光と影22
奴隷達の脱走に気が付いた地主は、またたくまに村人を集め、番犬を野に放った。
逃げ出した奴隷のうち、ある者は番犬にかみ殺され、ある者は村人に捕まり殴り殺された。
彼女は兄に手を引かれ、深い森の中に逃げ込んだ。
暗い森の中を月明かりを頼りに走り続ける。
時々、木の根や岩に足を取られながら、二人は懸命に走った。
しかし背後から番犬や村人の足音が遠ざかる気配は無い。
執拗な追跡は続けられ、ついに二人は湖の岸辺に追いつめられてしまった。
番犬がうなり声を上げ、槍を持った村人達が周りを取り囲む。
番犬の一匹が飛びかかり、兄の腕にかみついた。
「お兄ちゃん!」
彼女は兄に駆け寄り、足元でうなり声を上げる番犬をにらむ。
獰猛な番犬は尾っぽを丸め、耳を垂らし後ずさった。
それでも村人達はひるまなかった。
「逃げろ」
腕に怪我をした兄が彼女をかばうように、村人達の前に立ちはだかった。
「早く逃げろ」
兄にもう片方の手で突き飛ばされ、彼女は岸辺の岩の上から湖に転げ落ちた。
水しぶき越しに見えた兄の体には、村人達の剣や槍が何本も突き刺さっている。
彼女が悲鳴を上げる間もなく、兄の体は力なく岩の上に崩れ落ちた。
赤い血が岩を伝い、彼女のいる湖まで流れ込んでくる。
倒れた兄が、こちらを見て何事かつぶやいた。
しかし村人のとどめの一突きによってそれは遮られた。
岩の上に横たわる兄の体。
止めどなく湖に流れ込む赤い血。
湖の形に添って丸く開かれた夜空には、青白い月が煌々と輝いている。
村人達が岸辺から湖の中に降りてくる。
不意に湖面を渡る風が森の木々を揺らし、その葉がざわざわと音を立てた。
彼女は木々のざわめきのなかに、ある言葉を聞き取った。
「逃げてください。逃げてください」
その声は一つではなく、風が木々の葉を揺らすたびに大きくなっていく。
「逃げてください。逃げてください。水の女神。あなたの心が憎しみに染まっては、雨は降らず、小川は出来ず、ついには湖さえも濁ってしまいます」
木々のざわめきを聞いているうちに、彼女はかつて水の女神であった頃のことを思い出してきた。