第44話 計算外の放課後
アニメ同好会が、いよいよ動き出す。
ノアールの居場所として始めた場所は、思ったよりにぎやかで、少し自由だった。
ルミエールにとっても、それは初めての放課後だった。
朝。
ルミエールが廊下へ出ると、猫部屋の扉が少しだけ開いていた。
中を覗くと、ノアールがルナの前にしゃがんでいる。
「おはよう、ルナ」
ルナは、じっとノアールを見た。
けれど、すぐに顔をそらす。
ノアールは少しだけ肩を落としたが、それでも餌と水を用意し、トイレを確認していた。
ルミエールは、声をかける前に少しだけ見守る。
昨日、猫を飼う責任について少し厳しく言った。
けれど、ノアールは逃げていない。
ちゃんと、自分でやろうとしている。
「ノアール、おはよう」
声をかけると、ノアールは振り向いた。
「おはよう、ルミエール」
「早いのね」
「うん。ルナに、少しでも慣れてほしくて」
ルナは餌を食べ終えると、小さく鳴いた。
ノアールの表情が、少し明るくなる。
「……今、返事してくれた?」
「そうかもしれないわね」
ルミエールが微笑むと、ノアールはほっとしたようにルナを見た。
今日は、アニメ同好会を開く日。
前夜に考えたことを、実際に動かす日でもある。
けれど、ルミエールはそのことを口には出さなかった。
まずは学校へ行く。
それだけでいい。
学校での時間は、いつも通りに過ぎていった。
授業。
昼休み。
短い会話。
ノアールはまだ完全に慣れてはいない。
それでも、前よりも席に座る姿が少しだけ自然になっている。
放課後。
ルミエールは部室の鍵を持って、ノアールと並んで廊下を歩いていた。
「今日は、本当にやるの?」
ノアールが小さく聞く。
「ええ」
「私、うまくできるかな」
「全部一人でしなくていいわ。部長として、最初に少し話せれば十分よ」
ノアールは、鞄の持ち手を握った。
「……少しだけなら」
「それでいいの」
部室の前に着く。
ルミエールが鍵を差し込もうとした時、廊下の向こうから明るい声が響いた。
「お待たせー!」
ソレイユだった。
隣には悠斗。
少し後ろから、桐谷君も歩いてくる。
ソレイユは楽しそうで、悠斗も穏やかな顔をしていた。
桐谷君は、部室の方を興味深そうに見ている。
「今日、部室開けるんですよね?」
桐谷君が軽く聞いた。
「ええ。来てくれてありがとう」
「昨日言ってたし。どんな感じか気になって」
悠斗が少し苦笑する。
「聖斗、先輩にはもう少し丁寧に話せよ」
「話してるって。ちゃんと」
「どこが」
ソレイユが楽しそうに笑った。
その空気に、ノアールは少し驚いたようだった。
でも、怖がってはいない。
ルミエールは鍵を回す。
「では、開けるわね」
カチャリ、と音がして、部室の扉が開いた。
中には、机と椅子。
作業用のパソコン。
スケッチブックや画材。
まだ何も始まっていない部屋。
けれど、これから何かを置いていける場所だった。
「ここが、アニメ同好会の部屋よ」
ルミエールは短く説明する。
「今日は、それぞれが作りたいものを話してみましょう」
ソレイユがすぐに手を挙げた。
「私は恋愛アニメ!」
悠斗が少し照れた顔をする。
「早いな」
「だって、今すごく作りたいんだもん」
桐谷君は椅子に座る前に、部屋のパソコンを見ていた。
「アニメって、観るだけじゃなくて作る方もやるんだ?」
「そのつもりよ」
ルミエールが答える。
「絵でも、脚本でも、音楽でも、動画でも。できるところから始めればいいわ」
「へえ。自由でいいじゃん」
桐谷君は楽しそうに言う。
「俺はヒーローものかな。変身とか、ロボットとか、そういうの好き」
悠斗はソレイユの隣に座りながら、穏やかに言った。
「俺は、何ができるかまだ分からないけど、手伝えることがあればやります」
「悠斗は器用そうだから、動画とかできそう」
ソレイユが言う。
「まだ何もしてないのに?」
「できるよ、きっと」
二人の会話は、自然に近い。
ルミエールはそれを見ながら、すぐにノアールへ視線を戻した。
ノアールは、スケッチブックを前にして固まっている。
人が増えたことで、少し圧倒されているようだった。
ルミエールが全部進めれば、話は早い。
でも、それではノアールの場所にならない。
「ノアール」
「……うん」
「作ってみたいもの、ある?」
部室が少し静かになった。
ノアールはペンを握ったまま、しばらく黙っていた。
それから、消えそうな声で言う。
「……黒猫のアニメを作りたいな」
ルミエールは、何も足さなかった。
その言葉を、そのまま部室に置く。
桐谷君がすぐに反応した。
「いいじゃん。黒猫が主人公?」
