第55話 手紙
「最後は、その管理神官殿次第という訳ですな……。失礼ですが、その者は信用できるので?」
難しい顔をしながら、その鋭い瞳でユオーミを見やるアルバーダ。その眼光は、常人であれば身動きが取れなくなる程の威圧感を放っている。
「できます!」
だが、ユオーミはその視線を受けてなお、迷わず断言する。
「……」
余りの即答に、真意を測りかねてじっとユオーミの瞳を覗くアルバーダ。その揺るがぬ瞳から何事かを読み取り、彼は勝手に納得する。
「分かりました。あとは巫女様にお任せいたします。ここに概要をしたためましたので、管理神官殿にお渡しください。私は、巫女様が王城を出たその日の内に動きます」
アルバーダから渡された非常に小さく、細長い布切れを両手で受け取り、見つめるユオーミ。そんな彼女を、彼は、優しい瞳で見やる。
「……それにしても、よい神官に恵まれたようですな。人生において、僅かな疑いの余地もなく信頼できる者など、そうはいません。大切にしてくだされ」
そう言いながら、彼は羽ペンと蓋をしたインク壺を布で包み始める。
天幕内には元々筆記用具は置かれていない。これは、ユオーミがこっそり天幕に持ち込んだものだ。彼女は字を書くことができない。だから、信用できる人物に出会えたら代筆を頼もうと考えて、懐に忍ばせていたのだ。
彼女は、王の願いを受け入れてから、間違いなく筆記用具が必要になると考え、「何か描きたい」と願い出て、ニアティに頼んで羽ペンとインク、紙と布を用意してもらっていた。怪しまれないように、日中はそれで絵を描くなどしていて、実際それはとても楽しかったが、一方でそれは、失われた自分の時間と否応なく向き合う作業でもあり、彼女の心を苦しめもした。
アルバーダから受け取った布でくるんだそれらを懐にしまいつつ、ユオーミは少し躊躇いながら、今度は、先ほどアルバーダに文字を書いてもらったものとは別の小さな布切れを取り出す。
「……これを。これを読んでいただけませんか?」
チラリとその細長い布片を見て、僅かに顔をしかめさせるアルバーダ。
「先程書いた文字もそうですが、相変わらず小さい字ですのぉ。老眼には厳しいものがある……」
「覚悟してください、って言いましたよね?」
まじまじとユオーミの顔を見て、それから笑いながら布切れを受け取る。
「はっはっはっ! 確かに言いましたな! これは参った。……誠心誠意読ませて頂きます」
それは、ユオーミの紐飾りの中から出てきたメッセージだった。
『私の愛する娘、ユオーミへ
私は、あなたのお母さんのラニーアです。
お母さんはあなたの近くにいられないけれど、いつでも、あなたの幸を願っています。
もしかして、お母さんのせいであなたに辛い思いをさせてしまっていたらと、それが心配です。
あなたが、普通の幸せを手に入れられることを心から願っています。
辛い事もあるかもしれない。けれど、あなたが愛されていたという事を、忘れないで。
お母さんは、ずっとあなたの味方です。
最後にひとつだけ。
もし、あなたの父親を名乗る人物が現れたら迷わず逃げなさい。決して心を許しては駄目。
ユオーミ、愛しているわ。
あなたのお母さん ラニーアより』
ユオーミの嗚咽だけが天幕の中に響いている。
彼女の正面に座るアルバーダは天を仰ぎ、目を瞑っていた。その目じりに、僅かに光るものが見える。
考えてみれば当たり前のことなのだ。
巫女も一人の人間。当然、親も、場合によっては兄弟もいる。その家族の幸せを奪い去り、その悲しみの上に成り立つ平和。巫女本人に留まらず、その家族も彼女を救えなかったことに傷つき、一生自分を責めて生きるかもしれない。
そして、それを意に介することもなく、その上に胡坐をかき、我欲を追い求める亡者の群れ。
(何という事だ……。私は、今まで彼女たちと直接言葉を交わしながら、実際、彼女たちの事など、まるで見ていなかったのだ。平和の名の下で、一人の少女を踏みにじって気づかないなどど……何という傲慢。何という想像力の欠如)
「お母さん……。うぅ。わ、私も、あぃしてる……」
