第52話 繋ぐ
「不敬ですが、母上や、その周りの大臣たちもどうかしていると感じます。王の座は長男が継ぐべきで、父上もそれを望んでいます」
天幕の中、テーブルを挟んで向かい合う第二王子にユオーミが問う。
「貴方は、どうしたいのですか?」
「私は、兄上を支えたい」
揺るがない瞳で、真っ直ぐにユオーミを見つめて告げられる言葉。
「兄上は、心優しい人物です。きっと良い王になるでしょう」
「お兄様は、その気持ちをご存じなのでしょうか?」
「いえ……」
彼は、視線をテーブルの上に乗せた自分の手元に落としながら口ごもる。
「兄に会って話をしたいのですが、会ってもらえないのです。母上は、兄上が私を遠ざけようとしている、と言うのですが、そんなことある筈がない! ただ……」
「ただ?」
「時間が人を変えてしまうのもまた事実です。少し前ですが、兄上の側近が母上の悪口を言っているのを偶然聞いてしまったことがありました」
「……」
「……じ、実は、本当はもう、兄上は私を排除しようとしているのではないかと、そう疑っています。そうであれば、私も黙ってやられるつもりはない!」
ユオーミは感情を露にした第二王子に内心焦りつつ、彼の本当の気持ちを知ろうと、その瞳を覗き込む。その瞳の中で揺れる、その思いを掬い取る。
「……貴方は、怖いのですね」
王子は驚き、しかし口元に笑いを浮かべた。
「怖い? 私が? ……いや、まさか。私は自分で言うのも何ですが、剣の腕も立ち、勇気も持ち合わせていると自負しています。巫女様、いったい私が何を恐れていると仰るのか?」
(その答えは、彼の中にある……)
じっと彼と見つめ合い、少しの間を作る。彼の瞳の中で目まぐるしく揺れるその気持ちを感じながら、再び問う。
「何だと、思いますか?」
「え?」
質問に質問で返され、戸惑う第二王子。少し不満そうな顔をしつつ、けれど彼は考え込む。
「……兄上に排除されるのが、怖いのでしょうか?」
「貴方は、そんな事が起こると、本当に思っているのですか?」
「……。あ、兄上は、わたし、を。わ、わたしが怖いのは、兄上、に、嫌われること……」
彼は、自分で口にした言葉に自分で驚き、目を見開く。
「ああ、そうだ。あんなに優しかった、あ、兄上が、自分を嫌うなんて、蔑みの目で見つめるなんて、た、耐えられない。あああ、そ、それならいっそ……」
震え始め、視線が合わなくなった第二王子の手に、ユオーミはそっと触れる。彼は、はっとしてユオーミと再び目を合わせる。
「お兄様が、貴方をそんな目で見たことがあるのですか?」
「ない! ある訳がない! あんなにも優しい兄上がそんな。……ああ、でも、一度ある執政官が、汚職で父上の前に引き立てられてきた時に、領民を物のように扱い、何ら反省を示さない彼に対して、そ、そんな目を……していた。わたしは、あ、あの目が、恐ろしい……」
「貴方は、お兄様があなたをそんな目で見ていると、そう思うのですか?」
「な、ない、そんな訳が、無い。でも、もしそうなのだとしたら、た、耐えられない……だから」
「だから?」
「自分の方から、き、嫌ってやろうと、そう。……そう、思ったんだ」
俯き、最後は消え入るような声で、彼はそう呟いた。
細かく震える彼は、自分自身の言葉に衝撃を受け、それを受け入れられず、どうしてよいか分からなくなっている。
可能性に怯え、裏切られることを恐れ、信じ続ける事に耐えられなくなった彼は、自らその手を離そうとしている。けれど、そんな彼の行く道は、きっと、彼の望んだものとはかけ離れてたものとなってしまうだろう。
(足りなかったのは、信じるということ。その、僅かな勇気……。けれど、それを奪おうとする周りの影響は、確かにあった)
ユオーミの脳裏に、唐突に村長での家の日々がよぎる。
村長。ナァラ。踏みつけられる背中。床に落とされた食べ物。それを口にする自分。一人ぼっち。固い床の寝床。理不尽な暴力。私が悪い。床。取られそうになったお母さんの紐飾り。涙。永遠に立ちはだかる、家の壁。開かない、扉。
雨の音が、好きだった。この家の外に世界が広がっているのだと、それを思い出させてくれる、雨。その音を、わずかな希望として、偽りに縋った日々。私は、私は……。
(嫌っ!!)
