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箱舟の独裁者  作者: NN


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第10話:情報開示(ディスクロージャー)



 十九回目の衝撃。

 世界がひっくり返る音。


 僕は、瓦礫の下で笑っていた。


「……は、はは……」


 乾いた笑いが、埃っぽい喉から漏れる。

 無理だ。

 絶対に、不可能だ。


 僕の脳内計算機カルテが、冷酷な数式を突きつけている。


 【必要酸素量】 12名×72時間 = 25,000リットル以上。

 【在庫酸素量】 車内残存空気 = 約12,000リットル。


 半分だ。

 どうあがいても、物理的に足りない。

 全員が生き残るためには、全員が呼吸を半分にするか、時間を半分にするしかない。

 そんな魔法はない。


 前回のループで、僕は「6名」まで減らすことで生存を確定させた。

 あれが、数学的な限界値リミットなのだ。

 なのに、神様クライアントの要求仕様は「12名全員の生存」。


 ふざけるな。

 そんな案件、最初から破綻している。

 悪魔の証明だ。

 僕は、解のない数式を解くために、永遠にこの地獄を彷徨うのか?


「……痛ぇ……! なんだよこれ、どうなってんだ!」


 権藤ごんどうの怒声。

 十九回目のリピート再生。

 聞き飽きた。見飽きた。


 僕は立ち上がらなかった。

 瓦礫に埋もれたまま、天井を見上げていた。

 もういい。

 何もしない。

 独裁も、管理も、間引きもしない。

 どうせ全滅するなら、ここで寝ていたって同じだ。


 その時。

 瓦礫の隙間から、白い手が伸びてきた。


「……大丈夫ですか?」


 美咲みさきだ。

 彼女は手探りで、瓦礫の下にいる僕の肩に触れた。


「息が、荒いです。……怪我をしていますか?」


 その声を聞いた瞬間、僕の中で何かが切れた。

 プツン、と。


 彼女は何も知らない。

 僕が彼女を見殺しにしたことも。

 僕が彼女を焼死させたことも。

 前回の最期、彼女と手を繋いで光を見たことも。


 すべて、リセットされた。

 僕の苦しみも、決断も、罪も、愛も。

 この宇宙には、もうどこにも存在しないデータの残骸ゴミだ。


(……いや)


