第二十八話 未知の強化
「私が勝てばそこのチビメイドを貰う、それでいいんだな?」
クッセンはニタリと目を細めた。
こいつはずっと働いていたライムをこれほど簡単に手放せてしまう。
普通なら愛着のある自分のメイドを他のメイドと交換することなどできない。けれど、クッセンはライムに愛着を持っていない。希少な戦闘メイドのチズとライムを天秤にかけ、自ら交換を望んだ。
金のことしか考えていない。
ライムにはボロい服しか着せず、食事も最低限しか与えていなかった。
それに対する憤りはチズも同じなのだろう。だから自らを賭けに差し出してまで、こいつを止めようとしている。
俺は絶対に勝たなきゃならない。
「勝負は受ける。その代わり、俺が勝てばお前は二度とメイドを雇わない。それでいいんだな」
一度口に出せば、この世界の貴族は約束を違えることはない。
クッセンは迷わず頷いた。
「交渉成立、もう撤回は許されないぞルッフィランテの犬共。これよりこの戦闘は野試合ではなく決闘となる」
クッセンはヒラヒラとした子爵の服からカードを取り出し、胸に当てた。
チズに視線で促された俺も同じポーズを取る。
「――始め」
小さく呟くと、クッセンはカードを素早く胸ポケットに落とし、両手でそれぞれの執事に触れた。
俺は三歩進んでチズの肩に触れる。
――防御壁
チズは礼の代わりのような目配せをくれてから、執事に向き直った。防御壁のことは知っていたようだ。
これでチズは三分間ダメージを負わなくなる。
Sクラス執事と対等とはいかなくても、張り合うことはできるようになるはずだ。
その間に俺がもう一人を倒し、残った一人をチズと倒そう。
簡単なプランを練って右手を構える。
俺の切り札はココナから得たスキル――操作。
この特異なスキルは付与した相手を操作することができる。つまり、触れるだけで一撃必殺だ。
勝負は一瞬で終わる。大事なのはタイミングだけ。慌てて攻撃する必要はない。
目の前でコキコキと首を回している巨漢の執事を視野に収めたまま、さりげなく視線を隣に逸らし、チズの戦いを確認。
長髪の執事が水中を漂うような足取りで近づいていく。見た目通り相手を翻弄するタイプだろう。
張り合いがないとでも言いたげだった執事は、突如速度を上げ、人差し指と中指による弾丸のような突きを放った。チズは細かな手さばきでそれを弾く。
少なくとも瞬殺されるほどの差はないようで安心だ。
それに加えてチズは物理無効状態。その優位を生かす為か、天性の攻撃的な性格のせいか、やや無謀と思えるような攻撃を放っている。
執事はチズの攻撃を躱しながら、その腹に指先をねじ込んだ。
が、チズに苦悶の表情はなく、捨て身の攻撃は続く。
執事は防御壁の存在を察したのか、表情を曇らせて半歩引いた。
この様子なら大丈夫だろう。
目の前に視線を戻す。
巨漢の執事はようやくストレッチを終えたらしい。
殴ってこいとでも言いたげな態度でドシドシと間合いを詰め始めてくる。
ずいぶんと余裕な野郎だ。
右手に操作をセットし、執事の間合いに飛び込む。
ほぼ同時に、執事は体の大きさを誇示するかのように両腕を広げて振りかぶった。シンバルを叩くような動作だ。俺を挟もうということか。
――遅い。
俺の指先は執事の胴体に触れた。
付与すれば勝ち………………。
「おらあああああああああああああっ!」
バヂイイイイイイッ!
咆哮を上げたガタイのいい執事が、数センチ下がりながら両手を叩いた。
空を切る音だけで危険だとわかる。
スキルの付与も失敗した。セットしておける時間はあと五十五秒。
執事の気圧されたのは否めないが、あの速度の攻撃ならギリギリで躱せる。あと何度かチャンスも作れるだろう。
ただ、先ほどの失敗でわかったが、指先からスキルを付与するのは難しい。
次は面積の広い手のひらを使おう。
反省を脳裏で処理しながら、執事が飛びかかってくるのを認識した。
転がるように回避。
回る視界の中で執事の動きを捉える。
執事の次の攻撃は上から叩きつける攻撃、バレバレだ。
防御しつつ、触れた皮膚からスキルを付与。
そう作戦を立てて構えたが、
「おらああああああああああああああっ!」
再び振りかぶった執事の迫力に、不吉なものを感じた。
こいつに付与されてるスキルは一体何なのか。この攻撃を受けていいのか……。
一瞬生じた迷いは、素早く疑念へと変換された。防御の動作を解いて転がるように逃げる。
ドダッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!
