表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
箱舟の独裁者  作者: NN


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/18

第1話 全損扱い(トータル・ロス)の朝

 世界がひっくり返る音を、僕はもう十四回も聞いている。


 鼓膜を突き破る金属の断末魔。

 重力が消失する浮遊感。

 そして、内臓が喉元までせり上がるような、急激なG(衝撃)。


 ドォォォォォォン!!


 暗転。

 意識が寸断される。

 次に感覚が戻ったとき、僕の鼻孔を満たしていたのは、焦げたゴムの臭いと、錆びた血の味、そして――淀んだ汚水の湿気だった。


「……ふぅ」


 僕は瓦礫の下で、ゆっくりと息を吐いた。

 腕時計を見る。ガラスにヒビが入っているが、秒針は動いている。

 午前八時十四分。

 事故発生から、およそ三分が経過している。


(十四回目。……状況に変化なし)


 僕は体の各部を点検する。

 右足首に軽い捻挫。肋骨にヒビが入っているかもしれないが、呼吸に支障はない。可動域、正常。思考レベル、クリア。

 職業柄、僕は自分の体でさえ「損害物」として査定する癖がついている。

 相馬和也そうまかずや、二十九歳。損害保険調査員アジャスター

 今の僕は「一部損壊」。修理可能範囲内だ。


 問題は、僕以外だ。

 ヘッドライトのような微かな明滅の中、地獄絵図が浮かび上がる。

 地下鉄の車両は脱線し、トンネルの壁に激突して四十五度ほど傾いていた。

 車両の前半分は崩落した土砂と地下水に埋まり、完全に水没している。

 生き残ったのは、後方車両にいた人間だけ。


「痛ぇ……! なんだよこれ、どうなってんだ!」

「キャアアアア! 誰か、誰かあああ!」

「水が! 水が入ってくるぞ!」


 パニックの合唱。

 僕は瓦礫を押しのけて立ち上がった。叫び声を上げている生存者の数を、視線だけで数える。

 一人、二人、三人……全部で十一人。僕を入れて十二人。

 

 前回のループと同じだ。

 配置も、怪我の具合も、誰が最初にわめき出すかも、完全に一致している。


 僕は胸ポケットから手帳を取り出し、ボールペンを走らせた。

 震える手を押さえつける。感情を入れるな。数字だけを見ろ。


 【空間容積】 地下鉄一車両分(約200立方メートル)。ただし、水没と土砂により有効空間は60%に減少。

 【酸素残量】 密閉空間。通気口は崩落により閉塞。

 【生存者数】 12名。

 【救助予測】 過去のループでの経験上、外部からの掘削音が聞こえ始めるまで最短で72時間。


 計算式を脳内で組み立てる。

 人間一人が一時間に消費する酸素量は約20〜30リットル。パニック状態で過呼吸になれば倍増する。

 今の空気量で、大人12人が72時間生き延びる確率は?


