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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第10章 森の廃屋:心繋ぐ者
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第61話 絆



 廃屋の地下室で、ヨスホースを見つめたままユオーミは小さく深呼吸する。


 彼は先ほど、「今更何を話し合えと?」と言っていた。


 彼の瞳の、その奥にあるもの。酷く恐れながら、何よりも渇望しているもの。

 それは、何なのか。


 ユオーミは、そっと左手首の紐飾りを撫でる。母の形見、そして、アガナタが編み直してくれた紐飾り。とても愛おしく、触れる指先から温かさが全身に伝わってくる気がした。気持ちが昂り、僅かに目に涙が滲む。



 ユオーミは少し強めに息を吸い込んだ後、一度唾を飲み込み、それから静かに語り掛ける。


「今更、でしょうか……? お二人は今、互いに話したいことがあるのではないですか」



 落ち着き払った様子のユオーミにヨスホースは驚き、急に自分の心臓の音が大きく聞こえた気がした。


 何故だか分からなかったが、彼は場の空気が変わっていることに気が付いた。先ほどまで、この空間を支配していた筈の彼の怒りは、ゆったりと構える巫女の前で何だか酷く場違いな気がし、気後れする。


 しかし、ヒルラインの見ているこの場で振り上げた拳を下ろす訳にもいかず、さりとて巫女に噛みつくこともできない彼は、その場に固まったまま黙り込むしかなかった。



 急速にそのやり場を失い、萎んでゆくヨスホースの怒りの感情。その残渣の中に取り残され、途方に暮れる彼を見やり、ユオーミは目を細めて考える。


(一旦場を収めたものの、これでは足りないわ。彼らを、彼らの繋がりを取り戻さなくては……)


 そして、唐突に語り出す。

「少し、私の話をさせてください。


 私は、親の顔を知りません。生まれてすぐに亡くなってしまい、私は養父母に預けられました。だから、私には兄弟がいません」


 重苦しい空気の中、王子達は戸惑いつつも彼女の言葉に耳を傾ける。


「その養父母も七歳の時に亡くなり、さらに預けられた先には、同い年の女の子がいました。……友達になれるかと思ったけれど、そんなことは無くて、彼女は毎日私をいじめました」


 突然語られた巫女の過去。その、神聖さとあまりにもかけ離れた、俗っぽく、穏やかでない生い立ち。


 尊き生贄の巫女に「巫女になる前」があったという当たり前の事実と、それを考えてみた事すら無かった自分に衝撃を受ける王子たち。


 けれど、それは確かに存在した時間で、そしてそれは、彼女が普通の人間であった日々の記憶でもある。


「里親も、私を助けてはくれませんでした。私はただ、使用人として生かされ、働く毎日でした」


 目を見開き、顔を強張らせる。何を言って良いのか分からず、言葉が出ない二人。


「私には兄弟は居ません。

 ……ねぇ、教えて下さい。兄弟とは、どういうものなのでしょうか? お互い慈しみあうのではなく、憎み合い、奪い合うものなのでしょうか?」


 ヨスホースは唐突に問われ、言葉に詰まる。けれど、黙っている事はできないと、無言でそれを肯定してはいけないと強く感じ、口を開く。巫女の悲しみを、少しでも癒すために、兄弟と言うものを、誤解されないように。


「……巫女様。それは違います! 兄弟とは、共に生き、支え合うものです。

 確かに、兄弟とて突き詰めれば他人。時にすれ違い、衝突することはあるかもしれません。ですが、それは本質ではありません。互いを良く知り、不足を補いあう事こそが、兄弟なのだと、そう考えます」


