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君の世界と僕の声

夜、暗くなって月明かりしか見えなくなっていてもいい。

君がそばにいてくれれば、ぼくはそれでいい。

だから、僕の傍にいてくれないだろうか。


BEN.E.KING

 毎晩、布団の上で握る携帯電話の重みが日に日に増している気がする。

 高校入学時に買ってもらい、今年で二年目の付き合いだというのに、風呂上がりで火照った指先はキーパットに反発力すら感じる。ようやくメール本文の編集画面に切り替えて、二、三行をスペースキーで開けると、また指先がこわばり始める。

 そして決まって僕は、顎を乗せた枕に顔を埋めて、地団太を踏むように埋めた顔を激しく左右させるのだ。何書いたらいいんだ。キザっぽく? 真面目な感じで? ちょっとチャラめに? それとも……。

 最初の五、六文字を打っては消す作業で、既にメール本文を打ち始めようと心に決めてから三十分は経っている。これでもう何日目なのか、僕自身の記憶もあいまいになりつつある。ほとんど勢いに身を任せてアドレスを交換することになった後、メールのやり取りすらないというのはあまりにもおかしいのではあるが、後ろめたさよりも恥ずかしさの方が強く記憶の中を浮き彫りにする。

 結局僕は携帯を折り畳み、枕の横に放り投げて等身大の抱き枕に抱きついた。洗い立てのシーツの清涼感のある香りが、僕の強張った心臓の高鳴りを徐々に抑えてくれる。カーテンが微かに揺らめくほどに深いため息をつき、僕は天井を仰いだ。現実って、あまりうまくいくものじゃない。

 ジャニーズ系の俳優が恋愛ドラマで女性の手を取って徐に口を奪ったり、背中から何気なく体を覆い伏せて優しく抱きしめるなんていうすべての恋愛描写が、幻想のものに感じつつあった。もちろん今の僕はそれ以前の問題であるし、好きになってしまった女の子にメールの一つすら打てない。

 ため息はいつしか僕に微睡みを運び込んできて、僕はそのまま毎日決まって眠りに落ちていく。明日こそは、という確証のないちっぽけな勇気を呟きながら。


 水倉佳苗と最初に話すきっかけになったのは、単なる偶然から始まった。

 高校二年の初めに都会の方から転校してきた彼女は酷く内気な子で、クラスの面子と付き合い始めるのに時間を要した。新しいクラスで最初の席替えの時、彼女とは隣の席になり、何を思ったのか僕は彼女と会話を重ねてみようと決心したのだ。一つはもちろん、彼女をもっとクラスになじんでもらいたかったため。もう一つは、単純にその時から僕は彼女に淡い恋心を抱いていたためだ。

 少し長い前髪の奥に見える黒蜜を落としたような瞳と、少しだけふんわりした短い髪からは、いつも柔らかい花の香りがした。長いことテレビを見ても、きれいだと思ったり可愛いと思ったりした女優やテレビタレントが存在しなかったけれど、彼女は初めて可愛いと思える感情を抱くようになった。それはもう、どんなに恥ずかしい言葉を山積してもいいくらいに。

 最初は何気なく授業で分からないところを訊く程度に。慣れてき始めたら、朝の挨拶を交わし(だから毎朝彼女に声をかけるだけで薄い汗が立った)、軽い談笑を交えるように。実際、それだけでかなりの歳月を要すようになり、平常心で彼女と話せるようになったころにはもう夏の風がどこか遠くの国に過ぎ去ってしまっていた。

 そして世間的にハロウィンが終わり、学園祭の熱気がひと段落ついた頃に、僕は一念発起して彼女にメールアドレスを聞いた。彼女も人付き合いが上手なほうではなかったけれど、僕には何度か会話を交わしてくれるようになっていたし、無謀ではあったかもしれないけれど欲求の方が先行した。

 そして今に至るのだが、一向に彼女へのメールの文面が思いつかず、手にしたアドレスが早くも持ち腐れた結果になっている。それを話すと、鈴村は爆笑して、僕の背をばんばんと叩いた。

「お前ピュアすぎるんだよ! むしろ水倉みたいな女子はぐいぐい行った方が落とせるぜ絶対」

 サッカーの練習で薄焦げた肌を光らせた鈴村は、目尻に涙粒を浮かべる。

「まあでも水倉も絶対お前に気があるよ。お前ら早く付き合っちまえよ、じれったいったらありゃしない」

「いや、いや、いや、そんなことないって! 時々話しかけても反応無いことあるし、むしろ鈴村と話してる時の方が落ち着いてる感じするし」

「だからだろ、緊張してるんだよ水倉もさ。お前らそっくりなんだよ、性格とか妙に照れやすいところか」

 自覚は無かったけれど、後から鈴村に聞いた話そのときの僕は耳の先まで赤らめていたらしく、当時の感情が丸見えだったという。正直言えば、薄々は察していた。僕が彼女に恋をしているのと同時に、彼女も僕を、少しだけ想っているような感じに。

