第5話 告解の儀
その、儀式用の黒い天幕は、町はずれの空き地に設営されていた。
既に日は落ちており、ここまで町の明かりは届かない。
天幕の周りには闇を振り払うように松明が焚かれ、守護神官たちが辺りを警戒している。彼らの持ち場は天幕から少し離れており、この距離では内部の会話は聞こえないだろう。
天幕の中では香が焚かれ、蝋燭の光が揺らめきながら優しく内部を照らしている。
その明かりは、天幕の中にいる二人の人物の影を映し出していた。
テーブルを挟んでナァラの向かいに座る壮年の男。
恰幅の良い体を包む衣服や腕輪等の装飾品から、相当裕福なのだと、あまり知識のないナァラでも理解できた。
「巫女様、この度は告解の儀への参加を許可頂き、誠にありがとうございます。
私は、この町を中心に商いをしております、ハシャーダナと申します。」
男は、子供や孫のような年齢の娘に頭を下げる。
その慇懃な態度は少しの嫌味も含んでおらず、ナァラは意外に思った。
ナァラは正直、懺悔を行う大人たちから、値踏みされ、場合によっては嫌味なども言われるのではないかと考えていたが、どうやらそういうことは無いらしい。
彼らは、恐らく本当に生贄の巫女に懺悔をできることを光栄に思っているようだった。
自分も、もし懺悔する側の立場だったらきっとそう思ったのだろう。
…何も特別なものをも持たない自分が巫女の側となってしまう前であったなら、等とナァラは思いながら、目の前の相手を見つめる。
始めて会う、ずっと年上の、そしておそらく身分の高いであろう相手を前にして、ナァラは、意外なほど自分が落ち着いているのを感じていた。
儀式の前に、服用した”気付け薬”が効いているのだろうか。
管理神官曰く、相手の懺悔を聞く告解の儀は、巫女の心に大きな負担がかかる作業である為、その負担を和らげるために、儀式の前には薬を服用することになっているのだそうだ。
「どうぞ、お話しください。」
ナァラが促すと、彼は、簡単な身の上話や、自分の商売の説明などをした後、少し躊躇うそぶりを見せ、それからおもむろに語り始めた。
「巫女様、わたくしは罪を犯してしまいました。」
ナァラは思わず体に力が入るのを感じた。
「どうされたのですか?」
ごく自然な風を装い、促す。
「先ほどお話しした通り、私はこの町で一番の商人だと自負しております。しかし、数年ほど前から、ある商人が急激に力を伸ばしてきており、徐々に私の商売を追い上げてきたのです。時には私の店の向かいに出店する等、挑戦的なやり方で。
温厚な私もさすがに頭に来ましてね、ちょっと、ほんの出来心だったんです…」
男は額に汗を浮かべて言い淀み、落ち着きなく両手を組んで巫女から目を逸らした。
告解の儀は、相手の懺悔を聞くための儀式である。
巫女に求められるのは、その場で解釈や解決策を提示することではなく、相手の話を最後まで聞くことだ。
懺悔、という状況からして、倫理や道徳に反する話はどうしても多くなりがちだが、それを断罪、糾弾してしまえば、話を最後まで聞くことはできないだろう。
悪い事をしているのは、彼らは百も承知なのだ。
彼らは、何かしらの罪を犯した。それでも、救われたくて、「告解者」として告解の儀に参加する権利を欲した。
告解者として選ばれる要件は公表されていないが、教団への寄付金額が影響すると考えている者は一定数いる。
そして、そう信じているものからすれば、差し出す金貨の重さは、その罪悪感に比例する。
「…続けてください」
「ちょっと脅かしてやろうと思ったんです。」
その罪を告白することで
「その筋の者に、ちょっと金を握らせて、待ち伏せして脅しをかけろって…」
その罪を巫女に引き渡すことで
「そしたら、数日後に…その商人と幼い息子が路地裏で、商人の妻は街はずれの森で、それぞれ死体で発見されて…」
自分の罪からの解放を欲し
「私がやれって言ったんじゃない。私はちょっと脅かせって…。本当に、とんでもない事をしでかしやがって。本当になんてことをしてくれたんだ!」
鬼神の咎から、逃れようとする
「犯人は未だに捕まっていないんです!もしあの男が再びこの町に戻ってきて、私を脅すんじゃないかって、不安で…。」
己の行動の結果から、目を逸らそうとする
「いえ、そうです。元を辿れば、私が愚かだったんです。あんな奴を呼び寄せて依頼をするなんて。元々まともな奴じゃなかったんだ。」
自分の罪悪感から、救われようとする
「巫女様、私は鬼神様から裁きを受けるのでしょうか?
