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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第10章 森の廃屋:心繋ぐ者
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第57話 狩り



 かつて、大陸戦争において数多の脅威からこの街を守り続けてきた、歴史を感じさせる巨大な城壁。その東門を潜ると、登ったばかりの朝日が鋭く目を刺し、アカネイシア王国の第二王子であるヒルラインは思わず手の平で目を庇った。


 彼は、馬に揺られながら、同じく馬に乗る従者や護衛達と一緒に、日の出とともに下ろされた吊り橋を渡り王都の外へと出る。


「狩りなど、久しぶりだな」

 朝の冷たい空気に思わず身震いしながらそう呟く王子に対し、従者が少し緊張した面持ちで答える。


「そうですね。……しかし、アルバーダ将軍から狩りに誘われるとは驚きました。

 彼は表立ってどちらの王子を支持するとは表明していませんが、突然ヒルライン様を城外での狩りにお誘いするということは、いよいよ将軍もヒルライン様の優秀さに気がついたのでしょう!」


 もう一人の従者もそれに同調する。

「これはチャンスです! アルバーダ将軍程の大物を味方に付けられれば、此方になびく者も多数出るでしょう。ヨスホース様に一気に差を付けられます!」


 興奮する従者たちに対し、ヒルラインは曖昧な微笑みを浮かべ、適当に話を合わせた。

「何にしても、将軍に恥ずかしい所は見せられない。お前たち、支援を頼むぞ!」

「はっ。お任せあれ! 将軍が唸るほどの獲物を仕留めて見せましょう!」


(それにしても、なぜ突然アルバーダ将軍が……)

 ヒルラインは、ふと先日告解の儀で対面した巫女の事を思い出す。アルバーダ将軍も告解の儀に呼ばれたのだろうか、等と思いつつ、それとこれとは関係ないと思い直す。


『私が、私たちが二人を繋ぎます。』


 そう言っていたあの巫女は、今日王都を旅立つという。


 儀式の際、涙すら流して巫女に縋ってしまった自分を思い出しつつ、結局あれから何事も起こらず、じきに巫女は旅立ち、居なくなってしまう。


(巫女様に対して、何を期待していたんだ……)


 彼は、儀式での自分の醜態を思い出して羞恥心を抱きつつ、そもそも儀式以外で自由に歩き回る事すらできない巫女に何かしてもらおう等と、そう思った自分を恥じる。


(あの約束は、一体何だったんだろうか……)


 ふと湧きおこる気持ちを、巫女に願いを託した自分が悪かったと思う事で抑え込む。もしくは、そもそもあの儀式でそんな会話は無かったのだと、そう思い込もうとする。


 巫女様に裏切られた等と、そんな事実を受け入れる訳にはいかない。それでは、自分が巫女様から見捨てられるような価値のない人間だという事になってしまう。だから、彼の無意識はそれを拒絶する。


 そして、そうでなければ、心の底から彼女の言葉を信じた彼の心が踏みにじられた事になってしまう。それでは、彼女を恨まずにはいられなくなる。生贄の巫女を恨むなど、それはまるで天に唾するようなもの。


 やり場の無い思いを胸に、指定された狩場を目指す彼は、無意識に心の中で呟いた。

(兄上なんて、嫌いだ……)




「こ、これはどういうことですか!! アルバーダ将軍!」

 城から幾らか離れた平野でアルバーダと合流したものの、驚愕し、抗議の声を上げるヒルラインの従者たち。


 それを受けて、アルバーダ将軍は一切動じない。

「何か問題があるか?」

 馬上からじろりとそちらを見るだけで震えあがる従者達。


 彼らは、アルバーダ将軍とその向こういるもう一人の人物を交互にチラチラと見ているが、アルバーダ将軍の雰囲気に飲まれて何も言うことができない。


 その視線の先にいたのは、第一王子のヨスホースとその取り巻きだ。


 普段は威勢がいい癖に、急に静かになる自分の従者たちに苛立ちながらも、第二王子ヒルラインは気圧されぬよう腹に力を込め、アルバーダに向かって意見する。


「アルバーダ将軍。この度は狩りにお誘い頂きありがとうございます。……ですが、兄上がいるなどという話は聞いておりません。どういう事でしょうか。ご説明をお願いいたします!」


