あんたを『偶然』行方不明にすることも可能だけど…
*
この大陸には、冒険者を生業にした人間がおよそ数百万人いると言われている。
冒険者たちはギルドに所属して、そのギルドでクエストを受ける。クエストを達成することで報酬を得て、生活の足しにする。ギルドの所属は個人でも可能だが、普通は数人でパーティーを組んで所属することになる。その方が安全であり、効率的だからだ。
つまり、冒険者たちはパーティーで協力して、この大陸の魑魅魍魎を相手にするのだ。
なぜ、冒険者がこれほどまでに人気の職業となっているのか。その始まりには、海を挟んだ先の、もうひとつの大陸が深く関わっている。
海を挟んだ先の、その大陸には、太古の昔から人間とは全く別の種族が生息していると言われていた。
人間はそれを魔族、または魔物と呼んでいた。
約一〇〇年前、突如として魔族は海を越えてこちらの大陸にやってきて、攻撃を始めた。人間たちには、青天の霹靂のような出来事だった。それまで各国で争っていた人間たちは、身内での諍いをいったん止めて、魔族に対抗するようになった。各国から戦士を集めて、防衛線を張って、一致団結して戦ったのだった。そのとき集まった戦士、傭兵たちが、いまの冒険者たちの始まりと言っても良い。
約一〇〇年間、人間と魔族は争いを続けてきた。
互いに分かり合うこともせずに、いがみ合い、互いに力を見せつけ合った――。
ただ……何十年と過ぎたころから、魔族も飽きて来たのか、組織的に侵略してくるというよりも、単に好奇心で大陸を渡って来た奴らが暴れていくという感じになった。人間からしてみれば、はた迷惑きわまりないが、人間たちはその都度追い払う為に全力を尽くした。魔族や魔物に対する防衛線は維持されたものの、徐々にその規模を縮小した。
というわけで、目立った大きな戦闘というのは少なくなったが、大陸にはどこからか侵入した魔物が蔓延るようになった。それらに対する仕事を担うのが、各地から集められた冒険者たちだった。
時代と共に冒険者たちが担う仕事は変遷していき、いまでは多岐にわたる。
魔物の討伐、拠点防衛、偵察、要人警護、貴人護送。
研究材料の入手、魔法や薬の解読、稀覯本の入手や未開地の地図作成。
はたまた王族の子守り、貴族のペットのお守り、畑仕事の手伝いなど。
身分も性別も関係なく、自由で、自らの腕ひとつで成り上がることができる……。そんな一攫千金のイメージを抱いて、冒険者になる者は多かった。
*
パーティーに入ると非日常的な危険に毎日遭遇することになる。毎日をやり過ごしていくにつれて、その危険な日々は日常になる。
リンゴウモリの群れが現れた森の中で、いつも通り、俺は僧侶(女)と後衛に並んで、戦闘を見守っていた。僧侶(女)は祈るように手を組んで、固唾を飲んでいる。
しかし、心配して見る程の事ではない。
・リンゴウモリ…飛行タイプの魔物。赤や緑の球形の胴体に、巨大な蝙蝠のような羽をもつ。胴体部分は甘みが強い。(大陸百科事典より)
ぱっと森に熱気が走ったと思うと、魔術師(女)の杖からほとばしった炎魔法が、宙を飛んだ敵を次々と焼き尽して、ボトボトと地面に焼き林檎が落ちていった。
〈リンゴウモリの群れをたおした〉
見事に敵を倒して、とんがり帽子を直す魔術師(女)を見ながら、俺は腕を組んだ。
魔術師(女)の見た目は、世間一般的に容姿端麗と言われるものだろう。女からは格好いいと言われるタイプかも知れない。深い緋色の長髪で、トレードマークのとんがり帽子をかぶると、前髪が片目を隠すことも多い。深緑色のロングコートを着こなして、身体のしまるところはしまって、出るところは出て、スタイルは良い。きつめの目元をしているが、睫毛は長く、顔も小さく、鼻筋はスッと伸びて、肌は滑らか。
ただし、性格は最悪に近い。高飛車、高慢、口が悪いし、人によって態度を変えるし。
優れた魔法も容姿も、性格を犠牲にして手に入れたのではないかと思ってしまうほどだ。