せり上がってくる涙を抑える事が出来ず、思いが溢れ出す。頬を流れる涙の、その熱にはっと我に返り、何かを思い出す。そう、少し前、泣いている人を見た。
あの人は、あの彼は、確かにこう言った。
『君の苦しみを、俺にも背負わせて欲しいんだ。君はもう、一人ではないという事を、忘れないで欲しい。』
蘇る胸の痛みをそっと抱きしめ、彼女は、明確な意思で目の前に浮かぶ苦しい記憶をかき分け、今、目の前の、儀式の場に返ってくる。
うず高く積み上げられた偽りの中に埋もれる私を、半面の奥にある、あの真っ直ぐな瞳が見つけ出してくれたから。
(私は、ここにいる。決して、一人じゃない!)
そして、目の前の王子に告げる。
「……貴方に、お願いがあります」
泣きそうな顔でユオーミを見つめる彼の顔は、まるで迷子になった子供のように見えた。
「お兄様と、会って話をしてください」
「で、でも!! 兄上は、会ってくれない!! 私は、き、き、嫌われ、て、いるんだ!」
彼の瞳から咳を切ったように涙が溢れ出す。
ユオーミは、その瞳を優しさで包むように見つめ、力強く、こう告げた。
「大丈夫です。私が、私たちが二人を繋ぎます」
「あ、あぁぁ……お、お願ぃ、いたしま、す」
第二王子は泣きながら頭を下げる。
そんな彼を見つめながら、ユオーミは必死で考えを巡らる。
(儀式が終わってしまえば、私はもう王族に会えない。けれど、何とかそれを実現しなくては)
自分で言っておきながら、どう実現すればよいのか思いつかず、胸が苦しくなって無意識に自分の両膝を握りしめた。
(上手くいかなかったら、どうしよう……)
あの人なら、いつも凄い事を考え付くあの人なら、何を考えるだろうか?
そんなとりとめのない思いが浮かぶが、今、彼はここにいない。
けれど、一つだけ分かっていることがある。それは……
(求めるなら、手を伸ばすしかない。……格好悪くても、何とかして、実現する!)
緊張した面持ちで無意識に天幕の出口を見つめながら、ユオーミは何とか自分を奮い立たせた。
「王妃は儂の姪だ。その息子である第二王子が王になれば、遂に私が将軍になる道が見えてくる……。現将軍のアルバーダなど、最早過去の遺物。儂こそが、この国の将軍に相応しい!」
厳つい顔の初老の男は、血走った鋭い目でユオーミを睨みながら、いつしか自分の欲望をさらけ出していた。その眼に加虐的な色を浮かべながら、唾を飛ばして更に続ける。
ユオーミは、その威圧的な態度に思わず体を引いたが、椅子の背もたれのせいでそれ以上下がる事が出来なかった。それでも、意を決して口を開く。
「あ、貴方は、将軍になりたいのですか?」
「あぁ? 当たり前だろう! 少し生まれたのが早いからと、アルバーダばかりが持てはやされる! 儂とて、あの戦争に参加さえしていれば大活躍していた筈だ。
ただタイミングが良かっただけの、運任せの爺に頭を下げる等我慢ならん! 必ず屈服させてやる!!」
「アルバーダ将軍を、屈服させたい?」
「そうだ! あの男、わ、儂を見下しおって! 儂の実力を示す、為、軍の増強とグルジオ帝国へのし、侵攻を王に献策した際、あ、あの男、鼻で笑って。って。公衆の面前で、わ、わ儂を愚か者と!! ゆ、ゆ、許せん!!」
ユオーミは、思わず血の気が引き、目の前の男をまじまじと見つめる。
三十年間続いていた平和。それに対して、男は「自分の実力を示すため」に、他国への侵略を提案したと、そう言っていた。
「その、ためにも。何が何でも第二王子に王になってもらわねばならん!」
その眼に憎悪を滾らせ、震えるほどの怒りを示す男は、一方で巫女を威圧することに喜びを覚える。何度も告解の儀に参加している彼は、儀式内における巫女への不敬が罪に問われないことに気付いていた。
疑り深く小心で、けれども野望多き彼は、初めて告解の儀に参加する事となった際、自分の欲望を吐露することを酷く恐れた。その結果、彼は儀式中に、極度の緊張とまとまらない思考の中で、突然激高した。巫女に対して大声で怒鳴り、威圧し、罵倒したのだ。巫女は驚き、怯え、泣き出した為、碌に質問もされずに儀式は終了を迎える事となる。
