第二十四話 日常 パルミーレと階級の証
ルッフィランテに戻ると、フィルシーさんはカウンターからツカツカと歩み寄ってきて、怒りの眼差しを向けてきた。
「鳥太君、トマト、何があったのですか? その子は誰でしょう」
……声を聞く限り、思ったほど怒ってはなさそうだ。どちらかというと心配の方が強いかもしれない。
「この子は事情があって主人の元を離れたんだ。俺に忠誠を誓ってくれた。ルッフィランテに置いて欲しいんだけど……」
ココナの前で話すのも憚られたが、正直に告げた。フィルシーさんなら何とかしてくれる。
そんな期待通り、フィルシーさんはおおよそ察したのか、ふっと力の抜けた表情になり、ココナに手を差し出した。
「私はルッフィランテのオーナー、フィルシー・オムライスです」
「あの……ココナ・ミルツです。さきほど鳥太様とトマトさんに助けていただきました。前のご主人様は厳しい人だったのです……。今は元のメイドに戻りました」
白髪の下から白い瞳を覗かせて、ココナは丁寧に答えた。幼い容姿とは裏腹に、一度独り立ちしていただけあって、雰囲気は大人びている。
その小さな手が両手で包まれる。
「よろしくお願いします、ココナ。今日からここに住んでいいですよ。明日からは、ルッフィランテのメイドとして働く為に、少しずつお勉強してもらいます。それで大丈夫ですか?」
「……はいっ! ありがとうございます!」
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「ところで鳥太君はココナの忠誠を受けて、スキルをもう一つ手に入れたのですか?」
フィルシーさんの仕事部屋。俺とトマトはフィルシーさんと向き合っている。
食事をとれなかった俺達への配慮か、テーブルにホットミルクのような飲み物が置かれているけど、これを飲んだら話の最中に寝てしまいかねない。
「鳥太様…………お眠いのですか?」
トマトの声が耳元で囁かれ、その可愛らしさで脳が覚醒する。大丈夫、まだ寝ないぞ。
「フィルシーさん、俺は相手の体を操作するスキル――操作を手に入れました。これを使うと十分以上、相手の自由を奪えます。それともう一つ使い方があって、トマトに付与すれば、俺と同じくらいの戦闘力で戦わせることができます。……もちろん、そんな風に使う気はないですけど!」
フィルシーさんの目が吊り上がったので、慌てて付け加えた。
「フィルシーさん、私は戦っても大丈夫です。鳥太様は今日、私に防御壁を使ってくださったので、危険ではありませんでした。その分鳥太様がお怪我をされてしまいましたが……」
悪気なさそうに、あっさり暴露される。
フィルシーさんの目が再び吊り上がった。
俺のこともトマトと同じくらい気にかけてくれるのは嬉しいけど、おかげでこの時間はいつも緊張する。
「鳥太君、それが最善だと思ったのはわかりますから、怒りはしません。けれど、自分を犠牲にする戦い方に慣れないでください。自分が傷つけば助けられるという考えが生まれてしまったら、視野が狭まって大切なものを見落としてしまいます」
「………………」
自分を犠牲にする戦い方……。
フィルシーさんの抽象的な言葉は俺の頭の中でグルグルと回り続けた。
その何が問題なのかはわからない。けど、その気持ちを受け取る意味で俺は頷いた。
「では、約束ですよ。明日も依頼がありますから、今言ったことを忘れないようにしてください。そしてもう一つ、鳥太君はスキルを二つ得たので、パルミーレへ申請すれば階級の証を手に入れることができます」
「パルミーレ……階級の証……?」
聞き返すと、フィルシーさんは愕然とした表情を浮かべた。
どうやら常識的な単語だったらしい。何かの組織みたいだったけど。
俺が異世界から来たという事情は誰にも話していないし、フィルシーさんは俺を信頼して深く聞かないでくれているので、会話が噛み合わないとこの表情をされる。
「鳥太君、本当に何も知らないのですね。と私は何度言ったかわかりませんが、念のために一から説明しましょう」
