第十五話 治癒メイドとオレン・ピール
帰宅すると、フィルシーさんはオレンを両腕で抱きしめた。涙を見せてはいないのはオレンを気遣ったからだろう。
トマトから事情は伝え聞いているはずだけど、それらのことには触れず「おかえり」と呟き、夕飯の後はオレンの好きなシャトゼリーがあるとか、部屋はチョコちゃんと相部屋になるとか、日常的な話題でオレンの緊張を解いた。
講堂にいたメイドさん達もオレンに声をかけようと集まってくる。
一人のメイドさんを救うことができた。
いまさら湧いてきた安堵と達成感に浸りながらその光景を眺めていると、背後からサッパリとした声が投げかけられた。
「鳥太様、お疲れ様でした。初仕事で大成功ですね」
「マカロ」
緑がかった黒髪の下で親しみやすい表情を作っていたのは、皿洗いのときチョコちゃんを見事にあやしていたムードメーカーのメイドさんだ。
「鳥太様、オレンを助けていただいて、ここにいるメイド達はみんな心から感謝しています。本当に頑張ってくださいましたね。鳥太様のお世話役はみんなで取り合いですよ」
「そんな面倒事、引き受けてくれる子がいるか不安だよ」
「ふふ、私は喜んでお引き受けしますよ。なんて言ってしまったら抜け駆けになってしまうので、真実をお伝えしておきましょう。本当に誰を選んでも大丈夫です。メイドはご主人様を選べませんが、みんな優しい方にお仕えしたいと思っていますから」
「そう言ってもらえると気が楽だよ。まだ決めてないんだけどな」
本音を言うと、立て続けに断られたり、嫌そうな顔で引き受けられたりしたらメンタルにダメージを受けるので、密かに不安だった。
マカロの言葉を聞く限りでは、ジディグやディルタアのような酷いやつじゃなければ喜んで引き受けてくれるということみたいだ。
俺の不安を的確に取り除いてくれたマカロは、悪戯な笑顔を浮かべて言う。
「まだ決めていらっしゃらないのであれば好都合です。マカロ・サラダが鳥太様の傷をお治しして、治癒メイドの魅力を教えてさしあげましょう」
「治癒メイド……?」
キッチンにいたからてっきり料理系のメイドだと思っていた。
そんな考えを見透かしたかのように、マカロはお姉さん口調で言う。
「治癒メイドは誰かがお怪我をしたときしか出番がありませんから、普段はお皿洗いやお掃除など、簡単なお仕事をしています。実は、ルッフィランテの中で働いているメイドの多くは、専門分野よりも普通のお仕事をしている時間が長いのですよ」
「そうなのか」
よく考えたらマカロはトマトより一つ上のCクラスメイドなので、料理専門だったら料理を作ってるな。皿洗いがメインのはずはない。
と思ったけど、皿洗い専門のトマトが後ろで聞いているかもしれないので省略。
「では、お話の続きは治癒をしながらにしましょう。治癒部屋に案内しますね」
「ありがとう、お願いするよ」
マカロは一瞬目を丸くしてから、唇をニッと半月型に変えた。
「鳥太様がメイドにお礼を言うという噂は本当だったのですね。感謝されるというのは私達メイドにとっても嬉しいですよ」
「おお、噂になってるのか……」
この世界のメイドさんはお礼を言われ慣れていないようだけど、別に言っても嫌がられるわけじゃないみたいだ。それならこれからも普通に言おう。
なんでも正直に話してくれるマカロのおかげでメイドさんのことが少しずつわかってくる。こうして聞くと彼女達も普通の女の子なのかもしれない。
階段を上ろうとしたところで、先導していたマカロが突然スカートの裾を大胆に持ち上げた。
「――――うっ」
白いソックスとスラリとした足が目に飛び込んできた。
裾を引きずらないようにする為の動作だとはわかってる。けど、階段の上でこれをやられると心臓に悪い。
おまけにマカロは足が長い上いせいか、スカートを持ち上げる位置が他のメイドさんよりも高い。
「鳥太様、やっぱり、とても疲れていらっしゃる顔をしていますね。治癒部屋は二階にありますので、すぐに着きますよ」
「う、うん。それはよかった、はは……」
原因は疲労じゃない……とは言えないので、俯いて階段の模様を凝視しながら上っていった。
