表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
箱舟の独裁者  作者: NN


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/18

第2話:不確定要素の排除(バグ・フィックス)


 支配体制を確立するのに要した時間は、わずか十分だった。


 カロリーメイトの箱を握りしめた権藤ごんどうは、その凶悪な体躯を誇示するように車内の中央に座り込んだ。

 彼の横には、バールが突き立てられている。

 それは無言の宣言だった。「俺がこの空間の王だ」という。


 そして僕は、その王に知恵を授ける参謀ブレインの座に収まった。


「おい、アジャスターの兄ちゃんよ」

 権藤が口の周りに食べかすをつけたまま、僕を呼ぶ。

「次は何だ? 俺とお前が助かるための『計算』ってやつを聞かせろよ」


 生存者たちの視線が僕に集まる。

 恐怖、疑惑、そして微かな期待。

 彼らはまだ知らない。僕の計算式の中に、すでに彼らの半数が「死者ロス」として計上されていることを。


「まずは在庫確認インベントリです」

 僕は感情を殺した声で告げた。

「全員の荷物をここに集めてください。食料、水、懐中電灯、医薬品。すべてを再分配します」


「ふざけるな!」

 叫んだのは、矢部やべというサラリーマンだった。

「なんでお前らに従わなきゃならない! これは俺の荷物だ! 警察が来たら訴えてやるぞ!」


 矢部。生存スペックDランク。

 過去のループでは、彼が隠し持っていたスナック菓子の袋を開ける音で、深夜に殺し合いが発生したことがある。予測不能なノイズ。


「訴える? どうぞ」

 僕は冷たく言い放つ。

「ただし、救助が来るまで生きていればの話ですが」

「なんだと……」

「今の酸素濃度は低下し始めています。無駄に叫んで酸素を消費するなら、あなたには『退場』願うしかない」


 僕が目配せすると、権藤がニヤリと笑い、バールを持って立ち上がった。

 矢部の顔が引きつり、膝から崩れ落ちる。

 恐怖による統制。

 もっとも効率的で、もっとも醜悪な管理方法。


 次々と荷物が集められる。

 その作業の中、僕は視界の端で、美咲みさきを見た。

 彼女は壁際に背を預け、膝を抱えている。杖は失われたままだ。

 彼女は何も持っていない。差し出す食料も、明かりも、視力さえも。

 今の彼女は、ただ空気を消費するだけの「負債」だ。


(……見るな)

 僕は自分に命じる。

 彼女の聴覚は脅威だ。僕の迷いすら音で聞き分けるかもしれない。

 僕は鉄の仮面を被り直す。


 集められた物資を仕分けながら、僕は最初の「間引き(リストラ)」を実行に移すことにした。

 ターゲットは、時田ときた夫妻。

 七十代の老夫婦だ。


「時田さん」

 僕が名前を呼ぶと、身を寄せ合っていた二人が顔を上げた。

 夫の方は顔色が土気色で、荒い呼吸をしている。

「インスリン、持っていますね?」


 夫人がハッとして、バッグを抱きしめた。

「……どうして、それを」

「見ればわかります。低血糖の症状が出始めている。……単刀直入に言います。インスリンを打つなら、その分の糖質補給が必要です。ですが、我々の食料備蓄は極めて少ない」


 僕は、集められた食料の山――チョコレート数枚と、乾パン一袋、飲みかけの水数本――を指差した。

「この食料を、ご主人の延命のために優先的に消費するか。それとも、未来ある若者・・のために残すか。……選んでください」


 残酷な二択ではない。

 実質的な「死刑宣告」だ。

 ここで食料を渡さなければ、夫は数時間以内に昏睡状態に陥り、死ぬ。

 夫が死ねば、妻も生きる気力を失うだろう。

 二人まとめて「処理」できる。


 周囲の空気が凍りつく。

 誰も口を挟めない。権藤の暴力と、僕の正論ロジックが支配しているからだ。


 夫人が震える手で、夫の腕を掴んだ。

 反論が来ると思った。「鬼」「人でなし」と罵られる覚悟をしていた。

 しかし。


「……わかりました」

 夫人は、静かにそう言った。


「え?」

 僕の計算が、一瞬止まる。


 夫人はバッグの中から、大切な宝石箱でも扱うように、小さな巾着袋を取り出した。

 中に入っていたのは、数個の飴玉と、インスリン注射のセットだった。

 彼女はそれを、そっと僕の前に差し出した。


「主人は、もう長くありません。……この人が一番、それをわかっています」

 夫人は、苦しげに呼吸をする夫の汗をハンカチで拭った。

「若い方たちが助かるなら、それでいいんです。……ただ、お願いがあります」

「……何でしょう」

「最期まで、二人の手を繋がせておいてください。それだけで、私たちは十分ですから」


 夫人の瞳には、恐怖も憎悪もなかった。

 あるのは、静寂な諦念と、深い愛情だけ。

 彼女は僕に向かって、深々と頭を下げた。

「嫌な役目をさせてごめんなさいね。……あなたも、辛いでしょうに」


 ドクン。

 心臓が跳ねた。


 辛い? 僕が?

