第46話 監視者の揺り籠
ニアティは、アカネイシア王都にある教会の執務室の机に肘をつき、内側に折った手首に顎を乗せてぼんやりと物思いにふけっていた。
無念の内に散っていった予備の巫女とその奉献の徒。その最後の姿を思い出す。百歩譲って大人は仕方ないとしても、十四歳の少女を手にかけるのは耐え難いものがあった。
彼女は子供が好きだったし、様々な汚れ仕事も、そういった子供たちの笑顔の為であると、そう自分に言い聞かせてこれまでやってきた。
(確かに、十四歳から成人として扱われるとはいえ、いい年をした大人たちが、世界を維持するために守られるべき少女を手をかけるなど……。何たる愚劣。何たる傲慢。厚顔無恥もここに極まれりだな)
自分で運命を切り開く力を、その選択肢を持たない小さな存在。その命が、何の落ち度もなく理不尽に奪われる現状。そして、実際に手を下したのが自分だという現実。
「何から、何を守っているのやら……」
顎を乗せていた手で両目を覆い、大きなため息を吐く。
彼女は背後にある大窓から差し込む光に照らされ、正面から見ればまるで後光が差しているようにも見えた。
手を放し、椅子にどっかりとその背を預けて暗い瞳で天井を見上げながら、ニアティは予備の巫女の処理を終えて戻ってきた時の事を思い出す。
アカネイシア王都の教会に戻って来た彼女を出迎えたのは、まさかのレシュトロだった。
基本、彼女は聖都におりそこから動くことは稀だったため、ニアティは酷く驚くと共に、嬉しくなって思わず昔の呼び名で呼んでしまった。
「レシュトロ姉!!」
レシュトロは口元で怪しく微笑みながらもその眼は全く笑っていなかった。
その反応にニアティ凍り付く。これは、相当不機嫌な状況だ。慌てて態度を切り替え、部下としての対応に切り替える。
「お久しぶりです、レシュトロ様。予備の奉献の徒の処理を終え、ただいま帰還いたしました」
「ニアティ、ご苦労様。それと、久しぶりね。……それで、元の巫女たちはどうなっているの?」
「はっ。巫女ナァラは教会内の客室で休ませており、他の神官達は敷地内の宿泊施設にて治療中です」
「そう。全員、生きているのね」
レシュトロが何を確認しようとしているのか分からず、困惑しながらニアティは答える。
「はい。巫女は肉体的、精神的に疲弊してはいますが、ほぼ無傷です。一方、神官たちは満身創痍で、暫くは動けないでしょう」
「出来過ぎだとは思わない?」
「……は?」
「朧に狙われていながら、生き永らえただけでも奇跡的だというのに、巫女を無傷で守り切った。こんな事、誰でもできる訳じゃない」
ニアティはある男の顔を思い浮かべながら応じる。
「はっ。見上げた忠誠と献身だと、私も思います」
「……」
反応しないレシュトロに、言葉を間違えたかと焦り、その顔を見つめる。しかし、彼女はニアティの方に顔を向けてはいたが、心は違う所にある様だった。
「管理神官アガナタは危険よ。今まで出世に興味の無かった男が、突然父親の力を使って管理神官の座を手に入れた。それでも、そこらの有象無象であれば気にするほどのことは無かったけれど、あの男は叡智の宰相の息子。
それに、神官長はもう一人、守護主神官の推薦もしていて、これも採用されている。何も無いと考える方がおかしいの。
私の勘が告げている。あの男はユスノウェル様の障害になると」
「は、はぁ」
ニアティは何の事か分からず戸惑う。いくら能力が高いとはいえ、奉献の徒の管理神官ごときがどうして大導主様の障害となるというのだろうか。
それに、アガナタの父である神官長アーオステニアは、大導主ユスノウェルの盟友であり、長年に渡り教団を支えてきた大功労者でもある。普段は厳格な彼だが、自分の息子を推薦する、という事が絶対にないとは言い切れない。誰だって自分の子供は可愛いだろう。
「ニアティ。あの男から目を離さぬように。ユラーカバネとの接触が偶然なのか、意図されたものなのか。彼らが再び接触しないか確認して。そして、僅かでもいいから規則違反を見つけ出して報告しなさい。やり方は任せるわ」
「は、はい!」
常に余裕を漂わせているレシュトロらしからぬ様子に気圧されながら、ニアティは再びその男の顔を思い出していた。
アガナタの顔を思い浮かべながら、ユオーミはふと溜息を吐く。
(アガナタさん、目を覚ましたらしけど、大丈夫かな……)
ユオーミは、本当は目を覚ましたアガナタの声を聞きたかった。