 違う。

 ここにある。

 僕の頭蓋骨の中にだけ、焼き付いている。


 僕は美咲の手を掴んだ。

 強く。痛いくらいに強く。

 彼女が「あっ」と声を上げるが、僕は離さなかった。


 一人で抱えるのは、もう限界だ。

 この「負債」を、僕一人で償却するのは不可能だ。

 なら、共有するしかない。

 たとえ彼らが信じなくても、狂人だと思われても構わない。


 僕は瓦礫を押しのけ、美咲の手を引いて立ち上がった。

 そして、パニックに陥りかけている生存者たちの真ん中へと進み出た。


「全員、聞け!!」


 裂帛れっぱくの気合い。

 その異常な剣幕に、権藤も、矢部やべも、霧島きりしま先生も動きを止めた。


「あぁ? なんだ兄ちゃん、いきなり……」

「黙って聞け。時間が惜しい」


 僕は懐中電灯を自分の顔の下から照らし、亡霊のような顔で彼らを見渡した。


「今から、君たちの『未来』を教える」


 ざわめきが広がる。

 頭を打って錯乱したのか、という視線。

 構わない。僕は続ける。


「この事故の生存者は12名。救助が来るのは72時間後だ。だが、ここの酸素は36時間しか持たない」


「は、はあ? 何言ってんだお前……」

「適当なこと言ってんじゃねえぞ!」

 矢部が罵声を浴びせる。


「適当じゃない!」

 僕は矢部を指差した。

「矢部さん。君はあと十分後に、持っていたスナック菓子の袋を開ける。そしてそれを権藤さんに奪われ、殴られて前歯を折る」


「な……ッ」

 矢部がポケットを押さえた。そこには隠し持っていたスナック菓子があるはずだ。


「時田さん」

 僕は老夫婦を見る。

「ご主人は糖尿病だ。インスリンを持っているが、食料が足りずに40時間後に低血糖性昏睡で死亡する」


 夫人が息を呑む。


「権藤さん」

 僕は大男を睨みつけた。

「あんたの右足は瓦礫に挟まれて壊死している。今はアドレナリンで痛みを感じていないだけだ。24時間後に急性腎不全でのたうち回って死ぬ」


「て、てめぇ……! 殺すぞ!」

 権藤が激昂し、バールを振り上げる。


「やってみろよ」

 僕は一歩も引かずに言い放った。

「僕を殺せば、あんたは100%死ぬ。このハッチを開ける手順を知っているのは僕だけだ」


 権藤の手が止まる。

 僕の目に宿る、狂気と理性の入り混じった光に、野生の勘が警鐘を鳴らしたのだ。


 静まり返る車内。

 僕は深呼吸をして、告げた。


「僕は、これを見るのが十九回目だ」


「……は?」

「信じなくていい。だが、事実は変わらない。僕たちはここで死ぬ。過去十八回、僕たちは全滅した。殺し合い、奪い合い、窒息し、焼死した」


 僕は視線を巡らせる。

「僕は君たち全員を殺したことがある。見殺しにしたこともある。……そして前回、ようやく全員を生かしたと思ったら、世界がそれを許さなかった」


 霧島先生が、慎重に口を開いた。

「……あなた、医者に見せたほうがいいわ。PTSDの解離性障害よ」

「そう診断するのも三回目ですね、先生」

 僕は即答した。

「先生はいつも冷静だ。でも、最後は酸素欠乏で『計算間違いだったわ』と言って死ぬんだ」


 霧島先生が言葉を失う。

 僕の言葉には、妄想にしては具体的すぎる「ディテール」と「重み」があった。


 僕は美咲を見た。

 彼女だけは、僕の方をじっと向いている。


「単刀直入に言う」

 僕は全員に向けて宣言した。


「この状況は『詰み』だ。

 計算上、全員が助かる道はない。誰か6人が死ななければ、残りの6人は助からない。それが物理法則だ」


 絶望的な沈黙。

 だが、僕は続けた。


「だが、僕は諦めない。

 十八回失敗しても、まだ十九回目がある。

 僕一人では無理だった。僕の知能スペックでは、この解を見つけられなかった」


 僕は頭を下げた。

 独裁者が、民衆に頭を垂れた。


「助けてくれ。

 全員で生き残る方法を、一緒に考えてくれ。

 僕の頭の中にある『未来のデータ』は全部提供する。だから、君たちの知恵を貸してくれ」


 情報開示ディスクロージャー

 それは、経営破綻寸前の企業が、最後の望みを賭けて行う再生措置。


 長い沈黙の後。

 最初に動いたのは、やはり彼女だった。


「……信じます」


 美咲が進み出た。

 彼女は僕の手を探り当て、強く握った。

「相馬さんの手……震えていません。嘘をついている人の体温じゃありません」

 彼女は皆に向き直った。

「私、信じます。この人の声は、とても悲しくて……とても重いです」


 その言葉が、空気を変えた。

 論理ではない。感情の突破口。


「……おい、兄ちゃん」

 権藤がバールを下ろした。

「もしそれが本当なら……俺の足は、どうすりゃ助かるんだ」

「今すぐ圧迫を解除して、大量の水を飲み、透析に近い処置が必要だ。……霧島先生、機材はありませんが、知識ならありますよね?」


 霧島先生がため息をつき、眼鏡を押し上げた。

「……荒唐無稽な話ね。でも、確かに彼の足はクラッシュ・シンドロームの所見があるわ。……診るだけなら、やってあげる」


「俺は!?」

 矢部が叫ぶ。

「スナック菓子……本当に取られるのかよ!」

「今すぐみんなに配れ」

 僕は言った。

「隠し持っているから奪われるんだ。配ってしまえば、奪われる恐怖はなくなる。それに、今少しでも血糖値を上げておかないと、パニックで死ぬぞ」


 矢部がおずおずとポケットに手を入れる。

 出てきたのは、ポテトチップスの袋。

 僕の予言通りだ。


 周囲の空気が、驚愕から「信用」へと変わっていく。


 僕は拳を握りしめた。

 独裁は終わった。

 ここからは、泥臭い民主主義(チーム戦)だ。


 だが、問題は解決していない。

 酸素は足りない。物資も足りない。

 「全員生存」という無理難題ミッションは変わっていない。


 しかし、僕の隣には美咲がいる。

 目の前には、権藤や霧島先生という「駒」ではなく「協力者」がいる。


 さあ、十九回目の計算を始めよう。

 今度は、一人きりの計算じゃない。

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