第14話:連結決算(コンソリデーテッド・アカウンティング)
二十回目の衝撃。
世界がひっくり返る。
僕は、瓦礫の下で目を開けた。
痛み確認。呼吸確認。
……絶望確認。
僕はすぐに起き上がり、車両の隅へと這い進んだ。
そこに、彼女はいた。
美咲。
17歳の、盲目の少女。
彼女は瓦礫の隙間に挟まるようにして、ぐったりと横たわっていた。
僕は震える指で、彼女の頸動脈に触れた。
……ない。
脈がない。
胸も動いていない。体温は周囲の空気と同じくらい冷たい。
彼女のこめかみには、打撲の痕と、頭蓋骨が陥没したような感触があった。
即死だ。
十九回のループすべてにおいて、彼女はこの瞬間に死んでいたのだ。
僕がそれに気づかなかったのは、システムが「彼女は生きている」という僕の妄想(粉飾)を出力していたからだ。
だが、粉飾が露見した今、僕の目にはありのままの「現実」が見えている。
これは、死体だ。
ただの、美しい肉の器だ。
「……くそッ……」
僕は唇を噛み切り、血の味を噛み締めた。
どうする?
どうすればいい?
「12名生存」がクリア条件。
しかし、スタート時点で在庫は「11」しかない。
物理的に不可能だ。
死者を生き返らせることはできない。
ならば、このまま諦めるか?
美咲の遺体を放置し、11名だけで脱出し、またあの少年に「在庫不足」と嘲笑われて、永遠にループし続けるのか?
(……監査基準)
僕は思考を加速させる。
感情を捨てろ。論理を回せ。
あの少年――内部監査人は言った。
『君が、死体を「資産」として計上したから、システムはそれを許容した』と。
つまり、システムの判定基準は、医学的な生死ではない。
「観測者(僕たち)が、それを生者として扱っているか」だ。
前回、粉飾がバレたのは、最後に救助隊(外部監査)が入った時だ。
彼らが客観的に「死体だ」と判定した瞬間、シュレディンガーの猫は死んだ。
ならば。
救助隊が来るまでの七十二時間。
この空間にいる全員が、彼女を「生きている」と定義し続け、彼女の心臓の代わりを務め続ければ――
システムは再び、彼女を「在庫」として認めるかもしれない。
「……おい、兄ちゃん。何やってんだ?」
背後から声がした。
権藤だ。
彼は瓦礫から這い出し、怪訝な顔で僕を見ていた。
「その姉ちゃん……どうしたんだ? 怪我か?」
試練の時だ。
ここで僕が「死んでいる」と認めたら、その瞬間に彼女は「ゴミ」になる。権藤たちの認識の中で、彼女は処理すべき死体になる。
そうさせてはならない。
僕は美咲の遺体を抱き起こし、彼女の背中を叩いた。
肺の中の空気を強制的に出し入れする。
「……気絶しています」
僕は断言した。
「息が弱い。心停止寸前です。……でも、生きています」
「あぁ? 顔色が真っ青じゃねえか。……おい、死んでんじゃねえのか?」
権藤が近づいてくる。
彼の野生の勘が、死の匂いを嗅ぎつけている。
僕は権藤を睨みつけた。
殺気と、確信を込めて。
「生きています」
僕は繰り返した。
「彼女は生きている。僕たちが生かすんです。……権藤さん、手を貸してください」
「な、なんだよ……」
「彼女の心臓が弱っています。外部からポンプして、循環させる必要があります。……心臓マッサージです」
僕は美咲の胸骨に手を当て、圧迫を開始した。
本来、心臓マッサージは蘇生のために行うものだ。
だが、今の目的は違う。
物理的に血液を循環させ、体温を維持し、細胞の壊死を遅らせる。
死体に「生体機能」を偽装させるのだ。
「1、2、3、4……」
リズムを刻む。
肋骨が軋む感触が手に伝わる。
残酷な行為だ。安らかに眠る彼女の眠りを妨げ、死体を弄んでいる。
