第43話 怠惰
ユオーミは唐突に馬から投げ出され、訳が分からず咄嗟に目を瞑る。体が回転し、上も下も分からない恐怖の中で体に衝撃を受け、地面に叩きつけられのを感じたが、不思議と思ったほどの痛みは感じなかった。
――恐る恐る目を開くと、彼女はアガナタに背中から抱きしめられたままの状態で地面に横たわっていた。
かなり城壁の近くで馬から振り落とされたため、彼らは城壁を囲む水が張られた堀のすぐ傍に倒れていた。前方には、先程まで乗っていた馬が、腹にナイフが二本突き立った状態で倒れ、もがいているのが見える。
そして、ゆっくりと近づいて来る馬の蹄の音。
何処かで見たことのある女がこちらに近づいて来る。目の前で馬を止め、憐れみに満ちた目で二人を見下ろすその顔は、夕日に照らされ、どこか幻想的ですらあった。
アガナタは、落馬したはずみで肩の後ろに刺さっていた矢が圧迫されたのだろう、矢じりが肩を貫通して真っ赤な血に染まっていた。
「アガナタさん!!」
ユオーミが必死で声掛けをするが、アガナタは顔を歪めたまま浅い呼吸を繰り返し、何事かをぶつぶつと呟いている。
ニアティは馬から降り、二人を前に佇むと、優しい声で話しかけてきた。
「アガナタ、お前は本当に凄い男だ。心から敬意を示すよ。……だが、勝負は私の勝ちのようだな」
ユオーミは上半身を起こし、血だらけのこの悲惨な状況とかけ離れたニアティの落ち着き様に怯えながらも必死で相対する。
「な、何なんですかあなたは! 私は生贄の巫女です。それを知って襲っているのですか!?」
僅かに震えながらも、必死の形相で相手を睨みつける巫女を前にして、ニアティは心底意外そうな顔をする。
目の前にいるこの巫女は、殺意に満ちた戦場を潜り抜け、目の前で自分を守る神官が血を流して死にかけている状態にもかかわらず、それでも泥と涙でぐちゃぐちゃになった顔で襲撃者に対して臆することなく言葉をぶつけてきた。
(この胆力……。なるほど、この巫女も只者では無かったという事か。確かに、守るに値する者かもしれないな)
ニアティは片膝を立ててしゃがみ込み、できるだけ穏やかな微笑みを浮かべてユオーミに告げる。
「何か勘違いをされているようですが、巫女様、私はあなたを迎えに来たのです。危機は去りました。さぁ、馬に乗って街に向かいましょう。
なに、じきに私の部下も到着いたしますので、その管理神官はすぐに医者に診させます」
ユオーミは、ニアティの目を見てすぐにそれが嘘だと確信した。
「あなたは……!」
突如後ろから肩を掴まれ、ユオーミは飛び上がりそうになる。だが、それはアガナタの手で、ユオーミは彼をやっとのことで助け起こす。
座り込み、上半身だけ起こしたアガナタはニアティに向き直り、激痛に歯を食いしばりながら口を開く。
「お前は、誰だ……? すまんが、目が、あまり見えないんだ」
ニアティは立ち上がり、アガナタを見下ろしながら満足げに答える。
「昨日ぶりだな、アガナタ。お前が昨日『また会おう』等と言うものだから、こうして態々会いに来てやったぞ」
「その声……ニアティ、と言ったか」
「状況は分かるな? お前からも巫女様に言ってやってくれ。私の馬に乗るようにと」
「……」
「これは情けだ。お前に敬意を示し、最善の方法を提示しているんだ。……分かるだろう?」
アガナタは気絶しそうな痛みに耐えながら、無理矢理口角を引き上げ、ニアティに告げる。
「生憎、この身は既に巫女様に捧げている。巫女様が諦めていないのに俺が諦める訳にはいかないんでな」
ニアティは失望を顔に浮かべ、露骨に溜息を吐いて面倒くさそうに言葉を返す。
「お前はもっと賢い男だと思っていたのだが、買い被りだったかな。そうすると、やり方を変える必要があるのだが、最早お前に選択権は無いぞ」
「今、あまり目が見えていないが、代わりに色々なものが分かる。お前が勝利を前に驕っている事、そして、それ以外の音も聞こえる」
「……音?」
ニアティが馬の蹄の音に気が付いて振り向くと、向こうから槍を構えた青の守護神官が馬でこちらに向かってくるのが見えた。油断し、完全にその男に気が付かなかった事態に焦りつつも、勝利を確定すべく、巫女を殺すために腰の剣を抜く。
「させるかッ!!」
ほぼ同時に、背の高い青の守護神官がその手に持った槍を振りかぶってニアティに向けて投げつけようとするが、動く馬上で槍を投擲するためのバランスの難しさと、緊張による手の汗から槍が滑る。必死で取り落とさぬように握り込み、かろうじて槍の末端を掴むが、崩れたバランスにより急速に体が傾いてゆく。
(いつもこうだ! 普段から実力を試される状況を避けているから、大事な時に失敗する。俺は……!)