硬質な床が軋み、部屋全体が揺れ、床に転がった俺の背が小さくバウンドした。
執事に付与されているのはおそらく身体能力の強化系のスキル。これを搔い潜らなければ形勢は一気に向こうへ傾く。ターゲットを変えている時間は無い。操作を手のひらにセットしておける時間は、残り約三十秒。
「来いッ!」
崩れた体勢で短い挑発を投げかけると、執事は床に着いた足をスタートダッシュの基点にした。猛ダッシュで突っ込んでくる。
「――っ」
パワー馬鹿だと思っていたが、想像を遥かに超える速度。
とっさに腕を前にしてガードを試みる。
が、腕の隙間に無骨な拳が滑り込んでくる。
「がはっっっ!」
顎をやられた。脳が揺れてる。全身から力が抜けていく……。
が、歯を食いしばり、辛うじて耐える。意識はまだある。残り十秒。
執事が突っ込んでくるのは好都合。触れるチャンスはまだある。
我ながら強引なポジティブシンキングだと皮肉な笑みが零れる。
執事も目を見開き、口元を吊り上げている。
戦闘狂という言葉が脳裏に過る。
巨体は再び床を蹴り、拳を振りかぶった。
「うらああああああああああああああああっ!」
咆哮に全身が振動した。この獣のような迫力が、絶望的な破壊力を暗示している。
避けたくなる気持ちを抑え、覚悟を決める。こいつを倒す為には刺し違えても操作を付与するしかない。これを躱したら負ける。
手のひらを突き出す。
硬い何かに触れた。しかしこれは風圧。まだ拳には触れていない。
我慢。
我慢、我慢、我慢、我慢、我慢――――
大粒な岩に触れたような感触があった。
ひらの鋭い感覚が今だと告げる。その瞬間、熱伝導を開始した。
突き出した手のひらが馬鹿力で押し込まれ、ギチギチと不吉な音を鳴らす。床が軋んでいるのか筋繊維が切れているのかもわからない。拳は喉元に迫ってきている。ここが正念場。
一瞬でも力を緩めたら喉を押しつぶされる。一撃で死ぬかもしれない。そんな恐怖を感じていてもやることは一つ。
スキルの付与。それが最大の防御であり、最大の攻撃であり、敵を葬る俺の剣だ。
「らああああああああああああああああああああああッ!」
負けじと喉を鳴らし、吐き気にも似た圧迫感の隙間から気合をぶちまける。
執事の拳を押し返し、わずかでもタイムラグを生み出す。
熱と痛みで手のひらの感触がない。潰された喉から酸素は供給されない。意識が朦朧とし始めた。
が、その瞬間――――脳の片隅に新たな神経回路が出現した。
――――――操作
神経に接続し、執事の体の主導権を奪おうと試みる。
トマトを操ったときには感じなかった凄まじい抵抗力を感じる。
しかし、俺の神経が執事の馬鹿力を上回った。
拳の軌道を逸らし、脱出。
「――がはっ」
ようやく喉が解放され、小さく一つ咳を零した。大きく息を吸い込み、呼吸を整える。
「ふーっ」
喉が熱く、まだ圧迫感があるけれど、潰れてはいなさそうで安心だ。
再び脳の外側の神経回路に意識を向ける。
操作の精度は俺の集中力に比例する。
深く潜れば執事の馬鹿力を上手く利用できるはずだ。このままこいつを使って長髪の方を倒す。
いける。
沈み込むように集中を深めていく。
視覚、聴覚、嗅覚、自らに備わっている感覚が希薄になり、巨体を操る無数の糸のようなイメージが徐々に鮮明さを増していく。
複雑な線の構造を把握し、適切に引き、弾き、操作する。
巨体が前進し、長髪の執事の元へ向かう。
自分の体重が増したような不思議な感覚だ。
力づくの抵抗を感じるが、今は完全に俺が肉体の主導権を握っている。
これで長髪の執事一人に対し、こちらは俺と巨体の執事、チズの三人だ。
と、勝利をほぼ確信した瞬間、不意に悪寒が走った。本能的に感じる危険。
恐る恐る目を開くと、巨漢の執事の口元には不気味な笑みが零れていた。
「妙に出し惜しみしてると思ったら、相手に付与して体の自由を奪うスキルか。クソ強いじゃねえか……。メイ奴を連れてる雑魚かと思えば、執事のスキルを持ってやがった。そりゃルッフィランテのメイディアンなら金に糸目はつけねえよなぁ」
巨漢の執事は妙に納得した様子で、ガサツな言葉を吐き出した。このスキルはココナのもので、執事から得た物ではない。しかし、問題はそれよりも執事のこの余裕……
「クリフィアに使ってりゃお前らの勝ちだったかもしれねえ。けど、俺に付与したのは失敗だったな。相性が悪すぎるぜ」
「何を……」
クリフィア、あの長髪の執事に付与するのが正解だった?
