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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第10章 森の廃屋:心繋ぐ者
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第58話 廃屋



 僅か十日ほど前、命がけで王都を目指した際は拒絶の象徴だった王都の城壁。その分厚い城壁の東門をくぐり抜けると、頭上には気持ちの良い青空が広がり、足元に目をやれば、城の周りのを囲む堀の水面がその空を受け止め、映し出していた。そしてそこには、その逆さまの空を横切り、吊り橋を渡る奉献の徒と馬上のユオーミの姿があった。


 思えば、王都に入る際に吊り橋を渡った時はユオーミ以外誰もが満身創痍で、自分の足で橋を渡ったのはユオーミだけだった。



 あの日、見知らぬ者たちに囲まれ、どうしようもなく心細く感じる中、吊り橋を渡りながら、彼女は自分を守ってくれた誰もが酷く傷つき、うなされながら運ばれてゆくのを見た。


 彼女は、自分の、巫女として生きるという思いが酷く独りよがりで、それがこんな結果を招いたのだと絶望した。


 だが、それでも、皆の献身を無駄にだけはできないと、自分にできる限りの事を尽くした。


 そして今、世話人も含めて皆でこの橋を渡る事が出来ているという事実に、ユオーミは素直に喜びを感じ、胸が一杯になる思いがしていた。



 橋を渡り切った先に広がる大きな街道。ユオーミは見渡す限り続く平野の上を真っ直ぐに伸びた道を見やり、どこまでも続くそれに開放感を覚えたが、この道の先に聖都があり、そこがこの旅の、自分自身の終わりなのだと唐突に思い出す。


 胸を締め付ける不安に顔を歪め、思わず身震いするが、それを振り払うように無理矢理今に意識を集中させた。


(……先の心配をするよりも、その前にやるべきことがある)


 アカネイシア王国の王子達を和解させ、この国が内戦に陥るのを防ぐ。それが、彼女が託され、受け入れた願いだ。上手くいく保証はなく、余りにも途方もない内容に、自分でやると決めていながら今更尻込みしたくなる。


 けれど、彼女は生贄の運命から目を逸らすように、その難題に挑む。


(私が、誰かの為にできるかもしれないこと。……これは、自分自身の為。

 もしやり遂げる事が出来たなら、私が消えてしまったとしても、きっと、私の人生に意味はあったんだと、そう思えるかもしれない)


 言葉にならない思いで胸が苦しくなり、彼女は俯きそうになる。

(違う、そうじゃない!)


 そして、意識して空を見上げる。どこまでも広がる青空を、鳥の群れが悠然と街道の向こうへと飛んでゆくのが見えた。その鳥たちも、悠々と漂う雲も、何もかもが彼女には途方もなく尊いものに感じられ、そして、滲んで見えた。




「気持ちイイっすね~!」

 拳骨の青の神官の大きな独り言に対し、皆は思わず頬を緩めつつ、けれどそれに誰も答えない。


 王都から聖都へと続く街道はそれなりに人の往来があるため、彼らの周りは常に人目晒されていた。


 「常に教団に見張られている」というアガナタの言葉を思い返して警戒しつつ、それでも、ユオーミと守護神官たちの間には揺るがぬ信頼関係がある。だから、その沈黙は決して気まずいものではなく、むしろ彼らの絆をより強調させるものだった。



 暫く進んでゆくと、街道の両脇、道から少し離れた場所に広大な麦畑が広がっているのが見えた。


 秋に種を蒔かれ、厳しい冬を越えて春を迎え、急激に成長を始めた稲が、茶色かった麦畑を鮮やかな緑色、そして深い緑色へと変えていた。風に揺られ、うねる麦畑のさざ波のような音を聞きながら、一行は道の脇で小休止を取る事となった。