「がああァァァ!!」
落とすくらいならと、無茶な体勢から力任せに投げられた槍は、横に激しく回転しながら放物線を描き、ニアティに迫る。
「チッ!」
迫る槍から身を守るため、タイミングを合わせて剣で薙ぎ払うが、槍はニアティの手前で地面にぶつかると、変則的な跳ね方をして彼女の剣の軌跡をすり抜けた。
「!!」
顔面に向けて跳ねた槍を上体を逸らして躱すニアティ。
片足のかかとが堀の縁にかかりながらも既の所で危機を回避し、彼女は改めて勝利を確信して青の神官に向き直る。この男の登場は想定外だったが、所詮は時間稼ぎに過ぎない。あの体さばきであればニアティであっても対処は難しくないだろう。
「え?」
正面から、落馬しそうになりながら馬にしがみついた青の神官が突っ込んでくる。完全に馬のコントロールを失っており、たてがみを強く引っ張られた馬が、ニアティの直前まで迫ると急激に左旋回して神官を振り落とした。
「ま、まてっ!」
投げ飛ばされた青の守護神官がニアティに激突し、二人まとめて激しい水柱を上げながら堀の水の中に没する。
「ユオーミ!」
アガナタが必死の形相でユオーミに叫ぶと、彼女は肩を貸して彼を起き上がらせ、そのままニアティの馬にアガナタが乗るのを手伝う。そして、馬に乗ったアガナタは一気にユオーミを引き上げると、遠くに見える吊り橋に向けて馬を走らせた。
「グウゥゥ!! オオオオォォォ!!」
痛みに耐えかねて叫び声を上げつつ、馬を駆るアガナタ。
日没まで僅かに時間を残して再び進み始めた二人を西日が照らし、城壁沿いに細長いその影がくっきりと映し出されている。
黒地に赤で描かれた世界で、その先にあるであろう吊り橋は滲んで良く見えなかったが、ユオーミがアガナタの視界を補い、導く。
「左の堀に注意してください。この堀沿いに真っ直ぐ進めば吊り橋で、途中に障害物はありません!! 後方から追いかけてくる人たちも、もういません!!」
(今度こそ!!)
笑顔を浮かべる二人。
ユオーミは、手綱を握るアガナタの手が震えている事に気づき、そっと自分の手を重ねる。
満身創痍のアガナタとユオーミは、それでも確かにやり遂げた。
恐怖の中、何度も心折れそうになりながら、それでも掴み取った希望。それは、ユオーミにとって今まで生きてきて得た何物よりも尊く感じられた。
だが、突如二人の頭上から鐘の音が降り注ぐ。
それは、城壁の内側の鐘楼で打ち鳴らされる、日没を告げる鐘の音だった。
「ユオーミ!?」
「そんな! まだ……まだ日は沈んでいません!!」
城門の警備に付く兵士たちは、日が落ちる前に鳴り響く鐘の音に戸惑っていた。
日の出と正午、そして日没に鐘を鳴らすのは教会の仕事であり、教会の几帳面さを表すように、それはどんな日にも正確に打ち鳴らされてきた。
だが、今日に限って、日が沈むより僅かに早く鐘が鳴った。
「おいおい……まだ日は沈んでいないぞ? どうする?」
戸惑い、訪ねてくる同僚に、顎鬚の兵士が顔をしかめて応じる。
「どうするだって? 吊り橋を上げて門を閉じる以外に、何があるって言うんだ?」
「いや、だって。まだ日は沈んでいないだろう?」
「馬鹿! 俺たちの任務は鐘が鳴ったら出入り口を閉鎖することだ。……それに、恐らくもう教会は鐘を鳴らさない。そうすると、いつ門を閉めていいか分からないじゃないか! 閉めておけばいいんだよ。それに、早く閉めれば早く仕事を引き上げられるだろう?」
「なるほど! 違いない!」
男は、吊り橋の先で随分前から佇み、人を待っている様子の三人組に向かって声を張り上げる。
「おぉーい、あんたら! 橋を上げるぞ! 街に入るなら入っちまいな!」
そして、仲間たちに向けて合図を送り、自分たちの今日最後の仕事に取り掛かった。
「みんな、少し早いが店じまいの準備をするぞ!!」
本当に、あと少しだった。
しかし、日没より早くそれを知らせる鐘が鳴り、二人が橋に到着した時には非情にも吊り橋は既に上げられ、その門は固く閉ざされていた。
「そんな……何でなの!?」
上げられた吊り橋を見上げ、悲鳴のような声を上げるユオーミの後ろで、何とか気力で動いていたアガナタは急速にその力を失い、そのまま馬から転げ落ちる。
「アガナタさん!!」
馬から必死で降りてアガナタに駆け寄るユオーミに対し、アガナタは弱々しく微笑むが、その眼は開かない。
「アガナタさん! しっかりして下さい!! 嫌! 目を開けて!!」
ユオーミの悲痛な叫びが城門前に響く。けれど、それに答える者は誰もいない。
ただ、沈みゆく太陽に照らされた城壁と堀の水が茜色に染まり、走り去る風が僅かにその水を波立たせるのみだった。
【次回】第44話:結末
12/26(金)19:00頃 更新予定です
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