決死の逃走
*
ストレの森に爆音と煙が立ち上って、森の中の鳥たちが驚いて飛び立っていった。
ボールウィザードは白い手をこまめに動かして、まるでマリオネットを操るように、紺色の魔法陣を俺たちの周囲の空間に作りあげていった。
戦士(男)が魔法陣から放出された火の玉を避けて、敵の懐に飛び込んだ。
〈コマンド〉
▶たたかう
ボールウィザードの顔の兜型マスクに微かに傷がついた。
別の魔法陣が光った瞬間に、魔術師(女)は素早く詠唱を開始する。
〈コマンド〉
▶魔法
▶フレイムテクト
全員に耐火魔法が付加された。
その直後、戦士(男)に火の玉が直撃して、地面に叩き付けられる。
僧侶(女)もロッドを構えて、けが人の剣士(男)とおびえきった治癒魔術師(女)を守っている。
〈コマンド〉
▶魔法
▶ツインシールド
剣士(男)と治癒魔術師(女)にバリアが張られた。
ボールウィザードはあざ笑うように、手を振りながら新たな紺の魔法陣を、幾重にも作り始めた。
戦士(男)が起き上がると、うなるように言った。
「もう一度行く。援護を頼む」
「また魔法が来ます」僧侶が声を上げた。
「魔法陣の色に注意して。紺の奴は攻撃の発生が早い――」
魔術師(女)が飛んできた火の玉を迎撃しながら叫んだ。
「それと『さっきの』が来たら、何が何でも魔法陣の外に逃げるのよ」
さっきの琥珀色の魔法陣のことだった。
比喩ではなく、耐性魔法がないと骨も残るか怪しいレベルの破壊力だった。
丸い体を揺らして挑発するような声をあげる敵に向け、再び戦士(男)が武器を振りかざして、突進していく。
俺は固唾を飲んで、その戦闘の様子をながめていた。
強い敵だ。戦士(男)の攻撃でもあの程度のダメージとは……。もしかしたら、すでに物理耐性の魔法がかかっているのかもしれない。それに魔法の回転が速すぎて、魔術師(女)も防御に回らざるを得ない状況だ。敵は魔法を操るうえに、単純にその巨体から放たれる物理攻撃も、侮れない威力があった。ボールウィザードが振り回した拳を戦士(男)が避けて、森の樹々が棒のようにへし折れた。
必死に戦う皆をみていたその時、俺の頭で雲を裂いて光が射すように、ピンと考えが舞い降りた。
――今が、チャンスなのでは。
この戦闘のどさくさに紛れて逃げてしまえば、きっと気づかれず済む。よしんば気づかれたとしても、俺を追ってくるような余裕はないはず。
天は俺に味方している。
心の中で、俺の口元に笑みが浮かんだ。
また前方で、紺色の魔法陣から火の玉が地面に着弾して、煙をあげていた。
「くっ……想像以上に、物理攻撃の耐性が強い」戦士(男)が、歯を食いしばる。
「この波状攻撃は鬱陶しいわね。避けきれない」魔術師(女)が息を切らして毒づいた。
「おふたりとも、回復します! 少し辛抱を」僧侶(女)が詠唱を始める。
俺は戦闘から目を離さないようにして、身体を強張らせて固唾を飲んだ。
戦況を分析するように、逃げるタイミングを今か今かと待ち構えた。
するとそのとき、ボールウィザードが白い手袋でこちらを指差した。琥珀色の魔法陣が再び地面に作り上げられる。パーティーの皆が、素早く魔法陣から回避すると同時に、熱線が空へと高く吹き上がって、周囲に焦げた臭いと煙が広がった。
煙がもくもくと広がっている。視界は一面、灰色に覆われていた。
そんな中、俺は全力で、戦闘領域に背を向けて、走った。
大きな鞄を揺らして、帽子を抑えて、不格好に前のめりに走る。
北の崖との位置関係から、ここから舟の荷揚げ場への方向は分かってる。森を短距離突っ切れば、開拓道に出るから、あとは迷うことはない。大丈夫、走ればいい――。