だが、止めるわけにはいかない。
「何してるの!?」
霧島先生が駆けつけてきた。
彼女は医師だ。一目で状況を見抜いたはずだ。
「やめなさい! 彼女はもう……即死よ。頭部の損傷を見て! 瞳孔も開いているわ!」
専門家の判定。
これが一番危険だ。彼女の言葉が、周囲の認識を「死」に固定してしまう。
「違います、先生」
僕は手を止めずに反論した。
「彼女は『心肺停止(CPA)』の状態です。死亡確認はされていない」
「何を言って……」
「医師法において、死亡診断書を書けるのは医師だけだ。先生、あなたは今、ここで死亡診断書を書けますか? 脳波を測れますか?」
「そ、それは……」
「なら、彼女はまだ『患者』だ!」
僕は吼えた。
「僕たちが諦めた瞬間、彼女は死体になる。でも、僕たちが動かし続ける限り、彼女は『蘇生措置中の生者』だ。……そうでしょう?」
霧島先生がたじろぐ。
医学的常識と、極限状態の倫理が衝突する。
「……先生。僕一人では無理だ」
僕は声を落とし、懇願した。
「彼女の心臓を動かし続けるには、交代要員がいる。……協力してください。彼女を見捨てないでください」
これは、赤字部門(美咲)を黒字部門(僕たち)と合併させる、連結決算の提案だ。
僕たちの生命力を彼女に注ぎ込み、グループ全体として「生存」を維持する。
霧島先生は、美咲の蒼白な顔を見つめ、苦渋の表情で唇を噛んだ。
そして、医師としての業が勝った。
「……気道確保をして」
先生が膝をついた。
「私が人工呼吸をするわ。……あなたは胸骨圧迫を続けて」
通った。
医師が蘇生を開始したことで、権藤や矢部たちの認識も変わる。
「死体」ではなく「助かるかもしれない急患」へと。
「おい、兄ちゃん。俺は何すりゃいい?」
権藤が不安そうに聞いてくる。
「足を温めてください」
僕は指示した。
「血液が循環しても、体温が下がれば終わりだ。……全員で彼女を囲み、体温を分け与えるんだ」
こうして、奇妙で冒涜的な儀式が始まった。
美咲の遺体を中心に、僕たちは円陣を組んだ。
僕と霧島先生が交互に心臓を押し、息を吹き込む。
権藤と矢部が彼女の手足をさすり、時田夫人が彼女の頭を抱いて温める。
動かない心臓を、僕たちの手で無理やり動かす。
止まった肺に、僕たちの息を流し込む。
冷たい体に、僕たちの熱を移す。
12人の命を、1つの回路に接続する。
これは蘇生ではない。
隠蔽工作だ。
神の目を欺くために、死体を精巧な「生きた人形」に仕立て上げる作業だ。
1時間。2時間。
汗が滴る。腕が痺れる。
だが、不思議なことが起きた。
美咲の頬に、わずかに赤みが差したのだ。
人工的な循環とはいえ、血液が巡り、酸素が供給されたことで、細胞が活動を停止していない証拠だ。
「……あったけぇ」
権藤が呟いた。
「姉ちゃんの体、あったかくなってきたぞ」
「ああ……生きてる。生きてるよ」
矢部が泣きそうな声で言う。
集団催眠。
僕の嘘が、彼らの真実になりつつある。
彼らは信じ込んでいる。彼女は生きていると。自分たちが生かしていると。
僕は、美咲の閉じられた瞼を見つめながら、心の中で詫びた。
(ごめん、美咲)
(君を死なせてあげられない。君を土に還してあげられない)
(君は僕たちの『負債』だ。……この地獄を抜けるまで、その体、借り続けるよ)
システムのエラー音は聞こえない。
今のところ、監査の目は誤魔化せている。
だが、これは七十二時間の持久戦だ。
僕たちの体力が尽きるのが先か。
それとも、死体が腐敗を始めて「現実」を突きつけてくるのが先か。
連結決算。
それは、親会社(僕たち)が共倒れするリスクを背負う、禁断の契約だった。




