第26話 秘密にしてくれる?
ルミエールとソレイユが、少しずつ学校に慣れていく日です。
そして、ノアールについて新しい知らせが届きます。
翌朝。
ネコノミヤ学院では、学食のある建物の前に案内板が立てられていた。
『学食設備工事中』
『昼食は売店、または臨時販売をご利用ください』
生徒たちは、足を止めてそれを見ている。
「本当に工事してる」
「ロボット入るって噂、本当なのかな」
「予約制になるって聞いた」
そんな声が、あちこちから聞こえてきた。
ルミエールは、その横を静かに通り過ぎた。
ノアールが戻ってきた時に、ひとりで売店へ向かわなくていいように。
誰とも話さず、昼休みを終えなくていいように。
その準備が、少しずつ始まっていた。
*
教室に入ると、昨日よりも早く声をかけられた。
「ルミエールさん、おはよう」
「おはようございます」
「昨日の問題、もう一回教えてくれない?」
「少しなら」
机のまわりに、自然と生徒が集まってくる。
ルミエールは、教科書を開きながら短く説明した。
できるだけ目立たないように。
そう思ってはいる。
けれど、静かにしていても、誰かが話しかけてくる。
昨日の授業で、もうクラスの中の空気が少し変わってしまったらしい。
それは、困ることでもあった。
けれど、悪いことばかりではない。
ノアールが戻ってきた時、自分が誰とも話せない転入生のままでは、何もできない。
ルミエールは、窓際の席を見た。
今日も、そこにノアールはいない。
*
休み時間。
昨日ノアールのことを話してくれた女子が、そっとルミエールの席に近づいてきた。
「ルミエールさん」
「はい」
声が、いつもより少し小さい。
「昨日、ノアールさんのこと話したでしょ」
「はい」
「あれ……誰にも言わないでくれる?」
ルミエールは、静かにその子を見た。
「もちろんです」
女子は、廊下の方を気にしてから、声を落とした。
「先生にも、大人にも、あまり話すなって言われてるの」
「大人にも?」
「うん。地震は偶然で、ノアールさんは体調不良だったって」
女子は、少しだけ言いにくそうに続けた。
「変な噂が広がると、ネコノミヤ学院の人気とか、偏差値にも影響するからって」
ルミエールは、すぐには返事をしなかった。
学院のため。
評判のため。
それは、ノアールの心を守る言葉ではなかった。
「分かりました」
ルミエールは、静かに言った。
「昨日のお話は、誰にも言いません」
「ありがとう」
女子は、小さく息を吐いた。
「ルミエールさん、さっきの件……よろしくね」
「はい」
ルミエールは、まっすぐうなずいた。
女子は安心したように、自分の席へ戻っていった。
ルミエールは、ノアールの席を見る。
なかったことにされた日。
なかったことにされた言葉。
それでも、ノアールが傷ついた事実は消えていない。
*
一年生の教室では、ソレイユが紹介されていた。
「ソレイユです」
明るい声が、教室にぱっと広がった。
「よろしくお願いいたします」
それだけの挨拶なのに、教室の空気が少し華やぐ。
存在そのものが、太陽みたいに明るかった。
席に着くと、近くの席の男の子が声をかけてきた。
「えっと……分からないことがあったら、聞いて」
少し控えめな声だった。
ソレイユは、ぱっと笑った。
「ありがとうございます。あなたのお名前は?」
「朝倉悠斗」
「悠斗さんですね。よろしくお願いします」
その隣の席から、別の男の子が身を乗り出した。
「俺は桐谷。最初は分かりにくいこともあると思うから、何でも聞いていいよ」
「桐谷さん。ありがとうございます」
ソレイユは、二人の名前を大切に覚えるように繰り返した。
その明るさに、周りの生徒たちも少しずつ話しかけ始める。
「ソレイユさん、話しやすいね」
「お昼、一緒に食べる?」
「はい。ぜひ」
気づけば、ソレイユのまわりにも小さな輪ができていた。
地球の学校では、男子も女子も自然に話している。
みんな、自分の意志で動いている。
少し騒がしい。
でも、自由だった。
ソレイユは、その自由さをまぶしく感じていた。
*
昼休み。
学食が使えないため、売店の前はいつもより混んでいた。
臨時のお弁当販売にも列ができている。
「今日、すごい混んでる」
「お弁当持ってくればよかった」
「学食、早く戻ってほしい」
生徒たちの声が行き交う。
ルミエールは、今日も別荘から持たされたお弁当を鞄から取り出した。
