第二十二話 操作(ミリカ)
「そのスキルを自分のメイ奴に使うなんて馬鹿なの? 勝てないからって自分のメイ奴を犠牲にして、命乞いでもするつもりかしら?」
「いや、お前はこのスキルの本当の使い道に気付いてないんだ」
ココナのスキルを得てから、この能力の本質を知った。
「スキルの使い手が悪ければ使えないんだったな。たしかにその通りかもしれない」
トマトにスキルを付与した瞬間、脳内に生まれたのは、もう一つの神経回路だった。
痛みや感熱などは一切なく、ただ“体を操作する”神経。つまり、ココナから得たのはバッドステータススキルではなく、相手を『操作』するスキルだ。
新たな神経回路に意識を繋ぎ、トマトから体の主導権を譲り受ける。そしてその小柄な体を一歩前へ出した。
執事は余裕の笑みを浮かべる。
「メイド、お前が戦うのか」
「はい、ですが、私はもう一人の鳥太様です」
トマトの身体能力で執事に対抗するのは難しい。けれど、俺の戦闘経験と、遠方から目視できるという優位を利用すれば戦えるはずだ。おそらく。
「メイ奴、Sクラスでもない、格闘メイ奴ですらないお前が、私の相手になると思っているのか。お前の主人は救いようもない馬鹿のようだな。思わず同情したくなるほど哀れだ」
「レオルの言う通りね、貧乏人。そのスキルでメイ奴を操作して戦うなんて、傑作だわ。そんなどうしようもない思いつきで勝った気になるなんて、あなた、メイ奴以下のゴミなんじゃない?」
「じゃあはっきりさせようぜ、どっちがココナのスキルを使いこなせるか」
軽く鼻を鳴らす。
「いいわ。まあ結果は見るまでもないけれど。元々これは動作を補助するスキルだと思われていたのよ? 私はそれを手に入れる前から調べ尽くして、最適な使い方を見つけた。実際に何度もこうして勝ってきたわ。その私が断言するけど、あなたの使い方は論外としか言いようがない。そのスキル――『操作』で、戦闘なんて繊細な操作ができるわけないでしょう?」
女は顎を軽く動かし、執事に合図を送る。
執事対メイド。
この世界を変える為にも、メイドさん達の強さを証明しないといけない。
まずはトマトと俺の身長差を見極めよう。身体能力にも差があるからいきなりトップギアは危険だ。ゆっくりと操作をはじめ、徐々にギアを上げていけばいい。
簡単なプランを練ったあと、あえてこちらから攻撃を仕掛けた。
トマトは一歩踏み出した。思ったよりも歩幅が小さく、間合いを詰めるには至らない。
執事が指先を使った独特の攻撃を繰り出してくる。
リーチの差は圧倒的。
だが問題ない。俺には執事の動きがはっきりと見えている。
トマトは踏み出した足を軸に回転し、しゃがみながら執事の懐に入る。
拳を突きあげるように攻撃――というフェイントを見せ、仰け反った執事の腹を蹴る。
その一撃で執事は三歩後ずさり、軽く咳をした。
この操作スキルは少しだけ、身体能力を補助する効果もあるようだ。トマトの力が一・二倍ほどに増加されているように見える。
執事は眉間に皴を寄せた。
トマトに不意を突かれたことでプライドに火がついたんだろう。わかりやすい。
執事が受けたダメージ自体は微々たるものだが、おそらくトマトの攻撃を受けたことで、それを取り戻そうという心理が働いている。……ならこの勝負は俺達の勝ちだ。
執事は真っすぐトマトへダッシュを切った。
右足に体重を乗せ、力任せの攻撃を繰り出してくる。
――足と同方向の拳が来るな。
トマトをターンさせ、執事の左側へ移動させる。
回転の勢いを乗せた裏拳を、執事の腹へ叩き込んだ。相手の動きが手に取るようにわかる。やっぱりこの執事、戦闘力は大したことない……。
執事は一瞬苦しそうに息を吐いた。力任せのカウンターを繰り出してくるが、トマトは余裕を持ってそれを躱し、もう一度執事のみぞおちを撃ち抜く。
そこからラッシュをかけた。
崩れかけた体勢をさらに崩すように、大腿部、脹脛、脛、肩、次々と連撃を入れ、細かなダメージを蓄積させる。
執事の顔にはさらなる焦りが滲む。体のキレも落ちている。
メイドさんが何発も攻撃を叩き込んでいるという事実が、実際のダメージ以上に、執事の精神を追い詰めているのだろう。さらにいえば、今執事にとって、“勝利”よりも、“傍から不利に見える状況の打破”が優先になっているはずだ。
理由は……。
「レオルッ! いい加減にしなさい! メイ奴なんか相手に、みっともない姿を見せないでっ!」
執事が“忠誠を誓った相手”を前にして戦っていることだ。