口直しをするようにルミールを口へ運ぶ。ふっと一息。
「パルミーレはこの世界の中枢機関です。男爵以上の素質を持っている人へ“階級の証”を発行してくれます。“階級の証”を持っていれば高級なレストランへ予約ができたり、特別なパーティへ招待されたり、日常生活で様々なメリットがあります。そして、証を発行するには大金を払い、その後も定期的にお金を収め続けなければなりません。鳥太君の場合は“男爵”ですから、百万ティクレで証を発行し、その後は三十日毎に十万ティクレを収めることで証を維持することができます」
「ひゃ、百万……⁉」
この世界の通貨は日本円とほぼ等価。百万ティクレはそのまま百万円に近い額だ。
そして俺の初報酬は三千ティクレだった。
「もちろん今発行することはできないと思います。ただ、今後の目標として考えて欲しいのです。階級を所持するメリットはもう一つあります。ディドリックに出席できるようになることです」
「ディ……」
さっきから全てオウム返ししていることと、フィルシーさんの瞳に呆れが映ったことに気付き、言葉を途中で切る。ギリギリ……アウト。
「鳥太君、もうディドリックを知らなくても驚きませんが……少しはお勉強しましょう。パルミーレが貴族達から集めたお金をどう扱っているかというと、そのほとんどはディドリックに回されるのです。そして男爵は男爵、子爵は子爵、それぞれの階級に応じたディドリックで予算の使い道を検討し、政策を行っています。男爵は最近、紳士・淑女へマナーのレッスンを設けていましたが、知恵があればもっと大きな活動を行い、世界を変えることも可能です」
「世界を……」
以前この世界の地図を見せてもらったことがあり、薄っすらと気づいていた。この世界には国が一つしか存在しない。それ故に表面的には平和で、敵は差別という形で内部に存在する。
税金を納めている様子はなかったので、てっきり政治も存在しないと思っていた。ディドリックの存在は朗報だ。メイド達を救う手段がこの世界にもちゃんとある。
「ちなみに、階級が上がれば予算が増えて、できることも増えるんですか?」
「はい、もちろんです。大公になると一人当たり七百万ティクレは収めていますから、その予算は億単位になると思います。ここでのお給料で七百万ティクレは出せませんけど。頑張ればいずれ百万はお渡しする予定です」
「んなっ……百万!?」
「ええ、鳥太君も専属の執事やメイドを雇いたいでしょうから」
さりげないフィルシーさんの言葉にトマトがピクッと反応した。
俺はトマトを専属にしたいけど、ルッフィランテのメイドは専属メイドになれないのが残念だ。
「鳥太君、気付いていますか? 百万ティクレのお給料でSクラスメイドや執事を雇ったら“階級の証”を発行するお金はないでしょう。つまりですね、頑張ればそれもルッフィランテで補助してあげるということです。お仕事に役立ちますからね」
「フィルシーさん……ありがとうございます!」
「いえいえ。その前に鳥太君の階級……職業をはっきりさせておかないといけませんけどね」
この口ぶりだと現在の俺は”職業”の男爵で、パルミーレに認定されればちゃんとした”階級”の男爵になるようだ。けれど、どちらにしても俺は女神に最高位の職業“ご主人様”として転生させられているので、男爵の証をとってもすぐ作り直すことになってしまうだろう。パルミーレに行くのはまだ先でいい。
「鳥太君、お話はこれで終わりです。何か質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
とりあえずいい目標ができた。ルッフィランテで成果を重ねて階級を得る。それからパルミーレで世界を変える。
「ではお休みなさい。明日はお仕事ですからね、トマトは鳥太君のケアをしてください」
「はい、かしこまりました」
トマトは気を付けの姿勢で手をワキワキ動かしながら返事をした。意外とマッサージ好きだ。
俺は今夜眠れそうにない……。




