第45話 無限の牢獄
夢を、見ていた。
ラニーアを匿っている隠れ家の小屋が見える。ここ彼女を連れてきてから、もう半年位だろうか。この頃、彼女のお腹は誰から見てもはっきりと大きくなってきていた。
ラニーアの身の回りの世話は、父が手配してくれたこの村の老婆に見てもらっている。ただ、やはり異質なラニーアの存在は、村の中に僅かに波紋を起こしていた。俺が村を歩いていると、様々な視線を感じたが、時折、その中に疎ましいものを見る様な眼差しが含まれることがあったのだ。
差し詰め、遊び人の貴族が身分違いの娘を身ごもらせて、匿っているとでも見られているのだろう。
俺がどう思われようが微塵も気にしないが、ラニーアは一人ぼっちでこの村に住んでおり、教団関係者に見つかる恐れだけでなく、村人の視線をも恐れて家の中に籠りがちだった。
「ラニーア、俺だよ」
小屋の扉をノックするが、返事がない。急に不安になり、さらに強めにノックすると、ようやく扉が開いた。そこで顔を出したのは、例の老婆たった。
「ああ、アンタかい。……入んな」
中に入り、老婆に金の入った小袋を渡しながら言う。
「婆さん、いつもありがとう。ところで、ラニーアはどこに?」
老婆は眉間に皺を寄せ、小声で囁いた。
「奥で寝てるよ。……ちょっと、困ったことが起きてね」
俺は、急に胸が苦しくなり、心臓の脈動が早くなるのを感じたが、黙って老婆を見つめて先を促す。
「あんた、いつも名乗らずにノックして入って来るだろう?」
確かに、俺は名前から身分がバレるのを避けるため、この村ではあえて名乗っていなかった。
……嫌な予感がした。
「村の若いのでちょっと素行に問題のある奴がね、昨日、アンタの声色をまねて小屋をノックしたらしいのさ」
酷く喉が渇き、口の中がカラカラになってゆく。
「それで、あの娘もよく確認せずに開けてしまって……」
思わず両手で老婆の肩を掴んでいた。
「何があった!!」
「危うく襲われそうになって、ちょっと、イタタタ!」
俺は慌てて手を放して謝罪し、続きを迫った。
「丁度私が洗濯物を持って入って来たから、そいつは驚いて私を突き飛ばして逃げだんだけど、あの娘がそれから怖がってね……」
「ラニーア!!」
それこそ老婆を突き飛ばさん勢いで押しのけて、俺は彼女の元に走った。
「ラニーア、俺だ。アガナタだよ!」
彼女は、ベッドの上で頭から毛布をかぶって丸くなっていたが、毛布の隙間からこちらを覗き、確かに間違いないと確認すると、飛び掛かる様に俺に抱きついてきた。
「アガナタ! アガナタ!! アガナタァ……」
彼女は、泣いていた。
強く彼女を抱きしめながらも、胸が張り裂けそうな思いだった。
俺は、ラニーアにどんなに言葉を尽くしたところで、常に一緒にいる事はできない。彼女には自分しかいないのに。自分の無力さに叫びだしたくなるのを必死で抑え、彼女の頭を撫でる。
「ごめんよ、俺がいないばっかりに……」
彼女は、日々教団を恐れて家の中に籠るというストレスにさらされ、さらに唯一の隠れ家でその身の安全が脅かされた事に強いショックを受けていた。
泣きじゃくりながら、俺の胸を叩いて訴える。
「どうしていつも一緒にいてくれないの! 貴方がいないから、私……。ううぅぅ、あああぁぁぁ!」
雨の降りしきるあの日、俺は彼女に守ると誓った。それなのに、この体たらくだ。彼女ばかりが苦しみ、耐え忍ぶ日々を送らねばならないこの現実に絶望すら覚える。
いつになく混乱し、彼女の声は次第に大きくなってゆく。そこには、普段の笑顔の面影は微塵もなく、やり場のない悲しみと憎しみをないまぜにした瞳があるばかりだった。
「どうして! 私は普通に生きていたかっただけなのに!! 私が何をしたっていうの! お父さんとお母さんに会わせて!! ねぇ! もう嫌なの!!」
彼女の苦しみを僅かにさえ癒せない自分が酷く愚かしく感じられ、憎かった。
「お願い! 普通に戻して!!」
彼女がこの胸を叩くその力がもっと強ければ、もっと激しく自分を傷つけてくれたなら少しは救いがあったのかもしれない。
うなだれながら、受け止め切れない程の彼女の絶望の叫びを前に、ささくれ、血だらけになった心を抱え、俺は、暗い穴に落ちてゆくような錯覚を覚えた。
目を開けると、知らない天井が見えた。ここがどこなのか、必死で考えを巡らせようとするが、頬を熱いものが流れるのを感じ、驚いてそれに右手を触れると、それは涙だった。
どうやら泣いていたらしい。
何だか嫌な夢を見ていた気がする。酷く息苦しく、思わず息が漏れる。
腕で涙を拭おうおと体を捩ると、左肩に激しい痛みが走った。それだけでなく、体の倦怠感が酷い。だが……。
「巫女様!? うっ、くぅぅぅぅ!!」
ユオーミの姿を探す為、体を起こそうとしてあまりの痛みに呻き声を上げて再びベッドに倒れ込む。
――そうだ、俺は、アカネイシア王都へ入ろうとして城門を閉ざされて……。それからどうなった?
