第54話 傍観者の翻意
「外の空気、気持ちいい……!」
赤の守護神官は、久しぶりに屋外を歩きながら、太陽を見上げて目を細める。
大怪我をしていた、というのはあるが、全く部屋から出る事が出来ず、果ては外から鍵を掛けられたのだからたまったものではない。
「神より選ばれし生贄の巫女が襲撃されたという事実は、巫女の正当性に疑問を抱かれかねず、何としても死守すべき秘密だ。奉献の徒の皆が大怪我をしている所を見られる訳にはいかないのだよ」
教団の偉い人らしいブロンド髪の女はそう言っていたが、さすがに外から鍵をかけるのはやり過ぎでは? と思った。だが、管理神官より「教団が監視している」という話を聞いていた彼女は、抗議の声を上げるのは止めておいた。
閉じ込められている間、彼女はずっと一人でベッドで寝ていたため、否が応でも自分と向き合わざるを得なかった。
父のこと、母のこと、妹のこと。そして、巫女様。愛おしい気持ちを抱きしめつつ、一方で自分の弱さを痛感させられた。心も、力も、愕然とするほど弱いのだと。
ヌクメイでの襲撃。山越え。白疫の民。そして、王都への疾走。訳が分からず、とにかく必死だった。そこで、自分が何か貢献できたかと自問すると、足元が揺らぐような不安に胸を締め付けられた。
どう控えめに考えても、この困難な旅を成立させているのは、管理神官の冷徹な知恵と、守護主神官の圧倒的な戦闘力、そして覚悟だった。
「私たちは、ただ、引っ張られているだけ……。情けないなぁ」
心の中で溜息を吐いたつもりが、思わず呟いてしまったことに彼女は自分で驚き、咄嗟に自分の口に手を当てて塞ぐ。
そして、そっと周りを見回して、周りが特に反応していない事に安堵する。だが、思わず弱音を漏らしてしまった自分を情けなく感じ、彼女は目を瞑ると、深く、長く息を吐き出した。
通りを歩きながら、ぼんやりと空を見上げていた背の高い方の青の守護神官は、隣を歩く赤の守護神官が零した呟きに驚き、一瞬体を硬直させた。
恐る恐る彼女の顔を盗み見るが、どうやら自分に向けて発せられた言葉ではないらしい事に安堵し、そしてそんな言葉に反応する自分を情けなく思い、自嘲的な笑いを浮かべる。
――(殺す価値すら無いというのか!!)
そう、心の中で叫んだあの日、だだっ広い草原に一人、大の字に倒れ込んで見上げた空は、涙で滲み、妙に美しく感じた。広い世界に一人取り残されたかのような寂しさと、何者にも気を使う必要のない開放感。
「何もかも、消えてなくなればいい……」
そう呟きながらも、それでも全てを諦め切れていない自分の中途半端さに失望した。
どの位そうしていただろうか。突然視界の中に大きな影が割って入ってきた。それは、主を失い、戦場を彷徨い歩いていた一頭の騎馬の顔だった。
敵かと思い一瞬体を起こしそうになったが、馬だと分かると彼は再び寝転ぶ。
「お前も……独りか」
じっと見つめ合う一人と一頭。
その瞳には、彼を推し量ろうとする意志も、蔑もうという色もない。ただ、真っ直ぐに彼を見つめる視線。
何となく、気持ちが通じ合ったような気がして、そんな風に感じた自分が情けなく、けれど何だか笑えてきた。
鼻を近づけてきたその馬を、そっと撫でると、馬はブルルッ、と鼻を鳴らした。
それでも見つめ続ける馬に、彼は根負けしたように声を掛けた。
「分かった、行くよ。」
一度は諦め、今更どの面下げて、という思いはあるが、格好悪いというのなら初めからそうだったのだ。
彼は、槍を拾い上げ、その馬に跨る。