これでいい。このまま、逃げるんだ。それで、自由だ。
変な魔族とも、面倒くさい色恋の世話とも、くだらないパーティーとも、おさらば。
俺は、しがらみから逃れて……。
森へと走りながら、ふと後ろを振り返った。
俺の眼鏡が、薄くなり始めた煙の中のパーティーを映す。
当然ながら、まだ戦闘は続いていた。
人の振りして武器を持った魔族と、人の振りして杖をかざした魔族のふたりが戦っている。
険しい表情で、武器を握りしめている。
傷だらけになりながら、声を上げている。
俺は目をそらして、眼鏡を光らせた。歯を食いしばる。
なんで、戦ってるんだよ。なんで、逃げないんだよ。
魔族のくせに。
おまえらが人間なんか助けても、何の得にもならないだろ……。
走るごとに、徐々に戦闘音は小さくなっていった。
森の中に入って、姿を見られる心配がなくなってから、俺は一度立ち止まった。苔だらけの大木に手をついて息を整えながら、額の汗を拭いた。
まだ、遠くで戦闘が続く気配を感じる……。俺は眉間に皺を寄せた。
ただ契約で一緒にいただけの連中だろ。俺には、関係ない――!
俺は再び走り出した。
――琥珀色の魔法陣からの熱線は、回を増すごとに強力になっている。
魔術師(女)は状況の悪さを再度認識してから、めずらしく額に汗を垂らした。
予想外に、強い。
使う魔法自体というよりも、その連続性が脅威だった。それに、これもあのゴムまりの作戦か、奴の攻撃で、パーティーは皆、分断されて連携がとりにくい。
しかし、元来こいつらはそこまで俊敏な思考を持つタイプではないはず。こちらの大陸に来て、突然変異でも起こしたのか……。不可解な点はあるが、今はそこを突き詰める余裕もない。
戦士(男)の攻撃でも致命傷を与えられていない。
僧侶(女)の防御魔法でも、いつまで耐えられるかは時間の問題だ。
道具屋は……逃げたか隠れたか、姿が見えない気がするが、まぁいい。
私の魔法でどうにかしないと……。
でも、このままの姿で、どうにかできるか……。
考えながら、降ってきた火の玉を避けて、詠唱により魔素を杖に溜めようとした。
しかし、その瞬間に、足下がぐらついた。体勢を崩しながら、足首に植物の根が巻き付いているのが見えた。
しまった――。注意が散漫だった。
地面に倒れて、すぐに顔をあげたが、そのときには敵の指先がこちらを真っすぐに向いていた。身体の直ぐ下に、琥珀色の魔法陣が浮びあがる。
マズい――。
魔素の熱さを感じて、奥歯を噛んだ。
「うぉぉぉぉお――」
次の瞬間、やかましい叫び声とともに、魔術師(女)は魔法陣から抱え出され――というより、半ば突き飛ばされる形で、間一髪の差で熱線から逃れた。
草むらの上で体を起こすと、魔術師(女)は驚きで目を瞬き、ずれたとんがり帽子を直した。
「あんた、なんで……」
汗びっしょりで、息を切らした道具屋が、草の上にうつ伏せで倒れていた。
ふと視線を彼の足に向ける。熱線を避けきれなかったのか、服は黒く焦げて相当なダメージを負っているみたいだった。
魔術師(女)は、顔を歪めた。
「どうして助けたの……。わたしは、魔族なのに」
理解できないという表情だった。
あのままやられた方が、こいつには都合が良いに決まってるのに……なんで……。
辛うじて顔をあげて、道具屋は息も切れ切れのまま、言った。
「知るかよ。魔族とか、どうとか、それは知らん……」
魔術師(女)を見て、道具屋は痛みに耐えながら地面の草を握りしめた。
