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第十四話 初仕事(後編)~対スキル戦闘~

「葉風殿、意気込むのは構いませんが、スキルを持たないあなたに勝ち目はありません」


 ディルタアの言葉にジディグが誇らしげな態度で続ける。


「こいつには俺が常連客のよしみで、用済みになったSクラス執事のスキルを与えてやったんだ。お前みたいな貧乏人には手に入らない代物だぜぇ。せいぜい嬲り殺される前に泣いて謝ることだなぁ!」

「御託はいいから始めろよ。言っておくけど、俺がこいつを倒した後はお前も一発殴るからな」


 横目で睨みを効かせると、ジディグの顔に微かな怯えが見えた。

 やはりこいつは態度がでかいだけの小心者だ。殴る価値もないかもしれない。


「私の主人に無礼な口を利かないできただこう。メイド喫茶最強のスプーンだったかな? 名前は忘れてしまいましたが」


 ジディグのSクラス執事は皮肉を飛ばし、ディルタアの右手に触れた。

 戦闘力が上昇するスキルを付与されたのだろう。

 目を凝らして初動に集中する。


 特に工夫のない一歩は、余分な間合いを詰めるだけの動作に見えた。

 が、突然執事の姿が消えた。


 速いという次元ではなく、完全な消失。

 全身に鳥肌が立ち、背筋に不快な緊張感が這い上がる。


 脳内に送る指令は『防御』そして状況の『見極め』

 その指令は功を奏し、目前に迫りくる微かな風を感じた瞬間、俺は近くにあったテーブルを、執事が消えた軌道上にひっくり返した。


 木が砕ける音が鳴り響き、即興の盾が崩れ落ちる。


 戦闘力、一段階の上昇どころじゃない。こいつのスキルは――『透明化』


「くっそっ」


 半歩下がって近くのテーブルにあったソースを手に取る。

 俺達が騒いだせいで客はすでに逃げているようだ。


 好都合。


「これではっきりすんだろ」


 一撃食らうのは覚悟し、その後の利を取る。

 ぶちまけた黒い液体がブーメランのような弧を描いて飛び散り、何もない空間で跳ね返される。

 そこは俺の右脇方向だった。


「――――っ」


 慌てて右方向にガードの構えを取ったが、相手は正確に隙を突き、立て続けに攻撃を繰り出してくる。

 小、中の技を使い分け、俺の防御をくぐり抜け、息をつく間もない連撃を続ける。

 動作が見えないせいで体感速度は数十倍。

 気付いたときには攻撃が当たっている――防御不能。


「がぁっ」


 格下相手なら、一発目を基点に次の攻撃を予測できたかもしれない。

 しかし、相手は俺と互角のSクラス執事。素の戦闘力も先ほどの三人とは比べものにならない。

 過去に受けたことのない痛みが全身に走り、床には血が零れ始める。


 見えない。

 ソースをぶちまければ色がつくと思ったが、それすらも透明になっている。おまけに気配もない。


 そりゃそうだ。


 一方的に攻撃している圧倒的な優位を得て、殺気を垂れ流す必要はないし、俺の攻撃を警戒する必要もない。小動物と戯れるような精神状態だろう。

 しかし、それでもなんとか俺が立っていられるのは、心理的な細かな駆け引きを繰り返し、致命傷を避けているからだ。


 右の脇腹に攻撃を食らう。あえて左の防御を甘くする。コンマ一秒のカウント後、左を防御――と見せかけて、連続で右側を防御。


 俺が脳内で出した『防御』という指令は、数回に一度成功する『読み』の段階まで達していた。

 どれだけ不利な状況でも『防御』を念頭に置く限り、最善を尽くすことができる。


「無様だなぁ貧乏人! ぎゃひゃひゃひゃひゃっ! あと何分持つかなぁ!? スキルが切れるのを待ってるのかもしれないが、無駄な努力だぜぇ? ぎゃひゃひゃひゃひゃ!」


 ジディグの余裕を見る限り、おそらくまだスキルの持続時間にはだいぶ余裕があるんだろう。

 なんつーチートだ。

 一方的にやられているせいで体感時間が遅くなっているが、おそらくまだ経過しているのは三十秒程度。そしてジディグの様子からすると、スキルの持続時間は少なくとも三分はある。