「初めから、何も変わっちゃいない。……そう、最初から格好悪いんだから、精々それらしく足掻いてやるさ。なぁ?」
彼は真っ直ぐに前を向いたままそう呟き、馬の腹を軽く蹴る。
進み始めた馬は次第に加速し、彼を再び戦いの舞台へと舞い戻らせた。
そんな事を思い出しながら青の神官が再び赤の神官を見やると、彼女と目が合った。彼は慌てて目を逸らすが、不自然すぎるその動きに、思わず自分で笑ってしまう。
「……何? 変なの」
赤の守護神官は様子のおかしい青の神官から視線を前に戻す。その視線の先には、前を歩く管理神官の背中が見えた。
『皆が無事……、いや、無傷ではないが、傷を癒してこうして再会できて良かった。皆の覚悟と献身のお陰で、我々は巫女様を守り切る事が出来たんだ。このメンバー、一人でもいなければそれは達成できなかっただろう。本当に感謝している。』
先程教会の建物の中で何日かぶりに奉献の徒が再開した際、管理神官はそう言ってくれたが……
(クヨクヨしても始まらない。今、自分のできる事に集中しよう)
そして、後ろを振り返ると、油断なく周囲を警戒しながら最後尾を歩くオッドーと目が合った。
「うん? どうした、元気がないな。まだ傷が痛むのか?」
(いやいや、一番大怪我していたのはアナタですよね?)
「私は大丈夫ですが……主神官こそ、お腹の傷とかもう大丈夫なんですか?」
教会の計らいで各々の服装、装備は全て新調され、また、栄養状態も良かったため、ぱっと見はむしろ王都到着前よりも元気そうに見えるが、その服の下は傷だらけのはずだった。
「ああ、やはり食事と休養は大事だな。すっかり、とは言わないが充分役目は果たせる。体がなまっている方が心配だ。この先の宿には中庭があるらしいから、全員覚悟しておけよ」
「はーい」
おどけた返事をしながら、赤の神官は前を向き直る。
(強いんだけど、なんか心配なんだよな、この人。無茶するから。
……無茶するんじゃ、健康とか関係ないじゃん)
案内された立派な宿の二階に上がった所にある談話室には先客がいた。
それは、ヌクメイで離れ離れになった四人の世話人たちだった。
「皆、無事だったか! 心配したぞ。その後、色々あったが、巫女様をはじめ全員無事だ。再会できて安心したぞ」
アガナタは微笑みながらそう言い、両手を広げて喜びを表現したが、しかし、半面で隠されたその瞳には警戒の色が宿り、鋭く四人を観察していた。
(この四人の中に朧がいるのはまず間違いない。ニアティの狙いは、我々に自由を与えつつ監視し、ユラーカバネとの接触現場を抑えるつもりだろう。まぁ、そんな愚は犯さないがな)
アガナタは、再び全員がそろった奉献の徒を前に、今後の日程について説明を始める。
「巫女様は、明日、儀式の最終日を迎える。その翌日我々と宿で合流して一日過ごし、さらにその翌日に王都を発つことになっている。
馬や食料も以前のとおり教団から提供されることから、以前と同じように旅する事になる」
ユオーミの状況は、毎日ニアティから報告を受けており、それによれば彼女の健康状態は良いようだ。一方で告解の儀はやはり大変なようで、時には泣きはらした目をしていたこともあったらしい。
巫女の様子をアガナタに報告しながら、彼の反応をニヤついた顔で観察しているニアティを思い出し、心の中で舌打ちするアガナタ。
一瞬ユオーミのことに思考を飛ばしていたアガナタはふと我に返り、気を取り直すと皆の顔を見回してから話を続ける。