この口ぶりからして、ハッタリじゃないことは明らかだ。
操作を打破する手段がある。けど、こいつのスキルはただの身体強化のはずだ。
となると第三のスキルか、あるいは……。
「一緒に死のうぜ。そうすりゃ残るのはメイ奴とクリフィアだけだ。てめえが倒れれば俺達の勝ちは決まるんだからよ!」
「…………っ」
主人のクッセンは動こうとしていない。つまり第三のスキルではなく、こいつが今付与されているスキルが鍵だ。強化系じゃないのか。
一緒に死ぬ、ということは道連れ? 何をするつもりだ。この状況で何が残されてる。
必死に思考するが、こいつの真意が読めない。それともここで俺を乱す作戦か。
操作に意識を集中。そのまま、こいつの次の一手は視覚情報で対応すれば…………。
「――――っ⁉」
突然、脳の外側にあった操作回路が強引に断ち切られた。
全身に泡で撫でられるような感触が沸き立つ。
一体何が起きた⁉
自らの神経に一度意識を戻し、執事を確認する。
二回り大きく見える体、力を持て余しているような動き、その一つ一つが先ほどまでと別次元の強さを醸している。
振り向いたその顔には、闘志の滾った笑み。唇の隙間からは頑丈そうな歯が覗いていた。
獲物を狩る目、戦闘においてあるべき『勝つか負けるか』という感情の後者が欠落している目。俺自身もその力量差を感じている。そして、ようやくトリックがわかった。
こいつの身体強化は、複数回行うことができる。つまり、"時間制限"ではなく"回数制限"のスキルだ。
先ほどまでの強化が一回目、そして今、二回目を行った。
おそらくリスクがあるのだろう。これですべて説明がつく。
操作を振りほどいた異常な力と、道連れを暗示するセリフ。
「クソッ」
小さな呪詛が漏れる。こちらの切り札が破られた。
執事はもはや操作などなかったかのように、床を軋ませ、凄まじい速度で迫って来た。
俺までの距離は五メートル。
「死のうぜ」
慌てて回避し、距離を取ろうと試みる。
しかし、執事は足の指先で自在に方向転換しながら、俺を遥かに上回る速度で迫る。
その速度差は犬とチーター。
全力で床を蹴り、攻撃の軌道から身を躱す。が、床から両足が離れたその瞬間、壁を蹴るトリッキーな動きをした執事に追いつかれた。
巨体の胸部がポンプのように波打ち、拳を振りかぶる。
鋭い瞳が見開かれ、口元に再び獣の歯が覗いた。
拳は俺を目掛けている。だが、攻撃範囲は俺の全身に渡っている。そんなエネルギーを纏った拳が眼前に迫った。
「――――――」
全身を爆弾で粉砕されたような衝撃で、視界がホワイトアウトした。風を切る。
後方へ飛んでいく体は関節の壊れたオモチャのように出鱈目な動きで宙を舞う。
受け身などという選択肢は現れなかった。
一瞬で、何もできず、壁に叩きつけられた衝撃を受けた。崩れ落ちる。
床。硬い。俺の体はどこだ? 状況が把握できない。
なぜか執事のいた方向から、石灰袋を天井から落としたような音が響いた。
ああ、相殺だったか。
スキルのリスクによって倒れたんだ。
ここで起きればまだ勝機はある。
動け……動けよ…………。
念じるが体は動かない。ぼやける視界がズームインとアウトを無作為に繰り返している。
現実世界なら間違いなく死んでいた、その程度の攻撃は何度も受けたことがある。しかし今回は違う。“この世界で間違いなく死ぬ”と確信してしまった。
震える体は徐々に感覚を失い、視界はやがてぼやけたまま薄れていく。これが俺の見る最後の景色…………。
震える。震える。震える。震える。震える…………。
許容量を越えたダメージに身体が小刻みに反応している。もう遅い。手遅れだ。
目を瞑れば暗闇がいつもより深く、赤い輪がぼんやりと浮かび上がる。
五感の一つを閉ざしたことで体の周りに微かな輪郭を感じる。まだ辛うじて体温はそこにあった。けれど失われていくそれにもう意味はない。
鼓動。一つ波打つたびに皮膚を何かが撫でる。
失いつつある感覚が名残惜しむように脳に信号を送る。
温もり。
柔らかさ。
なぜかそんな単語が脳裏に浮かんだ。
重たい瞼を持ち上げ、距離感を失っていたピントを調整する。
不思議な感触の理由を視野に捉える。体の下に何かがあった。
金色。細い。肌色。小さい。柔らかい。
この美しい物体は何だ。
疑問がふと生じた途端、体内で流れを失っていた血液が熱を帯び、何かを主張した。
チズ。
言葉が先に浮かび、ぼんやりとその存在が認識されていく。
チズ。俺とここに来たメイドさん。長髪の執事と戦っていた。俺はヴィーヴァに殴られ、致死ダメージを受けた。はずだった。
「そうか」
自然と、息を吐くように、静かな声が喉を通り抜けた。
小さなメイドさんの柔らかさが皮膚に伝わり、体が徐々に輪郭を取り戻していく。
防御壁を纏ったチズが、俺の助太刀に入った。そしてヴィーヴァの攻撃に対するクッションとなり、俺は今辛うじて命を取り止めた。
「チズ」
俺なんかに構うなんて馬鹿だ。君が傷ついたら意味がない。そんな言葉を飲みこんで、薄っすらと目を開けた少女に言った。
「ありがとう。ここからは俺が君を守る」




