第51話 鏡合わせ
「ちょっと、顔を貸せ」
ようやく歩いても支障が無くなったアガナタが、そうニアティに言われて連れ出されたのは、教会の庭の中にある東屋だった。
午後の陽気が暖かく、久しぶりに外の空気を吸ったアガナタは、その気持ちよさに思わず大きく息を吸い込みつつも、意図が掴めない相手の行動に周囲を警戒する。
東屋のテーブルには葡萄酒の瓶と二人分の盃が置かれているのみで、辺りに人気は感じられなかった。広い庭の中にあるこの場所は、近くに他の建物や茂み等の人が隠れられる場所は無く、どうやら近くで監視している様子は無さそうだ。
「まぁ、座れ」
「……どういうことだ?」
先に腰を下ろしたニアティを、眉間に皺を寄せて半面越しに見下ろしながら、アガナタは警戒感を剥き出しにする。
「良いから座れ。巫女様の話だ」
「……」
巫女様と言われ、アガナタは仕方なしにニアティの向かいに腰を下ろした。彼が座るのを待って、ニアティは二つの盃に葡萄酒を注ぎ、それぞれの前に置く。
「どういうつもりだ? 仕事中だろう」
「そう、これは仕事だ。お前も仕事として飲め」
そう言ってニアティは自分の盃に口を付ける。そして、大きく息を吐き、アガナタを見つめて話始めた。
「巫女様が羽ペンを所望した。字は書けないが、絵を描こうとしているようだ。まぁ、儀式以外は仕事は無く、時間は沢山あるからな。羊皮紙や布切れに一生懸命何か書いている。実に子供らしいな」
盃の中の葡萄の成れの果てを見つめていたアガナタは、「ユオーミが羽ペンを所望した」という敵地における積極的な要望に違和感を覚えると同時に、一方で一生懸命羽ペンを操っている彼女の姿がありありと浮かび、ハッとして顔を上げる。そこには、ニヤリと微笑みを浮かべたニアティの顔があった。
「どんな人生を歩んできたのかは知らないが、山脈を越えたり、命を狙われたり、十四歳の少女が経験するには、いささか過酷な状況ではあったのだろう。反動で幼い行動をとる事は十分にあり得る」
(誰のせいだ!)
アガナタは口元まで出かかった言葉を飲みこんでニアティを睨みつける。ニアティは、その瞳を真っ直ぐに受け止め、目に力を宿したまま、どこか切なげに問いかける。
「なぜ、そこまで必死に巫女を守る? 守り切ったとしても、生贄として消えて行く運命だというのに」
アガナタは、突然の質問に、まじまじとニアティの顔を見つめる。この朧の指揮官は、一体どんなつもりでそんな質問をしているのだろうか? 何かを試しているのか、それとも、何かを探ろうとしているのか……。
相手の求めるものは分からなかったが、アガナタにとってこの質問は愚問だ。それに、一度は殺し合ったニアティ相手に取り繕っても意味はない。
「どうせ生贄になるから守る必要は無いと? 馬鹿も休み休み言え。そもそも奉献の徒を遣わせたのは教団だろう」
ニアティは再び盃に口を付け、アガナタから目を逸らさずに続ける。
「建前はいらん。普通、奉献の徒は任務の結果として名誉と出世が見返りとして与えられる。だが、どう考えてもお前たちの活躍は割に合っていない。まず、碌に食料もないのに山を越えようなどと思わない」
アガナタは段々腹が立ってきた。
「その身に代えても巫女様をお守りするのが奉献の徒の務め。見返りがどうの等話にならん。それとも、教団はそういう連中を望んでいるのか?」
「ははは。少しの嘘もなさそうだな。やはりお前は良い」
ニアティは笑いながらアガナタにも酒を進めるが、アガナタは頑として受け入れない。
「それにしても、本当に凄い回復力だな。もうそれだけ歩けるとは。……『魂喰い』にそんな使い道があったとは知らなかったぞ」
十年ほど前、アガナタが父アーオステニアの書斎で発見した書物には、かつて勇猛なとある民族が「魂喰い」を用いて驚異的な速さで傷を癒した、との記述があった。
当時これを読んだアガナタは、これが本当なら世の中に広く広まっているだろうから、これはあくまで伝説であって真実ではない、と判断した。
しかし、ある時、父とその話になった際、アーオステニアは「あくまで私の仮説だが」と前置きして次のように言った。
「魂喰い」は猛毒として知られ、摂取すれば大人の男でも急激に衰弱し、やがて命を落とすと言われる猛毒だ。標高の高い山に生える特殊な針葉樹の表面に生える苔を原料とするこの薬の効能は、本当は毒ではないのではないか。
