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第十八話 忠誠の誓いとお風呂

 精神修行のような時間を過ごした俺は、その後もトマトから至れり尽くせりなフルコースを与えられそうになったが、廊下に出たところでフィルシーさんにストップをかけられた。


 トマトは他の仕事もあるので、これ以上俺が独占することはできないとのこと。けっきょくスキルは夜貰うことになった。


 そもそもフィルシーさんが言うには、忠誠を誓うのは気持ちの問題なので、キスをすれば最短二秒で終わるらしい。

 いままでのはただのトマトのサービス精神だったということだ。


「鳥太様、ムードは大切ですからっ、二秒なんてだめですからっ。夜はお部屋で待っていてくださいっ。寝ないでくださいね!」


 廊下を去っていく赤茶色の髪のメイドさんは、何度も振り返って念を押してきた。


「わかってる、ちゃんと起きて待ってるよ」


 安心させるように、明るい調子を心がける。


 どことなく恋人同士のような会話になってるけど、その意味で捉えると俺は二秒しか持続しないことになってしまうので、変な妄想はやめておこう。


 そもそも俺はトマトを信頼し、トマトは俺に忠誠を誓ってくれるという、主人とメイドさん特有の関係だ。

 メイドさんは主人に対して、尊敬の延長上にある、『仕えたい』という感情を抱くらしい。

 仕えたい相手が心の中にいることが、女子にとって好きな人がいることと同じくらい大切なアイデンティティとのことだ。


 そして、仕えたい人はあくまでも候補なので、一人ではない。トマトの場合はフィルシーさんと俺がそれに該当する。

 俺は、トマトの『仕えたい』という気持ちに答えることで、主人としての器が解放され、スキルを習得できる。


「鳥太君、一応言っておきますが、キスはメイドが仕える相手の手の甲にするものです。唇を奪ったらとても大変なことが起こりますよ」


 フィルシーさんは柔らかい口調で忠告してきたが、その表情は出会った当初のようにキツい美女という印象を際立たせている。

 恋愛的に手を出したら許さないということだろう……。


「もちろん、わかってます」


 長袖の服の中で寒気を感じながら答えると、フィルシーさんは安心したようにその場を後にした。


 そして数時間後、クシィから戦闘の小技を教わり、俺がクシィの全力のスパークリング相手をするというウィン=ウィンな戦闘訓練を終えると、ルッフィランテの明るい色の芝生は深緑色に染まった。