 馬鹿な。僕は合理的な判断をしているだけだ。これは損害査定だ。全損扱いの案件を処理しているだけだ。

 なのに、なぜ彼女は僕を憐れむような目で見るんだ?


 その視線は、僕が必死に築き上げた「論理の壁」を、いとも簡単に透過してきた。

 数字にできない「品格」。

 死を受け入れた人間の「尊厳」。

 それが、僕の計算式にノイズを走らせる。


「……相馬そうまさん、ですか?」


 そのノイズに呼応するように、美咲の声がした。

 彼女は立ち上がろうとして、よろめき、壁に手をついた。

「そこにいるのは、相馬さんですよね? ……声が、震えています」


「黙れ」

 僕は低い声で遮った。

「僕は震えてなどいない。今の僕は、この場の管理者だ。君のような『要救助者』に同情される覚えはない」


 わざと冷たい言葉を選んだ。

 彼女を傷つけ、遠ざけるために。

 美咲は唇を噛み、悲しげに眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。


 その時だ。

 今まで沈黙を守っていた人物が、僕の背後に立った。


「相馬さん。少し、いいかしら」


 白衣を着ていないが、知的で冷静な声。

 霧島きりしまレイ子。三十五歳の女医だ。

 僕の計算では、彼女は「生存必須枠(合格)」に入っている。


 僕は彼女を連れ、権藤たちから少し離れた車両の連結部へ移動した。

「何ですか、先生。あなたの医療知識は必要です。協力してくれるなら――」

「ええ、あなたのトリアージ(選別)は正しいわ。医療現場でも、災害時は見込みのない患者を切り捨てる。……倫理的には最悪だけど、数学的には正解よ」


 彼女は眼鏡の位置を直しながら、ちらりと権藤の方を見た。

 権藤は、奪った水を飲みながら、矢部を足蹴にして笑っている。

「でもね、相馬さん。あなたの計算式には、一つ致命的な『見落とし』があるわ」


「見落とし?」

 ありえない。僕は十三回もここを見ている。


 霧島先生は声を潜め、死刑宣告のように告げた。

「あの男――権藤さん。さっき、彼が足を引きずっているのを見た?」

「ええ。軽い打撲でしょう。瓦礫をどかすのには支障ないはずです」

「いいえ。……あれは『クラッシュ・シンドローム(挫滅症候群)』の前兆よ」


 思考が停止した。

 クラッシュ・シンドローム。

 長時間、重い物に挟まれていた筋肉が壊死し、毒素が全身に回る症状。圧迫が解除された後に、急性腎不全や心停止を引き起こす。


「彼の右足、ふくらはぎがパンパンに腫れているわ。おそらく、事故直後は瓦礫に挟まれていたんでしょう」

 霧島先生は冷淡に続けた。

「今はアドレナリンが出ていて元気だけど、長くは持たない。……あと二十四時間以内に、彼は心停止を起こして死ぬわ」


 血の気が引いていくのがわかった。


 権藤は、僕の計画の「エンジン」だ。

 彼がいなければ、重いハッチは開かない。瓦礫もどかせない。エアダクトの修理もできない。

 彼を生かすために、僕は美咲を見捨て、時田夫妻を切り捨て、心を鬼にして「悪」の手を取ったのだ。


 その彼が、二十四時間で死ぬ?

 救助が来るのは七十二時間後なのに?


 僕は震える視線で権藤を見た。

 彼は何も知らず、王様気取りでバールを振り回している。

 あれは「最強の生存者」ではない。

 ただの「暴走する時限爆弾」だったのだ。


「……どうするの、リーダー?」

 霧島先生が試すように囁く。

「エンジンは壊れるわ。……それでも、あなたはあの『歌う少女』を見殺しにするの?」


 計算機がエラーを吐き出す。

 盤面が崩れる音がした。


 僕の独裁は、始まった瞬間から、すでに破綻していたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