 答えは、ゼロだ。

 計算するまでもない。

 過去十三回、僕たちは全員、窒息死した。

 空気を奪い合い、喉を掻きむしり、最後は魚のように口をパクパクさせて、絶望の中で死んだ。


「おい! そこの兄ちゃん!」


 怒声が飛んだ。

 作業着を着た大男が、ひしゃげたドアをバールで叩いている。

 権藤ごんどうだ。

 スキンヘッドに無精髭。目つきの悪い、絵に描いたような現場作業員。


「何ボーッとしてやがる! 手ェ貸せ! このドアこじ開けて外に出るぞ!」

「無駄です」

 僕は即答した。声色は冷徹に。

「外は土砂で埋まっています。無理に開ければ、土砂崩れが起きてこの車両ごと圧し潰される。……四回目・・・の時はそうでした」

「あぁ? なんだその四回目ってのは。頭打ったか?」


 権藤が凄む。

 僕は彼から視線を外し、車両の隅を見た。


 そこに、彼女がいた。

 星名美咲ほしなみさき

 制服姿の女子高生。傾いた床の隅で、小さく膝を抱えている。

 彼女の目元は虚ろだ。光を失っている。

 手には白い杖(白杖)が握りしめられていた。


「……音が、変わった」

 美咲がぽつりと呟いた。

 その声は、喧騒の中でも不思議とよく通った。


「誰か……いますか? 水が、止まった音がします」

 彼女は目が見えない。その代わり、聴覚が異常に発達している。

 彼女の言う通り、車両への浸水は一時的に止まっていた。水位は腰の高さで安定している。


「おい、姉ちゃん。水が止まったからってなんだってんだ」

 権藤が苛立たしげに吐き捨てる。

「ここが棺桶だってことに変わりはねえんだよ! おいお前ら、食いモン持ってる奴は出せ! 俺が管理する!」


「いやだ! これは私のチョコよ!」

「うるせぇババア!」


 権藤が老婦人のバッグをひったくる。悲鳴が上がる。

 いつもの光景だ。

 強者が弱者から搾取する、縮図のような地獄。


 僕は目を閉じた。

 今までのループで、僕はあらゆる「善行」を試した。

 権藤を説得しようとした。皆で食料を分け合おうと提案した。酸素を節約するために、全員を眠らせようともした。

 美咲の手を引き、励まし、彼女の美しい歌声で皆を落ち着かせようとした回もあった。


 だが、結果はすべて「全損トータル・ロス」だ。

 美咲を助けるために時間を費やせば、権藤が暴れて酸素が減る。

 権藤を抑え込もうとすれば、老夫婦が発作を起こして死ぬ。

 全員を生かそうとする「優しさ」こそが、この密室における最大の「猛毒」だった。


(……アジャスト(調整)が必要だ)


 僕は目を開けた。

 今までとは違う、冷たいスイッチが脳内で入る音がした。


 この空間にあるリソース(酸素と食料)は有限だ。

 12人分はない。

 だが、6人分ならある。


 僕は生存者たちを見渡した。

 人間として見るのではない。

 「機能」と「コスト」を持った部品として見るのだ。


 権藤猛。

 性格は最悪。協調性ゼロ。

 だが、あの瓦礫をどかせる筋力パワーがあるのは彼だけだ。

 生存コストは高い(大飯食らいで酸素消費も多い)が、脱出への貢献度はSランク。

 判定:【合格】


 時田夫妻。

 善良な老人たち。

 だが、脱出作業には貢献できない。移動に時間がかかる。病気のリスクあり。

 貢献度はEランク。

 判定:【排除】


 そして。

 僕は視線を隅に戻す。

 震える手で杖を握りしめ、見えない恐怖と戦っている少女、美咲。


 彼女は、この絶望的な暗闇の中で、唯一の癒やしだ。

 彼女の歌声を聞いたとき、僕は初めてこのループの中で救われた気がした。彼女を守りたいと思った。彼女と生きて帰りたいと、心から願った。


 だが。

 査定人の(アジャスターの)計算機は、無慈悲な数字を叩き出す。


 星名美咲。

 視覚障害により単独行動不可。

 移動には常に介護者(僕)の手が必要となる。つまり、彼女一人を生かすコストは、健常者二名分に相当する。

 物理的な作業貢献度はゼロ。

 パニック時の酸素消費リスク、中。

 

 彼女を生かすためのコストを支払えば、酸素は72時間持たない。

 彼女を生かせば、全滅する。

 彼女を殺せば――残りの6人は助かる。


「……ッ」


 僕は拳を握りしめ、爪が食い込む痛みで思考を定着させる。

 今回のループ、十四回目。

 目的を変更する。


 『全員の救助』ではない。

 **『有益な6名の選別』**だ。


 僕は瓦礫を乗り越え、権藤の方へと歩き出した。

 美咲の前を通り過ぎる。

 彼女が気配に気づき、顔を上げた。


「あの……」


 助けを求める、か細い声。

 いつもなら、僕はここで彼女の手を取り、「大丈夫だ」と声をかけていた。

 だが、僕は足を止めなかった。

 彼女の横を、無言で通り過ぎる。


「……え?」


 美咲の戸惑う気配を背中で感じる。

 胸が張り裂けそうだった。

 だが、僕は権藤の前に立ち、彼の手にあるチョコバーを見て、薄く笑ってみせた。


「アンタの言う通りだ」

 僕は自分のバッグから、カロリーメイトの箱を取り出して権藤に投げ渡した。

「管理が必要だ。……役に立たない奴に食わせる飯なんて、ここにはない」


 権藤がニヤリと笑う。

「へぇ。インテリにしちゃ、話がわかるじゃねぇか」


 共犯関係の成立。

 背後で、美咲が何かに躓いて転ぶ音がした。

 杖が水溜りに落ちる音。

 僕は振り返らない。

 振り返れば、計算が狂うから。


 箱舟の扉は閉ざされた。

 乗れるのは、選ばれた獣だけ。

 独裁の時間が、始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