「……ヨスホース様は、とても優しい方なのですね」

 じっとヨスホースの顔を見つめた後、ユオーミがそう言うと、彼は動揺し、曖昧に返事をした後思わず目を逸らした。


「ヒルライン様は、どう思われますか?」

「えっ?」


 急に振られて動揺するヒルラインも、やはり何も言わないことがはばかられ、何とか言葉を絞り出す。ただし、兄と同じことを言うのが癪に障り、一言だけ付け足した。

「……。兄弟は、支え合い、助け合うものだと、そう思います。……ですが、一方で、競い合うものでもあると考えます」


 ハッとした顔でヨスホースがヒルラインの顔を見た。


「競い合う……。それは、何故でしょうか?」

 ユオーミの問いに、兄の視線を受けたまま弟が答える。


「より二人で高みを目指す為です」


 緊張した面持ちのヒルラインに対し、ユオーミは微笑みを見せた。

「なるほど。お二人は、高みを目指していたのですね!」


 王子達は、この、弱冠十四歳の巫女に表情一つで感情を揺さぶられている事に気づかず、巫女に認められた事に安堵の表情を浮かべる。


 けれども、この巫女はそんなに甘くはない。

「では、今のお気持ちについて、お二人で話し合って頂けますか?」


「えっ……?」


 十四歳の少女の無垢な視線に晒され、ヨスホースが絶句した。

 先ほどのヒルラインの言葉を聞き、彼と語り合いたいことは山ほどあったが、プライドが邪魔をする。自分から歩み寄る事が、酷く苦痛に思われ、言葉が、喉の奥につかえて出てこない。


 やがて、ユオーミの視線に耐えきれなくなったヨスホースがユオーミから顔を逸らすと、ふとヒルラインと目が合った。


 実際にはそんな事は無かったのだが、ヨスホースには、どこか弟の目元が笑っているように感じられ、声を荒げた。


「……なんだお前! 言いたいことがあるなら言え!!」

 最早、完全に八つ当たりだったが、彼はその感情をコントロールできるほど達観してはいなかった。


 先程より、何だか少し小さく見える兄を前に、ヒルラインは急に可笑しくなって思わず鼻で笑ってしまった。それを見咎めて再びヨスホースが叫ぶが、ますます可笑しくなり、声を出して笑う。


「な、な、何がおかしいんだ、お前!!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る兄が、彼には愛おしく思えた。