「次の目的地は聖都。この旅の終着地点だ。恐らく五、六日程度で到着するだろう。告解の儀はこの王都で終わりだから、儀式用の天幕等は無い分、荷物は減るな」
元の予定では、ヌクメイから王都の間でも、王都から聖都の間でも告解の儀は予定されていた。だが、未確認勢力による襲撃を受け、教団が予定の繰り上げを決定したのだ。少しでも敵に襲われる危険を減らす為、真っ直ぐに聖都に来るようにと。
(ユオーミの安全が確保されている現状では、特段無理をする必要はない。大人しくしてさえいれば問題なく聖都に辿り着ける。……いよいよ、正念場だ)
アガナタは胸苦しさとともに、口の渇きを覚えたが、それを無視し、皆に向かって思いを告げる。
「あと少しだが、気を抜くな。皆の揺るがぬ献身を期待している」
そう言って微笑む彼の顔はどこかぎこちなさが滲み出ており、彼のそんな様子を、オッドーは壁にもたれかかり、腕を組んだまま黙って見つめていた。
天幕が夜風に揺れて音を立てる。蝋燭が僅かに揺れる中、向かい合うユオーミと男。
その男は、非常に鋭い目つきと立派な白い口ひげを蓄え、歳に似合わずガッチリとした体格の長身の老人だった。言葉を発さずとも、身にまとったオーラが見るものを威圧する彼が、真正面からユオーミを見つめている。
ユオーミは一瞬怯んだが、しかし、彼はユオーミを脅すようなことはせず、礼節を弁えた振る舞いで彼女に接してきた。
「巫女様、お初御目にかかります。アルバーダと申します。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」
普通に語るだけで気圧されそうな彼のその威容に、先日ユオーミを罵倒してきた男を思い出す。本当の威厳とは、作り出すものではなく、滲み出るのなのだと彼女はそう理解した。
「……何からお話し致しましょうか?」
思わず黙り込んでしまった彼女に対し、男の方から口を開いた。
ハッとして気を取り直し、山の中の洞穴で赤の守護神官が言っていた事を思い出しながらユオーミが応じる。
「ええと……。アルバーダ将軍は、確か、大陸戦争で活躍されたそうですね。王都を守り切ったとか」
アルバーダは眉一つ動かさず、淡々と答えた。
「いえ、ただ敵を退けただけです。殺し合いなどに、誇るものなど何もありません」
「う……」
彼自身はどう思っているのか分からないが、彼の圧ととも放たれる言葉は重く、ついつい会話が途切れてしまう。このままでは告解にならないとユオーミは焦りつつも、相手の目を見つめる。しかし、彼の険しい瞳に、思わず目を逸らしたくなる。
すると、意外にも彼の方から会話を続けてきた。
「私は戦争を終わらせることができなかった。ただ、迫りくる敵から城を守っていただけです。
むしろ、賞賛すべきは大導主殿でしょうな。誰もできなかった、無益な大陸戦争を終わらせるという偉業を成し遂げた。私は軍人ですが、大導主殿の政治家としての手腕には敬服しております」
「でも、その代わりに巫女が毎年犠牲になっています! それは、それは賞賛されるべきことなのでしょうか!? 今までの巫女も、私も、生贄になんて……!」
言ってしまってから、ユオーミは自分に驚く。今の言葉は、間違いなく彼女自身の本音だ。だが、これは告解の儀。彼女の思いを告げる場ではない。
アルバーダは少し意外そうな顔をして、それから頭を下げた。
「大変失礼いたしました。巫女様の置かれた状況を知りながら、とんだ御無礼を」
「いえ……」
(駄目、この人と話していると調子が狂う。……何で?)