きっとアイツはこのパーティーを抜けたとしても、引く手あまたなんだろう……。男からも女からもチヤホヤされて……。
考えているうちに、舌打ちを零しそうになった。いやいやいや、嫉妬なんてしていない。あんなリア充野郎に嫉妬なんて……。
ガサッという茂みの音に気づかなかった。次の瞬間、後ろから俺は肩を叩かれた。
振り向くと、鼻先につきそうな距離に、気味の悪い斑点のついた黄色い顔があった。
『ウボァ』
〈ゾンバナナが現れた。バックアタックだ!〉
俺は情けない声を上げて、急いで戦闘態勢に入った。
・ゾンバナナ…アンデットタイプの魔物。熟れたバナナのような胴体をしており、腐敗したバナナのような臭いがする。(大陸百科事典より)
草の上に座った俺の目の前で、魔術師(女)が仁王立ちしている。
「――信じらんない。意識が低すぎるんじゃないの!?」
ガミガミと言われるがままま、俺は僧侶(女)に怪我の治療をしてもらっていた。
「自覚ってもんを持ちなさいよ! それでも冒険者なの?」
回復魔法で腕の傷は治りつつあるが、耳が痛い。
「力もない、速さもない、戦闘もできない……」
辛辣な言葉が並べられて、魔法で動く針のように俺の額に刺さっていく。
「あげくの果てに、敵に狙われて足手まとい。何ができんのよ、あんた」
うつむく俺を見かねてか、僧侶(女)と戦士(男)がなだめてくれていた。辛辣女は、それでようやく言葉を落ち着けたが、イラついた表情で俺を一瞥した。
「全く……! 何もできないなら、せめて邪魔にならないようにしろっての」
最後にそう言い残して、魔術師(女)が歩いて行く。
カチンと俺は眼鏡を光らせたが、何も言えず、眉間にしわをよせた。
憎たらしい、とんがり帽子がふりふりと揺れていた。
――サクジツ森、東部入り口付近。
城下町への帰路の中、パーティーと少し離れて一番後ろを歩きながら、俺は無言で怒りに思考を任せていた。
……好き放題言いやがって、あの女。今までなんとか耐えてきたが、もう我慢ならん。
あざといインテリ女め。どうにかして、仕返ししてやりたい。が、どうすれば……。
と、そこで俺は思いついた。
そう。奴のコマンドウィンドウを見てやればいい――。
どんな奴であれ、何かしらの秘密があるものだ。あぁいう奴に限って、持ち物がめっちゃ汚かったり、人に言えない変な物を持ってたりするもんだ……。
あいつが内側に隠した、見られたくない「何か」を探り当ててやろう。
本当のことを言うと、俺は同じパーティーのメンバーのコマンドウィンドウは見ないことに決めている。それは、過去の経験から、見たところでデメリットが大きいから、とか色々理由はある。が、仕事仲間としての最低限の礼儀は持ちたいとも思っているのだ。
俺の信念みたいなものだった。
だが、今回ばかりはその信念も、一旦、脇に置いておく。
最初に礼儀を叩き割ってきたのは、あの女なのだから仕方ない。
秘密を見られて、あの魔術師(女)が恥ずかしい表情を見せるのを想像すると、思わず顔がにやけそうだった。
「敵よ」
声が聞こえたと共に顔を上げると、目の前に巨大なトゲキウイ(オス)が興奮した様子で立ちはだかっていた。
戦闘態勢に入った魔術師(女)が、すべるように前に出る。
「さっさと帰りたいし、わたしがやるわ。一発で終わらせる」
またとないチャンス。俺は絶妙に立ち位置を移動して、真剣な表情で狙いをすました。近すぎず、遠すぎず、魔術師(女)の手元がよく見える。完璧だ。
「行くわよ――」
詠唱と共に、コマンドウィンドウが開く。空間にコマンドが出現する。魔法のリストが見える。俺は眼鏡の奥で、目を見開いた。来い……!
「ファイア!」
魔力の光がとんがり帽子をまとい、大きな火球が轟音と共に飛んで行く。
そして、コマンドウィンドウ。俺の目が一瞬で、その魔法のリストをとらえていく。
〈魔法〉
・エリミネート Lv.169
・ペインダスト Lv.150
▶・デルフレア Lv.271
・バニッシュフロスト Lv.130
・マルファンクション Lv.155……
あれ……? デル……?
