僕らの色が変わるとき 第三話
初めて訪れた異国の地は見たこともないもので溢れていた。
歴史的に貴重な遺跡や博物館、図書館を巡り、多くの知識を得ることができた。
多文化な人々が訪れるだけあって、食べ物や観光地も充実しており、毎日リューイと遊び回った。
ある日の昼下がり。二人で入ったカフェで注文をすると、店員さんが声をかけてきた。
「双子さんですか?そっくりでお二人共かっこいいですね。」
それがお世辞には聞こえなかったので、二人は笑った。
「ありがとう。でも性格は正反対なんだよ。な、リューイ?」
「まあ、そうだな。」
「でもうらやましいです。仲が良いんですね。」
「当然だよ。」
エルマーは言った。
「リューイは僕の自慢の弟だからね。」
「明日だな。今のうちに荷物の準備をしておかないと。」
「そうだな。やっとアイリスのお土産が決まって良かったよ。」
そう言ってエルマーは一冊の本を手に取った。
絵を見ることが好きなアイリスは、屋敷ではいつも本を眺めていると言っていた。直接渡すことはできないが、めくりながら見せることはできる。たくさんの本の中、どれにしようか今まで悩んでいたが、最終的には海の絵が多く載っているものを選んだ。
明日、祖国に帰る。あっという間に一か月は過ぎた。
とても貴重で有意義な時間が過ごせて、エルマーは満足していた。
そしてこの一か月の間に、ある決意をしていた。
一人で悩んで、下した決断だ。
「なあ、リューイ。」
「なんだ?お前も自分の荷物まとめておけよ。前みたいにやってやらないぞ。」
「お前になら、いいよ。譲っても。」
「ん?何をだ?」
そこでやっとリューイはエルマーの方を振り向いた。首を傾げエルマーの言葉を待っている。
「さあね。帰ってからのお楽しみ。僕も服まとめておかなきゃ。」
「?変な奴だな。」
対して気にする風もなく、二人は並んで荷造りを進めていった。
アイリス、好きだ。大好きだよ。
この気持ちに偽りはない。神にだって誰に誓ったっていい。
10年前に初めて君と会って、その真っ直ぐに自分を見る瞳が好きで、たわいもない話に笑ってくれて。
君の淀みのない笑顔が好きだったんだ。
でもね、幸か不幸か、僕は昔から人の感情を読むのに敏くてね。リューイ程分かりやすくはないけど、人の表情を見たらいろんなことが分かってしまうんだ。
いつしか、その笑顔に僅かな翳りができたことにもすぐ気付いたよ。その理由もね。
君は自由を望んでいた。そしてそれを叶えてくれる人を求めていたんだ。
それに気付いた時、僕にはそれができないとすぐに思った。
僕には夢がある。大切な友達がいる。両親がいる。そしてリューイがいる。生まれ育ったこの国も僕は大好きだ。
それらを全て捨てて君を選ぶことが、僕にはきっとできない。
僕は大切なものと君を天秤にかけてしまったんだ。
それは大きく揺れることなく、悩んでしまった時点で、君の方が上にあったんだ。
『残ろうか、俺。』
そんな言葉、僕にはきっと言えなかった。
あの瞬間、僕はリューイに負けてしまっていたんだよ、きっと。
「なんだか怖いなあ。落ちたりしないか。」
「変なところで心配性だな、リューイは。」
小さな渓谷で両脇を挟まれた道を、馬車は進んでいた。前には目を瞑った両親が座っている。
二人は仕事だったので、気が休まる時間がなく疲れたのだろう。
国に戻ったら、リューイにすべてを話そう。そして満月の夜、二人でアイリスの元に行こう。
リューイに緑の色を返すんだ。
エルマーはそう決めていた。
「そうだエルマー、昨日の話だけど、あれってどういう…。」
リューイがそう口を開いた瞬間だった。
突如、耳に馬が大きな咆哮を上げる音が入ってきた。