上手く会話できず、俯いて、今までどうやって会話を進めていたのか必死に思い出そうとするが、思うようにはいかない。
すると、暫しの沈黙の後、冷徹な声が響いた。
「……しかし、不甲斐ない」
「え……」
どきりとして、ユオーミは顔を上げる。
上手く喋れない巫女として、今、正に糾弾されようとしている状況に怯え、彼女は血の気が引く思いがした。この人に徹底的に詰められたら、それこそ心が折れてしまうと直感的に感じ、無意識に膝の上に置いた両手を握りしめる。
目の前の男は、眉根を寄せ、怒りを滲ませる。
「ご無礼を承知で申し上げます」
「あ、あの……!」
「貴方様のような年端のいかない少女を生贄に捧げねば平和を保てないという事実。これは、誰がどう見ても我々大人たちの敗北です。こんな情けないことは無い。本来、貴方はまだ守られるべき年齢だ。にもかかわらず、我々は巫女様のご慈悲に甘え、守られている。
私の先程の発言は、そういった事実を全く考慮しない、極めて短慮な意見でした。巫女様、心よりお詫びいたします」
再び頭を下げるアルバーダに驚き、言葉の出てこないユオーミ。
「一方で、その大人たちの身勝手な欲望から始まった戦禍が大陸全土を焼き尽くそうとした時、立ち上がった大導主殿に敬意を抱いているのも偽りなき事実。あの戦争では、本当に多くの命が失われました。大人も子供関係なく、弱きものが奪われ、殺されました」
まじまじと自分を見つめる巫女の視線を受け止め、少し目元に優しさを湛えながら、彼が続ける。
「我々大人が解決すべき問題を先送りにし、その結果三十年もの月日が流れてしまった……。全て巫女様に押し付けて、我々は、見ないふりをしていた。慣れとは怖いもので、巫女様が犠牲になるのを受け入れ、疑うことすら忘れてしまっていた。……度し難い。
巫女様に頼らない世の中を作るべき立場でありながら、それがままならないどころか、自国の中でさえ争う始末。
巫女様、目が覚めました。軍人だからと政治に口出ししないことを良しとしてきましたが、老い先短い者として、歴代の巫女様に生かされてきた者として、傍観者である事を辞めます。まずは、自分の国から何とかしてゆきたいと思います!」
一気にしゃべり、大きくため息を吐くアルバーダを、ユオーミはじっと見つめる。
この人は、今までの告解者とは何かが違う。嘘は言っていないけれど、どう捉えれば良いのか戸惑いつつも、彼女は口を開く。
「……あなたは、後継者争いについてどのようにお考えでしょうか?」
「……。ご存じでしたか。私は、王の剣。ただ、王に従うまで」
ユオーミは目に力を込め、意を決して告げる。
「私は、文字も書けないし読めません。多分、貴方の言っている事もちゃんと理解できていないかもしれない。だから、教えて下さい。貴方の考えを。貴方は、どうしたいのですか? 貴方の気持ちを、聞かせてください!」
偽りなく、真っ直ぐに放たれる彼女の言葉が、大男を揺さぶる。
まるで睨みつけるかのような、強い意志の光を放つ二つの目が自分を射抜くのを感じ、アルバーダは思わずほぅ、と感嘆の声を上げる。
彼は目を見開き、口元に微笑みを浮かべて答えた。
「ははは。お見それ致しました。いやいや、大した胆力ですな。
軍人としてずっとあのように振舞っているので、自然とああなってしまうのですが、別にあれが素という訳ではありません。
本音を言いますと、情けないと思ったのは本当です。ですが、どうすればよいのかさっぱり分からない。私には軍人としてのやり方しか分からんので、パーっと第二王子派を一掃しようかなと。それが良い方法でないのも分かっているのですがね! はっはっはっ!」
先程までの威圧は全く無くなりこそはしないが、一気に萎み、厳つい顔が、むしろ好々爺にすら見えてくるその様子に、ユオーミは愕然とする。
アルバーダは頭を掻きながら「いやー、どうしたらいいですかのぉ?」等と言っている。
余りの豹変ぶりに、ユオーミは今までの緊張は何だったんだと、怒りがふつふつと湧いてくるのを感じ、思わず彼を睨みつける。
すると、彼はスッと元の厳しい顔に戻り、彼女に告げた。
「何か腹に一物おありのようですな。でなければ、そんなに必死にはならんでしょう。
貴方は、今までお会いしたどの巫女様とも違っているようだ。私で良ければお力になりましょう。何でもおっしゃって下され」
(本当に読めない人だ……)
ユオーミは溜息を吐きながら、机に両手をついて、ふくれっ面を彼に近づけながら言う。
「分かりました。貴方に手伝ってもらいますよ! 覚悟してください!」
「御意」
そう言って怪しく笑うアルバーダから目を逸らさず、彼女は、自らの懐に手を差し込んだ。
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【次回】第53話:手紙
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