第二十六話 救出、ライム・シャベト
彼女がライムだと思い至るまでに二秒、そしてライムの表情が不審者への驚きに変わるまで二・五秒。
ポカンと空いた口がわなわなと震えそうになったところで、慌てて首を横に振った。『違う! 違う!』と口パクで伝える。
意思が通じたのかライムはあっさりと窓を開け、どこか南国を思わせる顔で覗き込んだ。
「どちら様です?」
二階の窓にぶら下がってる不審者に投げかける第一声がこれだった。
ちょっとアホの子かもしれない。
「ライム・シャベトだよね? 少し話があるんだ。できれば君の主人に気付かれたくないんだけど」
「私に話ですか……」
顎に手を当てて考える素振り。
いきなりこんなことを言われてもさすがに信じてくれないか……。
と思ったが、ライムは窓を全開にして二歩下がった。
「では上がってください。靴は脱いでくださいね」
「え、ああ、うん。お邪魔します……」
いいのかこれ。色々な意味でこの屋敷が心配になってくるな……。
ライムはトマトと同じDクラスメイドのはずだけど、ルッフィランテとレアクレアでは質が違うのかもしれない。
という身内びいきの感想を飲み込んで、脱いだ靴を窓枠に置いて本題に入る。
「俺はレアクレアに頼まれて君の様子を見に来たんだ。その様子だとメイド服を着せてもらえてないってのは本当みたいだな」
「はい、メイド服は着させてもらえません。ご主人様はただこれを着ろとおっしゃるのです……これはこれで動きやすいのでいいのですけど」
服装は浴衣のような形状の一枚布と細い帯。ささくれ立った生地と日に焼けた白がボロい印象を強めている。特に問題なのは、ライムの襟元から褐色の肌が大胆に露出しまっていることだ。
ライム自身も無防備なせいか、揺れる二つの丸みがチラチラと見える。これはだめだ……!
「ライム、ずっとその恰好なのか? 最初に着てたメイド服は……」
ここに来るときは少なくとも、メイド服を着ていたはずだ。
「このお屋敷に来てから、お屋敷の中ではずっとこの格好です。寝るときもお仕事するときも同じなので楽なのですが……お外の人に見られると少し恥ずかしいですね」
この様子だと心に傷を負っていることはなさそうだが、それでも十代の女の子だ。本当なら可愛い服を着たいはず。それを胸が露出してしまいそうなボロ布一枚で働かされているなんて許せない。
俺達の偵察任務は終了だ。今からこの子をレアクレアに連れ戻す。
「大丈夫だ、俺がなんとかする。君の主人に話をつけるよ」
ライムの表情は肯定でも否定でもなかった。
うっかり俺の口から言葉が零れる。
「他にも主人から酷い扱いは受けているのか?」
言ってしまってから後悔した。
あまり言いたくないことをされているかもしれない。無神経な質問だった。
「あの……酷い扱いと言っていいのかはわからないのですが……」
ライムはボロ布姿を見られたときとは別種の恥じらいを見せ、部屋のドアに視線を移した。
「いえ、やっぱり大丈夫です。なんでもありません。お洋服だけです」
遠慮しなくてもいい。そう言おうかと迷ったが口を噤んだ。
何をされているかわからないが、それを尋ねることで傷を深くしてしまう可能性もある。
ふと視線を逸らすと、部屋の右手には洗面台と洗濯機として使う大きな筒がある。中にあるのは濡れていても上等だとわかる洗濯物。
この屋敷に金はある。胸に靄がこみ上げた。
部屋のドアが音もなく開かれたのはそのときだった。
長髪を左後ろに結わえた若い執事。
一瞬立ち止まったが、俺を確認すると、さして驚いた様子もなく入ってきた。
女のように細い人差し指を唇に当て、考える素振りを見せる。
「話声がすると思ったら、仕事を放棄してお友達とお話をしていたのですか。ライム、執事の私達が働いているというのにメイ奴が休憩とは笑わせてくれます。その侵入者は排除してもよろしいですか?」
艶のある、だが同性の俺にとっては鬱陶しさを感じるような声だ。
執事の服装は新品同様の白シャツと黒ジャケット。光沢のあるコントラストはライムの服では決して醸し出せない物だ。
それを見て再び胸に靄がこみ上げる。
「お前の主人に話がある。案内してくれないか、Sクラス執事」
胸ポケットからカードを取り出して職業を提示すると、執事は沈黙した。