「いまのうちにフィルシーへ連絡をしておきましょう。お宅のボロ雑巾が汚らわしい血で私の店の床を汚していると」

「気が利くなオーナー。フィルシーが来たら首輪をつけて俺が家に持って帰るぜ。一週間調教すればメイ奴時代の立場を思い出すだろう」


 ジディグの下衆な声が店内で浮わついている。

 フィルシーさんが元々メイドだったというのは、変な苗字からなんとなく察していた。

 メイドを大切にするあの人の優しさ、芯のある強さ、大勢のメイドをまとめあげる手腕、そして何よりも人柄。


 この厳しい世界でメイドとして働き、おそらくまだ二十代の若さでメイド喫茶を経営している裏には、努力や、出会いや、色んな奇跡が重なっているんだろう。

 そんなフィルシーさんをバカにするやつは、絶対に


「許さねえ……」


 掠れた声が零れる。

 おそらく届いてはいないだろう。

 ディルタアは相変わらず癪に障る声で高らかに語り続ける。


「“人を従える器”を持たないのですから、静かに息を引き取ればよいのです。あなたは所詮その程度の器。生きる価値もないでしょう」

「ぎゃひゃひゃっ、いいこと言うじゃねぇかオーナー。世の中は“従える者”と“従う者”だ。金も力もないくせに逆らうバカは、メイ奴よりも悲惨な目に遭わせてやらねぇとなぁ! あと何秒持つかなぁ? フィルシーが来るまで立ってられたら、お前はフィルシーのケツを拭く係にしてやるぜぇ! ぎゃひゃひゃひゃひゃ」


