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箱舟の独裁者  作者: NN


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最終話:清算(リクイデーション)



 取調室の壁は、白ではなく灰色だった。

 窓はない。時計もない。

 あるのは、ステンレスの机と、パイプ椅子と、マジックミラーだけ。


「……相馬和也」

 目の前の刑事が、分厚い調書をめくりながら言った。

 その声は、かつて僕が矢部たちに向けたものと同じくらい、冷たく、事務的だった。


「死体損壊、および死体遺棄の容疑。……認めるな?」


 僕は、手錠のかけられた両手を見つめた。

 爪の隙間に入り込んだ赤黒い汚れは、いくら洗っても落ちなかった。

 それは美咲みさきの一部であり、僕の罪の一部だ。


「……はい」

 僕は答えた。

「認めます」


 弁解はしなかった。

 「彼女を生き返らせようとした」とか、「ループの中では生きていた」とか。

 そんな妄言を吐けば、僕は刑務所ではなく精神病棟に送られるだろう。

 僕は、正気のまま裁かれなければならない。


「動機は?」

 刑事が聞く。

「生存者たちの証言では、君はリーダーとして振る舞い、食料を管理し、そして……あの遺体に対し、常軌を逸した蘇生行為を強要したそうだな」


 矢部や、霧島先生の顔が浮かぶ。

 彼らは助かった。

 そして、社会に戻った彼らは、当然のように僕を告発した。

 「あの男がやったんだ」「逆らえなかったんだ」と。


 それでいい。

 黒字(生存)になったのなら、それでいい。


「……計算でした」

 僕はポツリと言った。


「計算?」

「全員が助かるための、最適解でした。……そう信じていました」


 刑事は呆れたようにため息をつき、ボールペンでコツコツと机を叩いた。

「最適解ねぇ。……結果がこれか」


 彼は一枚の写真をテーブルに放り投げた。

 現場検証の写真。

 泥だらけの車内に、たった一人置き去りにされた、胸の潰れた少女の遺体。


 僕は息を呑んだ。

 写真の中の彼女は、もう歌わない。

 ただ、痛々しく破壊された「物」として、そこに転がっていた。


 計算機は、もう脳内にない。

 十九回分の記憶、数式、確率論。

 それらすべてが、ただのノイズとなって消え失せていく。


 残ったのは、圧倒的な「現実」だけ。

 やり直しのきかない、一度きりの、重たくて冷たい時間。


「……相馬」

 刑事が、少しだけ声を和らげた。

「被害者の遺族が、君との面会を希望している。……会うか?」


 心臓が、ドクンと跳ねた。

 遺族。

 美咲の両親だろうか。

 彼らは僕に何と言うだろう。

 罵倒するだろうか。泣き崩れるだろうか。それとも、娘の最期を聞きたがるだろうか。


 僕は、償わなければならない。

 一生をかけて。

 たとえ許されなくても、たとえ理解されなくても。

 それが、僕が支払うべき代価だった。


「……会います」

 僕は顔を上げた。


 マジックミラーに映った自分の顔が見えた。

 ひどくやつれ、無精髭が生え、目の下に隈を作った男。

 かつて「神」を気取っていた男の、あまりにも無様で、ちっぽけな成れの果て。


 でも、その目は生きていた。

 もう計算はしない。

 ただ、痛みを受け入れる準備をした目だった。


「……行こう」

 刑事が立ち上がり、僕の肩を叩いた。


 鉄の扉が開く。

 廊下の先から、現実の光と、喧騒が押し寄せてくる。


 ループは終わった。

 僕の、清算リクイデーションが始まる。

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