ノアールが顔を上げる。
「……うん。たぶん」
「魔法使うやつ? 夜の街を走るとか、かっこよくない?」
「夜の街……」
ノアールの目が少し動いた。
「あと、黒猫ってさ、ただ可愛いだけじゃなくて、ちょっとミステリアスじゃん」
「それ、いい!」
ソレイユが身を乗り出す。
「恋愛要素も入れようよ。黒猫が恋を応援するの」
「何でも恋愛にするなよ」
悠斗が笑う。
「いいじゃん。今の私は恋愛脳なの」
「自覚あるんだ」
部室に笑いが広がった。
ノアールは驚いていた。
けれど、スケッチブックの端に、小さく黒猫の耳を描き始める。
丸い目。
細いしっぽ。
少し不機嫌そうな顔。
ルナに似ていた。
「それ、可愛いじゃん」
桐谷君が覗き込む。
ノアールは少し慌てた。
「ま、まだ全然……」
「いや、最初はそれでよくない? ここから主人公っぽくすればいいし」
ソレイユも覗き込む。
「名前は?」
「……まだ、決めてない」
「じゃあ仮で黒猫ちゃん」
「そのまますぎるだろ」
悠斗が苦笑する。
笑い声。
ペンの音。
椅子を引く音。
空っぽだった部室が、少しずつ動き出していく。
しばらくすると、みんなそれぞれの作業に入った。
ソレイユは、スケッチブックを胸元に寄せるようにして、夢中で何かを描いている。
悠斗はパソコンを開き、何か作れないか試している。
桐谷君は「研究、研究」と言いながら、アニメを再生していた。
ノアールは、小さな黒猫を何度も描き直している。
ルミエールは、自分のノートにキャラクターデザインを描きながら、部室全体を見ていた。
最初は、少し心配だった。
ノアールがこの賑やかさに疲れないか。
ソレイユが悠斗に夢中になりすぎないか。
けれど、今のところは悪くない。
みんな、自分の前にあるものへ向かっている。
ルミエールは、ふと未来の科学部を思い出した。
未来のルミエールの日常は、予定表で埋まっていた。
勉強。
部活。
研究。
ピアノ。
バレエ。
ピアノとバレエは、ママから習っていた。
部活後はすぐ帰宅し、夕食のあとにオンラインで部員たちとミーティング。
研究の進み具合を確認して、次の予定を決める。
あの場所も好きだった。
でも、ここは違う。
もっとゆるくて、少し騒がしくて、思いつきで動いていく。
それでも、ノアールにはこのくらいの方がいいのかもしれない。
完璧に整った場所より、失敗しても笑える場所。
ルミエールは、ノアールのスケッチブックに描かれた小さな黒猫を見た。
(初日は、順調ね)
そう思って、また自分のノートに視線を戻した。
帰る時間になるころ、桐谷君が軽く手を上げた。
「なあ、帰りになんか食って帰らない?」
ノアールが一瞬、動きを止める。
「……でも、ルナの世話が」
「少しだけなら大丈夫よ」
ルミエールはスマホを取り出した。
執事へ、帰りが少し遅くなることと、ルナとブランの様子を見ておいてほしいことを短く送る。
すぐに返事が来た。
『承知いたしました。ルナ様もブラン様も落ち着いています』
「大丈夫。少しだけ寄って帰りましょう」
ノアールは、迷ったあと、小さく頷いた。
「……行ってみたい」
駅前のファミレスに入ると、ソレイユはすぐにメニューを開いた。
桐谷君はドリンクバーの方を見て、楽しそうに立ち上がる。
悠斗はソレイユの隣に座り、ノアールは少し戸惑いながら椅子に腰を下ろした。
ルミエールにとって、放課後に友達と寄り道するのは初めてだった。
未来では、勉強、部活、研究、ピアノ、バレエで毎日予定が詰まっていた。
部活後はすぐ帰宅し、夜はオンラインで部員たちとミーティング。
友達とファミレスで過ごす時間は、ルミエールにはなかった。
(この時代の子たちは、放課後にこうして過ごすのね)
ルミエールは、少し新鮮な気持ちでメニューを開いた。
「ルミエール、何飲む?」
ソレイユに聞かれて、ルミエールは小さく笑う。
「そうね。せっかくだから、みんなと同じものにするわ」
ドリンクを持って席に戻ると、ソレイユがグラスを掲げた。
「アニメ同好会、結成記念に――」
「かんぱーい!」
グラスが軽く触れ合う。
ノアールは少し驚いたあと、ふっと笑った。
ルミエールは、その笑顔を見て、静かにグラスを持ち上げた。
部室で生まれた小さな黒猫。
ファミレスの明るい灯り。
他愛ない会話。
計算外の放課後は、思ったより温かかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、アニメ同好会が動き出し、みんなでファミレスへ寄る回でした。
ルミエールにとっても、友達と放課後に寄り道するのは初めての経験です。