 ジディグの高笑いに呼応するように執事の攻撃は徐々に加速し始め、一撃の重さも増してきた。

 俺の集中が途切れ始め、徐々に防御力が低下しているからだ。


「なぁ、ジディグ、気付いてるか?」

「あ?」


 届かないつもりで放った問いかけに、ジディグが反応を返した。

 右手で執事を制し、その指示によって止まった執事が一時的に姿を現す。


 動き出しの時点で気付いていたが、やはり素早く動いているときだけ消えるスキルか。

 スキルのネタばらしをしてまで戦いを止めたこの金持ち息子は、よほど短絡的な思考をしていると言える。


「おい、お前ぇ、いま俺を呼び捨てにしたなぁ? 言っておくが、時間切れを狙ってるのはバレバレなんだよぉ」


 ジディグの顔には、瀕死になった俺をいたぶろうという感情がありありと現れている。

 こいつは小心者だ。これはブラフではなく、スキルの持続時間が無駄話をしても尽きないほど余裕があるということだろう。


「命乞いをするならいまの内だぜぇ? そうだなぁ。この店の床を全部舐めたら見逃してやるかなぁ! ぎゃひゃひゃひゃっ!」


 無言でいると、ジディグは苛立ったように言葉を重ねた。


「どうしたぁ? ちびっちまったかぁ? お前は所詮、“人を従える器”じゃねぇんだよぉ。わかったらとっとと床に這いつくばって、てめえの舌で掃除しな」

「ああ、確かに俺は“人を従える器”じゃねえよ」


 心の中に渦巻いていた灰色の感情が、皮肉にも最悪の人間を目の前にして漏れ始める。


 俺は“人を従える器”じゃない。“ご主人様”じゃない。トマトは俺に忠誠を誓うことを拒んでいた。

 異世界で力を得たって、貴族をぶっ飛ばしたって、俺は所詮俺で、永遠にご主人様にはなれないのかもしれない。


「フィルシーさんを見てると思うよ。“人を従える器”ってのは、ああいうことだよな」


 独り言のように漏れる声が、脳内で繰り返され、はっきりと理解を増していく。

 俺はフィルシーさんにはなれない。人を従える人間にはなれない。


「けどよ、ジディグ、ディルタア。お前らもフィルシーさんに比べたら、人を従える器なんか持ってねえよ」

「ぎゃひゃっ。何言ってんだお前? あいつは元メイ奴で有名だぜぇ? スキルも使えねえ、職業もねぇ、あいつのどこに器があるってんだぁ?」


 ジディグの小ばかにした笑いに重ね、ディルタアも冷たい声を漏らした。


「世間をご存じないようですね。私はAクラス執事を三体働かせていますし、ジディグ様はSクラス執事を所持していらっしゃいます。執事は主人を選ぶのですよ。元メイ奴のフィルシーに付く執事などいないでしょう。あの小娘はメイ奴を掻き集めて、たまたま金儲けに成功しただけです。お話になりません」

「話にならないのは、お前だよ」


 あの人はこいつらなんかとは違う。

 見ず知らずの俺にただ優しくしてくれたわけじゃない。ちゃんと自分の目で見極めて、俺に信頼を託してくれた。

 メイドさんの仕事を見つけて、メイドさんを守れる人を探して、こんなやつらと戦ってきたんだ。


 メイドさんを守ることを考えて、メイドさんから信頼されて、出会ったばかりの俺の身も気遣ってくれて、そんなフィルシーさんなら絶対…………


「……見落とすはずがないんだよ。自分のメイドがいなくなったなんて大事なことを、フィルシーさんなら見落とすはずがないんだ」


 ディルタアの顔色が変わった。

 周囲に視線を走らせるが、そこにオレンの姿はない。


「トマトっ! いいな!?」

「はいっ、鳥太様っ! オレンの回収、完了です!」


 店の外から聞こえる声を聞いて、ようやく胸のつかえがとれた。


「決着をつけようか、透明執事。もう周りに気を遣う必要はない。反撃させてもらうぞ」

「メイ奴を取り戻したくらいでいい気にならないでいただきたい。どうせ手も足も出ないでしょう」

「ぎゃひゃひゃっ、自分の首を絞めたなバカ野郎。お前のせいで、逃げようとしたメイ奴もお仕置きを受けることになったぜぇ! ぎゃひゃひゃひゃひゃ!」


 ジディグの笑い声が響く中、執事が再び姿を消した。

 その見えない指先が正確無比に、俺の首に突き立てられる。


 スキルの持続時間はすでに五分以上。

 まったく、なんつーチートだよ。

 

 ……俺の体は。

 

 俺が今日受けたダメージ量は、人間ならすでに数十回死んでいる。

 この世界を基準にしても、戦闘不能になったAクラス執事の数倍のダメージだ。

 それでも体はまだ軽い。



 耐熱性S、耐冷性S、耐圧性S、耐斬性S、耐打性S、耐刺性S――――身体能力『S』

 


 ――――「特に重要な項目、『耐』と書いてあるものはすべて上限に達しています。これらは防御力にも攻撃力にも関わってきますので、極めて優秀です」

 