昨日一緒に食べた女子たちが、自然に机を寄せてくる。
「ルミエールさん、今日も一緒に食べよう」
「はい。ありがとうございます」
小さな輪ができる。
その中に座りながら、ルミエールは売店の方を思った。
もしノアールが今日ここにいたら。
この混雑の中で、ひとりでパンを買いに行ったのだろうか。
そんな昼休みを、何度も繰り返していたのだろうか。
「ルミエールさん?」
隣の子が声をかける。
「大丈夫?」
「はい」
ルミエールは、少しだけ表情をやわらげた。
「少し、考えごとをしていました」
「学食のこと?」
「そうですね」
ルミエールは、静かにうなずく。
「新しくなったら、みんなで使いやすくなるといいですね」
「それは助かる」
「席が予約できるって本当なら、便利だよね」
「売店も混まなくなるし」
会話は自然に流れていく。
ルミエールは、その中で小さく息をついた。
この輪は、まだノアールのためのものではない。
けれど、いつかノアールが戻ってきた時。
ここに、もうひとつ席を作ることはできるかもしれない。
*
その日の午後。
ソレイユの教室でも、学食の話題が出ていた。
「ソレイユさん、今日お弁当?」
「はい」
「きれいなお弁当だね」
「家の方が用意してくださいました」
ソレイユは、自然に答えた。
周りの生徒たちは、少しだけ距離を測るようにしながらも、興味を隠せないでいる。
「新しい学食、楽しみだね」
「ロボットが料理持ってくるって本当かな」
「楽しそうですね」
ソレイユは、ぱっと顔を明るくした。
「見てみたいです」
「ソレイユさん、そういうの好きなんだ」
「はい。新しいものを見るのは好きです」
その素直な返事に、周りの生徒たちも笑った。
この学校は、明るい。
けれど、その明るさの中に入れない人もいる。
ソレイユは、そのことも忘れなかった。
*
放課後。
ルミエールとソレイユは、校舎の外で合流した。
学食の前では、まだ作業が続いている。
入口付近に置かれていた古い案内板が外され、新しい端末らしきものが運び込まれていた。
「始まっていますね」
ソレイユが言った。
「はい」
ルミエールは、作業の様子を見つめた。
「思ったより早いです」
「おじいさまの会社は、動きが早いですね」
「本当に」
二人は少し離れた場所から、工事中の学食を見ていた。
生徒たちは、ただの設備工事だと思っている。
便利になるための改修。
混雑を減らすための試験運用。
表向きは、それでいい。
けれど、ルミエールたちにとっては違う。
これは、ノアールが戻る場所を作るための準備だった。
「今日、一年生の教室はどうでしたか?」
ルミエールが尋ねる。
「楽しかったです」
ソレイユは、すぐに答えた。
「悠斗さんと桐谷さんが、いろいろ教えてくれました」
「もうお友達ができたんですね」
「はい」
ソレイユは明るくうなずいた。
「地球の学校って、自由で楽しいですね」
「そう感じましたか?」
「はい。みんなよく話して、よく笑って、少し騒がしくて」
ソレイユは、やわらかく笑った。
「でも、あたたかい場所だと思いました」
ルミエールは、静かにうなずいた。
「ノアールさんが退院したら」
ソレイユは続けた。
「楽しい学生生活にしてあげたいですね」
「はい」
ルミエールは、はっきり答えた。
*
別荘へ戻ると、祖父は二人を書斎へ呼んだ。
机の上には、病院から届いた報告が置かれている。
「ノアールのことで、連絡が入った」
その言葉に、ルミエールの背筋が伸びた。
「ノアールさんが?」
「ああ」
祖父は、静かにうなずく。
「意識を取り戻したそうだ。まだ安静は必要だが、家族とも少し話せるようになったと聞いている」
ルミエールは、すぐには言葉を出せなかった。
胸の奥に、静かな光が灯ったようだった。
「……よかった」
小さく、それだけ言う。
ソレイユも、ほっとしたように息を吐いた。
「戻ってこられたのですね」
「まだ油断はできない」
祖父は言った。
「だが、命は確かにつながった」
ルミエールは、膝の上で手を重ねた。
ノアールは目を覚ました。
家族と話せるようになった。
それでも、これから戻る場所が冷たいままなら、また傷ついてしまう。
学校。
教室。
昼休み。
噂。
視線。
その全部が、ノアールを待っている。
ルミエールは、静かに息を吸った。
今度は、ひとりにしない。
そう、心の中で決めた。
読んでいただきありがとうございます。




