第0話 メイドさんのスキル(プロローグ)
扉を開けると、赤絨毯に金色の筋がうねっていた。
大公グヴァネの屋敷内にあるこの豪勢なホールで、これから一人の男が制裁を下される。
体温の混じったため息と共に零れ落ちたのは、『掃除が大変そうだな』という場違いな感想だった。
招かれたのは俺、待ち構えていたのは三十人ほどの執事達。
俺は身なりの良さげな服を着ているが、パーティ用ではなく戦闘用だ。
隣にいる小柄なパートナーも同様に、メイド服の白エプロンを外し、戦闘スタイルになっている。
横から小さな手に袖口を引っ張られ、豪華絢爛な――処刑場としてはいささか不釣り合いなホールに目を戻した。
執事。
様々なデザインの黒服に身を包み、貴族の従者として活躍している彼らは、柔らかな癒しをくべるメイドさんとは対極の存在にある。その戦闘力は高く、生身の人間に換算すれば一人で数十人~数百人に匹敵するだろう。
そんな執事達を三十人も引き連れているのが、ホールの中央にいる小太りな男『グヴァネ』。金の力で有能な執事達を集めた大公だ。
厚ぼったく突き出した唇の隙間から、不揃いな歯が不気味に見え隠れしている。
「フィルシーは捨て駒を寄越したようだな」
ぼそりとつまらなそうな声がホールに落ちると、開かれた唇はねちゃねちゃと動いた。
「私は息子に経営を学ばせる為、コストの低さしか取り柄のないメイ奴を買い取ろうと提案してやったのだ。本来なら必要ないゴミを三十体だぞ? それを貴様のオーナーは断り、私の顔に泥を塗った。ツケを払う覚悟はできているのだろうな……?」
そんな殊勝な覚悟などないが、ことの経緯は知らされている。
先日、グヴァネは俺が所属する『ルッフィランテ』を訪れ、本来お手伝い役として派遣しているメイドさんを売れと、懐から取り出した札束をカウンターに叩きつけた。
居合わせたメイドさんが無理やり金を受け取らされてしまったのだが、店に戻ったオーナーが激怒し、こうして俺達が金を返しに来たというわけだ。
「うちのオーナーはメイドを絶対に売らない主義だ。メイドの価値がわからない奴には、手伝い役として貸すのもお断りだけどな」
隣にいる赤茶色の髪のメイドさん――”トマト”と視線を交わす。
小柄で可愛らしい彼女は、こう見えて、幾度となく修羅場を潜り抜けている俺のパートナーだ。いつもの穏やかな表情を崩さず、パッチリとした目で黒服達を見据えている。
「グヴァネ、来るなら来い。それだけの戦力を引き連れて、捨て台詞を吐きに来たわけじゃないだろ」
「言われずとも甚振り殺してやるわ、自殺志願者め。メイ奴一体連れた程度でこの人数相手に勝てるはずがなかろう。……貧乏人に力の差を教えてやる」
グヴァネは不揃いな歯を見せつけるようにニタッと笑い、手近にいた数人の執事達に手を触れた。
『スキル』。メイドさんや執事から、“忠誠の誓い”を受けることで得られる特殊能力だ。
スキルは対象に触れることで付与できる。自分でスキルを纏って戦う貴族は少なく、従者に付与する貴族が多い。
グヴァネに触れられた執事達は、戦闘強化スキルを身にまとったのだろう。スキルは可視化されない為、付与したと見せかける戦術も多用されるが、グヴァネの嗜虐的な表情を見ればフェイクでないのは明らかだ。そもそも圧倒的な戦力を持ったグヴァネには、駆け引きの選択肢すらないのかもしれない。
「安心しろ。貴様を殺した後は、棺桶に入れ、花束を添え、貴様のオーナーに送り付けてやる」
「妙に丁寧だな……」
この世界の男達は誰もが自分を“紳士”だと思っているので、死体を山に埋めたり海に捨てたりはしない。
律儀と言うか、ズレてるというか…………まあそれはいいとして、
「トマト、執事達を任せる。例のアレで」
「はいっ! 久しぶりに”戦闘メイド”の出番ですね」
普段はお手伝い役のトマトだけど、俺のパートナーを務めるとき、彼女にも一つだけ戦う方法がある。
低い位置にある頭にそっと手を触れると、多少クセのある柔らかい赤毛は、ふわふわと綿のように指先を押し返した。
「貴様……メイ奴ごときを戦わせるつもりか……? 世間知らずの愚か者が。メイ奴と執事の差を教えてやろう」
「確かにメイドの身体能力は低い。けど、こういう戦い方もある」
体内の熱を手のひらに移すと、赤茶色の髪が熱を帯びた。
強化スキル二つ――――付与完了。
ホール内の執事達は一斉に飛びかかってきた。具体例を見せるには丁度いい。
大人数の執事に立ち向かうのは、二つのスキルを纏ったトマト。
『爆発』――体に触れた相手を弾く、攻防を兼ね備えたスキル。制限時間:五分間。
『操作』――使用者の脳内で動きをイメージすることによって、付与した相手の体を操ることができるスキル。制限時間:十五分間。
俺は操作によって生まれたもう一つの神経回路に接続し、トマトの体の主導権を譲り受ける。
意識を集中。
小柄な体を滑らかに前進させ、振り下ろされた執事の拳に素早く手を触れさせる。
――――爆発
トマトに触れた執事は、体を折るようにして大きく吹っ飛び、別の執事の腹へ頭から突っ込んだ。