結局あの夜、アガナタは目を覚まさなかった。安らかに眠りつつ、時々苦しそうに眉間に皺を寄せていた彼の手を握りながら、気づけばユオーミも眠ってしまっていた。
彼女も疲れていたのだろう。翌朝ユオーミを呼びに来たニアティは、わざとらしく大きくノックをしたが、起きる様子の無い彼女を見て出直し、結局目が覚めたのは、ニアティが四度目に訪れた昼前だった。
「大丈夫ですか?」
声を掛けられ、ユオーミは自分が今教会の客室のソファに座っていることを思い出す。
その客室は、教会らしからぬ豪華さで彼女を落ち着かなくさせる。部屋の広さを含めて、今まで泊まったどの宿よりも立派なその作りや調度品。特にベッドには天蓋が付いており、ユオーミは思わず
「どうしてベットにカーテンが?」と身の回りの世話をしてくれる侍女に質問してしまったくらいだった。
「疲れが取れませんか?」
ユオーミの腰掛けるテーブルに茶を差し出しながら、育ちのよさそうな侍女が再度声を掛けてきた。侍女は品のある所作でさらに焼き菓子を乗せた皿を運んでくる。
ユオーミは、昨日初めて食べたそれを見て思わず顔を輝かせ、ふとそんな自分に気づいて慌てて顔を元に戻した。
「ふふふ。お疲れの時には甘いものが良いそうですよ」
机に置かれた焼き菓子を目の端でしっかりと捉えながら、ユオーミは少し困ったような顔で答える。
「でも、奉献の徒の皆さんがその身を犠牲にして守ってくれて、皆治療を受けているのに、私だけこんな……」
侍女はニッコリと、しかし上品に微笑む。
「巫女様は、本当にお優しいのですね。
大丈夫ですよ。彼らも、巫女様が無事で、そして笑顔でいてくれるためにその身を捧げたのだと思います。
巫女様が彼らの献身を理解してくれていて、そして、笑顔でいてくれるのであれば、もう、他には何もいらないのではないでしょうか。むしろ、彼らの事を思って、何か行動を制限されるという事を、彼らが望むとは思えません」
「そ、そういうものかしら……」
(確かに、私が悩んでも彼らの傷の回復が早くなるわけじゃない。彼らが望み、私ができる事は……)
思い詰めた表情で視線を落とす彼女の様子を見つめる侍女からは、ユオーミが焼き菓子を見つめながら思い悩んでいるように見えた。
そんな少女らしさに対して、少しの悪戯心を足して助け舟を出す。
「気乗りされないようですので、このお菓子はお下げしますね」
そう言ってさっと焼き菓子の皿を引く。
突然視界の中にあった焼き菓子の皿が下げられそうになり、思わずユオーミは手を伸ばしながら声を上げた。
「あっ、駄目! 食べます!!」
悪戯っぽく笑う侍女と思いっきり目が合ってしまい、ユオーミは恥ずかしさに顔を赤くした。
「はい、どうぞ!」
再び差し出された焼き菓子に渋々手を付けながら、それでもそれを一口かじれば、口の中に広がる得も言われぬ甘さに自然と頬が緩んでしまう。そんな彼女を見つめながら、再び侍女が微笑んだ。
ひとしきり焼き菓子とお茶を楽しんだ後、ユオーミは僅かな罪悪感とともに思いを新たにする。
(私にできるのは、無事に告解の儀を乗り切る事、そしてその後、万全の状態でアガナタさんたちと合流する事)
侍女は、そんな彼女の様子をそっと見つめる。年相応の初々しい反応と、一転大人びた顔を見せるその両面性が危うさを感じさせ、彼女が「生贄の巫女」であるという事実を思い出させる。
誰もが何かを抱えている。この世界で、幸せな人なんているのだろうか、等と思いながら、朧の一員である彼女は二杯目の茶の準備を始めた。
アガナタは、一人部屋の中で寝ていても特にすることもなく、ただ、ぼんやりと天井を見つめていた。憔悴し、体中に酷く汗をかいてはいたが、思考だけは妙に研ぎ澄まされてゆく。
(ユオーミは大丈夫だろうか? 王族相手の告解の儀。俺の予想が正しければ、教団にとってこの王都こそが本命で、それ以外はオマケだ)
ユオーミが心細そうにこちらを見上げている姿が浮かび、居ても立ってもいられなくなった彼はせわしなく身を捩る。だが、その度に襲う激しい痛みに顔をしかめ、それでもそわそわと落ち着かず、結果、度々呻き声を上げることとなった。
(彼女を一人にはできない! ……いや、落ち着け。今ユオーミの為にできる事は、少しでも早く体を治す事だ)
落ち着かない気持ちを抱えつつ、意思の力で体を動かさないようにするが、そわそわしてつい体を動かしたくなり、その衝動を再び抑える、という事を繰り返す。
(ユオーミが心配だ……。いや、駄目だ。頭が変になる。……何か他の事を考えろ!)