儀式後、我に返った彼は処分を恐れたが、実際には何も起きなかった。どうやら、儀式の内容を巫女が誰にも話さない、というのは本当らしい。そう確信した彼は、その後、告解の儀に呼ばれる度に同様の行為を繰り返した。それこそが、自らの野心を覆い隠すことに繋がると。
しかし、彼がその暴挙を続ける理由はそれだけではない。本人は気づいていなかったが、巫女と呼ばれて持てはやされる権威の象徴たる少女を軽んじ、圧倒する事に彼は愉悦を覚えていたのだ。
自分自身の行為にさらに興奮し、止まらない加虐心を、誰にも咎められることなく、権威の象徴たる弱者にぶつける快楽。さぁ、ここからが本番だ。そう、彼は目をギラつかせる。
「お前のような小娘には分かるまい! 持てはやされ、苦労もしたこともない様な無知な小娘がッ!」
突然の暴言に言葉を失うユオーミ。あまりの事態に、体が震え、頭が回らなくなり、何をどう捉えてよいのか分からなくなる。
そんな様子を見て彼は嬉しそうに微笑み、さらに畳みかける。
「なんとか言え、この無能が!! どうせお前には何もできない! 何の役にも立たない! お前にできるのは、精々死ぬこと位だ!」
清めの砂の効果が、際限なく彼の欲望を暴き出す。
「ハハッ。想像したことがあるか? お前はどうやって死ぬんだろうなぁ? 痛いだろうなぁ! 辛いだろうなぁ! ハハハハハ!」
恐怖に身動きできず、せり上がってきた涙を目に一杯にためながら、罵倒されるユオーミ。苦しい過去が蘇り、呼吸が浅くなる。
(あ、……あ、ぁ。わ、私は、要らない子……。私は、私は……)
怯える少女の瞳から止めどなく溢れる涙に、男は興奮し、立ち上がる。そして、彼女を指さして叫んだ。その顔は、無上の喜びを湛え、酷く歪み、見るに堪えない醜悪な欲望に塗れている。
「お前が無能ならお前の親も無能だなぁ! それに、そんな無能の子守をさせられている奉献の徒もゴミ同然! 存在そのものが滑稽だ! ヒャハハハ!! アッハッハッハッ!!」
(……許せない!!)
その強烈な怒りが、彼女を現実に引き戻す。自分の事よりも、母を、彼らを、奉献の徒の献身を侮辱されたことが彼女の逆鱗に触れたのだ。
ユオーミは涙を流しながら男を睨みつける。言葉こそ出てこないが、歯を食いしばり、負けてなるものかと、怒りをその眼に込める。
(何も知らない貴方が、お母さんの思いを!彼の、彼らの献身を! その、薄汚い口で! 汚すことを、許さない!!)
いつもなら泣き崩れて下を向く頃合いにも関わらず、泣きながらも自分を睨みつけている少女に気づいた彼は、その異変に戸惑い、思わず罵倒を忘れ、まじまじと彼女を見つめる。
そんな男を睨み返すオーミ。彼女には、この男の瞳が揺れているのが見えた。無意識に、その揺らぎの根源の中に逆襲の糸口を探す。その瞳の奥の奥。誰からも隠したいと願う、剥き出しの心。そこに、答えはある。
「……あなたは、何を恐れているのですか?」
「……は?」
突然の言葉に、呆然と巫女を見つめる男。
「わ、儂が、恐れているだと? ふ、ふざけるな! 儂に、こ、怖い物なんて……」
必死で言い返そうとする男を赤い目で真っ直ぐに見つめ、ユオーミがさらに重ねる。
「では、どうしてそんなに怯えているのですか?」
「なっ! 無礼な! ……わ、儂は」
「王様が、怖いの?」
「ち、違う!!」
「将軍が、怖いの?」
「違う! 儂は! ち、違う!」
顔を青ざめさせ、呆然と立ち尽くす彼の瞳の先には、泣きはらした、しかし口元に僅かに微笑みすら浮かべた少女が座っている。先ほどまでの恍惚とした気分から一転、訳の分からない状態に陥り、パニックを起こす男。押し負けていることを認められずに、必死で言葉を発する。
「な、何も怖いものなどッ!! ああ、あ……。わ、儂は! 儂は無能なんかじゃない!! どいつもこいつも儂を馬鹿にしおって!! 儂は! 誰よりも、ゆ、有能で! 偉いんだ!!
