第二十三話 対女主人戦――決着
「なんで、そんな馬鹿なことを……死ぬかもしれなかったのに、なんで、そんな意味のないことを……」
自分のメイドを邪険に扱う女には思いつかない手かもしれない。けれど、
「俺は最初から防御壁をトマトに使うつもりだった」
防御壁を得た瞬間から、ずっと決めていた。
メイドを守る俺が、守るスキルをどう使うか。
「俺がスキルの存在を知ったとき、一番欲しいと思ったのは防御スキルだ。戦場にいるパートナーを守りたかった。トマトから防御壁を授かったとき、俺は、このスキルを自分には使わないと決めた」
驚いた顔で見上げるトマト。その頭をそっと撫でた。防御壁はトマトの強さの証明だ。
戦闘開始と同時に俺が自分の太ももに触れたのは、女と執事を欺く為のフェイクだった。
「元々はトマトを逃がす為にこのスキルを温存していたんだ。だからトマトに操作を付与したとき、防御壁も同時に付与した。女主人、お前はスキルの数が勝敗を分けたと言ったが、スキルの数は俺も同じだ」
「そんな……あり得ない……そもそも、そのメイ奴ごときのスキルが……」
「ルッフィランテ最強の格闘メイドが破れなかったスキルだ。執事ごときが破れるはずがないだろ?」
「………………戯言をッ……!」
歯の隙間から鋭い息を漏らす。
苦々しい顔には戦闘か撤退かという迷いがちらつく。
しかし次にこちらへ向けられた女の瞳には、不気味な気配が漂っていた。
「それなら、防御が消えるまで戦うまでよっ!」
女は先ほどまでの冷静さを欠き、感情を優先したように見えた。
しかし緊張感のあるトマトの声が、俺にだけ届くよう囁かれた。
「鳥太様、執事は私の防御壁が切れるまで、逃げ続けるかもしれません。執事のスキルが“時間制限”ではなく“回数制限”だとしたら、彼はいくら時間を使っても問題ないのです」
「ああ、やっぱりそう思うか……」
執事のスキルは回数制限で間違いない。
なぜなら、トマトが防御壁で攻撃を防いだとき、執事は攻撃をやめた。スキルの回数を温存したんだ。
もしも執事のスキルが時間制限だったなら、防がれても構わず連打しただろう。
トマトの言う通り、執事は防御壁が切れるまで時間稼ぎするに違いない。
「けどまあ、大丈夫だ」
右手で制すようにトマトを半歩下がらせて執事に向き直る。
「選手交代だ。ここからは俺が戦う」
俺に付与されたココナの操作スキルは、制限時間が切れた。
女もそれはわかっていたのだろう。
「あなたが戦うのね。自由になったからといって、スキルもない状態で勝てるのかしら? まあいいわ。防御がなければ透剣を防ぐことはできない。予定通り、あなたから先に這いつくばらせてあげる」
嗜虐的な笑みを浮かべ、執事にアイコンタクトを送る。
身体能力は俺の方が上だ。けど、執事のスキルが凄まじい。
現実世界に置き換えるなら執事は武器、俺は素手。それくらいの差がある。
武器対素手の場合、素手で戦う側は、そばにある固い物で一度相手の武器を止め、武器を奪う。または素手の戦いに持ち込む。これがセオリーだ。
しかし、執事の手から生じる見えない凶器を奪うことはできない。攻撃を躱して間合いに入ることも不可能だろう。
ならば、戦闘力以外で勝負するしかない。
俺はあえて防御姿勢を取らず、無防備に一歩目を踏み出した。
――ブラフ。
これまでの戦いで、執事が精神的に弱いことはわかっている。だからこちらに奥の手があると思わせる。必要なのは度胸だけだ。
二人のメイドさんから忠誠を誓われている俺に怖いものなんてない。
相手にしてみれば、ナイフを持っているのに無防備に近づいてくるような、得体の知れなさがあるだろう。
緊張感を悟られないように、リラックスしながら間合いを詰める。
一歩、二歩、三歩……。
攻撃範囲に入った。もしも執事が攻撃を繰り出してきたら、もう避けられない。
その場合、腕を一本犠牲にして戦う。無理ならココナとトマトが逃げるまで時間を稼ぐ。幸いトマトの操作はまだ切れていないので、無理やりトマトを操れば二人を逃がすことはできるだろう。
だから、もう恐れることはない。
執事の顔には迷いが見えた。
その隙にもう一歩、間合いを詰める。
そろそろこちらの攻撃も届く。……いける。
執事が攻撃をためらう気持ちもわかる。情報のない相手に自分から仕掛けるのは、思いのほか勇気がいるものだ。
けれど、それを乗り越えなければ何も始まらない。
そして考えれば考えるほど、勇気は失われていく。
執事は武器となった右手を俺に向けたまま、半歩横に動いた。
前進でも後退でもない。目的のない無意味な移動。それは執事のためらいと精神的な弱さが作り出した隙だ。
見逃すはずがないだろう。
体を屈め、全力で地面を蹴った。執事の“右手”に向かって突進!
