廊下に戻るか。いや、執事とペネルスはもう先ほどの廊下を目視している可能性が高い。


 判断が遅れ、二つの足音に退路を断たれた。確実にもう間に合わない。

 そう悟りながらも、音を立てないギリギリの速度で二歩目を踏み出す。


 ――その瞬間。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「ぐぇああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 声帯を押しつぶされているような叫び声が三階で轟いた。

 まるで理性を失った獣の雄叫び。が、辛うじて人だとわかる。

 そのあまりの不気味さに、踏み出した足が止まる。


 しかし、本当の恐怖を感じたのは次の瞬間、オーナーのペネルスがあまりにも冷静な声を漏らしたからだった。


「なあ、ウェム。お前にはあの声がどう聞こえる?」

「ペネルス様、不快でしたら黙らせますが……」

「なぜそんなことをする必要がある? あれは地獄の底から天使を呼ぶ声。天使にとって救いを求める声は、いかなる讃美歌よりも甘美に響く。賢い天使は羽ばたく為に羽を動かす必要などない。日々悪魔に虐げられている者にパンを与えればそれで充分……」


 近づいてきた声は階段の下、俺達のすぐ背後で、続きの言葉を紡ぐのを止めた。

 温かみのある光に照らされた男の顔は、昼間見たときよりもずっと穏やかで、だからこそ感情の読めない表情は不気味さを増していた。


 その目は細まり、子供の悪戯を見るような生暖かさを帯びる。

 そして薄い唇は、表情とはあまりにも不釣り合いな、冷たい声を発した。


「随分鼻がいいのだな、ルッフィランテの犬共」


 その挙動は一切の躊躇もなく、戦闘開始を告げる。


 右手を真横に翳すペネルス。それに呼応するように首を垂れる執事。


 ウェムと呼ばれたその執事は、鼻筋の通った顔を上げると、その上品な顔つきに殺意の込もった笑みを浮かべた。


 身の毛がよだつほどの悪寒が駆け抜け、俺は直感的に、一つのスキルを選び、赤茶色の髪に向かって手を伸ばした。




「トマトッッッ!」





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