 アルバーダは表情を変えずにヒルラインの方に目をやると、何事もないかのように答えた。

「手違いでヨスホース様をお呼びしていることを伝えるのが漏れてしまったようですな。お詫びいたします。ですが、折角お越し頂いたのだ、ご兄弟で是非一緒に狩りにご参加頂ければと思います」


 従者の一人が、将軍のプレッシャーに抗い、脂汗を掻きながら何とか声を上げる。

「し、失礼ですよアルバーダ将軍! てっきり我々はヒルライン様にお話があるのかと……。ヒルライン様。これは同伴者を隠したまま呼び出すという礼を失した行為です。引き揚げましょう!!」


 その言葉をきっかけとして、場の空気が一変した。


「……貴様はこのアルバーダが故意に嘘を吐いたと申したのか?」


「目で人を殺す」等という比喩があるが、あれは比喩ではなく本当の事なのではないかと、この場にいた誰もが錯覚する。


 決して彼と目を合わせてはいけないと、本能が、そう告げる。


 怒気を孕み、抜き身の剣のようなアルバーダの一瞥に、従者は口を開いたまま上手く呼吸が出来なくなり、顔面を蒼白にして、俯いて目を逸らしたまま馬上で固まってしまった。


「ヒルライン様。よもや、狩りではヨスホース様に勝てぬと怖気づいた訳ではありますまいな」

 続いてアルバーダに見つめられ、思わず息が詰まるヒルライン。だが、彼は恐怖を覚える本能に必死で抗う。


 巫女に見捨てられて自尊心が揺らいでいるこの状況で、さらに重鎮のアルバーダにまで見放されてしまえば、最早彼は自分の価値を信じる事が出来なくなる。だから彼は、自分の存在をかけて、その挑発に乗る。


「いえ、少し驚いただけです。問題ありません。是非参加させてください」

 強張った顔で何とか答える彼の横顔を、取り巻き達が青白い顔で見守っていた。



 貴族の狩りというのは、猟師のように獲物を探して山野を駆け回るものではなく、獲物を見つけ、貴族たちの方へ向けて獲物を追い立てる勢子せこと呼ばれる者達がいて初めて成立する、ある意味で競技のようなものだ。


 今回、それら狩りの裏方たちは主催者であるアルバーダが用意していた。


 この競技では、声を大にして勝ち負けをことさら強調することは無いが、馬上による弓の射撃により獲物の数を競い合い、無言の内にどちらが上かを意識し合う。勝ったものの方が勇敢で、武芸に秀でているという評価を得る事ができるのだ。


 実際には只の競技に過ぎないが、貴族の権力闘争においてはこれが意外に馬鹿にできない。これにより周囲から一目置かれることで、目に見えない力学に影響を及ぼすことができるからだ。


 今回は跡目争いの当事者たちが直接参加するとあって、もしも負けた時の事を考えると非常にリスクが高い。それぞれの王子の取り巻き達は気が気ではなく、出来れば参加して欲しくはないと考えていた。



 無言でチラチラとお互い探り合う両王子の取り巻き達。

 だが、王子自ら参加すると言った以上、もはや後には引けない事は明白だった。

 つまり、やるしかない。


 跡目争いにおいて、自分の仕える王子の勝利がそのまま自分たちの栄光となる従者たちは、意図せず始まろうとしていた王子同士の直接対決に腹を括るしかなかった。

 この争いに敗れた結果、仕える主人が王になれない等という事になれば。自分たちの家ごと没落する可能性があるのだ。どんな手を使ってでも自分たちの主人を勝たせなくては、という覚悟を胸に、相手の王子とその取り巻きを睨みつける。


 そして、第一王子のヨスホースがヒルラインを見つめる中、ヒルラインは決してヨスホースの方を見ようとはしなかった。




 それは、狩りと呼ぶには余りにも異様な光景だった。


 元より、従者たちが主人の支援をすることは認められている。従者と主人がほぼ同時に矢を放って獲物を仕留めた場合、どちらが獲物を仕留めたのかは分かりにくい場合もあり、主人の手柄とする事は慣例とされていた。それはある意味、優秀な従者を連れている主人はそれだけ凄い、という事もできるからだ。