 この世界の街灯は燃料を入れて光を発するというややアナログな作りの為、本数はあまり多くない。

 クシィに礼を言って中に戻った。


 夕食後。時計もない感覚任せな生活にも慣れ、ゆったりとした気分で自室のベッドに横たわる。

 うっかりウトウトしそうになったが、二回ノックする音を聞いて、慌てて部屋の扉を開けた。


「トマト、お疲れ」

「鳥太様、ねぎらいのお言葉ありがとうございます。お待たせしました」


 不思議な赤系統の瞳は爛々と輝き、口元には微かな笑みがこぼれている。

 じゃあさっそくキスを、と言いたいところだけど、おそらくここはメイドさんにとって大切な場面だろう。焦ってムードをぶち壊したらかわいそうだ。

 俺は雰囲気に任せるようにそっと赤茶色の髪を撫でる。


 そのままゆっくり撫でおろした指先で頬に触れると、赤く染まった肌は微かな熱を帯び、サラサラと心地よく指を撫で返す。

 女の子特有の柔らかい輪郭を滑るように伝っていくと、小さな顎の先が指先にちょこんと収まった。

 息を吹きかけるような小さい力を入れると顎が上へ傾き、その瞳はまっすぐ期待の色を映し出す。


 ……と、ここまでたどり着いてから、俺はようやく自分の過ちに気付いた。


 不覚にも、唇にキスする流れを自ら作り出している。

 いまさら中止にはできない、けど、このままキスをしたらフィルシーさんは絶対に許してくれない。


 まずい……。


 戦闘時なら相手の思考を推測しながら適切な解答を導き出せるが、この大ピンチに限って普段の思考力がまったく活動していない。


 トマトの期待に満ちた表情が、微かに期待の度合いを高め、いまこうしている間に、焦りの色が現れつつある。

 あと数秒もすればこの瞳は不安に変わり、やがて悲しみに変貌していく。


 早く手を打つしかない。

 なんでもいい。口を開き、状況を打破する言葉を……


「……その、そういえば風呂で背中流してくれるんだっけ」

「……………………」


 よりによって口をついて出たのは、トマトのプランの中で聞き流してたけど、実はずっと気になっていたことだった。


 不思議な赤色の瞳が浮かべた色は困惑。

 最悪の状況は回避されたが、最悪よりちょっとまし程度の事態を誘発させてしまった。


 トマトは俺から視線を逸らし、考え込むような素振りをする。そして、少しすると納得したように口を開いた。


「なるほど、先にお背中をお流しして、心身ともに温まったところで忠誠のキスをするということですね。鳥太様、乙女心をくすぐるのがお上手ですね」

「えっ!? まあね?」


 了承を得てしまった! 新たな泥船に乗り込んだとしか思えない……。

 トマトが俺の恋人なら純粋に喜べるが、手を出せない相手ではただの苦行。

 心を無にして邪な感情を殺さないと、欲望が肥大化した時点で人生詰みだ。


「鳥太様、この時間はメイドがいつものお風呂に入っているので、お客様用のお風呂に行きましょう」

「…………」


 必死で言い訳を考えるが、ここまで引っ張っておいて、トマトの気分を害さずお風呂を回避する術など持ち合わせているはずもない。

 俺は無言で小さく頷くことしかできなかった……。



 三階の隅に一際綺麗な風呂はあった。

 本来は来客用なのでほとんど使われていない。

 トマトに言われるまま中に入ると、更衣室は一人一人プライベート空間として仕切られていて俺はほっと息を吐いた。


 タイミングが被ると気まずいので、急いで服を脱ぎ、タオル一枚で風呂場に突入。

 目に飛び込んできたのは薄ピンク色に統一されたタイルや洗面器やイスだった。

 どうやら女性用の風呂に案内されたらしい……。

 男女ペア混浴の時点でどちらに入ってもアウトだから、人がいない限りどちらに入っても大差はないが……。


 先ほどより四ビートほど速く刻み始めた鼓動が、八十回目のテンポをカウントした辺りで、解放された風呂場の入り口から少女が姿を現した。


 脱衣所との間に扉はないので、水避けに設置された段差を踏み越え、女の子特有の丸みを帯びた肢体が風呂場に入ってくる。


 タオルで七割ほどの面積は隠しているものの、露になった細い手足が、布一枚の下にある無防備な体を仄めかしている。

 タオルの端をぎゅっと握り、もう片方の手で胸を隠すように押えているポーズは、普段のお仕事モードのメイドさんとは決定的に違う。


「鳥太様、メイドはご主人様のお世話を一通りすべて行いますから、お背中をお流しするのは普通のことですよ。ただ、鳥太様がお望みであれば、忠誠の証に私の姿をすべて見ていただいても構いません」

「……いや、それはやめておく。ちゃんと風呂を上がってから、忠誠の誓いをしてもらうよ」

「……はい」


 羞恥に染まった小さな声は、風呂の中に反響して耳に届いた。

 俺は背中を預けるような体勢を作ってから、たったいま回避した新たな危機を反芻する。


 一歩間違えば、中学生か高生かわからない少女の裸を見てしまうところだった。

 さっきの台詞はこの世界に来て唯一最大のファインプレーだったと言えるだろう。


「鳥太様は、本当にお優しいですね」


 吐息混じりの声が背中にかけられた。

 緊張を悟られないように無言で貫き、背後のトマトが手のひらで泡を作る音に耳を澄ませる。

 一定のリズムで奏でられるシュワシュワという演奏は、少しだけ俺の緊張をほぐした。


「……では、お洗いしますね」


 何度も触れられている小さな手が、泡のふわふわ感を伴って背中をそっと通過していく。


 風呂場内は外の世界と遮断されたかのように、トマトから生じる心地よい音だけが反響し、俺は不思議と落ち着いたまま、その時間を過ごした。


 ※※※※※※


 その後の記憶はなく、気付くと俺はルッフィランテの屋上にいた。

 微かな明かりに照らされたトマトの瞳が色めいている。

 夜風が湯上りの体温を優く奪い去っていく中、俺は精一杯の言葉を紡いだ。


「トマト、俺は世界中のメイドを救う。側にいて欲しいのは君だ。力を貸してほしい」

「…………」


 投げかけた言葉は夜風に混じり、短い静寂が訪れた。

 赤茶色の髪をしたメイドさんは、俺の右手をそっと取る。



「鳥太様、私トマト・ケチャプは、葉風鳥太様に忠誠を誓います」



 右手の甲に感じた感触は柔らかく、ほんのりと温かかった。


 その熱はあっという間に夜風が攫っていったが、俺は体内に湧き上がるもう一つの熱を感じていた。

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