うめき声を聞きつけ、部屋の外から一人の男が入ってきてこちらの様子を確認すると、何も言わず再び部屋から出ていった。
ここは小さな個室で、ベッドと小さな机、そして椅子だけが置かれていた。幸い、窓は付いており、窓の外の立木の向こうに淡い青空が広がっていた。
(どういう状況だ? 確か……ユオーミが、アカネイシア王に謁見したユラーカバネと会い、それを受けてニアティが我々の保護を決定したはずだ。そう、はじめ想定した形とは異なっているが、我々は目的を達成したのだ)
そんな事を考えていると、扉がノックされ、返事を待つことなくニアティが入って来た。
立ったままこちらを見下ろし、感情の無い瞳で見つめている。しかし、表情とは裏腹に、その声色には優しさが滲んでいた。
「起きたか、アガナタ。死んでもおかしくない怪我だったが、良く持ちこたえたな」
「……巫女様は、どこだ?」
彼女は、少し呆れた顔をして、しかし、僅かに口元に微笑みを湛えながら答える。
「最初の言葉がそれか。お前……良いな。
巫女様は、現在告解の儀の準備中だ。お前も知っていると思うが、王都における国会の儀は旅先のそれとは違う。王都内の教会の敷地内に張られた天幕で行われるが、これには奉献の徒は関与できない。
相手は王族なのだ。不用意に仮面の男などと面会させられないだろう? 普段から顔を知られている王都の教会側で全てを執り行い、儀式の終了後、巫女様はお前たちの元に戻られる」
「……何日かかるんだ?」
「巫女様が王都に入られてから既に三日目。巫女様は精神的、肉体的に疲労されていたから休養頂いていたが、明日から儀式を行うつもりだ。予定では十日程かかる。
因みにここは教会の敷地内にある、信者向けの宿泊施設だ。奉献の徒の他のメンバーも酷い怪我だが、無事ではある。お前たちは儀式終了までに体を治しておけ。……と言いたい所だが、その怪我だ。残念だが、他の奉献の徒を手配する。お前たちはゆっくり休め」
俺は反射的に体を起こそうとして、焼けるような痛みに思わず短い悲鳴を上げた。だが、目だけはニアティを捉えて離さず、彼女を睨みつける。
「必ず治す! 代えは必要ない!!」
「……心意気は良いが、現実は無情だ。お前のその怪我ではニか月かそれ以上は静養が必要だろう。なに、お前はよくやった。身を挺して巫女様を守り抜いたんだ」
(ここで終わって何の意味がある!)
叫び出しそうになるのを必死に堪え、ニアティの瞳を見つめる。彼女の眼には、憐憫の情さえ浮かんでいた。それが俺を苛立たせる。
「因みに、部屋は外から施錠されていて勝手に出られないからな。変な気は起こすなよ」
このままユオーミを見送り、のうのうと王都で静養? 馬鹿も休み休み言え。彼女を救えず、生き残る事に一体どんな意味があるというのか。そんな役立たずな俺が、生きていて良い場所などこの世界のどこにもない。あってたまるか!
ニアティは何も言わずにこちらを見下ろしている。
その探る様な視線が、感情に飲まれそうになる自分を引き戻す。
――落ち着け! ここで自棄になっても意味はない。まだ、手はある。
俺は、このニアティという女の事は良く知らないが、今までの言動から察するに、常識的で、かつ頭が回るように思われる。そして、何故かは分からないが、ここにきて妙に友好的ですらある。
しかし、信用できるのだろうか? これは罠ではないのか?
いや、自分で身動きできないこの状況で、今は、このニアティを頼る他ない。終わらせないために、理性で疑念を抑え込め。
覚悟を決め、ニアティをじっと見つめてから切り出す。
「……『魂喰い』を知っているか?」
ニアティは目を見開き、少し沈黙してから答える。
「……猛毒だな。健康な者でもあっと言う間に衰弱し、正に魂を吸い取られるように息を引き取るとか。……お前、まさかやけを起こして自死しようなどと……」
そう言いかけて、彼女は息を飲む。
彼女の瞳に自分が一体どう映ったのか分からない。だが、気づくと、俺は口元を歪めて笑っていた。心なしか、彼女の顔が少し青ざめて見えた。
俺は、ニアティが去り一人になった部屋で、再び思考の海に沈んでゆく。
あの日、城門前でユラーカバネと会い、結果的にユオーミは朧から狙われることは無くなった。
これは、偶然だろうか?
