第3話 一人の時間。
世の中は案外面倒臭い。
人と人の間で人間なんてよく言ったものだと痛感する。
碧は翌日には上司に結婚白紙を告げる。
上司は無責任に「よかったじゃないか、結婚は人生の墓場だぞ」なんて言うと、碧の肩を叩いて「飯奢ってやるから何があったか話せ」と言って夕飯に連れて行く。
今も鳴る鬼電話を見せながら事の次第を話すと、上司は「山吹がやめるとは思わなかった。お前って十字架背負ってゴルゴダに向かって歩くタイプだったり、五穀豊穣の為に進んで人柱になる人間だと思っていた」なんて、とても上司とは思えない事を言う。
「まあ、そうっすね」
「なんかキッカケがあったのか?まあこの鬼電話はキッカケかもしれないが、これは放置したほうがいい、中途半端に着信拒否にすると家や会社まで来るぞ」
相手が飽きるまで、ひとつの窓口に突撃してくるのはありがたいらしい。
面倒で何もせずに放置していた碧からしたら、それはそれで良かったと思った。
上司はキッカケをしつこく聞き、アルコールで口が軽くなった碧は、そのまま瑠璃との話をしてしまう。
「うっわ、タイミング悪い奴」
そう言った上司は、「気晴らしに女の子のいるお店を奢ってやろう」と言う訳だが、この上司は風俗好きで、何度病気を貰ってもやめられない生粋の風俗好きで、この女の子のいるお店は風俗になる。
碧自体、興味がゼロかといえば嘘になるが、行きたいとは思えない。
もっとドギツイ理由とか状況なら、行ってもいいが行きたくない。
数万円で奉仕される事を考えると怖くて仕方なかった。
「いや、行った事ないし、今はそんな気になれません」
「なんだ、つまらん奴だ」
だが、上司はニヤッと笑うと、「まあそんな傷心の山吹には、俺が何とかしてやろう」と言うと、「お前が行かなければ、お前の分も使った気になって、ワンランク上のお店に行ってくる!じゃあな!」と言ってさっさと繁華街へと消えていった。
あの上司も昔はモテていて彼女もいたが、煩わしさから風俗にハマり、少しの時間だけ孤独を埋められる関係がちょうどいいと言っていたと、先輩から聞いた事があった。
自分も将来そうなるのかなと思った時、実家からの電話。
何か用事かと思うと、結婚白紙をよりによって茜母から回ってきて、散々碧を悪く言い、謝れ謝らないで戦ったとクレームが入る羽目になってしまった。
酔いは一瞬で覚めて、「最悪」と呟くと、母からは怒鳴られる。
「最悪なのはこっちよ!愛想よく『あらどーも』なんて言ったら、いきなり『アンタのところはどういう教育したのよ!アタシの茜ちゃんを、悪く言って捨てるなんて精神異常者よ!』なんて怒鳴られたのよ?何を聞いても意味わかんないし!」
帰宅してからかけ直すと言って、改めて電話で説明をすると「だから同棲からしろって言ったのよ」とドヤられてもう寝込みたくなった。
だがキッチンには、茜が通い妻をしてくれていた時なら、「仕方ないなぁ」なんて言いながら洗ってくれていたが、それが無くなって溜まった皿がある。
1人になってわかるありがたみと自由の板挟みに、「くそー、1人はいいけど、ごちゃごちゃウルセェ」と言いながら皿を洗う。
案外1人の皿なんてやればすぐに洗える。
学生時代の皿洗いのバイトが生きていて、やればすぐ終わるので、それがまたよくなくてこうして溜まってしまっていた。
風呂に入りベッドに倒れ込んで、「あと何日かしたら前みたいな日常に戻れるのかな…」なんて呟いてみたが、学生時代から付き合っていたわけで、1人の社会人は初めてで、案外手持ち無沙汰に困ってしまった。
朝一番のメッセージのやり取りがない。
昼に何を食べて、何を食べるのかやり取りもしない、仕事が終わって帰る報告も何もない。
夕飯を作るにしても、前までなら帰りにスーパーで待ち合わせをして、「茜、肉と魚は?」と聞いて「魚ー」なんてやり取りもあった。
スーパーで「何か食べないといけない」、でも聞く相手がいないというのは辛い。
そもそも一人暮らしも無理矢理した。
下心丸出しで、ホテル代をケチって、長い時間2人でいたいからと頑張って独立した。
今思うと完全な一人暮らしは初めてで、身震いしたのは魚売り場が寒いからかわからなかった。
・・・
月が変わる時になり、上司から呼ばれると、同僚や先輩達が「お前、相磯部長と飯行ったんだろ?」、「あーあ、相磯風俗か、ご愁傷様」と言う。
何の話かわからない碧が、「飯は行ったよ?でも風俗は断ったけど…」と言うと、「え!?それなのになの!?」、「最悪じゃん」と言われて、会議室に行くと「来週から中途の新人が来る。お前に任せた」とだけ言われる。
戻って同僚と先輩達に話すと、「それ、相磯さんの手口なの」、「あの人は面倒なお願いをする前に、部下を風俗に連れて行くんだよ。先に奢ってもらうと断れないだろ?」、「あれ?お前知らなかったの?」、「てかそうか…、彼女が居たから知らなかったのか…」と言われてしまい、自分がとんでもない事になったと知ってガッカリしてしまった。