「俺は、戦闘もできないし、力もなければ素早くもないし、できるのは図鑑の知識をひけらかすことと、詐欺の手伝いと、覗きぐらいだよ。でもな……」
言葉を切って、道具屋が言った。
「でも、仲間は見捨てないって、俺は決めてるんだ。……やっぱり、それは曲げられないんだ」
魔術師(女)は目を瞬いた。そして、とんがり帽子を深くかぶると、つぶやいた。
「わけわからないわよ。人間なんて……やっぱり理解できないわ」
道具屋は早口に言った。
「いったん、退いたほうが良い。分が悪い上に、こうも分断されてちゃ、どうにもできない。どうにかして他の連中にも伝えて、森に逃げ込むんだよ。もう一回、道具か魔法で、ありったけの煙幕かなんかを作れば、退くチャンスはある。対策を考えてからもう一度戦わないと、全滅する」
しかし、魔術師(女)はゆらりと立ち上がると、ボールウィザードの方を見上げた。
「お、おい、どうするつもりだよ」
道具屋が言うと、魔術師(女)が鋭い目つきのまま、チラリと視線を向けて言った。
「少しの間、そこで見ていなさい」
道具屋は、帽子をかぶり直した彼女の真剣な表情に、ゾクリと寒気を覚えた。
魔術師(女)は「借りるわよ」と、道具屋の鞄からいくつかの持ち物を取り出していった。
黒色の魔法陣から雷撃が放たれて、僧侶(女)が張ったバリアが、粉々に砕かれた。戦士(男)が、ボールウィザードの足下に攻撃をするが、与えたダメージは少ないようだった。戦士(男)は見るともなしに、周囲の状況を確認した。
僧侶(女)の魔力も残り少ないだろう。それでも、ついさきほど会ったばかりの冒険者ふたりを懸命に守っている。
魔術師(女)と道具屋とは、魔法を回避するうちに分断されていた。近くにはいるはずだが、状況はよく分からない。
そのとき正面から火の玉が飛んできて、直撃を受けるが、なんとかこらえて足を踏んばった。鎧からぷすぷすと煙が上がり、戦士(男)の身体じゅうにも痛みが走っていた。耐火魔法の効果も、残り少ない。
この戦いに、勝機はあるか。いや、見つけなければ……。
嘲笑するような短い声をあげる、大きな敵を見上げて、戦士(男)は武器を握り直した。
くぐり抜けてきた数多の血戦に引けを取らないこの状況。
この期に及んで、戦士(男)の肉体の内側では、さらに血が昂っていた。
真一文字に結んだ険しい口元が、一瞬だけ鋭い笑みを浮かべる。
攻撃は通じず、形勢は不利――。しかし、逆境を乗り越えてこそ、戦いの中で最上の瞬間を感じられる。
だから、今は喜ばしく、心が躍る。
そのとき、ふと視界の影に、何かがよぎった。
離れた所に、魔術師(女)の姿が見えた。真っすぐにこちらを向いている。
その口元がゆっくりと動いていた。
次の瞬間、突然、灰色の煙が周囲の草むらを包み始めた。
魔術師(女)は、両手に持っていたアイテムを地面に落とした。
〈コマンド〉
▶持ち物
▶けむりだま(大玉)×2
コロコロと草むらに転がった煙玉から発生した煙幕が、ストレの森の休憩ポイントを包み込んだ。周囲の視界はさえぎられて、パーティーメンバーはどこにいるかも目視できない。こちらからも、あちらからも。
魔術師(女)は、もくもくと広がる煙の中を、ゆっくりと歩いていた。
視線は真っすぐにボールウィザードを向いている。
〈コマンド〉
▶魔法
▶テレパシーLv.51
口を開いて、見上げた先のデカぶつに、音のない言葉を投げかける。
『なかなか、たくさんの魔法を習得しているみたいだけど……どれも程度が低いわね』
その言葉に反応して、ボールウィザードがピクリと体の動きを止めた。