アカネイシア王に謁見したと言っていたから、その帰り、城を出た所で我々と遭遇したのだろうか?
――いや、あえて日没直前に城を出る理由はない。暗がりを隣町に向かうなど、無用なリスクでしかない筈だ。そうすると、我々の動きを掴み、接触するために動いていたとみるのが妥当だろう。
つまり、彼は今回、積極的に我々を守るために動いた、という事になる。表舞台に姿を現すのをいとわぬ程度には、現段階では俺の協力は彼らにとって有用なのだろう。
兎に角、ユオーミや皆が無事でよかった。
大きくため息を吐きながら再び窓の外をみつめ、そこで、初めて視力が戻っている事に気が付いた。あのまま赤と黒の世界のままだったら目的遂行上困難を伴っただろうから、まずは安心だな。
何もすることがなく、さりとて体も動かせない。仕方なく、ただ、窓の外を流れる雲を見つめた。
小さな窓から見える世界はとても狭く感じられ、閉塞感を感じさせる。ふと、ラニーアもこんな気分だったのかと思い、気持ちが沈んでいった。
ラニーアの死から十五年が経った。それは、永い永い、永遠とも思える時間だった。
無限の牢獄に生き、現実味の無い目標を掲げて、自ら傷口を抉りながら何とか自分を奮い立たせるような日々。それは、ただ、現実を受け入れられなかった自分の末路だ。
だからこそ、この計画に乗るしかなかった。
そこに自分の弱さがある事を知りつつ、あの男の言葉に耳を傾けた。
副神官長ギュネス。酷く痩せたこの初老の男は、ある日、自分に十五年前の巫女の入替えの話を振って来た。とぼける自分に対し、彼は重ねて言った。
「その時、警備に関わった者達。彼らの名簿が書き換えられていたのだよ。ちなみに、名簿に載った者たちは儀式の後栄転していったが、全員栄転先で変死した。
酷い話じゃないか。こんなことが、許されていい筈がない」
そして、投げかけられる問い。
「――君は、生贄の巫女についてどう思う?」
あの男は、自分があの日あの場所にいたことを知っていた。言動から察するに、ラニーアの逃亡に関わった事には気づいていないようだったが、恐らく私が父の力で死を逃れた事を暗に指摘し、脅してきたのだ。
だが、ユラーカバネによるそのクーデータ計画は、むしろ自分にとって渡りに船だった。
これは、自分にとって十五年来の誓いを果たす最後のチャンスであると。
アガナタの眠る部屋から壁一枚隔てた隣の部屋で、オッドーはぼんやりと窓の外を見つめていた。
誰もいない小さな部屋でひとりベッドに横たわり、静寂に身を浸す。
余りにも静かなため、本当にあの戦いが実在したのか疑わしくさえ思えるほどだったが、戦いで負った傷が熱を持ち、それが唯一、確かにあの戦いが本当にあったのだと証明していた。
その痛みを感じながら、死力を尽くしてなお、敵を止める事が出来なかった事実をどう受け止めるべきか、彼は考えていた。
(できる事は全てやったつもりだ。だが、仮にその結果巫女様が害されたとして、本当に後悔しないと言えるのだろうか……)
その時を想像し、胸が締め付けられて息苦しさを覚える。
認めたくはないが、答えは分かっていた。
「実力が足りないな……」
あの時、本当に死を覚悟した。持てる力を全て使い、それでも越える事が出来ない障害に、苛立ち、歯噛みする思いだった。
――それでも、実際には巫女を守り切るという結果を得た。そして気付く。アガナタという、運命に抗う盟友がいるからこそ、彼を信じ、自分は目の前の障害にぶつかる事に専念できていたのだと。
ラニーアの死から、十五年が経った。それは、長いようで、過ぎてしまえばあっと言う間の時間に感じられた。
実力を付けたくて、我武者羅に鍛錬に励み、今の立ち位置を手に入れた。奉献の徒の守護主神官に選ばれる前は、守護騎士団の中隊長として部下の育成にも励み、それなりに充実した日々だった。
(だが、覚悟を忘れたことは一度もない。
そして、運命を変える力を欲したアガナタのあの瞳も)
そして、ふと盟友の事に思いを馳せる。
それまでは、どこか皮肉屋ではあるけれど、気の良い少年だったアガナタは、あの日以降、笑わなくなった。
そんな彼が、奉献の徒として旅立ち、そこで巫女と接する際、時折微笑みを、そして優しい眼差しを見せるようになった。
オッドーはそれを嬉しく感じると共に、その微笑みがユオーミに向けられたものなのか、それともラニーアに向けられたものなのか、判断することはできなかった。
(願わくば、純粋な良心から人助けをし、その果てに自分を責め続けた彼に、心安らかな日が訪れんことを……)
彼は目を閉じ、深くため息を吐くと同時に、心の中で切にそう願った。
お読みいただきありがとうございます。
<毎週 月・金 更新中>
【次回】第46話:監視者の揺り籠
1/2(金)昼頃 更新予定です




