第49話 裏切り
聖都の神殿の中にある、レシュトロの執務室。彼女の執務机の上には、大量の紙束が乱雑におかれていた。
朧の長である彼女の元には、日々膨大な情報が集まって来る。これらを振り分け、分析し、朧に指示を出すとともに、必要な情報をユスノウェルへ報告する。
正直、その作業で毎日が忙しく、極力ユスノウェルの傍にいたい彼女としては苛立たしい限りだったが、それでも、膨大な情報の相関関係を把握し、目に見えぬ物事の真実を探るという、その極めて複雑な仕事は自分にしかできないと理解していたし、それがユスノウェルの役に立っているとの自負もあった。
その彼女が、整ったその顔の眉間に皺を寄せて目を瞑り物思いにふけっている。右手を顎に当て、左手でその右肘を支えながら、ひとしきり部屋の中を歩きまわった後、そっと目を開いた。
理由は分からないが、アガナタは巫女ナァラ排除の意思を察知し、それを防ぐためにアカネイシア王への謁見を画策して街道を避けて王都へ直行するという奇策に出た。
カラマナラス山脈の踏破は現実的に非常に危険な選択であり、そのリスクを考慮すれば事前に選定していた行動とは思えない。土砂崩れによりやむを得ず選択したと考えるのが自然だ。
つまり、山脈を越えた後、巫女ナァラの排除を察知してからアガナタ達が王都へ向かうまでの時間はほぼ無く、事前にそれを誰かと共有するのは不可能だった。
では、アカネイシア王城前で彼らとユラーカバネが接触したのは偶然なのか? そうかもしれない。だが、偶然にしてはできすぎでいる。もし偶然出なかったとしたら……。
あの時、彼らがアカネイシア王城に向かっていると知っていたのは朧だけだ。
そして朧は、たとえ神官長や副神官長であろうとも情報を流したりはしない。
朧は、その殆ど全員が一つの孤児院の出身者で構成されている。
その孤児院は元々、長きにわたる大陸戦争によって大量に発生した孤児を救うため、ユスノウェルが私財を投入して作った物で、レシュトロもそこに引き取られ、そこで育った。
しかし、あるきっかけで、彼女の才能を見出した神官長アーオステニアが彼女に知識を与え、そこから彼女はユスノウェルの為に個人として諜報活動を始めた。
それから四年。彼女の目覚ましい成果を見たアーオステニアは、レシュトロを中心とした諜報組織「朧」を創設する。
アーオステニアは、大きくなり始めた教団が大導主の意思を無視して暴走することを危惧し、彼の手足となる組織の必要性を感じていたし、レシュトロはユスノウェルの力となる事を望んでいた。
組織の運営はレシュトロに一任され、アーオステニアは請われれば協力するという形でスタートしたこの組織は、その性質から、メンバーをどこから採用するかが最重要課題だった。
絶対的な忠誠心を必要とされるこの作業において、ある意味、必然としてユスノウェルの孤児院がその候補となり、孤児たちの中からレシュトロが見込みありと判断した者に個別に声を掛ける、という形で次第に組織の規模を大きくしていった。
だから、彼女は三百名を超える朧全員の顔と名前を知っている。
――その中に、裏切り者がいる。
これはレシュトロが考案したことだが、孤児院では、幼少より戦争の悲惨さを伝えるとともに、ユスノウェル個人への絶対的な忠誠教育が施される。住む場所と食べる物。そして、読み書きと言った教育と一緒に提供されるそれは、彼ら彼女らの血肉の一部となり、その心を構成する核となる。
彼らのユスノウェルへの忠誠心は、正に鋼のごとし。だからこそ、レシュトロはその孤児院出身者を皆「弟妹」だと思っていた。
それなのに……
「レシュトロ様。ユスノウェル様がお戻りになられました」
ノックの音とともに唐突に告げられた主の帰還の報に、深い思考の海に浸っていた彼女は我に返った。
「失礼いたします」
ユスノウェルは、私室のソファに体を預け、目を瞑っていたが、レシュトロの声を聞いて静かにその眼を開いた。少し眠そうにすら見えたその瞳はしかし、ひとたび開かれれば強靭な意思の光を放ち、見るものを畏怖させる力を発揮する。
けれど、レシュトロは、ユスノウェルが無理をしているのを知っている。常と同じように振舞ってはいるが、体力は確実に落ちてきている上、少し痩せてきてもいる。
(薬は、効いていない……)
そして、感情を殺し、事務的に報告する。
「湖畔の町アーメトリナにおいて、マヨイグサの根絶を確認いたしました。なお、現地の被害ですが……」
「あの巫女は、何者だ?」
「――え?」
あまりに唐突に放たれた言葉に驚き、思わずユスノウェルの顔を凝視したが、彼の瞳は全く揺るがず、再び問い掛けてきた。
「今年の巫女は一体何者だ? お前は何を知っている?」
いつになく必死な彼の様子にレシュトロは驚きと不安なものを感じつつ、落ち着いて知っていることを答える。
「ロエニ村の村長の一人娘、ナァラ。母親は隣村出身。特筆べきすべき資質は無く、甘やかされて育った唯の村娘です」
だが、恐らく聞かれているのはこんな事ではない。一体ユスノウェルは何を気にしているのか、皆目検討がつかず、巫女について彼が知っていて自分が知らない事実があるという事に衝撃を受けながらも、彼女は微笑で動揺を隠しつつ、必死に頭を働かせる。
一度は処分を決めながら、その裏をかいて生き延びたこと? いや、それはユラーカバネによってもたらされたもので、巫女そのものとは関係がない。そもそも、巫女など、誰でも良い筈だ。
ユスノウェルの目に宿っているのは憎悪ではない。だが、この必死さは一体何なのか?