 丁度良い所にあった、半ば地面に埋もれた岩に腰掛け、世話人から水を受け取り喉を潤すユオーミ。そのユオーミにアガナタが声を掛けた。


「巫女様、お疲れではありませんか?」

 ユオーミはアガナタを見上げ、微笑みながら応じる。


「大丈夫です。久しぶりに街から出られて、皆と一緒に旅に戻ることができてとても気分がいいです」

 アガナタも微笑み、答える。

「今までと違い、ここは主要な街道の為人通りもあります。聖都まではずっとこんな感じですが、逆に人目があるので不届き者は出にくいでしょう。

 ……そうそう、これを。落ちていましたよ。大事なものなのでしょう?」


 そう言って差し出されたアガナタの手の中には、見覚えのある紐飾りがあった。

 ユオーミは息を飲み、そっとそれに手を伸ばす。ユオーミが慣れないながらも必死で編み直したはずの紐飾りは、ニアティに託した時よりもきれいに整えられていた。


 まじまじと見つめるユオーミ。その紐飾りは間違いなく編み直されており、母の編んだ物よりは整っていなかったが、それでも身に着けるにあたって決して恥ずかしいものではなく、むしろ編み直したものの温もりを感じさせた。そして、その紐飾りには、「太い糸」は編みこまれていなかった。


 ユオーミは顔を上げ、アガナタの顔を見つめる。


 揺れるユオーミの視線を受け止めながら、アガナタは優しく見つめ返す。

「慣れない事をすると肩が凝りますね。……それから、何も心配することはありません。全て上手くいきますよ。無事に、聖都まで辿り着けます」


 そう言い、微笑みを深くするアガナタ。

 ユオーミは彼を見上げたまま、唐突に様々な思いが胸の内から湧いてくるのを感じた。


 情報の伝達という役目を終えた紐飾り。それをアガナタが編み直してくれたという事実に、胸に熱いものを覚えつつ、けれど、一人必死に紐飾りを編み直しているアガナタを想像して思わず笑ってしまいそうになる。

 笑いを無理やり堪えた結果、不自然なにやけ顔となり、そんな顔をしながらも、彼が言った「心配することは無い。全てうまくいく」という言葉に、彼女のメッセージが無事に届き、アガナタがそれに答えてくれた事を理解して、ほっと胸を撫で下ろした。


 一方のアガナタは、監視の目を避けるため、直接言葉で「彼女の願いを聞き入れた」旨を伝えられず少し不安だったが、ユオーミの表情を見て、その意図が無事に伝わった事を確信して安堵する。


「後ほど、人目を避けて休める場所を用意いたします。人が多いと休まりませんからね」

 彼は上手くメッセージを伝えられた事に満足し、ユオーミに礼をしてその場を離れると、次にオッドーの元に向かった。


 立ったまま腕を組み、周囲を警戒しているその大男は、アガナタが近づいて来る事に気づくと、黙ってそちらを見つめる。長い事一緒に過ごした者でなければ分からない程些細な変化ではあったが、その時、オッドーはアガナタの表情に違和感を覚えた。


 アガナタはこの旅に出てから常に張りつめ、緊張感を漂わせていたが、それとは異なる何か。しかし、オッドーにはそれが何なのか分からない。


 アガナタがオッドーの目の前まで来た時、不意にふらつき、オッドーに倒れかかって来た。

 咄嗟に受け止めるオッドー。


「おい、大丈夫か!?」


「……すまん、大丈夫だ」と言いつつ、アガナタは自分の足で立った後、ふと足元に落ちていた小袋に気づき、それを拾い上げた。


「落としたぞ」

 そう言って差し出される小袋を受け取り、オッドーは戸惑う。これは、彼の持ち物ではない。だが、自分を見つめるアガナタの瞳に意味を感じ取ったオッドーは、それを受け取る。

「ああ、俺のだな。今ので落ちたようだ」


 満足そうに頷くアガナタは、先ほどユオーミに言っていた事とは逆のことを言った。

「人目はあるが、聖都までそれほど距離は無い。ヌクメイで襲ってきた奴らは後が無いから、無茶を承知でいきなり仕掛けてくるかもしれん。警戒を頼む。極力野営は避け、少しでも襲いにくい状況を維持しよう」


「そうだな」

 アガナタの言葉に応じつつ、オッドーの意識は、手渡された小袋に向けられていた。




 太陽が天頂を指す頃、辺りは麦畑から森の脇を進む道に変わり、アガナタが唐突に皆に告げた。


「巫女様は、どうもお疲れのようだ。今までと違って常に人目があるからだろう。この先、少し街道を外れて森に入った所に廃屋がある。少しそこで休んでゆく」


 態々道を外れて廃屋で休む、というその指示に違和感を覚えつつも、誰も異を唱えることは無かった。


 オッドーも、先ほどアガナタ自身が言った「少しでも襲いにくい状況を維持する」という方針に明確に反している事を感じながらも、特段何も言わなかった。


 この秘密だらけの旅路において、「信頼」がもたらす恩恵は図り心れない。お互いが誰かも分からず、心の交流が無い集団であれば、ちょっとした行動が疑心暗鬼の種となるだろう。