二階につくと、マカロは廊下の端まで歩き、一番奥にある部屋の扉を開けた。
「すぐに治療が必要な場合は手前のお部屋を使うのです。鳥太様はまだ歩けるようですのでこちらへどうぞ」
「おお……」
実際には人間の致死ダメージを余裕で越えてるけど、マカロにさっぱりした対応をされると大した怪我じゃないと思えてくる。むしろ今から軽いジョギングくらいならできそうだ。これも治癒メイドの才能なのかもしれない。
部屋に入って靴を脱ぎ、なだらかな床を上がっていく。
清潔感の漂うシンプルな室内に、四つの浅いバスタブ。周囲には防水のタイルが敷き詰められていて、室内に水が零れないよう段差がついている。
イメージしていたのとはたいぶ違う部屋だ。
緑色のリラクゼーションルームを想像していたが、どちらかというと怪しいお店のような雰囲気……といったらマカロに失礼だな。
しかしそんな印象を裏付けるかのように、壁には畳まれた白いローブが置いてある。
これは能力検査のときに着たアレだ…………。
「鳥太様、まずはこちらにお着替え下さい」
「お……オーケー…………」
予想通り頼りない布を受け取り、ふわふわしたカーテンの中に入って着替えた。
全裸プラス布というアグレッシブな装備で出ていくと、タオルの敷いてあるふかふかのバスタブに寝転がるように言われた。
「痛くはないので安心してください。いまから傷の深さや種類に応じて最適なティルを塗っていくのですが、その後はお風呂に入れなくなってしまうので、先にシャグセットで体を綺麗にします」
「お、おう」
少し嫌な予感がしたが、シャグセットというのはジェル状の冷たい液体だった。
バスタブ――マカロが言うにはフェロンというらしい容器の中がシャグセットで満たされ、マカロから他のメイドさんの面白エピソードを聞いている間に、時間はすぐ過ぎていった。
「シャグセットは無害で殺菌効果があるのです。さっぱりしましたか?」
「これは……すごいな」
ジェル状の液体はあっという間に乾燥し、皮膚がサラサラになっている。
「次はティルを塗っていきます。細かな切り傷には傷口が徐々に閉じていくティル、打ち傷には徐々に染み込んでいくティルを使います。どちらも大きな怪我でなければ痛くありませんので、リラックスしていて大丈夫ですよ」
打ち傷というのは打撲のことかな、とぼんやり考える。
マカロが丁寧に説明してくれるので、緊張感が自然と取り除かれている。怪我の治療というよりは温泉旅行にでも来ているような気分だ。
ティルは半固形状のゼリーのようなものや、ねっとりとしたもの、すぐ体に染み込むものなど様々で、マカロはわかりやすく効能を説明しながら丁寧な手つきでそれらを使い分けていった。
そしてティルを塗り終わると、白いパウダーを振りかけられ、ケーキになった気分でマカロから部屋着を受け取る。
「こちらは材質がサラサラしていて傷口を広げにくいので、できるだけ着ていてください。外部のお客様から見えない範囲なら、どこで着ていても大丈夫です」
「いい肌触りだな。ありがとう、マカロ」
「ふふっ、どういたしまして」
着物のような構造の部屋着を羽織り、腰についた大きなボタンを一つ止める。
着心地がよく、デザインも悪くない。許可が下りれば外にも着て行きたいくらいだけど、きっとこれはパジャマみたいなものだろう。残念だ。
「鳥太様、最後に一つ、今日のお夕飯は料理メイドが治癒料理をお作りしますので、楽しみにしていてくださいね。蓄積された見えないダメージを回復させる効果がありますよ」
「おう、楽しみにしておくよ」
と答えながら、薬草だらけのサラダや混沌味の流動食を想像していた。
ダメージを回復させる料理がうまいはずがないよな……。
と思っていたが、その期待は見事に裏切られた。
「う、美味いっ…………! なんだコレッ!」
ゼラチンでコーティングされた肉だか野菜だかわからない固形は、噛んだ瞬間に旨味が弾けた。
とろけるゼラチンの上品な味が、固形物の主張をマイルドに包み、微かな噛みごたえが消えると柔らかい感触が喉の内側を滑る。
タピオカジュースを飲んだときのような新触感!