何事かと思ったその時、視界が大きく傾いた。
「う……。」
頭が重い。体が動かない。そして、ひどく寒い。
何が起きたか理解できずに、エルマーは茫然とする。そして崖の上でエルマー達が乗っていた馬車が横倒しになっているのを見つける。
あぁ、落ちたのか。
意外と冷静に物事を把握することができた。すると先程頭を襲った大きな衝撃を思い出し、やっと自分の状況を理解する。
耳元で、砂を勢いよく蹴る音が近づいてくる。そちらに振り向こうとしたがうまくいかなかった。
「エルマー!おい、しっかりしろ!」
あぁ、リューイ。お前は無事だったのか。よかったよ。
「エルマー、しっかりするんだ!おい、俺の声が聞こえるか、エルマー!」
聞こえてるよ、大丈夫。聞こえてるってば。でも声がうまく出せないや。困ったな。
「お前は帰るんだろ!?約束したんだろ!?」
僕、死ぬんだろうな。お前の慌てようをみたら分かるよ。
「お前を待ってる人がいるんだろ!?エルマー!」
その瞬間、エルマーは目を見開く。
そうだ。言わなくちゃ。これだけは。
アイリスを。
エルマーは懸命に力を振り絞り、言葉を紡ぐ。それは確かにリューイに届いたようだった。
「エルマー?何を言ってるんだ!そんなこと…。」
「アィ………を…た、の……。」
アイリスを、頼む。
「諦めるな!もうすぐ人が来る。お前はこれからも生きるんだよ!」
やっぱりお前は馬鹿だなあ。この高さから落ちて意識があるのが奇跡なのに、もう手遅れだよ。
「…駄目なんだ、俺じゃあ。アイリスが待っているのは、俺じゃなくてお前なんだよ、エルマー!」
あぁ、リューイ。君は。
君は本当に馬鹿だなあ。
エルマーは小さく首を振る。それがリューイには何を意味しているか分からなかった。
「…何を…。」
僕はね、リューイ。
君なら、アイリスの願いを叶えられると思うんだ。
君は僕とは違う。アイリスの為に、何かを犠牲にすることも厭わないだろう。
君には僕にはできない覚悟があったんだ。
一度だけ会った少女の事をずっと想いつづけるなんて、僕にはきっとできなかっただろう。
僕はアイリスに夢を見させてあげることはできても、叶えることはできない。
アイリスが待っているのは、君なんだよリューイ。君ならアイリスの願いを叶えてやれる。
だから、僕は身を引こうと思ったんだ。きっとすごい辛いことだけど、僕にはもう何もできない。
アイリスを絶望させるだけだから。だから、リューイに譲るつもりだったんだよ?
そんなに泣きそうな顔をするなよ。僕は幸せだった。
夢を追いかけている時間はとても楽しかったし、笑顔が絶えない毎日を送ることができた。
僕は君がいて幸せだったんだ、リューイ。
唯一、僕をエルマーと呼んでくれる君が、本当に大好きだったよ。
空に右手をかざす。エルマーのキャスケットによく似た、鮮やかな青色。
この空を、アイリスにも見せてあげたい。そう思うと、自然と涙がこぼれた。
「ア、イリ…ス…。」
あぁ、なんだか眠いなあ。僕はそろそろ寝ることにするよ。
お休みリューイ、アイリス。
腕が頼りなく地面に落ちるが、僅かに残った力でエルマーはリューイの服の袖を掴む。
「…エルマー?おい…。」
返答はない。リューイはエルマーの肩を揺らし、枯れた声を谷底に響かせ続けた。
僕は二人を空から見守ることにするよ。
アイリスが好きだった、虹になって現れるかもしれない。
時には雨になって二人を困らすかもしれない。
小鳥になって、心地よい鳴き声を耳に響かせるかもしれない。
けどどんな形であれ、僕は君たちのそばにいることを約束するよ。
僕はエルマー・ランス。約束は絶対に守るんだから。
執筆了