ボールウィザードは概して、ナルシストな種族だった。
自分たちが一番貴い姿で、貴い能力を有していると考えている。
変わり者で、プライドの高い種族だ。
『まるで、覚えたての言葉をワンワン吠えるコボルトみたい。レベルの低い魔法を使えるようになって、そんなに嬉しかったのかしら』
ニヤリと魔術師(女)は笑った。その挑発に、ボールウィザードも兜の下で、ニヤリと口元に笑みを浮かべたようだった。
標的を定めたように、白い手袋の指先が魔術師(女)を向く。
鮮やかな琥珀色の魔法陣が、魔術師(女)の足下で光り輝いた。
魔法陣がカッと光り、次の瞬間、熱線が放出されて、魔術師(女)を包み込んだ。
ボールウィザードは、満足そうに笑みを浮かべたまま、指先をクルクルと回して別の標的を探そうとした。しかし、その瞬間、動きを止めた。
『いったでしょう? 程度が低いって』
立ち上る熱線の内側から声がする。
禍々しい魔素が渦のように、声の中心に集中していた。
鉄をも、岩をも溶かす、魔法の熱線の中。
そこに立っていたのは、さきほどまでいた人間の魔術師ではなかった。
褐色の肌、優雅に湾曲した角が鈍く光り、アメジスト色の魔族の瞳が、ボールウィザードを射抜いている。
その魔族の魔術師の全身から、地を揺るがすほどの、強大な魔力が集約しては放出されていた。
『その魔法はね、こうやるのよ』
魔術師が、一点に魔素をまとった手の平を向ける。
〈コマンド〉
▶魔法
▶カタストロフ Lv.189
ボールウィザードの足下が光り輝いた。視線を向ける。
黄金色の巨大な魔法陣が、森の中に浮びあがっている。
次の瞬間、森全体が鼓動するような轟音とともに、まばゆい光の柱が魔法陣から立ち上った。
遠く離れたラカスタン城の見張り台の兵士は、空に伸びる光の柱をみて、急いで上官へ報告へ走っていき、城下町でも時計台の最上階レストランで食事をしていた客たちが、驚いて窓際に押し寄せていた。
人間に化ける魔術は、いわば身体の表面に魔法の膜を張るようなものだった。
その膜は内側からの魔素の流れを妨げる。つまり、その膜を解いたとき、魔術師の魔法は本来の威力を取り戻す。
熱線に焼かれたボールウィザードは、兜と装備を半分溶かした状態で、なんとか倒れずに踏んばった。指を動かして、反撃の魔法を起動しようとする。
しかし、その瞬間、目の前に戦士(男)が跳び上ってくる。
「油断したな」
〈コマンド〉
▶たたかう
超高速の斧が袈裟切りに振り下ろされて、ボールウィザードの球体の体が半分に割れる。甲高いうなり声とともに、ボールウィザードは煙となって分散していき、ストレの森の空に散ってしまった。
着地した戦士(男)の元に、僧侶(女)が駆けよってくる。
「大丈夫ですか? 敵は、倒したんですか?」
「あぁ、多分、作戦通りだ」
戦士(男)がうなずいてから、煙が晴れていく中、離れた所にいる魔術師(女)を見た。
いつも通り、とんがり帽子を直した彼女からはウィンクが投げかけられて、戦士(男)は微笑み返した。
意識朦朧としながら、一部始終をみていた俺は、ようやく力を抜いた。草むらに顔をべたりとつけて、息を吐いた。助かった……。
草が頬に当たって、チクチクとするが仕方がない。
足はメチャクチャ痛いし、疲れたし、緊張したし……。
頭の上で声がして、魔術師(女)が話しかけているみたいだった。姿をぼんやりみると、魔族の姿から人間のものに戻っているみたいだ。だが、はっきり見えない。
気がつくと、俺は目をつむっていて、周囲の話し声も小さくなっていき、意識を失った。