 だが、ここにいるメンバー。特に守護神官たちは皆、アガナタに絶対の信頼を置いているのが言葉に出さずとも伝わってくる。


 アガナタは全員の顔を見回し、誰からも意見がない事を確認した後、それ以上何も言わず、そのまま脇道にそれて森の中へと進んで行った。



 その廃屋は、元々倉庫か何かだったのだろう。ちょっとした大きさではあったが、中には間仕切りは無く、等間隔で柱が並ぶ一つの大部屋となっていた。壁には窓が無かったが、所々開いた天井の穴から光が差し込み、床に散らばった石やら、木片、崩れた棚や詰まれた空の木箱をぼんやりと照らしている。


 一旦アガナタが世話人と一緒に中に入り、辛うじて使えそうな形で残っていた椅子とテーブルを拭いて綺麗にした後、ユオーミを招き入れた。


「巫女様。ご要望どおり、一人になれる空間を確保致しました。我々は外で見張りをしておりますので、十分な休養が取れたらお声掛けください」


 アガナタはそう言って世話人とともに退出したが、ふと、何かを思い出した風を装ってユオーミの元まで駆けつけ、小声で何事か囁いた。



 ガタついた扉を閉め、その入り口の前に陣取るアガナタ。管理神官たちは、周囲を巡回しつつ警戒する。世話人たちは、廃屋入り口の正面、少し離れた所にある倒木に並んで腰かけ、休憩を取ることとなった。


 腰に吊った剣を外し、鞘に納めたまま地面に突き立ててそこに両手を乗せる。直立不動で廃屋の入り口を守るアガナタは、大きくため息を吐くと、そっと目を瞑り黙考する。



 彼は、常に最悪の事態について考え、できうる限りの備えをしてきた。それでも、現実はそれを嘲笑うかのように牙を剥き、彼らを翻弄する。結果的に、運よくここまで来たが、これから先も上手くいく保証は全く無い。


(それでも、やり遂げなければならない……)


 やがて迫る生贄の儀式。失敗の許されない極限状況の中で、何を選び、何を切り捨てるのか。

 彼の中で譲れないものは決まっている。だが、自分の決断に怯むことが無い訳ではない。何が正しいのか、何を選ぶべきでなかったのか、迷いは尽きないが、彼は振り返らない。


(成すべきことを、ただ成すのみ)


 アガナタの判断基準は明確だ。だが、それを成し遂げるため、全てを切り捨てるその旅路の果てに、彼は全てを失うかもしれない。


 脳裏に浮かぶ父の顔。友の顔。仲間の顔。それが、彼の胸を締め付ける。


(――そうだとしても)


 ラニーアの為に。あの日の自分の為に。そして、彼女の未来の為に。


 再び開いた瞳。ふと見上げた空は、どこまでも青く広大で、彼には少し、眩しすぎた。




「奥の崩れた棚の陰」

 アガナタは、そう言っていた。


 ユオーミは天井の穴から差し込む光にぼんやりと照らされた廃屋の中を奥まで進み、崩れかけた棚を見つけた。そして、その陰を調べる。


 巧妙に隠されており、建物の入り口からぱっと見ただけでは分からなかったが、そこにはぽっかりと空いた四角い穴があった。


 覚悟を決め、そこをそっと覗くと、その中はぼんやりとした明かりで照らされ、その穴に立てかけられた木製の梯子が下まで伸びていた。高さはそれほどないが、その地下室と思しきその空間を照らす明かりは時折揺らぎ、その光源が蝋燭の灯りである事を物語る。


 そしてそこには、確かに何者かの気配があった。



 ユオーミは目を閉じ、静かに深呼吸をする。

 その脳裏に、アガナタやアルバーダ将軍の顔が浮かんだ。


(これは、私が始めた戦い……。そして、彼らが整えてくれた舞台)


 ユオーミは意を決し、地下室に向かってそっと声を掛ける。

「生贄の巫女です。どなたかいらっしゃいますか?」


 その声を受け、下で何やら物音がしたかと思うと、その穴から見える所に二人の男が現れてユオーミを見上げた。


 それは、険しい顔をしたアカネイシア王国第一王子のヨスホースと第二王子のヒルライン、その人だった。



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