「巫女ナァラが何者か、その出自を徹底的に調べろ。手段は問わん。できるだけ急げ。儀式に間に合わせるんだ。それから、雫石を持っていけ」
「!! そ、それはつまり……。いえ、承知いたしました」
胸のざわつきを必死で抑え込み、レシュトロは作り笑いも忘れて、そう答えるのが精一杯だった。
ユオーミは、天幕に充満する香水に匂いに内心辟易しながらも、向かいに座わる王妃を見据える。
一回の儀式で二人の懺悔を聞き、中一日の休憩を挟んで再び儀式を執り行うというサイクルで、最終的に、王をはじめとするアカネイシア王国の重鎮たち十人の告解を聞くこととなる王都での告解の儀。
儀式自体の負荷は重かったが、儀式の無い時間は部屋で自由に過ごせ、干渉も最低限に抑えられていることから、その間、ユオーミは疲れを癒しつつ、色々と思いを巡らせてきた。
ニアティは、あれからも毎日ユオーミの髪を梳きに来たが、非常に友好的で、「要望があれば何でも言ってくれ」というものだから、「奉献の徒の皆の様子を毎日見て報告して欲しい」と願い出た所、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔で快諾してくれた。
そんな事を思い出しながら、ユオーミは改めて王妃を見つめる。
王よりずいぶん若く、優雅なドレスに、女性にしては高い身長。非常に整った顔立ちが印象的だが、いかんせん、つり上がった眼が威圧感を放ち、ユオーミを見下ろすその瞳には使用人を見る様な侮りがあるのが感じられた。
けれど、相手がどんなに着飾り、どんな態度で儀式に臨んだとしても、彼らは儀式そのものからは逃れられない。
「第一皇子は愚鈍で臆病、とても国を任せられるとは思いませんわ。それに比べて私の息子の第二王子は勇敢で聡明、人望も厚く、正に王の器。
国民の為を思えば、どちらが次期王に相応しいかは一目瞭然。それなのに王様は、以前決めた後継者指名を改めようとしません。時には間違いを認める勇気こそ、為政者には必要だと思いませんこと?」
ユオーミは、彼女の瞳を覗きなが、少しずつ、その真実を探り出そうとする。
「王様はお元気なのでしょう? まだ、後継者の事を考えるのは早いのではないでしょうか?」
「え? ええ、いえ、……実は、これは秘密なのですが、王様は具合が悪く、恐らく永くは持たないのです。だからこそ、早く指名のやり直しを……」
「王様は具合が悪い……。それは心配ですね」
「え? いや、だから、そんな事よりも後継者……」
(そんな事……)
ユオーミは思わず目を瞑る。
夫である王の危篤に際し、最早その身を案じる事すらなく、ただ、自分の息子を後継者にと迫る彼女に、ユオーミは思わず胸が苦しくなる。
ふとよぎる義父と義母の顔。仲の良かった彼らは、病で亡くなる際、最後までお互いの身と、ユオーミの行く末を案じていた。
この国で最も身分高き王の妻となり、この国で一番高貴な筈の女性。
その人物が、自分の最も大切である筈の人の危機に際し、全くの無頓着でいられるその在り方に強烈な違和感を覚えつつ、ユオーミはさらに切り込む。
「貴女は、どうしたいのですか?」
「さっきから言っているでしょう! 息子を、王位に……」
苛立つ彼女に一瞬怯むユオーミだったが、すぐに気を取り直し、我慢強く会話を続ける。
「息子さんを王位につけたいのですね。では、どうしてそう思うのですか?」
「ど、どうして? ……ええと、それは……」
王妃は、思いもしない質問に思わず戸惑う。動揺し、目を泳がせる彼女を、ユオーミはじっと見つめた。そして、困惑し、スカートを握りしめ、再び目線を合わせてきた彼女に、真っ直ぐな視線を返す。
彼女の表情は、儀式の初めと異なり、酷く切実そうに見えた。