いや、そもそもあの男が裁かれていないのはおかしい…あ、でも、裁かれたかどうかは分からないのか、もう死んでいるかもしれないですよね。」
ナァラは、早口でまくし立てる目の前の男の、泣きそうな顔を見つめる。
酷い嫌悪感に吐き気を覚えながら、そっと机の上に置かれた鈴に目をやる。
「緊急事態が起きた時には躊躇わずこの鈴を鳴らしてください。すぐに駆けつけます。」
管理神官はそう言っていたが…。
だが、恐らく現状は想定されている範疇だろう。
ナァラはお腹に力を入れ、吹き荒れる感情に必死に蓋をした。
再び男を見つめ、現実と向き合う努力をする。
有り余るほどの富を得ながら、その地位を失う事に怯え、金の力にものを言わせて他者を蹴落とす。
その結果が、自分の思い描いていたものと違い、その現実に、その罪に恐れおののく。
自分よりもはるかに年上で、きっと頭もよく、人生経験も豊富であろうこの男の怯え切ったみじめな姿を見つめながら、ナァラは、この男に救いは必要なのだろうか、と考えた。
(結果は望んだものではなかったかもしれないけれど…いえ、それもあくまで自己申告にすぎない。結局真実は分からないし、私にはそれを判断することも、糾弾することもできない…。
私にできるのは…求められているのは、話を、聞くこと…。)
「教えてください!私は鬼神様に裁かれるのでしょうか?」
「…それは、分かりません。」
「そんな!」
「あなたは!」
ナァラは、語気が強くなっている自分に気が付き、一度深呼吸をして、再び話始める。
「あなたは、今何を望んでいるのですか?」
「え?…それは、その。…この苦しみから解放されたいのです。」
「苦しみから解放されたいのですね。それはどんな苦しみなのですか?」
「どんな…。苦しいんです。取り返しのつかない事をしてしまって、そう、罪。罪の意識です。」
「罪の意識から解放されたい?」
「そうです!罪の意識から解放されたいのです!」
分かり切ったことを、今発見したかのように目を見開いて語る男を見ながら、ナァラは続ける。
「どうすれば罪の意識から解放されると思いますか?」
「どうすれば…。ええと、罪を償うとか、でしょうか。」
「どうすれば罪を償えると思いますか?」
「え…?あの…。」
男は両手で顔を抱えて必死で考えている。
天幕に入ってきた時からは考えられない程動揺し、顔に脂汗を滴らせ、その手は震えている。
ナァラは、正直、この男がどうなろうが最早どうでも良くなっていた。
この場でどう話を進めれば正解なのか全く分からなかったし、そもそも正解があるのかどうかも怪しいと感じていた。
ただ、早くこの天幕から出て行って欲しかった。
それだけだった。
ナァラは、頭痛と吐き気をこらえながらやり取りを続ける。
後半は自分でも随分適当な事を言ったような気がした。いつもよりも頭も口もよく回るのは、薬の影響だろうか?