消え入りそうなユオーミの声を聞き、アルバーダは胸を締め付けられる。自分の子や孫の顔を思い出し、膝に置いた拳をきつく握りしめる彼は、自分の中で罪の意識が暴れるのをやり過ごし、それから、静かに巫女を見つめた。
両手で顔を覆い、背中を丸め、机にもたれ掛かる様にして肩を震わせて泣く彼女の姿は、どこにでもいる、ただの十四歳の少女のものだった。
「踏み込みが甘い! もっと腰を入れろ!」
宿の中庭に響く威勢の良いオッドーの声を聞きながら、アガナタは宿の二階の個室でソファにもたれ、ぼんやりと考え込んでいた。
聖都の神殿にて行われる生贄の儀式。そこでユラーカバネは新たな大導主となる。彼がどのようなロジックで生贄の巫女を終わらせ、どのようにその後の平和を維持してゆくのか、その詳細は残念ながら聞けていない。
儀式の場におけるユスノウェルの態度と、そこ立ち会う各国の王族の反応がどんなものになるのか、それは、その場でユラーカバネがどのように自身の正当性を主張するかによるため、アガナタには事の成否の可能性を判断できない。だが、最悪の場合、彼が各国の支持の取り付けに失敗し、教団の権威の崩壊から一気に各国間の戦争に発展する可能性もあるだろう。
だが、仮にその最悪が訪れたとしても、彼はユオーミの生贄としての運命さえ打破できれば構わなかった。それさえ叶い、彼女が教団の呪縛から解き放たれれば、アガナタが彼女を守り続けることの難易度は格段に下がるのだから。
(ユオーミを連れて逃げるとしても、どこに逃げるかは各国の軍隊の動きと、各地域の状況次第となるな。権威を失った教団の元巫女では、誰も救いの手など差し伸べないだろう。絶対に必要なのが、馬と食料と路銀……)
ふと、ドアがノックされる。アガナタは、首だけ背後の扉に振り返り、問いかけた。
「誰だ」
「ニアティだ。開けるぞ」
入ってきたニアティはいつにも増してニヤついており、それが立ち上がって出迎えたアガナタをイラつかせたが、彼はグッと抑えて平静を装って話かける。
「巫女様はご無事か?」
今度はニアティが眉間に皺を寄せ、口をとがらせた。
「無事に決まっているだろう? 我々を何だと思っているんだ。巫女様に対して、怪しい奴らに指一本触れさせるものか」
「そういうことにしておこう。他に、巫女様に変わったことは無いか?」
「お前と言う男は……。まぁいい」
ニアティは巫女様以外に興味はないと言わんばかりのアガナタの様子に溜息を吐き、それから気を取り直して腰の袋に手やった。
袋から取り出された、紐飾り。それは、ラニーアが作ったものと同じデザインのものだったが、素人が作ったかのような雑な仕上がりで、アガナタは、その意図を図りかねて困惑気味に眉根を寄せた。
「……どういうつもりだ?」
アガナタの動揺を誘う策としては、余りにも趣味が悪い。もしそうなのだとしたら、それは彼にとってラニーアへの侮辱に等しい行為だ。
一瞬でアガナタの纏う雰囲気が変わったことに気づき、慌ててニアティが続ける。
「待て待て、これは巫女様が作られたのだ! 私じゃない!」
「……は?」
「巫女様は、昨日、最後の告解の儀を終えられた。その後、どうも夜中に一人でこれを作られたようだ。今朝、お前さんに渡して欲しいと、そう頼まれたよ。それから、『初めて作ったので笑わないで欲しい』との伝言だ」
ニアティから渡された紐飾りをまじまじと見つめる。改めて見て、やはり作りが粗い。だが、それよりもアガナタが気になったのはその糸だった。沢山の細い糸と一本の太い糸で作られた紐飾り、その細い糸は、色あせ、僅かに毛羽立ってさえいた。
ニアティが去った部屋で、紐飾りを見つめるアガナタ。
彼は、自身の鼓動が早くなるのを感じた。
この使用感のある糸は、恐らく、新しい物ではなく、ラニーアから送られた紐飾りに使われていた紐だと考えるのが自然だ。亡き母から送られた、形見の紐飾り。それを解いて、自分で作り直した? 何故? しかも、こう言っては何だが、元の状態と比べて明らか完成度が低い。
(何だ? 何か意図がある筈だ。形見を駄目にしてまで伝えたかった何かが!)
