第4話 教室の外へ押し出されるように
高校に入ってからのノアールの変化に触れる回です。
保管室の白い灯りは静かなままだった。
けれどルミエールには、さっきまでより少し息苦しく感じられた。
閉じたアルバムの上に、ブランシュの手が置かれている。
ルミエールはその手元を見つめながら、小さく訊いた。
「高校に入ってから……何があったの」
ブランシュは少し考えるように視線を落としてから、静かに口を開いた。
「目に見えて変わったのは、学校での様子よ」
その一言で、保管室の空気が少し張る。
「ノアールは、人前で輝ける子だったわ。子どもの頃は明るくて、友達もいたの。でも、高校に入ってからは、それまでみたいに人の輪にいられなくなっていった」
ルミエールは黙ってその言葉を受け止めた。
写真の中のノアールは、ちゃんと笑っていた。
誰かの隣で、自然にそこにいたはずだった。
「どう違ったの?」
「ひとりでいることが増えたの。話しかけてもらえない日が増えて、グループを作るような場面では最後まで残ることもあったみたい」
ルミエールは小さく息をのんだ。
「お昼休みも、教室にいづらくなっていたそうよ。図書室に行ったり、保健室にいたり……そういうことが増えていったわ」
「それだけじゃ、なかったの?」
ブランシュはゆっくり頷いた。
「ええ。ノアールの調子が悪い日には、妙なことが重なるようになったの」
「妙なこと?」
「照明がちらついたり、急に空気が重くなったり。私たちには前から見えていた黒い影が、その頃になると、学校でも見たと言う子が少しずつ出てきたのよ」
ルミエールは顔を上げた。
「ほんとうに見えてたの……?」
「どう受け取るかは人それぞれだったと思うわ。見間違いだと言う子もいたでしょうし、誰もはっきり口にはしなかった。でも、気味の悪いものを見たみたいな顔をされることが増えたの」
ブランシュの声は静かだった。
「それに、近くで雷が落ちたり、急に空が荒れたりすることもあったわ。大きな雹が降った日もあった。全部がノアールのせいだったとは言えない。でも、あまりに重なりすぎていたの」
ルミエールは閉じたアルバムを見つめた。
ただ学校でうまくいかなかった、というだけではない。
説明のつかないことまで重なって、ノアールは少しずつ教室の外へ押し出されていったのだ。
「そんなふうになって……ノアールは、どうしてたの」
「無理をしていたわ」
ブランシュは迷わず答えた。
「平気な顔をして学校へ行こうとしていた日もあったし、何もなかったみたいに振る舞おうとしていた日もあった。でも、だんだんそれができなくなっていったの」
「その時、ママはどうしてたの?」
「気にかけていたわ。ずっと」
ブランシュの声が少しやわらぐ。
「でも、ショコラは優しい分だけ、まっすぐ行きすぎるところがあったの。助けたい、支えたいっていう気持ちが強すぎて、ノアールを余計に苦しめてしまうこともあった」
ルミエールは小さくうなずいた。
苦しんでいる家族を見て、何もしないままでいるほうが難しい。
それは責められることじゃない。
「ブランシュおばさんは?」
その問いに、ブランシュは少しだけ目を伏せた。
「私は見ていたわ。どういう時に崩れるのか、何が引き金になるのか、できるだけ落ち着いて見ようとしていたの」
「それで、何かわかったの?」
「不用意に触れたら悪化する、ということくらいは」
短い沈黙が落ちる。
「だから、家ではできるだけ、ひとりにしないようにしたの」
「それで、少しは落ち着いたの?」
ブランシュは首を横に振った。
「いいえ。そばにいれば済む話ではなかったわ」
白い灯りが、閉じたアルバムの表紙を静かに照らしている。
「家に帰ってきてからも、空気が重くなる日があった。照明がちらついて、窓が鳴って、外の天気まで急に荒れることがあった」
ルミエールは何も言わなかった。
偶然だと言い切るには重なりすぎている。
でも、はっきり言葉にしてしまうのも、どこか怖かった。
「だから学校でも、家でも、だんだん居場所がなくなっていったのよ」
ブランシュの声は静かだった。
「本人が悪いわけじゃない。何かを起こしたくて起こしていたわけでもない。でも、近くで不思議なことが続けば、人は怖がるわ」
「……うん」
「そうして距離を置かれて、それでまたノアールが傷つくでしょう」
ルミエールはゆっくり息を吸った。
「その傷ついた気持ちが、また何かを呼ぶみたいに見えたの」
保管室の静けさが、少し深くなる。
「悪い循環だったわ」
その一言が、ひどく重く残った。
誰かひとりが悪いわけじゃない。
でも止まらない。
そういう壊れ方だったのだろう。
「それで……ノアールは、何か言ってたの?」
「はっきりとは言わなかったわ」
ブランシュは静かに答えた。
「でも、自分のせいで何かがおかしくなっている、とは感じていたと思う。前よりずっと、自分を責めるようになっていったから」
ルミエールはアルバムの表紙に目を落とした。
その中にいる幼いノアールは、まだ何も背負っていない顔をしている。
「そのあと、どうなったの?」
「それでも学校へは行こうとしていたわ」
ブランシュは少しだけ微笑んだ。
悲しい笑いだった。
「あの子なりに、普通でいたかったのよ」
その言葉に、ルミエールの胸が少し痛む。
特別になりたかったわけじゃない。
ただ教室にいて、誰かと話して、何でもない顔で笑いたかっただけなのかもしれない。
「でも、もう普通ではいられなかった」
「そうね」
ブランシュは静かに認める。
「少なくとも、本人はそう思い始めていたわ」
長い沈黙が落ちた。
保管室の外で、遠く何かが動く気配がして、また消える。
「ルミエール」
「なに」
「あなたに話しているのは、ノアールを怖いものみたいに思ってほしいからじゃないの」
ルミエールは顔を上げた。
「うん」
「誰にもうまく説明できないものに巻き込まれて、本人もどうしていいかわからなかった。それだけは忘れないで」
ルミエールは小さくうなずく。
学校で浮いていったことも、避けられたことも、不思議な現象が重なったことも。
全部、ノアールが望んだことではない。
「……そのあと、家ではどうなっていったの」
ブランシュの目が少しだけ陰る。
「家でも、もう見過ごせないことが起きるようになったわ」
その言い方だけで、ルミエールは次の話が来るのを感じた。
照明のちらつきでも、外の天気でもない。
もっと、はっきりした何か。
閉じたアルバムの上で、白い灯りが静かににじんでいる。
その先にある夜は、まだ開かれていなかった。
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