毒を盛られた者の治療や検視に携わったことが何度かあったが、ある時、服毒の少し前に負った傷が死体から無くなっていた、という関係者の証言を得たことがある。
もしかするとこの毒は、心臓の鼓動と血流を著しく早める効果があり、摂取量が多いと体がそれに耐えきれず、極度に疲弊して死に至る、と考えられないだろうか。
しかし、逆に言うと摂取量さえ調整すれば、これは薬ともなり得る。
アガナタはそれを聞き、父の深い分析力に感服すると共に、それを自らで実験した。態々山に登って原料を採取し、密かに「魂喰い」を精製する。そして、自らに傷をつけ、本当に微量から実験を行った。
彼は、そんな実験をする自分がどうかしていると思いつつも、それ以上に、僅かでも可能性があるものに対して何もしないという事自体に耐えられなかった。
結果、激しい虚脱感と発汗、極度の空腹に見舞われつつも、必要な食事さえ摂れば父の予測通り、傷が驚異的な速度で治る事を発見した。
言ってみれば、一日過ごす間に、体の方は数日分の時間が流れるようなものだった。
今回、アガナタはニアティに頼み込み、この「魂喰い」を奉献の徒に適量を服用させた。
日に一度、傷の深かったアガナタとオッドーには数日間。他のメンバーは一度だけ。
朧の事だから、「魂喰い」を持っているだろうという彼の予測は当たり、渋々ながらもニアティは要求に応えてくれた。
それは、ある種の知的好奇心もあったのかもしれない。
顔をしかめ、文句を言いながらも、栄養価の高い食事を提供し続けてくれた彼女には感謝しかない。そのお陰で今、奉献の徒は驚異的な回復を見せており、実際に告解の儀の終わりが迫る中、あれほど深かったアガナタの傷は、確かにほぼ塞がってきていた。
ただし、虚脱して寝ている時以外は殆ど食事を採り続けなければならず、ある意味地獄のような日々ではあったが。……これは予想だが、恐らく、胃袋が負けて食事が出来なくなると「餓死」してしまうのではないだろうか?
「……感謝している。貴女のお陰で何とか怪我を治すことができた」
「はじめは自害するつもりなのかと思ったぞ。……それと、仲間には謝っておけよ。事情を知らないものだから、体の変調ぶりに、もう死ぬんだと青い顔をしている奴もいたぞ」
「……そうだな。そうする」
何となく、二人の間に和やかな空気が流れたようにアガナタには感じられた。敵に気を許す気はないが、だが、今回のこのニアティの協力には感謝しかなく、何か恩を返せる事は無いかと考えを巡らせる。
そんなアガナタを眺め、ニアティは右ひじをテーブルに乗せ、手首を折って自分の顎を乗せる。そして、挑む様な微笑みを浮かべ、唐突に問いかけた。
「アガナタ。……朧って知ってるか?」
アガナタは反射的に目を見開いてしまい焦ったが、よく考えれば半面によってそれはニアティには伝わらない筈だと思い直し、心の中で安堵の溜息を吐いた。
「おぼろ? ……知らないが、何だそれは?」
意図不明かつ危険な会話に内心冷や汗をかきつつ、憮然として応じるアガナタ。しかし、ニアティはどこか楽しそうな雰囲気さえさ漂わせてさらに続ける。
「お前に興味がある。仮面を外して見せてくれ」
「……お前、酔っているのか?」
会話が脈絡なく飛び、どうしたものかと思案するアガナタに対し、ニアティが声色を変えずに告げる。
「お前、その首から下げている金属棒、どこで手に入れた?」
「……」
口を開くも言葉が出てこないアガナタをじっと見つめるニアティ。
妙に大きく響く心臓の音をうるさく感じながら、アガナタは必死に頭を回転させる。
(いつ気付いた? 相手の意図は? この場をどう切り抜ける?)
だが、状況が不明すぎてどう手を打てばよいのか全く浮かばない。
一つ理解したのは、最早、彼に逃げ道は無いという事。
そもそも、初めからニアティの言動はおかしかった。今にして思えば、彼女はこちらの弱みを握ったうえで遊んでいたにすぎなかったのだ。
アガナタは口の中がカラカラに乾き、思わず盃に手を付けそうになったが、慌てて止める。
(このままでは、全てが終わってしまう。考えろ! 考えろ……)
「……ああ、これか。確かどこかの雑貨屋で買ったものだが」
「だとしたらセンスがなさすぎるな。ただの金属棒をネックレスに選ぶとは」
(無理にでも乗り切れ!)
