第63話 解任
アガナタは、青ざめた顔をして呆然とする。口を開くも、何も言うことができず、直立不動のまま立ち尽くし、マントだけが風に煽られて忙しなくはためいていた。
廃屋での『休憩』から一日が過ぎ、宿泊した町を出立しようとした折に、三人の教団関係者が宿の前で待ち構えていた。
一人は体格の良い、見るからに護衛といった感じの大男。もう一人は半面と濃紺のマントを身にまとった男。そして、先頭の細い目をした顎鬚の男は、赤い紋章板を携えていた。
――赤い紋章板
これは、奉献の徒の管理神官であるアガナタや普通の朧が持つ鉄色の紋章板とは異なり、奉献の徒に対して直接命令を下す者が持つ絶対的な象徴だった。これを持つ者が奉献の徒に指示を出したならば、理由を問うことなく、速やかにこれに従うよう厳命されている。
その、赤い紋章板を持つ男が言った。
「管理神官交代の命が下った。今より、この男が新しい管理神官となる。……解任されたお前は、我々とともに聖都に来てもらおう」
そして、後ろに立っていた半面の男が前に出た。
「私が新しい管理神官だ。以後、諸君らは私の指揮下に入る。短い間だがよろしく頼む」
何も言えないアガナタの後ろから、オッドーが声を荒げる。
「ちょっと待て! どういうことだ。あと数日で聖都だというのに、今更管理神官の交代などと……」
「お前はこの紋章板が見えないのか? それとも、守護主神官も交代が必要か?」
顎鬚の男は眉一つ動かさず言い放ち、オッドーは唸り声を上げるも、それ以上言葉を発することができなかった。
「ど、どういうことですか!? あの、ちゃんと説明してください!!」
ユオーミが顎鬚の男に食い下がるが、彼はユオーミすら相手にしない。
「巫女様、これは決定事項です。ですが、ご安心ください。誰であろうと管理神官は管理神官。滞りなくその役目を果たすでしょう。奉献の徒には元々、個人などというものは存在しませんから」
初めに、アガナタから言われた言葉を、ユオーミは確かに覚えている。
『我々は個人ではなく、役職としてここにおりますので、例えば二人いる青の世話人を呼び分ける必要はありません。どちらでも同じくその任務を果たします』
だが、彼女にとってそんな事は問題ではない。
「それでも……!」
「巫女様!」
言い募ろうとするユオーミの言葉を、アガナタが遮った。
彼は目を瞑り、一度深呼吸をしてから再び目を開くと、ユオーミを振り返る。
その瞳に、ユオーミの驚き、絶望した顔が映った。胸を引き裂かれる様な痛みを感じながらも、彼女を安心させたくて微笑みかけるが、それは、ただ彼の顔を引きつらせただけで終わる。
「……ご案内が途中となってしまい申し訳ありません。ここで、お別れとなります」
「そんな! 私のせいで……」
「巫女様は! ……悪くありません。むしろ、立派でした。私は、心から貴女を誇りに思います」
再びユオーミを遮ったその言葉は、僅かに震えていた。
そしてオッドーと奉献の徒の方を向き、別れの言葉を告げる。
「守護主神官、皆、巫女様を頼む」
オッドーも、他のメンバーも、返事をすることもできず、まるで魂を抜かれたかのようにアガナタを見つめていた。
アガナタは、精一杯の笑顔を作る。今度は、なんとか上手くいったその微笑みで再びユオーミを見つめ、最後にこう言った。
「巫女様、胸を張ってください。貴女はまごう事なき立派な巫女だ。……先に、聖都でお待ちしております」
頭を下げて背を向けると顎髭の男の元に歩み寄り、用意された馬に跨る。そして彼は、紋章板の男と護衛と一緒に、振り返ることなく走り去った。
ただ、彼らの背中と蹄の音が遠ざかるのを見つめながら、誰も、一言も発することはできない。
このまま聖都まで一緒だと思っていた彼が突然いなくなり、日常はあっけなく崩れ去った。誰もが、そんな馬鹿なことがあって良いのかと、途方に暮れ、ただただ、アガナタたちが消えた路地を見つめていた。
ユオーミはどうして良いか分からず、唇を噛んで震える自分を抱きしめる。
そんな彼らを一瞥した後、新しい管理神官は微笑みを浮かべてユオーミに告げた。
「さぁ、我々も出発いたしましょう。……時間は有限です。無駄になさいませんよう」
ユオーミは、そんな管理神官の言葉は一つも耳に入らず、アガナタがかつて言った「奉献の徒は教団に見張られ、適性が無いと判断されたら即座に交代させられる」という言葉を思い出し、愕然とする。
自分が勝手に起こした行動のせいでアガナタが連れていかれたのだと、そう悟った。
巫女の役目の範囲を越え、王子達と密会をした。それを教団に気づかれたのだと。
(どうしよう。アガナタさんがいなくなっちゃう! 何か、何か考えなくちゃ!