 そんな二人の様子を見ながら、ユオーミが口を挟む。

「ヨスホース王子。貴方は、ヒルライン王子の事を褒めていましたね? 剣の才能もあり、頭も悪くないと」


「なっ! い、言ってない! いや、言いましたが、その……」

 驚き、抗議の声を上げるヨスホース。けれど、巫女に嘘を吐き通す度胸もなく、最後は尻窄しりすぼみになって、横目でチラリと弟の顔を伺う。


 その弟は、驚きに目を見開き、固まっていた。

「……」


 恥ずかしいやら腹立たしいやらで、どうしてよいか分からないヨスホースは、慌てて弟に言い訳するかのように言葉を重ねる。

「いや、違う! その、違わないんだが、何だ。あー、まぁ、お前は頑張っているから、そういう所は良いんじゃないか? いや、何言ってるんだ! ああぁあ……!」


 続いて、ヒルラインに向かってユオーミが問う。

「貴方は、王の座は長男が継ぐべきで、お兄様の事を支えたいとおっしゃいましたね? 心優しい人物であり、良き王になるだろうと」


「いや! 言ってな……、それは。あ、あぁ……」

 絶叫するヒルラインと、驚き、口を開けたまま弟を見つめるヨスホース。


 二人の瞳が激しく揺れ、交錯する。


 ユオーミは、一気に畳みかける。

「二人とも、互いを認め、求め合っていると私には見えました。お願いです。どうか二人で、本当の気持ちを伝え合ってはもらえませんでしょうか?」


 そう言って、ユオーミは頭を下げる。


 スッと、空気の密度が変わった。


 ここは廃墟の黴臭い地下室だったが、それが今では神聖な場所のようにさえ感じられる。この場で嘘を口にすることは慎まねばならないと、彼らはたちまち理解した。


 生贄の巫女に頭を下げられ、驚愕した二人の王子は慌てて巫女に駆け寄り、その頭を上げさせようと懇願する。


「巫女様、お顔を上げください! ……分かりました! 弟と話を致します。ですからどうぞ、お顔を!」

「そうです! そのように致しますので、兄上の言うように、顔をお上げください!」


 二人に請われ、ユオーミはゆっくりと顔を上げた。


 蝋燭の火が身じろぎし、壁に彼らの影が走るが、やがてその影も再び落ち着きを取り戻す。


 ユオーミの真っ直ぐな瞳に見つめられ、王子達は先ほどまで渦巻く猜疑心が嘘のように溶けてゆくのを感じた。

 それと同時に、巫女を中心に世界が再構築されゆくような感覚を覚える。

 そして、どちらからともなく彼らは片膝を付き、顔の前で手を組んで頭を下げた。


 自分たちの行動に驚きつつも、それは、とても自然な事のように思われ、何故か優しい気持ちに包まれる。



「お二人がその肩書の為に、どれ程大変な思いをしているのか、私には分かりません。けれどどうか、ご自身にとって大切なものを見失わないでください。


 お二人を取り巻く世界が、貴方が貴方でいる事を許さなかったのもしれません。でも、肩書は貴方の一部かもしれませんが、貴方そのものではないのです。


 周りに惑わされることなく、自分にとって本当に大切なものに手を伸ばすこと。それを、躊躇わないで欲しいのです」


 それは二人の王子達に語り掛けながらも、むしろ彼女が自分自身に言い聞かせるような、祈りにも似た言葉だった。


「大切なもの……」

 ヨスホースとヒルライン。二人の視線が交わる。

 そして、気まずさのあまり、慌てて目を逸らす、二人の王子。


 この国に戦禍をもたらそうとしていた疑念の黒い霧。今、光に溶けるかのようにその霧が取り払われ、中から希望が顔を覗かせた。


 目を逸らしつつ、ぎこちなく互いの肩を叩き、頷きあう兄弟からは、互いを疑う気持ちは僅かにも見られない。この二人が互いを支え、国を導いてゆくというのなら、この国の危機は大きく遠のく事だろう。


 彼らが酷く恐れながら、何よりも渇望していたもの。

 それは、名誉や富とは関係なく、地味で目立たないものだったかもしれない。


 けれどそれは、勲章や黄金よりもはるかに価値があり、誰かに奪われる事の無い、得難いものだ。


 その本当に大切なものを見つけた彼らを慈しむように見つめ、生贄の巫女は目を細めると、優しく微笑んだ。




 廃屋から一人出てきたユオーミ。彼女はその顔を紅潮させながら、アガナタに晴れやかな笑顔を見せた。


(私、やり切りました!)


 その笑顔を受け取り、彼女の成長に目を細めるアガナタはしかし、温かい気持ちと同時に胸の奥を何かが締め付けるのを感じた。


 そして、彼女を迎える彼の笑顔が強張っている事に、達成感から興奮しているユオーミは気づかなかった。




 アガナタが錯乱したあの時、世話人たちは皆用足しの為にその場を離れていた。彼らが言うには、街道は人通りが多く、道から外れている今のうちに済ませておこう、となったそうだ。


 戻ってきたアガナタはいつも以上に無口で、その話を聞いても世話人たちと目も合わせず、それ以上彼らを咎める事はしなかった。

 オッドーも、先ほどのアガナタの異常な様子を思い出し、壁を覗いていた赤の世話人の話をすることを躊躇い、結局何も言わなかった。




 そうして、彼らは再び聖都を目指す旅に戻る。


 先頭をゆくアガナタは、時々自分の首元に手をやり、そこにあった金属棒のぶら下がった紐が既に無い事を思い出しては、行き場を無くしたその手を彷徨わせ、静かにその手を見つめる。


 その、僅かに震える手は、何も掴み取る事が出来そうにない程弱々しくアガナタの目に映った。

 そして、そっと唇を噛む。


 いつも仲間の様子を気にして頻繁に後方を確認する彼だったが、その日、彼は殆ど振り返ることは無かった。



 奉献の徒の姿が廃屋から去り、それからどれくらい経っただろうか。ひっそりと、二人の王子が周囲を伺いつつ廃屋から顔を出した。


 彼らの顔は明るく、時にお互いの肩を叩きながら森の中に消えてゆく。



 そして、森の至る場所からそんな二人の姿をじっと見つめる複数の影。その影の内の一人は、おもむろに懐から親指ほどの大きさの筒を取り出し、そっと口に当てて息を吹き込む。


 しかし、その笛から音が響くことは無く、ただ、空気を震わせるのみで、王子達も、アガナタも、それに気づくことは無かった。



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