 自惚れているわけではないのだけれど、あまり僕はそれを許容できなかった。もちろん嬉しさはあったのだけれど、内面を見れば見るほど自分の駄目な点ばかりが見えてきたし、僕が彼女にふさわしいと思えなかったから。スポーツが出来て、より社交的な鈴村の方がずっと彼女にはふさわしく感じるときすらあった。

 一日の授業が終わり、スクールバッグに教科書の類を詰めていると、水倉が僕の顔を覗いてきて、えくぼを作った。少しだけ彼女の表情に緊張を覚えると、徐に彼女はこう言う。

「……綾川くん、放課後って用事あったりする?」

「……んと、一応は」

 彼女の声音を一句一句聴き取っているせいか、僕の言葉はいつもよりもワンテンポ遅れて低く響く。

「よかった、ね、ねえ、その……途中まで、一緒に帰らない?」

 スタッカートしているような彼女の声に一瞬だけ驚きを見せつつ、僕は表情の変化をなんとか抑えて相槌を打つ。学校指定のカバンの取っ手を両手で持ち据える彼女は、仄かな笑顔を見せて教室を後にする僕の背中を追った。

 昇降口の靴箱の前で、背中合わせに革靴を取ろうとする僕の手は、機微に震えていた。自然な会話で終わらせたけれど、実際は彼女と途中までとはいえ帰宅するのは初めてだし、なにより彼女から声をかけてきたことへの驚きは隠せていない。メールアドレスのことなのだろうかと思索しつつ、僕は靴を履き終えた彼女の声に呼ばれて昇降口を後にする。

 校門まで続く、銀杏並木は葉を金色に変えていて、遠くに見える桜の木はすっかり梢を裸にしていた。時折口元に吹き込む風に、季節の変わり目を感じる。校門までの彼女と並んで歩く五十メートルはあまりにも長くて、ブレザーの袖から見える彼女の指先も、寒さを感じているみたいだった。

 僕らの通う学校の周りは、喫茶店だったりカラオケだったりと、華やかなものは何もない片田舎にある。等間隔に埋められた欅に並走する歩道を、しばらく無言で通った。なんだか変に意識してしまって、いつもなら出るはずの言葉も出なかった。世間話を出そうとして彼女の顔や唇の先に視線を移すと、余計に何か胸の中に重いものが乗っかるような気がして、いつまでたっても進展しない。

 校門から最初の信号に突き当たったところで、僕らは歩みを止めた。止まっていた軽トラックや乗用車が僕らの前を通り過ぎたあたりで、僕は半ば投げやりな口調で彼女に言う。

「あ、あのさ」

 乾いた道の遠くに通り抜けていくような言葉に、僕の顎ほどの背丈しかない水倉は顎をあげる。

「……メールできなくてごめん」

 トーンを下げながら言う僕の声に耳を傾けてくる。学ランを通す腕に、彼女の微かな温度を感じた。

「う、ううん、気にしなくて大丈夫だよ。わたしも……というか、わたしからすればいいんだし」

「いやっ、こういうのは男からやるべきだし、聞いたのは俺だからさ、やっぱり俺からするべきだと思うんだ」

「……そんなものなの?」

 彼女は僕の瞳を覗き込むように問う。乾燥した空気を隔てる彼女の瞳がやけに澄んで見えて、思わず目を逸らしそうになる。

「……そんなもんだよ」

「そうなんだ、ふふっ」

 彼女は口元に指を当てて微笑んだ。

「でも、私もさ」彼女は一瞬だけ言葉に躊躇したみたいだった。「……私から聞いてたらきっと、そう思うかもしれないな」

「そんなもんなの?」

「そんなもん……って、さっきと一緒じゃない」

 そうか、と僕が返すと彼女は自然な笑い声を上げて、僕に向けてくる。何気ない、馬鹿げた話がやけに楽しくて、僕まで笑いながら返してしまった。不思議な気持ちだった。踏み出すまでの道のりは長いのに、踏み出せば近い存在に感じる。そうやって感じることが出来る彼女の声も、潤った瞳も、少しずつ変わる表情も。何もかもが近くに感じて、ずっと永遠のものに感じる気がする。

「ところでさ、珍しくない? 水倉が誘うってのも」

「えっ、そうかな……。だって」

 青に変わった歩道を渡り、右折したところで彼女は口元にとどめていくように言葉を続けた。俯きながら唱えるように言う言葉に、僕は耳を彼女の口元に近づける。

「え? 聞こえない」

「な、なんでもない! 綾川くんとあんまり学校で話さなかったから!」

 彼女は頬を赤らめて、僕の肩を押しやった。なんだよ、気になるじゃん、と言っても、教えない! と一点張りしたまま僕は彼女の影を踏むように歩いた。僕はそうして、彼女の性格を少しずつ知り、少しずつ彼女と言葉を交わしていった。帰路までの道が伸びて、星が照らし始める時間が長くなることを願いながら。