一瞬、ラニーアとの思い出がよぎりそうになり、鋭い胸の痛みに、咄嗟に別の事に意識を飛ばす。
(ああ、そうだ。ギュネス……)
副神官長ギュネスによりもたらされた「朧」に関する知識は、この旅において無くてはならないものだった。
元々、十五年前にラニーアと逃げる際、そういう組織があるという事について父である神官長アーオステニアから聞いており、その知識はオッドーと共有していた。
だが、ギュネスの情報は、その後変更されたものも含めた最新のものであり、何よりも、朧の存在を検知できる金属棒を渡されたことで、この作戦の現実味は格段に増した。
一方で、今回の奉献の徒の中に朧が紛れ込んでいるらしいという情報ももたらされる。
本来は、事前にオッドーと打ち合わせをしたい所ではあったが、朧の危険性を考慮して、アガナタはオッドーに事前に情報を共有するのは諦めた。唯一、旅の始まりに「朧が見ている」とだけ、すれ違いざまに告げるに留まった。
それだけ伝えれば、彼が朧を警戒した行動をとってくれるという思い、そして、オッドーであれば、後から説明しても協力してくれるというアガナタの確信があっての事だったのだが。
切っ掛けは外からもたらされたものだったが、それでも、生贄の巫女の真実に迫りつつある。ユオーミへの教団の保護も復活させ、後は生贄の儀式に備えるだけだ。
彼は、ユラーカバネ自身に会ったのは先日の王都前が初めてだったため、彼が何を考えているのかは正直分か分からなかったが、その取り巻きの一人である副神官長ギュネスは信用できないと感じていた。
(恐らくギュネスは、神官長である父を追い落とす事を考えている……)
アガナタが大導主を拘束し、アーオステニアがその地位を継いだ後、反逆者としてアガナタ及びその父アーオステニアを亡き者にする。見え透いた魂胆だが、アーオステニアの協力が必要な現状では打つ手がない。
(権力移譲の場となる生贄の儀式で、王族を前にして何か楔を撃ち込まねばならない)
アガナタは目を瞑り、溜息を吐く。
この作戦内容を決めるにあたり、彼の父アーオステニアが大導主とユラーカバネのどちらに味方するかで作戦が変わってくる。だが……
(恐らく父は、長年の盟友である大導主側に付くだろう。その場合、父を救う方法は、恐らく無い)
瞼の裏に浮かぶ養父の姿に、アガナタは胸が苦しくなる。
孤児である自分を拾い上げ、育ててくれた大恩人。そして、尊敬すべき大人である父を、自分は裏切る事になるかもしれない。
(それを避けるには、少なくともユラーカバネ側についてもらう必要がある。その為には……)
アーオステニアは十五年前の出来事を知っている。それどころか、アガナタが無理やり巻き込んだとはいえ、当事者ですらある。
大導主ユスノウェルが十四歳の巫女であるラニーアに手を出した下種であるという事実。そのことをアーオステニアがどう思い、今日まで協力してきたのか。
(父を説き伏せる鍵は、そこにある筈だ)
ユオーミ、オッドー、奉献の徒の皆、そして父アーオステニア。様々な人々の運命を強制的に巻き込み、一歩間違えればその名誉も命さえも奪われるこの状況を作り出した、張本人である自分。
アガナタは強く目を瞑り、歯を食いしばる。
彼は、不確実な協力者と強大な敵を前に、大切な人たちを巻き添えにして、失敗も、後戻りも許されない道を進んでいる。
時にその絶望に決心が揺らぐのを禁じ得ず、強烈な不安に襲われ、吐きそうになりながら、だが、進む以外に道は無いと、そう自らに言い聞かせる。
(皆、すまない。……すべて事を成した後、責任は取る。だから、今はまだ、どうか許してくれ……)
燃え盛る炎の上で張り詰めた糸の上を綱渡りするような、そんな彼の孤独な旅路は、最後の大勝負に向けて、彼の心を加速度的に蝕みつつあった。
いつもありがとうございます。感想、お待ちしています!
<毎週 月・金 更新中>
【次回】第47話:憂い
1/5(月)19:00頃 更新予定です