震える手の中にある紐飾りをじっと見つめる。
「……ん?」
細い糸の使用感に比べ、太い糸のそれは明らかに異なり、新しいものに見える。アガナタはユオーミが作った物に手を付けるのをためらいつつも、他に手がかりもない事から、意を決して紐飾りを解き始めた。
そして、その太い糸の中に隠されたメッセージに辿り着く。
アガナタはそれに気づいた時、血の気が引く思いがした。
ここまでするという事は、当然これは他人に知られてはいけない内容なのだろう。にもかかわらず、よりにもよってニアティを通じてこれを運ばせるという行為は非常に危険な方法だ。ニアティがその気になれば簡単にこのメッセージは彼女の知る所となっていただろう。
幸いにして、ニアティは何故かユオーミに甘く、全く警戒していない節がある。ユオーミがどこまでそれを理解した上でこの手段を選んだかは分からないが、一歩間違えばルール違反として全員排除される危険性もあった。
ただ、ニアティの反応を見る限り、このメッセージには気づいていないようにも思える。気づいていて泳がせている、という可能性もあるが、あの反応は……。
この場合、下手に扱うと解けてしまいそうなこの紐飾りを、彼女は極力原型を保持したまま運ぶことに腐心していたのかもしれない。
彼女の、ユオーミの事を語る穏やかな表情を思い出しながら、アガナタは軽くため息を吐く。
(ニアティは気づいていない……?)
そして、彼は小さな布に、更に小さな文字で書かれたメッセージに目を通す。
それは、王族の内紛に介入し、二人の王子を王都の外で面会させるという、完全にアガナタの想定外で、非常に危険な計画だった。そしてその計画に、アルバーダ将軍が協力しているという……。
初め、目を見開いて驚いていたアガナタの表情は、それを読み終わる頃には深刻なものに変わっていた。
「……」
ゆっくりと窓辺まで歩き、中庭を見下ろす。オッドーを中心に鍛錬に励み、汗を流す守護神官達が木剣を振るい、打ち合わせる様子を眺めながら、アガナタは考え込む。
(ユオーミ、君は……)
この手紙が事実であれば、一刻の猶予もない。明後日、王都を発つまでに準備を整える必要があるが、朧の監視がある中、アガナタは自由に動けない。
彼は思考を巡らせる。あらゆる手段を排除せず、リスクを度外視して可能性を探る。そして、その先に見えた結論。
――やってやれないことは無いが、リスクが高すぎる……。
(今回の作戦は、会ったこともない他者との協力が不可欠で、かつ、急ごしらえの計画の為、細かいリスクを排除しきれない。
落ち着け……。焦りは、身を亡ぼす)
告解の儀で知り得た秘密を使い、国家の一大事へ介入する。これは、明らかに巫女の務めの埒外の行為だ。仮に教団の知る所となれば、ユオーミでさえ再び処分の対象となるかもしれない。
一方で、アカネイシア王国の重鎮であるアルバーダ将軍を味方に引き入れるなど、伊達や酔狂でできる事ではない。信じられないことに、彼女は、それをやってのけた。
そして、この紐飾りの重み。ラニーアの形見の紐飾りを解いてでも実現させたかったその願いを受け取り、自分だけ尻込みする等、アガナタにできるはずもない。
中庭で剣を振るうオッドーをじっと見つめた後、アガナタは独りごちる。
「……元より、やらないという選択肢など無い。君が自分で巫女としての道を見つけたというのなら、俺は、君の願いを叶えよう」
そして、机の上にある羽ペンを見つめた後、静かにそれに手を伸ばす。決意とは裏腹に、彼の顔は苦悶に満ち、その伸ばした手は僅かに震えていた。