こうなればもう執事のプライドはズタズタだ。
女の苛立った言葉が、執事を余計に追い詰めている。勝利は目前。
そう確信した瞬間、
「奥の手を使うわよ」
その一言が流れを変えた。
トマトの体に緊張が走ったのが”操作”を通して伝わってくる。
女は場を読む力も持ち合わせていたようだ。
敗北を悟り、不利な状況を認め、状況を打破する術をあえて口にした。その言葉は魔法のように、執事の折れかかっていた心を立て直した。
「ご主人様、お任せください。メイ奴の操作などただの器用自慢だということを、こちらの貧乏な方に教えて差し上げます。勝負はスキルの数ですでに決しています故」
いや、別のスキルを使ったとしても、この執事はAクラスだ。戦闘力が一段階上がったところで互角かそれ以下のはず……。
女の右手を恭しく取り、口元に余裕を浮かべる。
手をスルリと解き、トマトから四メートルほどの間合いで腰を落とす。
極端に右前の半身の構え。
何のスキルを得たかわからないが、単純な身体強化ではなさそうだ。あの構えから察するに、右手で攻撃するのだろう。
次の一手を考えていると、ふいに視界の隅で女が笑った。
嗜虐的に吊り上がった口元には、強者の余裕が現れている。
嫌な予感がじわじわと膨らんでいく。
いや、執事の初動に集中――。
この距離ならあと三歩か四歩、間合いを詰めてくるはずだ。
「――――っ」
予想通り執事は間合いを詰めてきた。が、たったの一歩だった。
トマトから三メートルほど離れた場所で、右手を振りかぶる。
――――遠距離攻撃。
瞬時にトマトの攻撃体勢を解き、軌道上から全力で逃がす。
ダドッッッッッッッッッッッ!
振り下ろされた手の先で砂煙が巻き起こる。
回避したトマトは地面に手を着いて小さく転がる。
間一髪。
トマトが先ほどまでいた地面が抉れていた。
射程距離は三メートル以上。
嫌な予感が当たった。
スキルのためだけにココナを買うような女が、特に戦闘力もないAクラス執事を買うはずがなかったんだ。
この執事を選んだ理由は、見えない遠距離攻撃を繰り出せるこのチートスキルだ。
前回戦った”透明化”と異なるのは、広い攻撃範囲と地面を抉るほどの威力。回避が困難な上、当たればおそらく一撃で戦闘不能。マズい……。
トマトに大きく間合いを取らせ、執事の二つ目の攻撃に備える。
――――二度目の攻撃。
横振りの手刀、これも遠距離攻撃だ。
軌道を読みトマトをしゃがませる。しかし、すかさず三つ目の攻撃が振り下ろされた。
立て続けに拳が風を切る。転がすようにトマトを逃げさせるが、徐々に道の隅へ追い詰められていく。
執事が遠距離攻撃を使い始めたせいで、俺が遠隔で操作していたことによる”視野の広さ”の利点が失われつつある。
執事のスキルは判明したが、躱し続けるのは難しい。
右手が拳の形なら鉄球、手刀なら刀、執事の攻撃の主体となる指先を突き出す動作は槍のような攻撃へと変わる。攻撃の直前までどれが来るかわからない。
「ふふふ、もうすぐフィナーレね! 順番が変わったけど、メイ奴を殺したらあんたの番よ! 死になさいっ!」
女が叫ぶと同時に、執事が連撃を繰り出した。
最後の四発目。形状は最も範囲が広く、威力の高い『拳』。
体勢を崩し道端に追い詰められたトマトに、避ける術はない。
見開かれた瞳が恐怖を浮かべる。
が、それは死を覚悟した顔ではなかった。
瞳には戦う意思が残っている。おそらく、俺が「信じてくれ」と言った言葉を、この絶体絶命のピンチでもまだ信じてくれている。
その“忠誠心”によって、俺は勝利を確信した。
「残念だったなメイ奴」
道脇の煉瓦が砕け散り、砂煙が撒き起った。
道を歩いていた人々が一斉に振り返り、脇の店から遠巻きで見ていた人々は血なまぐさい光景を想像したのか、苦い表情を浮かべた。
吐きそうな心拍を必死にこらえた。
トマトの身が安全だと確信していても、ショッキングな光景には変わりない。
祈りながら煙の収束を見守っていると、やがて見慣れたシルエットが浮かび上がった。
「……鳥太様、これは一体…………」
瓦礫の中で倒れていたトマトは、傷一つない肌を確認しながら呟いた。
「最初に言った通り、それがトマトの強さだよ」
俺の考えは間違っていなかった。
安堵の息を漏らしていると、女が震える声で呟いた。
「まさか、あんた……そんな馬鹿なことを……」
「ああ、そうだよ」
トマトを側に引き寄せながら女に向き直り、トリックを明かす。
「俺は自分に防御壁は使ってない」