 風呂上がりに僕は再び携帯電話とにらみ合うことになった。彼女のアドレスを選び、編集画面に移行してキーを走らせる。

 やっぱりどうしても意識して、何を打ち出せばいいかわからない。指先一本一本に、小型のバーベルが絡みついたみたいな、そんな比喩すら思い浮かぶ。とりあえず僕は、帰り道の彼女の言葉を再考しながら、液晶パネルに釘付けになった。

 聞いたのは俺だから、俺からしなくちゃさ。

 そういうものなの?

 そういうものだよ。

 反芻する言葉に微妙な後悔を覚えつつ、僕は意を決してキーパットを叩き始める。熱を帯びた指先で、トラックを駆け抜けるように打つ指先は、僕の言葉を代弁する。

 何度も僕は出来上がった三十文字程度の短い文面を何度も読み返して、震える指先で送信ボタンを押した。深いため息をつくと、僕は携帯を両手で握りしめながら布団に顔を押し付けて意味もなく悶えた。これでいいのか、文字に間違いはないか、変なこと言ってないか……反芻するたびに体を揺らし続けていると、バイブ音とともにメールが届いて、条件反射で思わず正座の構えを取ってしまう。震える指先で受信メールを確認し、新着トレイにカーソルを移した。


 委員会で遅れると言った彼女を待つために、僕は校門の前にいた。途中、昨日一度だけ交わしたメールの会話を思い出して、僕は思わず空に落書きするように呟く。

 また、一緒に帰りたいな。うん、わたしも。

 嬉しいのに恥ずかしくて、けれどやっぱり嬉しい言葉に、僕はどこか心を弾ませていた。あの言葉を彼女がどう捉えたのか、僕にはわからないけれど、きっと悪いようには思っていないと、その認識を取れただけでも十分だったのかもしれない。

 そうして物思いにふけっていると、小走りした水倉が僕の名前を呼んだ。少し待った

? 大丈夫、なんてありふれた会話を交わすと、また僕らは昨日と同じ帰路に立ち、並んでまたもどかしい空気に身を寄せる。

 しばらく歩いたところで、僕は彼女の肩にかかった金色の葉を払った。華奢な肩幅は、ブレザー越しにも温かく感じて、もっと触れていたい、なんて邪な考えすら抱いてしまう。

「……なんか、ついてた?」

 彼女は首をかしげて僕に問いかける。

「うん、銀杏の葉っぱが」

「なんか、綾川くんの指が触れたの初めてかもね」

 どういう意味だそれ、と苦笑を返すと、彼女は両手に息を吹きかけて、身を少しだけ丸める。

「寒いね」

「もう冬だから」

「綾川くんもやっぱり、寒いとか感じるんだ」

「どういう意味だよ、それ」

「だって、なんだか鈍そうな顔してるんだもん」

「水倉だって人のこと言えないぞ」

「酷いよそれ」

「はは、冗談だって」

「うん……ね、手つないでもいいかな?」

 え、という言葉を返そうとしたとき、彼女は僕の手を弱弱しく掴んで、指を絡めた。微かな熱を帯びた彼女の手が、僕の手を包み込むという状況を把握するのに僕は時間を要してしまって、最初は彼女の微笑みの意図を感じることが出来なかった。嬉しさより驚きが先行して、だけれど結局は恥ずかしさが勝り、彼女の顔を見ることが難しくなり始める。

「……意外と、大胆だね」

 絞り出した言葉が微かに震える。

「綾川くんといると、なんだか落ち着くから」

 俺も、と返そうとしたところで、口ごもり、目を細める彼女をしばらく見つめて、小さく口ずさむ。彼女は怪訝な表情を僕に見せて、僕に小さな耳を傾けた。

「ねえ、何か言った?」

「何も」

「うそ、言ったよ」

「どうだろうね」

 そうしてまた僕らは笑いあい、僕は絡み合った手を少しだけ強く握った。彼女から伝わる体温はいつしか僕の方に浸透してきて、風の音が僕らをつなぐ心音のリズムに同調している気さえした。僕らはそうして別れるまで、ただ手をつなぎながら歩き、やがて肩を縮めあう。そうして、僕は新しく彼女の温度を知り、僕も彼女への想いを改めて実感することになった。

 冬の前に知った新しい温度は、やがて僕らの中に溶けあって時間の中に霧散していく。僕らの声はその後で、巡っていく季節の中に浸透して、時間に変わって僕らの世界に染み渡っていった。

お久しぶりです。

すごく久々に書いた気がします。

かなり鈍った気がする……。

読了、ありがとうございました。

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