一瞬、アガナタの手が震えた。十五年越しの誓いが、奉献の徒の仲間の献身が、今、正に潰えようとしている。到底受け入れる事の出来ない現実に、彼の頭の中は真っ白になっていた。
「そうか? まぁ、そうかもな。ファッションには疎いものでな」
「ちなみに、私もおそろいの物を身に着けている」
そう言って彼女は首元から、ひもで首にかけた金属棒を取り出してアガナタの目の前に掲げた。
「……偶然、だな」
アガナタはいっそニアティを殺すことも考えたが、生憎武器は没収されていて丸腰だ。おまけに病み上がりで体に力が入らず、とても彼女には敵わないだろう。恐らく、それも彼女の計算の内なのだ。
額に脂汗を掻き、自分を凝視したまま固まっているアガナタを見つめ、その様子に思わず噴き出したニアティは、空になった自分の盃に葡萄酒を注ぎながら、口元を綻ばせて言った。
「……まぁいい。兎に角、仮面を外せ。悪いようにはしないから」
「……」
アガナタは観念し、半面を外してテーブルの上に置く。葛藤するアガナタの素顔を興味深そうに見ながらニアティは更に酒を飲み、アガナタにも勧める。
「酒も飲め」
「……」
「飲め」
苦虫を噛み潰したような顔で盃に口を付けるアガナタに対して、楽しそうにニアティは話す。
「悪いようにはしないと言っただろ。私はお前の本音が聞きたいんだ。
……とはいえ、あれ程手こずらせてくれたお前がここまで動揺するのを見るのは非常に愉快だがな!」
一気に飲み干してテーブルに叩きつけた盃に、ニアティが再び酒を注ぐ。
そして、ニヤニヤしながらアガナタがさらにもう一杯酒を飲むのを眺めた後、ふと真顔になった。
「お前がこれを持っているという事は、朧の中に裏切り者がいるという事だ。そして、お前は教団を出し抜いて何かを企んでいる。
お前にとって、巫女様は道具なのか? 私は、この大陸の平和を守るために朧に身を置いている。教えてくれ。お前は、我々の、私の敵なのか?」
その眼は真剣そのもので、その言葉はあまりにもストレートで、何かを覆い隠そうと言おう意図は皆無だった。
空腹の上、激しく精神的に疲弊した状態で立て続けに酒を煽ったのが悪かったのだろう。
急激に酔いが回るのを感じながら、アガナタは激高し、立ち上がって叫ぶ。
「ふざけるな!! 彼女が道具であるものか! あんなにも苦しんで、何もかも奪われて、あんなにも必死で生きて……。
断じて道具などではない!! 彼女は、一人の人間だ!!
偽りの平和の為に、巫女を道具扱いして生贄にしているのはお前たちの方だろうが! お前たちの言うその平和の影で、常に少女たちが殺されてきた! 今だってそうだ! その理不尽に巻き込まれたのが彼女だ! お前たちが! アイツが!!」
アガナタは一気に捲し立てた後ふと我に返り、ばつが悪そうにそっぽを向いて椅子に座り直した。
驚いた顔でアガナタを見つめていたニアティは、「フッ」と少しだけ笑い、切なそうに語り出す。
「自分でも驚いているのだが、私は、お前に、もう一つの私の可能性を見ているようだ」
「……」
「私だって鬼じゃない。十四歳の少女が毎年生贄として捧げられることに納得している訳じゃないんだ。仕方ない、と言う者もいるが、仕方なくは無い。常に葛藤し、悩み、断罪されるべきであると、私は思う。
生き残った我々は、彼女たちに生かされている我々は、その犠牲の上に立つ自分たちの弱さを、愚かさを忘れてはいけない」
「……」
「その上で、だ。お前、巫女を生かそうとしているな? 状況からすればユラーカバネと何か通じているのはほぼ間違いないだろう。お前がそういう思いを持つこと自体は自由だ。だが、行動に移すとなると話は異なる。
巫女を助けたその先が、より多くの血が流れる道だったとしても、お前はそれを良しとするのか?」
再び盃を空にしながら、アガナタは自分の感情がどうしようもない程高ぶっているのを感じていた。普段蓋をしているそれが、内側から外に出ようと、扉をこじ開けようとしている。
(やめろ……)
「……。良い分けないだろ。だけど、今、一人の少女に全て押し付けて良しとしているのがこの世界なんだ! どっちが大事とかじゃない。そんなの、人によって違って当たり前だ。だから、もし俺が巫女を助けて、それで多くの血が流れたとしても、決してアンフェアだとは思わない。
むしろ、足掻く事すらできずに一方的に犠牲を押し付けられる方がアンフェアだ。俺は、それを受け入れない。俺は、ラニーアを奪った巫女の制度を終わらせる!」