それを、証明する、た、為に、何が何でも第二王子に、王に、なってもらわねば! 邪魔な王と第一皇子を、な、亡きものに……。姪を使って。どく……。ぐぐぐぐ」
目が血走り、何かに耐えるように歯を食いしばる男。顔にびっしりと汗をかき、血の気の引いた顔で虚空を睨む。
「自分に価値がないと、そう思っている?」
「あ……」
少女の言葉に、思わず呆けた顔になる男。体中から力が抜け、思わずふらついて崩れ落ちるように椅子に腰を落とした男は、次第に震え始める。
「貴方は、誰かに認めて貰いたいの?」
「だ、誰も……儂を、認めてくれない。わ、儂に、居場所は無くて。でも、姪が王妃に選ばれた。王子を生んだ。も、もう誰も儂を無視できない……。い、いままで儂を馬鹿にした奴らを、み、み、見返して。全員、陥れて、や、やった、んダ……」
余りにも無力で、矮小な存在。そして、誰よりも、自身が自分を信じていない。
他人を追い落とす事でしか自分の価値を感じられず、図らずも、姪が王妃となっり、権力を手に入れたことで彼の劣等感が暴走した。
(弱い事は罪ではない。……けれど、こんなの、誰も幸せにならない)
ユオーミの胸には、今、憎しみよりも憐れみが勝っていた。どうして人は、こんなにも弱く、こんなにも簡単に道を踏み外すのか。
(決して、他人事ではない。私だって、いつ道を踏み外すかは分からない。だから、そうならないために、現実を、痛みを引き受ける! そして、巫女として、できる事を、果たす)
ユオーミは必死に彼に訴えかける。
「貴方にも、貴方を大切にしてくれた人がいるでしょう?」
「あぁ? 大切にだと? たいせつぅ? ううぅ……。お、ぉ、王は、下級貴族出身の儂を、重用してくれた。出自を考えれば、今の身分は破格な出世。なんせ、姪が王妃になったのだから。いや、いやいや、こ、これは、実力。儂の、実力。……だ、誰もがひれ伏せ。あああぁぁアアア! 儂は、偉いんだ!」
「王様や王妃様は、この状況に心を痛ていないでしょうか?」
「お、おう、王は……。わ、儂の姪、は。儂が、わしが、わし、わしが。ぐぉ。ぜ、ぜんいん、全て、どう、道具。あああ……、う。じ、邪魔する奴は、どこだ!」
胸の痛みに、ユオーミが思わず声を荒げる。
「道具なんて言わないで! みんな、誰もが必死に生きてるの!」
彼の瞳に最早巫女は映らず、天幕の影から生まれ出た複数の人型が次第に増えてゆく様が見えている。その影たちの手に握られている武器。剣。槍。棍棒。弓。斧。
ふと気づくと、様々な武器を抱えた影が天幕を完全に取り囲んでいた。
「落ち着いてください! 私の姿が見えていますか?」
「ああ、ぁ……。だ、だまし討ちか! どいつもこいつも、儂の姪のざ、讒言で、消えて、きえていった! 今更、何の用だ!! お前たちの居場所など、ど、どこにもないわ! 儂を誰だと! だ、誰だ、と……。だれ? 誰?」
影が一斉に動き男に迫る。男は咄嗟に腰の剣を抜こうとして、帯剣していないことに気づく。
「くそっ! は、謀ったな! や、やめ……」
人型の影は体が膨らみ、いつしか角や尻尾、羽根を生やした様々な歪な姿に変わり、そして、一気に男に襲い掛った。
「ぐあぁァ!! ギイャァアアアァァァぁア!!!」
視線が合わなくなり、唐突に立ち上がったかと思うと絶叫して倒れた男に、ユオーミは咄嗟に駆け寄る。
だが、彼女が介抱しながら鈴を鳴らして人を呼ぶ間も、男は執拗に影に切られ、潰され、貫かれ、何度も激しく体を痙攣させて悲鳴を上げ続けた。
いつもありがとうございます。感想、お待ちしています!
<毎週 月・金 更新中>
【次回】第53話:糸
1/26(月)19:00頃 更新予定です