やはり戦闘特化の執事ではないな。見せかけの人数を増やす為に接待係や給仕も混じった編成なのだろう。グヴァネの策が裏目に出たということだ。
他の執事達は異常事態に気付いたのか表情を引き締め、先ほどより勢いのある攻撃を繰り出す。
しかし、俺の操作するトマトは脱力し、緩やかな動きでその拳に触れていく。
――――爆発、爆発、爆発
触れただけで並の執事を戦闘不能にするというこの驚異的なスキルは、使用回数に制限がなく、代わりに制限時間が五分間。
極論を言えばこの間、トマトは棒立ちでもダメージを負わず、触れた者を弾き飛ばすことができる。
俺が操作している理由は、トマトのメイド服がダメージを負わないようにする為だ。
ホールの座席に足をかけたトマトは軽く跳ね、執事の頭に触れた風圧で加速。
着地と同時に踏み出した足で、別の座席へと飛び移る。
警戒した様子の執事達は一斉に飛び退いたが、一人だけ、大柄な執事がトマトの首筋を狙った。
操作を使っているとこんな場面がよくある。
執事は背後を取ったつもりかもしれないが、トマトの向いている方向は無関係だ。後方から眺めている俺の視野に収まっている限り、真正面からの攻撃と変わりない。
トマトは振り向くこともなく、完璧なタイミングでしゃがみ込み、執事の拳を交わしながら黒服の足に触れた。
――爆発
俺がトマトを操作しているもう一つの理由は、相手にトマトの”手だけ”を警戒させることだ。
本来ならトマトは全身で攻撃できるが、顔や胸などで攻撃させるのは酷い。それに、服を着ている部位で攻撃したら、スキルで服が破れる。そんな裏事情もあって手の攻撃のみ繰り出させていたのだが、こうすることで、相手は手を躱せば勝機があると思い込み、逃げることなく攻めてきてくれる。
トマトは左右から飛んできた攻撃にそれぞれの手で触れ、二人を撃退。
直後、斜めに前転し、ホールの通路へ場を移す。
上から降ってきた執事の足が彼女の頭部を狙うが、大袈裟なガードをする必要もなく、手を上に振りかざせばカウンターが決まる。
「ば、ば、馬鹿なっ…………」
執事の群れを無双していく一人のメイドさんを目の当たりにしたグヴァネは、肉厚な顎を揺らし、顔全体で驚愕を表現した。
「執事がメイ奴ごときに負けるだと……あり得んっ……! 貴様っ、貧乏人の分際で、執事のスキルをどこかで手に入れたなっ!」
「正真正銘メイドのスキルだ。メイドも執事も、忠誠心によってスキルの威力は変化する」
この世界の常識、けれど、俺が非常識まで飛躍させた事実を口にしながら、体内の熱に呼びかけ、新たなスキルを手のひらに発動する。これが"メイド愛"しか取り柄のない俺の存在価値。そして、メイドさんの存在価値の証明でもある。
「メイドのスキルが執事のそれに劣るなんてことはない。例えばこのスキルは“二秒間の速度上昇”」
振りかざした手を見たグヴァネは安堵を浮かべ、静かな息を吐き出した。
「所詮はメイ奴のスキル、たった二秒間か」
グヴァネは側近らしき執事に手を触れ、新たなスキルを付与した。
さきほど複数の執事に使ったスキルは単純な身体強化だったようだが、今回のスキルは本命だろう。曲がりなりにも大公だ。上等なSクラス執事から忠誠を誓われ、切り札となるスキルを得ているに違いない。
目の前の動きに集中。黒服の微かな揺れも見逃さないよう瞬きを控える。
直後。
上等な服を着た執事はホール内に爆音を響かせ、辛うじて目で追える一歩目を踏み出した。
その直線上にある座席が次々と吹っ飛び、一本のあぜ道が俺と執事の空間を繋ぐ。
眼前に迫るのは固く握られた拳。
この速度も遅くはない。おそらく体から生じたエネルギーを数倍に増幅させ、微弱な振動さえも衝撃に変えるスキルだろう。
あえて防御姿勢をとらず、スキルをセットした右手で自分の太ももに触れた。
――――加速
脳内で認識したのは、執事の大技によって生じた隙。
合計五か所。
俺が自身に付与したスキル――『加速』は、脳内のイメージを瞬時に実現することができる。
『隙がある』と認識したことで、俺の拳は、執事の上腕、脇、みぞおち、顎を撃ち抜き、最後に着地しようとしていた軸足を払った。
文字通り瞬殺。
コンマ数秒余った時間でグヴァネの位置を視認し、移動した。
想定したより使用したスキルは少ない。たとえ数倍の伏兵がいたとしても勝てるだろう。
不揃いな歯の男は、足の骨が抜けたようにズルズルと座り込むと、さきほどまでの威勢を失いガタガタと震え始めた。
ホールの壁際には戦闘不能になった強化済の執事、そして最後の執事を無表情で吹っ飛ばしたトマト。
「貴様、貴様は一体………………」
グヴァネの上等なズボンは、股間の辺りが一段と濃い色に変わり、その歪んだ円形がじわじわと広がっていた。
この実力差によって答えは出ているだろう。この世界で大公に勝る職業は一つしかない。
貴族階級の頂点、そのさらに上に属するたった一つの職業。
仕事を終えたトマトを振り向く。
無表情だった彼女に安堵の笑みが零れる。
俺は、この世界で”異質な職業”として選ばれた、世界一のメイド好き。
その職業は――――
「“ご主人様”だ」