聞き間違いか……いや、完璧に「ファイア!」と、叫んでいたはず。
それに、魔法リストが何だか……物騒な、見慣れないものばかり……。
俺の脳内に、道具屋の秘密道具――大陸百科事典のとあるページの記憶が蘇る。
〈デルフレア〉――巨大な火球を発生させて、全てを燃やしつくす攻撃魔法、主に別大陸魔族が用いる高度魔法――。
主に、別大陸魔族が用いる……。
トゲキウイが地面に倒れて、地響きが広がった。
「やった。さすがです。魔術師さん!」
僧侶(女)と戦士(男)が、魔術師(女)に近寄って、三人でキャッキャと和み始める。
俺は少し離れたところで、呆然と半笑いをこぼしながら、考えていた。
……いまの魔法は……いや、まさかね。見間違いかな。あんな変な魔法ばっかり覚えてる訳ないし。きっと、見間違い……。
まぁ、今も魔法リストは見えてるんだけど。
じーっと、開いたままのコマンドウィンドウを俺が見ていると、ふと視線に気づいたように魔術師(女)がこちらを見た。不思議そうな顔の後に、俺の視線を追って、自分のコマンドウィンドウを見る。束の間、その動きが止まった。
次の瞬間――背筋が凍るような、鬼の形相が俺を見据えた。
ヤバいかもしれない……。
ゆっくりと魔術師(女)が近づいてくる。すれ違い様に、耳元で言った。
「今晩、話があるわ。宿の裏に来なさい」
冷や汗をびっしょりかいて、俺は魔術師(女)の後ろ姿を見つめた。
その日の夜。
東の城門近くの宿の屋根の上には、丸い月が出て、どこからか犬の遠吠えも聞こえていた。俺は重い足取りで、裏口から宿の裏の林へと歩いていた。
日中から引き続き、緊張と疑念と混乱が、俺の頭をかけめぐっていた。
あの魔法リストは、一体……。ていうか、あのレベルは……。考えは渦のように、廻り巡って、最悪の結論へ収束していくのを感じていた。
林に入ると、直ぐに空き地のような開けた場所がある。そこの中心にある切り株に、魔術師(女)が足を組んで座っていた。膝の上に肘をおき、頬杖をついていた。
「よく来たわね。臆病者のあんたは、逃げるかと思った」
月明かりに照らされながら、魔術師(女)が言った。とんがり帽子の下で影になって、はっきりと顔は見えなかった。俺は、体の横で手を握りしめていた。
「話って……な、なんだよ」
「分かってるんじゃないの?」
いまだ帽子の下の表情は見えないが、声色は嘲るようだった。
「前々から、酒場でもどこでも、他の奴らのことをチラチラと覗いてるのは知ってたけど。まさかパーティーの面子にもするとはね。けど、『こっち』には、こういう言葉があるんでしょ? 薮を突いて、蛇を出す――って」
ゆらりと、魔術師(女)が立ち上がると、コートがフワリと広がった。黒い影が渦を巻いて立っているみたいに、威圧感が押し寄せる。森が小刻みに揺れていた。
俺は、もう一度強く拳を握りしめた。けれど、カタカタと小刻みに震えてしまう。
それでも、こめかみに脂汗を流して、意を決して言った。
「お前、魔族だろ……?」
口元に小さく笑みを浮かべたあと、クイと、魔術師(女)が帽子を上げた。
すると、彼女の肌を黒い斑点がズズッと這い回って、徐々に全身の肌の色が変わっていく。青黒く艶のある肌に、危険な香りのする、入れ墨のような紋様が浮んでいる。琥珀色だった瞳は、不気味なアメジスト色になり、白目の部分は真っ黒になっている。
最後に、とんがり帽子がモゾッと動くと、頭から悪魔のようなツノが伸びでて来た。
紛うことことなく、魔族だ――。
刺すような視線が、俺を見つめていた。
「覗き魔野郎にバレるなんて、想像もしなかったけど……」
完全な魔族の姿になった魔術師(女)は、一歩前に出た。俺は、声を荒らげた。
「お前……何が目的だよ。人間の振りなんかして、何の為に、こんな事を……」
敵対関係にある人間へのスパイか。やり手の冒険者を装って、王族や軍の上層部に近づき、内側から国々をメチャクチャにしようとしてるのか……。魔族の目的なんて、計り知れなかった。だが、それは正直なんでも良い。
俺の質問の一番の目的は、この場をどうすれば生き残れるのか、考える時間を稼ぐことだった。本当に。やだ。まだ死にたくない。
魔術師(女)は俺の問いかけを聞いて、足を止めた。
「目的……?」
と、ひとつつぶやいた。グッと恐ろしい目を閉じて、胸に手をやる。
魔術師(女)が眉間に皺を寄せて、次の瞬間、パッと月を見上げた。
「私は……戦士(男)くんと一緒にいたかった」
月明かりに、魔術師(女)の顔が照らされる。
魔族の女の、うっとりとした表情を見つめて、俺は体の動きと思考を止めた。
どういうことだ……?