 フィルシーさんの出発前の言葉が脳裏に過る。

 攻撃にも防御にも優秀な体。

 女神様、やっぱりこれはチートだろう。


「――はぁっ」


 荒い呼気が漏れ、勝利への突破口が徐々にその口を広げていく。


 まずは防御。

 執事の指先が俺の喉を抉り、続けざまにみぞおちを抉る。

 これも致死ダメージ。だが俺にとっては数百回耐えられる程度の威力だ。


 見えない攻撃は体に触れた瞬間に離れる。腕を掴んでゼロ距離の近接戦闘に持ち込むのは困難だろう。

 しかし、執事が動く方向と移動範囲は、防戦を尽くした数分間によって把握している。


 俺が意識していた『防御』に加えてもう一つ。――『見極め』で得た情報が、ここにきて光り出した。

 相手は常に回り込むような動きで攻撃している。右のガードを徐々に強めていけば、自然と左に動き始める。


 速度はコンマ十秒で一メートル程度。

 初動を読まれても確実に仕留められるタイミングは、相手が中技を放ってきた直後。


「――――!」


 足技で脇を抉られたが、攻撃が食い込む方向へ強引に直進。

 クシィが戦闘で見せた動きをイメージしながら、左足で小さく弧を描き、相手の軸足を刈る。

 透明な巨体が宙に浮いたコンマ五秒、自由を失った体に、叩き込むのは全力の拳。


「うらぁああああああああああああっ!」


 勝負は一撃で終幕を迎えた。

 動きを止めた執事の体が床に現れ、目を開いたまま脱力していく。

 ディルタアの息を飲む声が聞こえ、ジディグは転がるように窓から逃げようとした。


「待てよ」


 ジディグの首を掴んで座席に叩きつける。

 先ほどまでと別人のように、ガクガクと震えながら失禁し始めた。


「たの、たのむ、見逃してくれぇっ。金ならやる。親父から、借りて、好きなだけ払うっ」

「黙れ。俺がしたいのはそんな話じゃない」


 入り口付近にトマトの気配を感じた。

 心配そうに見守っている。

 あの子の為に、オレンの為に、すべてのメイドさんの為に、力を得た俺がすべきことは一つ。


「ジティグ、ディルタア、金輪際メイドに一切手を出すな。ルッフィランテのメイドに限らず、世界中のメイドに指一本触れるな」


 言葉がどれほどの意味を持つのかわからない。

 力がどれほどの効力を発揮するのかはわからない。

 それでも、壊れた世界を救うためには、真剣に、その言葉を口にするしかないだろう。

 だから俺は余計な脅し文句は付け加えず、ただ繰り返した。


「メイドを傷つけないと約束しろ。フィルシーさんを侮辱しないと約束しろ」


 俺の言葉が届いたかどうかはわからない。

 それでも、ジディグは小刻みに何度も頷き、ディルタアも小さく頷いた。


「わ、わかった、すまなかったぁ……許してくれぇ……」

「申し訳ありませんでした……メイドにはもう触れませんし、二度と雇いません…………」


 ジディグの股間から溢れていく水溜りを嫌そうに眺めながら、ディルタアも謝罪の言葉を口にした。



 ※※※※※



「鳥太様、さすがです! とてもかっこよかったです!」


 帰り道、トマトは仕事モードが完全に抜け切り、犬みたいに無防備な笑顔を浮かべて言った。


「二人とも無事でよかった。トマトもよく頑張ったな」


 赤茶色の髪に手を添えると、ほっぺたが真っ赤になってもごもごと動く。


「わふ……鳥太様……反則です……」

「どうした?」

「いえっ、なんでもありませんっ」


 顔を背けるトマトと入れ替わりで、オレンが橙色の瞳を向けてきた。

 日の光を受けて、小粒な太陽が二つ浮かび上がる。


「オレン・ピールと申します。助けていただいて、ありがとうございました。本当に……本当に……ありがとうございました」


 深々と下げた頭が儚くて、思わず右手を触れる。


「俺は葉風鳥太だ。オレン、これまでよく頑張った。もう大丈夫だ。一緒に、ルッフィランテに帰ろう」


 持ち上げられた顔には、店で最初に見たときの笑顔でもなく、虐められていたときの苦笑いでもなく、透明な光が溢れ出していた。


「怪我はないか」


 投げかけた質問に答えはなく、一歩、二歩、近づいてきたオレンは、崩れるように俺の懐へ顔を埋めた。

 

 もう一人で耐える必要はない。悲しいことがあれば泣いていい。


 背中に巻き付いた細い腕に答えるよう、俺もそっと手を添えた。



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