 とは言え、あくまで「分かりにくい場合」という建前がある。主人から大きく離れていたり、全く違う方向から矢を放てばどちらの矢が当たったのかは一目瞭然となるため、そんな露骨な事はしないのが暗黙のルールだった。


 だが、今目の前で展開されている光景はその建前を大きく逸脱し、もはや無法地帯に近いとさえ思われた。


 従者たちは必死で獲物を狙い、矢を放っていたが、余りの熱の入り様から、次第に主人から離れてより前のめりに獲物を狙う。


 それを見て、相手の従者もさらに主人と距離を空け、それを受けて負けじと相手方がさらに……という風に秩序が乱れ始めた。それは彼らの必死さ故ではあったのだが、やがて、進路妨害や相手の馬に横からぶつかってゆく等の禁止行為へと発展し、狩場は混乱状態に陥りつつあった。


 勢子せこにより近くの森から兎や鹿といった獲物が追い立てられて来る度に、二人の王子も、それぞれの従者たちも目の色を変えて獲物を狙い、双方で羽が色分けされた矢が飛び交ってゆく。



 その様子を、後方から厳しい表情で見つめていたアルバーダが片手で部下に合図を送ると、指示を受けた部下は速やかに森の中へと消えていった。


「何ともまぁ、醜い狩りだ。貴族から建前を取ってしまえば、ただの未熟な人間でしかない。これではまるで、戦争ではないか」


 独り言ちながら、足元に打ち捨てられた獲物を見やる。


 多少大きいとはいえ、一匹の兎に三本の矢がささり、また周りの地面にも数本の矢が突き立っていた。矢の色は赤青どちらも混ざっており、どちらが仕留めたのかは判断できないが、必死で獲物を求め、姿を現すとたちどころに襲い掛かる様は、どちらが獣か分かったものでは無かった。


(本来は、獲物を狩場の真ん中程まで追い立ててから狩るのだが……)


 相手より少しでも早く獲物を狙おうと、彼らは開けた狩場ではなく、獣の潜む森に接して待ち構えている。双方の王子達も場の空気に飲まれ、焦りからか、互いに無言で牽制し合う事はあっても、場の秩序を取り戻そうとはしない。


「どちらもまだ若いな。場を支配下に置くことができていない。相手を敵だと思うのならば、なおさら冷静であらねばならぬというのに。


 ……よろしい。では、諸君らが望む、生き残りをかけた戦いを始めよう」



 次なる獲物を待ち構える両王子たちは、ふと違和感を覚えて動きを止めた。


「……? な、何だ?」

 両陣営とも違和感の正体が分からず、周りの仲間と顔を見合わせた後、チラチラと相手側の様子を伺う。


「ヒルライン様、これは一体何でしょうか?」

 動揺する従者がヒルラインに尋ねるが、当然ヒルラインにも何が何だか分からない。


 その耳に、地鳴りのような音が聞こえて来た時、彼らは気づいた。これは、地面の振動だったのだと。


 ヒルラインの従者が、森の奥から突如現れた巨大な塊の突撃をまともに喰らい、馬が激しく地面に叩きつけられると同時に宙を舞う。


「なっ! 何だ!?」


 誰もがあっけにとられる中、為すすべもなく地面に叩きつけられた男の向こうから姿を現したのは、普段見慣れたものよりも二回り程大きい、正に主と呼ぶにふさわしい風格を持った猪だった。


 目を怒らせ、鼻息を荒くしたそれが、強烈な殺意とともに猛然と狩場に向けて突っ込んでくる。


 落馬した男は、痛めた肩を抱きながらも、必死でその場から転げるように逃げ出す。


「クソ! 奴を仕留めるぞ!! これ程の大物、仕留めた方が間違いなく勝者となれるぞ!!」

 従者たちはその巨体に動揺しながらも、欲に目が眩み状況を正確に捉える事が出来ていない。この規格外の猪は、最早自分たちの手に負える相手ではないという可能性をうっすらと感じながらも、相手陣営の手前引く訳にもいかなくなっていた。