俺を排除すると豪語していたが、戦力の差を察したのだろう。少なくとも一対一で執事に負けるスペックじゃない。これまで破られたり無視されたりするだけだったカードが初めて役に立ったな。
「ルッフィランテのメイディアンですか……。どのようなご用件か私がお伺いしましょう。遠くからわざわざお越しいただいて、窓枠まで乗り越えていただいて恐縮ですが、主人はあいにく多忙でして」
執事はわざとらしく、窓枠に置かれた俺の靴に視線をやった。
頬が引きつりそうになる。けど、こいつの言い分はわからなくはない。
ここが日本なら百対ゼロで不法侵入した俺が悪い……。
それでも、執事は話を聞く姿勢にはなっている。主人が多忙と言うのは明らかな方便だと思うが、上手く交渉すればクッセンと直接話せるはずだ。
不法侵入については忘れ、堂々と告げる。
「ルッフィランテはレアクレアから調査依頼を受けている。クッセンがライムを無下に扱っているという情報の真偽を確かめに来た。ライムの服装を見る限りこれ以上の調査は必要ない。お前の主人に、ライムをレアクレアに連れ戻すとだけ伝えてくれ」
この提案は執事の権限で判断できる範囲を越えている。
黒服の男はポーカーフェイスの瞳にわずかな苛立ちを見せた。狙い通り。
「そのようなご用件であれば我が主の元へご案内いたします。こちらへ。ついでにライム、貴様も来なさい」
ライムに対して自分の方が格上と示す嫌な声音だった。
言われたメイドさんはあっけらかんとしているので少し安心。
二人で執事の後に続いて部屋を出た。
廊下には同じ形状の扉が並んでいる。侵入者にとって迷いやすく、主の部屋を特定するのは難しい。クッセンは用心深い性格なのかもしれない。
「こちらでお待ちください。主人と連絡を取りますので」
「……ああ、頼む」
案内された部屋にクッセンは不在だった。
執事は台座の上に置かれた木製の電話を手に取った。
楕円の木を耳に当て、もう一方の手でそれと糸で繋がる木のレバーを握る。
この世界の電話はややアナログで、電話番号というものが存在しない。音を聞きながら距離を測り、目的の電話に接続する方式だ。それには多少の技術を要する。
しかしさすがSクラスと思われる執事は、受話器を取ってすぐに艶やかな声で話し始めた。
「ヴィーヴァ、クッセン様に繋いでください。来客の方がお見えです。……ええ、お話があるそうで、中央の部屋に案内しております。はい、それは後ほどお伝えしておきます」
受話器を置くと、余裕とも取れる優雅な表情をこちらへ向けてくる。
腹黒さしか感じないが……。
「もう少々お待ちください。主は”特別に”時間を作るそうですので」
恩着せがましい。と思ったが、平然とした顔でスルーしておく。
これから交渉が始まるので、感情的になったら負けだ。
退屈しのぎに部屋の壁を眺めた。
壁は濃い茶色。
この世界の木材は色の濃さが強度に比例するので、かなり頑丈な部屋だ。おそらく戦闘部屋だろう。
わかってはいたが、やはり侵入者の俺は対等に扱われてはいない。
数分後、別の執事が部屋に入ってきた。俺の倍ほどありそうな太い腕で恭しくドアを支える。
その奥から現れたのが子爵のクッセン・フィーヴォだ。
襟のヒラヒラ具合から小金持ちの貴族という印象がある。
「侵入者よ、一応話を聞こうじゃあないか?」
薄っぺらい顔の割に、ずいぶんと太々しいしゃべり方だ。ライムにボロ布を着せている性格の悪さが声にも表れてる気がする。
「俺はルッフィランテに所属する葉風鳥太だ。レアクレアから調査依頼を受けてライムの様子を見に来た。クッセン、メイドにメイド服を着せていないのはなぜだ」
「はっ、暇人だなぁ」
ライムに時間を割くのが無駄だと言いたいらしい。今すぐこいつをぶん殴ってライムを連れて帰りたいが、報告の為に言い分を聞かないとな……。
「私は能力のない使用人に金をかけない主義なのだ。そこのメイ奴は最低限、誰にでもできる仕事をする役に雇っている。見えないところを掃除する程度。上等な服を着せる理由はどこにもない」
「ライムが最初から着ていたメイド服があっただろ。なぜそれを着せない」
「出かけるときに着せている。室内で酷使して破れたら、買い直すのも面倒がかかる」
嘘だろう。金を持っている子爵ならメイド服一着くらい簡単に買える。こいつはやはりライムを痴漢している。