感動していると、テーブルの脇にいた幼いメイドさんが物珍しそうにのぞき込んできた。
「といたさま、おいしいです?」
サラサラの黒髪の下でクリッとした目を向けてくる。
湯上りなのか顔は少し火照っている。着ているのはメイド服だけど、布質からしてパジャマだ。
「これ、初めて食べたけどおいしいよ。チョコちゃんはもう夕飯食べたの?」
「きょうはふぁぱいです」
「ふぁぱい?」
「ふぁぱいです」
「へえ、ふぁぱいかぁ~」
チョコちゃんの表情からすると『ふぁぱい』ではないらしいけど、舌ったらずな発音が可愛いのでスルー。
「といたさま、ふぁぱいよりおまーとおいしいです?」
「ふぁぱいは食べたことないけど、オマートっていうの? これはおいしいよ」
「といたさま、えらいです」
「えらいのか……?」
よくわからずに聞き返すと、背後から声が聞こえた。
「オマートは治癒料理ですから、子供はみんな嫌がるんですよ。ちなみに、“ファパッリ”は、薄くてパリパリした食感のお料理です」
振り返るとオレンがいた。
俺とトマトが今日救出したメイドさん。表情は笑顔ではないけど、人当たりの良さを感じる明るさが戻っている。
「治癒料理でこのおいしさは凄いな。オレンはもう夕飯は食べれるか?」
「私もこれから食べます。もう大丈夫ですよ。鳥太様のおかげです」
「よかった。次の仕事、いいところが見つかるといいな」
オレンの雰囲気から、フィルシーさんと話してスッキリしたのが何となくわかる。
オレンは橙色の瞳をパチパチさせながら、人懐っこい声で言った。
「鳥太様、やっぱりお優しい方なのですね。さっきトマトやフィルシーさんから、鳥太様のお話をたくさん伺ってきました」
「俺の話……ここに来てからヘマしてばっかりな気がするな……」
「いいえ、みんな口を揃えてお優しい方だと言っていますよ。それに…………今日はとてもかっこよかったです……」
急に小声になった。
俺は視線を逸らしてブルーハを喉を流し込む。薄水色の液体。こちらではメジャーな飲み物だ。お茶やミネラルウォーターのような扱いらしい。
と照れから気を紛らわせていると、オレンはチョコちゃんのほっぺたをこねくり回しながら、もじもじし始めた。
「鳥太様、お食事が終わったらフィルシーさんと今日のことについてお話すると思うのですが…………もしもお世話役がいらっしゃらないのでしたら、私にさせていただけませんか……?」
上目遣いで破壊力抜群の台詞を言われてしまった。
けど、頷いてしまいたい気持ちを、ぐっと堪える。
本当なら、お世話役なんて面倒なことを誰かに頼むのは気が重かった。オレンみたいな笑顔の可愛いメイドさんが引き受けてくれるのなら夢みたいな話だ。
けど、俺は今日オレンに会ったばかりで、彼女のことを何も知らない。オレンも俺のいい一面しか見ていない。これから印象は変わっていくと思う。
マカロが言っていたように、メイドさんは主人を選べない。
たとえお世話役だとしても、後悔するかもしれいない選択をさせるわけにはいかない。
「ありがとう。けど、ごめん。俺はこの辺りのことをよく知らないから、お世話役には迷惑かけると思うんだ」
異世界から来た俺は何も知らない。
トマトの反応から見ても、おそらく俺は“人を従える器”じゃないだろう。
そんな俺に仕えてくれるのは、忠誠心ではなく、単純に善意でお世話をしてくれそうなあの子しかいないと思う。
「だから、もう頼む相手は決めてるんだ。気持ちだけ受け取っておくよ」
「そうですか……残念です」
オレンは寂しそうに言った後、ふっと息を吐いた。
「お世話役の子には嫉妬してしまいますが、私はいつでも鳥太様のお手伝いをします。私にできることがあれば、いつでも呼んでくださいね」
オレンが見せた笑顔は橙色の輝きを放ちながら、微かな憂いを帯びていた。
その魅力的な笑顔に抗えるはずもなく、俺は素直に頷いた。