魔術師(女)は語り始めた。
「二年前……私はとある魔族の群れとトラブルになった。元々、一時的に協力関係にあったけれど、計画の方向性の違いで私が抜けようとしたことにリーダーの奴が怒ってね。奴らは、私を粛正しようとしたのよ。集団に追われた私は、油断から手傷も負って、魔力も残り少なくなっていたわ。なんとか逃げようとしたけれど、最後には、奴らに追いつかれてしまった……」
ちなみに集団の魔物は主にコボルトだったらしい。
以前から魔術師(女)がコボルト相手だと、引くぐらい手加減しなかったのを思い出した。
「立ち上がることもできずに、もうあきらめた……そのときだったの……!」
壁のような広い背中が、傷ついた魔術師(女)の前に突如現れた――。
一瞬のうちに、嵐のような攻撃を繰り広げて、現れたその男は魔物を蹴散らした。
強く勇ましい彼の前に、魔物の犬もどき共は、散り散りに逃げ去っていった。
その後、彼は魔術師(女)を振り返って、言った。
『大丈夫だったか……?』
その低い声は、腹の底から熱いものがこみ上げる程、格好良かった。無骨な顔に浮かべた不器用な微笑みは、母性をくすぐられた――と、魔術師(女)は回想する。
「初恋だった……」
魔術師(女)が月を見ながら、うっとりと零した。
その最高に格好良くて強くて、素敵な男。
それが、あの戦士(男)だったという。
「……」
「私は、どうしても彼が忘れられなかった。寝ても覚めても、彼の横顔と声が思い浮かんだわ。しかし、彼は人間……。種族の壁を考えて、絶望しそうになった。でも! あきらめきれなかった」
「……」
「だから、私は考えた。持てる技術と魔術を総動員して、ついに……ほぼ完璧に人間に化ける魔法を編み出した。そして、考えうる限りの方法を尽くして、彼の居場所を突き止めようと、各地を巡った」
町や都での聞き込み、宿での宿泊者名簿のチェック……。酒場でのうわさ話に聞き耳を立てて、似ている人間を探し周り、ついに名前を入手することに成功し、それから戦士(男)が残した痕跡をひとつ残らず集めて、街から街へ追いかけた。
「そして、一年前。とうとう、私たちは再会した――」
人間は、偶然の出会いというものに惹かれるのだと、書物を調べることで魔術師(女)は知っていた。だから、彼との再会も、偶然という条件をそろえた。
「彼の持ち物袋をくすねた後、町ですれ違いざまにそれを落として、ひとこと言うだけで良かった」
〈落としましたよ〉――と。
「あとは、簡単だったわ。偶然、彼のパーティーは魔術師が抜けたばかりで、偶然、私は所属するパーティーを探していて、偶然、お互いの利益が一致した。そうやって、私たちは念願の同じパーティーに入ることができた」
「……」
俺は真剣な表情で喉を鳴らした。
凄い執念だ。見知らぬ男の情報を……集めて……追いかけて……近づいて……。
話を聞き終えて、俺は眼鏡を直しつつ、こめかみに汗をひと粒流した。
そして、どうしても気になったことを尋ねた。
「それは……ストーカーと言うのでは……?」
魔術師(女)が俺を見て、俺も彼女を見て、束の間沈黙が流れた。
「違うわよ!」
魔術師(女)の褐色の顔がほのかに赤くなる。
「あんたみたいな変態と一緒にすんじゃないわよ。このクソ覗き魔野郎!」
「な、何を、人間に変装してる奴が、偉そうに!」
思わずいつもの感じで突っ込んでしまった。
すると音もなく、魔術師(女)が一瞬で距離をつめて、俺の顔をつかんだ。
「まぁ、細かいことはどうでもいいわ。つまり、私は、彼のいるパーティーを抜けるわけにはいかないの。バカな変態にも、このくらいのことは理解できたわね?」
頬に爪が食い込んで、俺は必死でうなづいた。
「あんたを『偶然』行方不明にすることも可能だけど、良いことを思いついたの」
月に雲が重なって、森が薄暗くなる。目の前に立った魔術師(女)の威圧感が増して、俺に覆い被さりそうなほど巨大化したように感じた。
「……なんだか最近、どうにも進展がなくてね。彼が私のことをどう思ってるのか、想像もつかない。もっと距離を縮めたいけど、彼は戦うことが一番の関心ごとだから、あまり手も打てなくて。まぁ、その無骨さが彼のいい所ではあるんだけど……」
爪が俺の頬の肉に深く食い込んで、魔術師(女)の瞳が恐ろしい紫色に光った。
数々の魔物をいとも簡単に葬ってきた、強大な魔素の流れが、その身体からにじみ出る。
「覗きが得意なんでしょ? だったら、彼の情報を調べて、私に教えなさい。趣味、好み、経歴、なんでもいいわ。私が彼を手に入れる為に、有益な情報を集めてくるのよ」
眼鏡をふるわせながら、俺は魔族の女を見つめた。
「あんたは、私の恋を成就させるための、先兵となりなさい。断ったらどうなるか、賢い道具屋さんには、想像がつくわね?」
後にも先にも、こんなにも恐ろしい女の笑顔を俺は見たことはなかった。
空の頂点に近づいた満月が、森の中の哀れな俺を照らしていた。
この夜が、道具屋として俺の受難の始まりだった。