……一体何を? 連れていかれたアガナタさんを取り戻す方法? 教団のルールの中で生きる私たちに、それを覆す力があるの? それができないから、ルールを逸脱した罰としてアガナタさんが連れていかれちゃったんじゃないの?
私が、私が勝手な事をしたから、アガナタさんが……)
彼女は胸を潰されるような苦しみを感じ、そしてさらにその上から心に爪を立てられるような痛みに、たまらず顔を歪める。
(私が、調子に乗ったから! 我儘を言ったから! 自分で責任すら取れない行動を、私が、私が……)
「あの! 管理神官さんは、これからどうなりますか?」
自分の拳を、まるで治まる様子の無い戦慄きを抑え込もうとするように、もう片方の手で包み込みながらオッドーに問いかけた。
だが、彼は何か言おうとして何も言葉が出ず、代わりに新管理神官が応じた。
「……前任の管理神官の事を言っておられますか? それでしたら、恐らく罰を受ける事になると思います。奉献の徒の解任というのは、そうそうあるものではありません。私も詳しくは知りませんが、何かしらルールを逸脱した行為を行ったのでしょう。
それは、ある意味神の意志に背いたと同じ事。相応の罰が下されるのではないかと思いますし、実際にそうあるべきだと考えます」
神妙な顔で応える彼の顔をまじまじと見つめたまま、ユオーミは言葉を失う。
(この人は、何を言っているの……?)
絶望のあまり、呼吸が浅くなる。自分の身勝手で大切な人に迷惑をかけ、その結果彼がいなくなってしまった。一体自分は何をしているのか? 昨日までの達成感がまるで嘘のように、胸に鉛を流し込んだような息苦しさを覚え、項垂れるユオーミ。
思考はまとまらず、冷や汗が頬を伝う。そして、自分の浅く激しい呼吸が、まるで自分の物では無いかのように、酷く遠くに聞こえた。
軽率な行いの結果に浮かれていた自分の愚かさに、彼を救うことのできない自分の無力さに打ちのめされる。
俯いたまま、ぽつりと、零れた言葉。
「私が、悪いんだ……」
ユオーミは、滲んで見えるその足元が唐突に崩れる様な錯覚を覚え、膝から崩れ落ちた。
街外れで、聖都に向けて走り去る三騎の馬を遠目に見つめ、ニアティは馬上で独り言ちる。
「残念だよ、アガナタ。……私情を挟み、結果、巫女様を守れなくなるとは」
髪を風になびくに任せている彼女の顔は全くの無表情だったが、その瞳は暗く、寂し気に揺れていた。
ニアティは、王都にてユオーミからアガナタ宛に紐飾りを託された際、その紐飾りを解いてそこに隠されたメッセージに目を通していた。
巫女が、王子達を仲裁しようとしている。そして、それにアルバーダ将軍が関与しているという、あまりの内容にニアティも目を疑ったが、だが、あの巫女ならばやるかもしれないと妙に納得もした。
しかし所詮は子供の浅知恵。情報はニアティの手に落ち、その命運をは完全に彼女に握られてしまった。
そしてニアティは、その手紙を握り潰すのではなく、あえてアガナタに渡し、協力者と接触した所を抑え、彼をルール違反で告発しようと考えた。
だが、その後のアガナタは、不審な動きこそしたが尻尾を出さず、あっさりと王都を出発してしまう。ニアティは焦ったが、結果的に奉献の徒に忍ばせた朧メンバーからの連絡を受けたお陰で彼らの規則違反を現認することに成功した。
(実際お前は大した奴だ。協力者と接触する事が分かっていながら我々は阻止することも、検知することもできなかったのだから。だが、残念ながら巫女様は、悪い大人の目を掻い潜る程の擦れた知恵は持ち合わせていなかったようだな。
お前なら、彼女の伝達手段が危険であることは理解していた筈だ。だから正解は、巫女様のメッセージを無視する事だった。だが、お前はそうしなかった)
東屋で激高し、巫女は一人の人間だと叫んだアガナタ。彼であれば、巫女の願いを無下にはしないだろうと、ニアティには予感があった。
果たして彼はそのとおり巫女の計画に乗り、そして終わりを迎えた。