突発的に迫る物体に対し通常なら回避行動を取る。けれど、武器に対して敵が突っ込んでくるとは執事も思っていなかっただろう。
だから執事は困惑する。そして反応が遅れる。
眼前で執事の右手が、半テンポ遅れて振りかぶるのを見た。
――――間に合えッ!
大きく左足で踏み込み、足の指先で踏ん張りながら、右足を高く振り上げる。
強引に伸ばした足が、執事の手と交差し、弾き飛ばされそうになる。が、勝ったのは俺だった。
足先が執事の手首を跳ね上げ、凶器の右手が宙で足掻いた。
右足を振り下ろす間を惜しんだ俺は、そのまま体重を前に預け、つま先で執事のみぞおちを突く。
執事は体をくの字に曲げ、バランスを崩した。
その隙を――――殴打!
拳が執事の顎に当たり、パカンッと子気味のいい音を立てた。
黒服に包まれた体が力なく垂直に崩れ落ちる。
ドサッと鈍い音が響き、街が息を飲んだかのように静まり返った。
「……さ、さすがフィルシーの雇った男ね……予想外だったわ……。いいわ。私のことは好きにしなさい。ココナと同じ目に遭わせる? それとも殺すのかしら?」
女は戦力を失っても度胸のある態度を貫いた。執事とは正反対だな……。
と思わず賞賛のため息が漏れそうになるが、ふっと息を吐き、答えた。
「ココナをルッフィランテで引き取る。お前には何もしない。ただ、今後メイドを傷つけないでくれ」
我ながら口下手だと思いながら、工夫のない言葉を並べた。
この世界を救うために、元の世界で得た平和ボケを、態度で示していくことくらいしかできないんだ。だから脅しではなく、ただその願いを口にした。
「メイドを、傷つけないでくれ……」
女は呆れ混じりの顔で視線を逸らし、小馬鹿にしたとも取れるような声で答えた。
「あなた、随分お人よしなのね…………。わかったわ。今後メイドには手を出さないし、ココナはあなたにあげる」
未だ横たわっている執事に歩み寄り、女はその頬に触れながら、顔も上げずに言った。
「バイバイ、ココナ」
「ご主……」
言いかけたココナは口を噤み、代わりに別の言葉を紡いだ。
「ありがとうございました、ルエレラさん。今までお世話になりました」
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「これまで仕えてきたご主人様と別れて、気持ちの整理が追いつかないですよね」
帰り道、終始無言だったココナにトマトが優しく語り掛ける。
メイドさんにとって忠誠を誓うことは人生を左右する大きな決断だ。長年仕えてきた主人の元を離れるのは辛いのだろう。たとえ主人が酷い女だったとしても……。
「私はまだ専属のご主人様はいないんですけどね。でも忠誠を誓った鳥太様やフィルシーさんと離れることは考えられません」
トマトの言葉をどう聞いたのか、童顔のココナは、トマトより少しだけ大人びた表情でうなずいた。
煉瓦の建物から落ちる影を三人で通り抜け、わき道を眺める。
もうすぐ熱電灯を灯す人が忙しなく動き回る頃だ。
「ココナ、これからよろしくな。帰ったらまずフィルシーさんに紹介する。ルッフィランテのメイドはみんなフィルシーさんのことが好きだからさ、きっとココナも気に入ると思うよ」
「鳥太様、ありがとうございます。これからお世話になります」
紋切り型の丁寧な言葉には少し距離を感じたが、ココナはそこからきっかけを掴んだように話し始めた。
「私、実は元々メイド喫茶の中でずっと引き取り手がいなくて、お仕事も貰えなかったんです。そんなときルエレラさんに拾っていただいて、誰かの為に働けるのが嬉しくて、忠誠を誓ったんです。ルエレラさんは私をよく叱りましたが、私はずっとルエレラさんについていくつもりだったんです。けど……」
ココナは続きの言葉を躊躇った。酷い扱いを受けても、一度抱いた感謝の気持ちは、彼女の中から消えていないんだろう。
ルエレラに対する気遣いのような沈黙が続いた後、ココナは意を決したように言葉を繋いだ。
「私は鳥太様とトマトさんを見て、すごく羨ましかったんです。だから……私は嬉しいです。鳥太様、私はこの忠誠心は絶対に消せません」
ルエレラに忠誠心を持ち続けられなかったことにすら、ココナは責任を感じているのかもしれない。
でも君は悪くない、その意味を込めて答える。
「俺もココナの忠誠に値する男で居続ける。一方的な絆にはさせないさ。だから安心していい」
「……………」
隣を歩くココナは俯いて何かを呟いた。聞き取れなかったけど、聞き返さなくていい。
彼女の抱えているものを全て知ることは出来なくても、いつも通り俺は俺のまま彼女を守る。それで笑顔になってくれる子もいると、トマトが教えてくれたんだ。
小柄な少女達の髪が揺れる。
熱電灯の光が落ちて、赤と白の輪が同時に浮かび上がった。
俺はこれから一生、この絆を手放すことはないだろう。