「放てッ!!」

 両陣営が一斉に放った矢はしかし、猛進する猪の固い毛に遮られ、ことごとく弾かれてゆく。そして、猪は弓を放った者の内、最も近くにいた従者に突撃してその馬を破壊した。


 場が騒然となる中、突然の乱入者に驚きつつも、ヒルラインは必死で弓に矢を番え、渾身の力で引き絞る。危険な獲物の正面は避けつつ、横から急所の内臓目掛けて放った。

「怯むな! 私に続け!!」


 だが、無情にもその矢は猪の毛とその突進の勢いによりその皮膚に届くことは無かった。むしろ、猪は攻撃してきたヒルラインの方に向き直り、狙いを定める。


「ま、まずい!! ヒルライン様を守れ!!」

 槍を構えた護衛たちが一斉に前に出る。その突進に対して正面から槍を突き出すが、その固い頭蓋骨を貫通することはできず、やはり馬をやられて落馬した。


「ぐ、ううぅぅぅ!!」

 猪の体当たりを喰らい、ふっ飛ばされた護衛が脇腹から血を流して呻き声を漏らしながら痙攣する。


 馬が恐怖のあまり一斉にいななき、乗り手を無視して走り出す。必死でそれにしがみつく者、振り落とされる者。最早、まともに馬を操れる者はそこにいない。そして、恐怖が伝染する。


 その時になってようやく気付く。獲物は、あの猪ではなく、自分達だという事に。



 ヒルラインは、目の前で何が起こっているのか理解できなかった。アカネイシア王国の第二王子たる自分が、畜生ごときの前に屈する等どう考えても在りえない事だ。


 だが、目の前で一方的に蹂躙される仲間たちの姿が、否応なく現実を突きつける。


(私は……、私は……)

 上手く思考がまとまらず、恐怖に暴れる馬の背に青い顔で必死でしがみついていたヒルラインは、唐突に馬を寄せてきた大男に肩を掴まれてぎょっとした。


「ア、アルバーダ将軍!」

「アレは私が引き受けます。王子は、この地図の場所に避難していて下され」


 そう言って、紙切れを渡す彼の顔は、こんな状況にあって普段と全く変わらなかった。


「い、いや、皆が残っているのに私だけ逃げるなどと……!」

「この場から立ち去らぬ事を誇りと勘違いする暇があったら、ここに至るまでのご自身とその従者たちの立ち振る舞いを思い返して見なされ。それでも、それが誇りと言えるのか!


 ……あいつらにはお灸をすえる必要がある。それには、貴方がいては困るのです。それに、貴方にはもっと大事な役目があります。さあ、二度言わせなさんな」


 厳つい顔をさらに険しくしてそういうアルバーダの口元は、何故か微笑みを浮かべており、そのアンバランスさが却ってその凄みを強調していた。


「だ、大事な役目……?」

 大猪の恐怖。場の混乱。そして、アルバーダ将軍の意図。混乱した頭でヒルラインが受け取った紙切れを眺めている間、アルバーダはヒルラインの馬の首を撫でて落ち着かせる。


 そして、馬が落ち着くと同時に王子を送り出した。



 森の中に消えて行くヒルラインの背中を見送り、一つ溜息を吐いたアルバーダは馬首を巡らせ、狩場に向き直る。


「後は巫女様次第……」


 そして、狩場の中央で猛威を振るい、人間を狩っている大猪を睨みつけたかと思うと、唐突に目と口を大きく開き、厳つい顔に狂気じみたものを滲ませて独り言ちる。


「しかし、管理神官殿の紹介のあの商人、とんでもない大物を送り込んできよったな。あんな大物は見たことがない。……久しぶりの『戦い』に、年甲斐もなく血が騒ぐな! ハッハァ!! さぁ、殺り合おうか!!」


 目を血走らせ、戦いの衝動に身を震わせるアルバーダの姿は、もし、かつての姿を知る者が見たとすれば、正に大陸戦争における英雄アルバーダの再臨を思わせるものだった。



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