「…すみません。わ、分かりません。」
「いえ、貴方は既に分かっている筈です。」
「し、しかし、死者はもう生き返らない。償う方法など…」
答えを持たないナァラは、しかし必死に言葉を紡ぐ。
蝋燭の光が真摯な眼差しの巫女横顔を照らし、そのの高潔さを照らし出す。
「あなたが憎むのは何ですか?」
「わ、私は…そうだ、私は、ああいうならず者が憎い!」
「あなたはならず者がいない世を望むのですね?では、自分のなすべきことが見えてきたのではないですか?」
「え?…ええと。…いや、そうでしょうか…」
その瞳に力を込め、相手を見つめる。
「あなたには、それを成す力があります。」
「私に、力が…?」
「やり方は色々あるでしょう。何故そのようなならず者が生まれるのか?どうすればそれを防ぐことができるのか?家族の問題かもしれない、貧しさが理由かもしれない。
何が、悪意を生むのか。よく考えてみてください。」
「何が、悪意を生むのか…。」
「自分で考え、自分で道を選んでください。仮に鬼神様が目の前に現れたとして、胸を張っていられるような道を。」
男の見開かれた目は、どこか焦点の合っていない印象を与えた。だが、もしかしたら焦点が合っていなのはナァラの方だったのかもしれない。
蝋燭の炎が揺らめき、天幕に映し出された影が揺れる。
視界の端で、その影が大きく波打ち、膨らみ始める。やがて、それはナァラの倍はあろうかという高さまで膨張し、天幕の天井まで達した。そして、ゆっくりと人の形を取り、おもむろに片手を振り上げる。
その手には巨大な剣が握られていてた。
(き、鬼神…様!?)
ナァラは椅子から立ち上がろうとしたが、体が動かなかった。
目の前の男は異変に気づく様子もなく、何事かをぶつぶつとつぶやいている。
(声が、出ない…!)
机の上に置かれた鈴は、すぐそこにあるにもかかわらず、この態勢からは絶対に手が届かず、絶望的なまでに遠く感じられた。
ナァラは激しく混乱しながらも、今まで生きてきて、これほど力を込めたことは無いというほど、渾身の力を込め、首をよじる。
込めた力に比して、あまりにも僅か。だが、確かに首が傾く。
(動いて…!)
酷くゆっくりと、緩慢に、影の蠢く方に顔を向ける。
と、突然、金縛りが解けたように体が動いた。一気に体が右に傾き、ひじ掛けに上半身を預けるような格好で、椅子の上から転げ落ちそうになる。
正面には、どこから入り込んだのが、一匹の蛾がゆらゆらと羽ばたくのみで、巨大な影はどこにも見当たらない。
びっしりとかいた汗が、額や頬を伝う。
ナァラは、何が起きたのか理解できず、呆然と影のあったはずの場所を見つめる。
そこには、やはり何もなく、天幕が風でわずかに揺れているだけだった。
呆然とするナァラ。
ゆっくりと辺りを見回すが、やはり鬼人の影はどこにも見当たらなかった。
ナァラはふと、机の向かいで体を揺する男の存在に気づき。儀式の途中である今の状況を思いした。
ゆっくりと体勢を整え、正面の男の方へ向き直る。
男は何も気づかない様子で、相変わらずぶつぶつ呟きながら深く考え込んでいたが、最後には勝手に何事か納得した様だった。
そして、何度も礼を言い、笑顔で退出していった。
男が天幕から消えた途端、ナァラは机に突っ伏して必死に空気を吸い込んだ。
酷く呼吸が浅くなっている。額から汗が滴り落ちた。
覚束ない手で、なんとか机に置かれた杯を取り、一気に水を喉に流し込む。
椅子にぐったりをもたれかかり、時間をかけて呼吸を整える。
ナァラは、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
(あれは、幻覚だったの?それとも…)
どのくらいそうしていただろうか、やがて、天幕の外に人の気配がして、声がかけられる。
「巫女様、失礼いたします。」
それは、女の声だった。
どうやら、次の告解者が到着したようだ。
まだ儀式が終わっていないことに心が折れそうになり、咄嗟に返事ができないナァラ。
「巫女様…?」
(それでも、私はやるしかない…。これは、私の罪だ。)
ナァラは、大きく息を吸い込み、それを吐き出すようにしてようやく答える。
「どうぞ、お入りください。」
そうして、新たな告解者を、天幕へと招き入れた。