ニアティは、そんな状況の中で彼が巫女の願いを叶えようした事に誇らしいものを感じつつ、一方でその結果巫女を守り切れなくなったという事実に、失望を覚える。
「これが私情でなくて何なんだ。……現実は残酷だと、お前もよくよく理解していただろうに、とんだロマンチストだ。……馬鹿者が!」
そう吐き捨て、唇を噛むニアティ。
彼女はレシュトロに対して、「アガナタが王族と巫女を会わせようとした」と報告していたが、巫女が主体的に関わっているとは記載しなかった。
そもそも、ここで巫女が規則違反をしたとしても、生贄の儀式の参列者に顔が割れている現状では、巫女の入替えはできない。レシュトロも、アガナタを警戒していた。であれば、報告するのはアガナタ一人で充分だと、彼女は判断したのだ。
(詰まらない。本当に詰まらない感傷だな……)
そして彼女は空を見上げる。強い風に煽られ、大きな雲の塊が青い空の果てへと流されてゆく。
無性に叫び出したい気持ちを抱え、彼女は天を仰いだまま瞳を閉じる。
彼女が失望したのは、アガナタなのか、はたまた世界そのものなのか。
「なんて詰まらない世界なんだ。ああ、くそっ……酒が飲みたい!」
苛立ちとともに吐き出された言葉はたちどころに風にさらわれ、砂とともに巻き上げられたそれは、空の彼方で霧散して消えて無くなった。
アカネイシア王都のとある貴族の屋敷。その一室。客としてそこで過ごすユラーカバネは驚き、向かいに立つレイシアに大声を上げた。
「アガナタが管理神官の任を解かれた!? ど、どうするんだ!」
レイシアは、その美しい顔の眉間に僅かに皺を寄せ、冷たい目でユラーカバネを見つめたまま答える。
「アガナタが外された事も問題だけど、さらに悪いのが、この後アガナタが聖都で尋問を受ける事になっているという事よ」
ユラーカバネが愕然として目を見開いた。
「我々の計画が教団に漏れてしまうではないか! 折角私の影武者を使って朧の注意を引き付けていたというのに、そんな事になるとは……」
「仕方ないでしょ! 想定外よ」
苛立ったようにレイシアが声を荒げた。そして、神経質そうに自分の中指をこめかみに当てる。
(アガナタ無しでこのクーデターは成功する? いや、禊用の天幕を奉献の徒が守っている以上、それは難しい。今から残りの守護神官たちを抱き込むのも無理……)
焦るレイシアに対して、ユラーカバネが再び大声を上げた。
「それよりも、計画が漏れてしまえば、私が聖都に入った時点で拘束されてしまうぞ!」
「……朧の内通者に連絡して、アガナタを暗殺するよう手配するわ」
苛立ちを押し殺しながら、レイシアがその冷たい目でユラーカバネを睨みつけると、彼は黙り込む。
(このままでは、主戦派どもの思い通りになってしまう……。一年がかりで仕込んできた苦労が水の泡。何という事……。
しかも、上手くいっていた筈の離間工作もここにきて急に失敗し、アカネイシア王国内で内戦の可能性も遠のいてしまった。
これでは、皇帝陛下に合わせる顔がない。何か起死回生の策を……)
レイシアは、目の前で押し黙るユラーカバネを見つめる。
「ねぇ、貴方の力でなんとかアガナタを管理神官に戻せないの?」
「……ギュネスに頼んでみるが、彼が朧にどこまで影響を及ぼせるかは未知数だな」
「その彼が朧に影響力があるのなら、そもそもアガナタたちはカラマナラス山脈を越えた後に朧に襲われてないでしょ」
「……」
ユラーカバネは眉間に皺を寄せ、怒りにも似た表情を浮かべ溜息を吐く。
「このままでは父を裁くどころではないな。巫女様を、私がお救いせねばならぬと言うのに……。不甲斐ない」
ユラーカバネの横顔をチラリと見やり、彼女はその瞳を歪ませる。だが、ひとつ瞬くと、いつもの無表情な顔に戻っていた。
「……惜しいけれど、やっぱりアガナタは殺すしかないわね」
レイシアはユラーカバネから目を逸らし、静かに溜息を吐いて思い詰めた様に、そう呟いた。