「わ、私は。……そう! あの女が憎い。あの女がいなくなって、私が王妃になった! けれど、王は、私では無く、あの女の子供を大事にした! 私よりも! 私の子供よりも! だから!!」
再び興奮し始めた彼女の苦しそうな顔。その額に、汗が浮かんでいた。
「だから……。どくを、毒を……盛った」
「!!」
ユオーミはその衝撃的な告白に、思わず目を見開いてしまう。けれど、辛うじて口元はそのままの状態を保った。
今、彼女は自分の苦しみを、その罪を吐き出そうとしている。巫女は、自分は、その妨げとなってはいけないと、ユオーミは強く自分に言い聞かせる。
王妃の固く閉ざされた苦しみに被せたその蓋が、揺らぐ。
「王様は、おうは……、わたしを見てくれなかった。……わ、わたしは、寂しかったの」
続けて出た、呟くように漏れたその言葉に、ユオーミはどきりとした。それは、彼女の偽らざる気持ちなのだと、そう感じた。
「寂しかった。……そう、ですよね。それは、辛いですよね」
誰にも自分としての存在を認めて貰えない。村長の家で空虚な七年間を過ごしたユオーミは、胸の奥が苦しくなり、思わず自分の胸に手をやってそう答えた。
王妃は、唐突に目から涙を溢れさせ、絞り出すように言葉を重ねる。
「あの人は、私になんか興味がなかった。……だから、そう。だから全部奪ってやろうって! そう思った! 私は、わたしは……! あ、ぁぁぁ……」
中空を見つめ、泣きながら彼女は、助けを求めるように両手を伸ばす。酷く震え、遠慮がちに伸ばされたその手。ユオーミは、思わずその手を掴んでいた。
「あなたは、ここにいて良いの! 大丈夫。貴女を見てくれている人はいる! だから! だから自分をそれ以上粗末に扱わないで!! お願い!!」
居たたまれなくなり、思わず叫んでしまったユオーミ。彼女を救いたいと、そう願い、震える彼女の手を両手で包み込んだ。しかし、王妃は最早彼女の事を見てはいない。
「私を見て!! ねぇ、私はここにいるのに!! どうして私を見てくれないの!? 私は、唯の、跡継ぎを生むための道具なの!? ねぇ!! ねぇ!! あああぁぁ!!!」
確かに、彼女は善人ではないかもしれない。
けれど、彼女の思いを受け止め、その罪に、その苦しみに胸を締め付けられながら、ユオーミは立ち上がり、錯乱し始めた彼女の肩に手をかける。
「大丈夫です! 私はここにいます! 貴女は今、ここにいるんです!!」
天幕に映された黒い影が泡のように膨らみながら盛り上がる。歪な人型を取ったそれは、同じく影から生まれた剣をその手に持ち、ゆっくりと頭上に掲げた。
「あぁ! やめて! ご、ごめんなさい!! わ、私が悪かった!! 貴方の子供たちも、貴方自身にも、わ、わたしはァ。アアぁぁぁァ!! 」
必死で彼女に呼びかけるユオーミには見えないその影が、さらに肥大化する。そして、限界まで高く掲げたその剣を、恐怖に引き攣る王妃に向けて一気に振り下ろした。
「イヤァァアアァァァァァ!!! アガガガァァァ!!!」
極限まで目を見開き、人のものとは思えないような恐ろしい叫び声をあげ、上体を激しく反らせた王妃が椅子ごと仰向けに倒れ込む。蝋のように真っ白な顔をした彼女は、この世のものではないものを見たような顔で硬直し、激しく転倒して絨毯の上を転がり、仰向けになって止まった。
「王妃様!!」
ユオーミは必死で駆け寄るが、彼女は口を半開きにしたまま、失神していた。
「誰か! 誰か来て!!」
目に涙をためながら、彼女を抱き寄せ、ユオーミは必死で鈴を打ち鳴らした。
お読みいただきありがとうございます。
<毎週 月・金 更新中>
【次回】第50話:苦渋
1/16(金)19:00頃 更新予定です