ストレートにその言葉をぶつけようとしたが、先に口を開いたのはライムだった。
「でも……私はこのお屋敷に来てから外へは出ていませんよ……?」
「…………なっ」
思わず声が漏れた。
ライムの働いている年月は知らないが、ずっと屋敷に籠りっぱなしというのは異常だ。この主人は本当に……
「私がメイ奴を連れて歩く理由はない。どうしてそのような恥を晒さねばならん。今のところお前は買い物もロクにできない。外へ出す機会がないのはお前が役に立たないからだ」
「………………」
ライムは俯いて黙り込んだ。
主人と最低限の会話をしているところから、これまで助けたメイドさんよりは人間扱いされていると言える。が、それでも許容範囲ではない。こんな可愛いメイドさんにメイド服を着せず、外へも出さない。それを許せるはずがないだろう。
「クッセン、お前の言い訳はもう十分だ。ライムは他にも言いにくいことをされている雰囲気だった。メイド服を着せていないのも、外に出さないのも、お前の個人的な趣向だろ。女の子に薄着をさせて屋敷に軟禁している、それが事実だ」
「…………貴様ぁああああっ!」
クッセンは想定外の動揺を見せた。左右の執事も表情を取り繕うことすらせず、怒りを滲ませている。なぜだ……? 事実を言っただけだろう。
「我が人生でこれほどの侮蔑を浴びたことなどない……。貴様は……私が……貴族であるこの私がっ……メイ奴ごときに欲情するとでも言うつもりかっ!」
「は?」
大袈裟な演技だな……と思ったが、クッセンは顔を真っ赤にし、殺意に満ちた目を向けてくる。
これは、まさか…………。
「クッセン、お前は本当にメイドに興味がないなんて言うつもりか。肌が露出しそうな布一枚だけ着せて、他意はないって言うのか」
「貴様こそ何を言っておる……。貴族でメイ奴ごときに欲情する奴などおるまい。どれだけ落ちぶれていようが、淑女と出会う機会はいくらでもある。それとも貴様は自分の使用人の体なんぞに欲情するのか……。掃除道具同然のメイ奴に」
「てめぇ……」
脳内の血液が沸騰した。拳に血管が浮き上がる。
この世で一番可愛い存在を淑女と比較するのも許せないが、ライムに対する扱い、そしてこの暴言は絶対に許せない。
「あの、鳥太様……少々誤解されているようですが、私はその……言いにくいことをされているということはありません…………」
「え、でもさっき」
言葉を濁していたじゃないか。
そう言おうとしたが、ライムは恥じらう乙女のように小声で言った。
「あの……お恥ずかしいのですけど、ご飯が少ないなと……ちょっぴり思っていただけです。決して私の体にクッセン様が興味を示すようなことはないです……」
その言葉にハッと侮蔑交じりの鼻息が被せられる。
「卑しい雌犬め。食事なら十分に取らせておる。貴様のような使い捨ての掃除道具がそれ以上を望むか」
ライムは褐色の肌をさらに赤らめ、俯いた。
クッセンの言う通り、ライムの体は極端に痩せ細ってはいない。けれど、食事はメイドさんにとって数少ない楽しみであり、主人はメイドさんに満足させるだけの食事を与えるのが義務だ。
「葉風とやら、わかったかね? メイ奴ごときの体に興味を持つなどあり得んのだ。例えこやつが裸で誘ってこようとも見苦しいだけだ」
クッセンの薄笑いから零れた言葉は、俺の血液を再沸騰させた。
価値観の違いは許せる、けど本人を目の前にして裸が見苦しいなんて暴言は聞き逃せない。
「クッセン、メイドを女性として扱えないなら、お前にライムを預けることはできない。連れて帰らせてもらうぞ」
「ハッ! メイ奴が女性だと? この変態め。そのメイ奴なら好きにしろ。Dクラスなんぞ明日にでも補充できる。だが、私の住居に侵入し、私を侮辱した罪は償ってもらうぞ」
二人の執事が一歩踏み出した。
左は電話越しでヴィーヴァと呼ばれていた巨漢。見るからにパワー型だ。
右側は長髪で女々しいがその分知的で、先ほどから一筋縄ではいかない印象を受ける。
二対一。相手はスキルが三つでこちらは二つ。やれるか…………?
いや、やるしかない。
「それなら約束しろ、クッセン。俺が勝ったらお前は二度とメイドを雇うな」
「構わん、だが、私が勝ったら貴様のメイ奴喫茶から代わりのメイ奴を一体貰おう」