「……ふむ。その先は知らん、という事か」
「不確定要素が多すぎる。出たとこ勝負だそんなもん。だけど、それは俺が遠慮する理由にはならない。世界中の人々から恨まれたとしても、知るかそんなもん。むしろ、世界を恨んでいるのは俺の方だ!」
アガナタは話すのを止められない。理性は止めろと叫んでいるのに、頭が痺れていうことを聞かない自分に苛立ちつつ、そもそも、何に苛立っているのかすら見失いつつあった。
「ラニーアと言ったか。大切な、人だったのだな」
「やめろ!!」
たまらず叫ぶ。
「その名を口にするな! お前らが何を知っているって言うんだ! 彼女の苦しみを、無念を、怒りを、絶望を! 何か一つでも知っているというのか!!」
再び立ち上がって苦悶の表情で激高するアガナタを驚いたように見上げ、ふと我に返った彼に対してニアティは頭を下げて謝った。
「……すまん」
「……俺に情けをかけるな!」
気付くと、雲に遮られて日は陰り、辺りは薄暗くなっていた。アガナタは座って俯き、ニアティは黙って盃を揺らしてその赤い水面を見つめていた。
沈黙する二人の間を、そっと風が通り過ぎる。どの位そうしていただろうか。ふと、ニアティが顔を上げた。
「そうそう、今回の戦闘で、此方にもかなりの怪我人が出た。だが、死者はいない。本来、数で劣勢のお前たちは一撃必殺を狙うべき所だが、お前、何か指示を出したな?」
鬱陶しそうに顔を上げ、アガナタは不機嫌に答える。
「……別に。可能な範囲で殺すなと指示しただけだ」
「そうか、ではそれに対しては感謝せねばな。私からすれば大事な部下たちだ」
「勘違いするな! 情けを掛けた訳じゃない。あの時点での俺の目的は巫女の入替えを不可能にして朧による保護を復活させることだった。無用な殺生は感情的なもつれを残し、その後の保護への不確定要素となると考えただけだ。
俺たちだって巫女様と仲間の命を懸けている。殺すことが最適解であればそうしたさ」
じっとアガナタを見つめるニアティ。ふと、雲が過ぎ去り、再び辺りが明るくなる。そして、口元に微笑みを浮かべながら彼女は口を開く。
「では、その判断は正しかったかもな。何人も殺されていては、私もこんな所で酒を飲む気分では無かっただろうからな。」
「……」
ニアティは一気に盃を空にし、勢いをつけて立ち上がった。
「よし! 私もお前も、酒を飲んでいて何をしゃべったか覚えていない。ああ、忘れた忘れた」
驚き、ニアティの顔を見つめるアガナタを、面白そうに見つめ返すニアティ。
「さあ、帰れ。
そうそう、教会の外に宿を用意しておいたぞ。体の調子が問題なければ皆でそこに移れ。お前たちをずっと閉じ込めておく訳にもいかないし、かといって、奉献の徒が教会の敷地内をうろうろしていると、信者たちが奉献の徒を一目見ようと押し寄せてしまうからな。
精々、宿の中庭で体を動かして勘を取り戻しておけよ。……巫女様を守り抜くために」
ニアティは笑顔をアガナタに向ける。
「ただし、その金属棒はここに置いて行け。そいつに気づいたのはお前を治療した時だ。私以外は気づいていないから安心しろ。だが、精々用心するんだな。
それにしても、今日はお前の情けない顔が色々見られて満足だ!」
黙ってニアティを見上げるアガナタは、鼻から大きく息を吐きだす。そして、立ち上がろうとしてふらつき、テーブルに両手を突いた。
「……どうした?」
「久しぶりに飲んだせいで、少し酔った……」
「さっき言ったように、敷地内うろつかれると困る。酔い覚ましはここでは無くて部屋でやれ。仕方ない奴だな、ほれ、肩を貸してやる」
「は? いや、いい。だ、大丈夫だ」
強引に歩こうとして今度は横にふらついたアガナタを、素早く動いたニアティが受け止める。
「いいから酔っ払いは黙って言うことを聞け! 迷惑だ。まずは半面を付けろ」
「くっ。誰のせいだと……」
「はっはっは! さては、お前酒に弱いな? こいつは傑作だ!」
毒づきながらも大人しくニアティにもたれ掛かり、運ばれてゆくアガナタ。暴れる感情を扱いかね、思考を放棄して酔いに身を委ねる彼を運びながら、ニアティは地面を見つめ、小さな声で呟いた。
「明日から、また敵同士だ。アガナタ……」
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【次回】第52話:繋ぐ
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