光と影29
「あなたは、まだ死んでいません」
「君は」
クロフは差し出された手をつかみ、ゆっくりと立ち上がった。
「戻りましょう。地上に」
女はクロフの手をつかんだまま、列とは反対の方向へ歩いていく。
「あなたは」
クロフは手を引かれながら、懐かしい気持ちに包まれた。
白い女を以前から知っているようにも思え、全く知らない人のようにも思える。
手から伝わってくる温かさは、彼女が生きた存在であることを物語っていた。
女の進む先、黒い丘の向こうに、いつしか白い光が差し込み始めた。
気が付けば、手を引いていた女の姿は消え、その手の感触だけ残っている。
溢れんばかりの白い光に、クロフはゆっくりと目を閉じた。
はじめクロフは暗闇の中にいた。
それは凍えるような孤独の闇ではなく、寝入る前のような安らかな闇だった。
体の節々が痛み、頭はぼんやりとしている。
クロフはまどろむような心地で、人々のざわめきを聞いていた。
薄く光の揺れる先には、見知った人々の姿が見える。
いつも神殿でクロフの世話をしてくれた女神官、幼なじみのロキウス、心配顔のフィエルナ姫。
クロフは彼らの喜びに溢れる顔を見て安心した。
そして視界の端にはディリーアの姿を認め、胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。
クロフはディリーアに向けて口を開いたが、そこから漏れたのは風にも近い乾いた音だけだった。
クロフが腕を上げようとする前に、ディリーアの姿が視界からかき消えた。
「お父様、その方をどうしようというのです? その方は魔女とは言えど、クロフ様の命を助けてくださったのですよ?」
フィエルナ姫の厳しい声が部屋に響く。
クロフはフィエルナ姫の肩越しに、ディリーアが床の上に兵士達の手で押さえ込まれているのを見た。
「どうしようも何も、元々こやつは多くの者達を殺し、国民達を長い間苦しめた森の魔女ではないか。いくらこの男の命を助けたからと言って、罪が軽くなるわけではない。死んだ人々が生き返るわけでもない。罪は罪だ」
「それは」
フィエルナ姫は口ごもった。
「その女を牢に連れて行け」
ディリーアは抵抗をする様子も見せず、両腕を兵士に固められ、クロフに背を向ける。
女神官もロキウスも、暗い表情のまま黙り込んでいる。
「待て」
クロフはかろうじて声を発したが、のどからは蚊の鳴くほどのささやきしか出てこない。
クロフの視界の端で、ディリーアの小さな背中が闇に消えていった。