第30話 誓い
オッドーがアガナタの元に辿り着いた時、彼は月の光を浴びながら、群生した小さな白い花の中に足を投げ出して座り込み、うなだれていた。
普段の様子と異なり、酷くくたびれて見えた彼のすぐ近くには、外した半面と、手の平程の大きさの黒い箱、そして黒い手袋が散らばっている。
オッドーは驚いて思わず声を上げた。
「おいおい……お前まさか、彼女に素顔を見せたのか?」
アガナタは、声に反応したかのように首を傾げたが、俯いた顔に掛かる前髪でその表情を伺うことはできない。
ユオーミから聞いていた通り様子のおかしいアガナタを前に、どのように声を掛けようか思案していると、おもむろにアガナタが口を開き、振絞るような声でつぶやいた。
「俺たちがあの時したことは、一体何だったんだろうな……」
オッドーは黙ったままアガナタを見つめる。
「……」
「彼女を、ラニーアを苦しみから救ってやりたいと思った。それは嘘じゃない。だが、あの時彼女は生きたいと願っていたのだろうか……? 自分の子供に生きてほしいと願ったのだろうか? あれはただ俺たち、いや、俺の我儘だったんじゃないのか?」
突然のその言葉にオッドーは驚く。アガナタとの付き合いは長が、彼のラニーアへの行動に対する弱音は聞いたことが無かった。一体ユオーミとの間に何があったのか……。親友のその心の内を読めないまま、けれど彼は力強く答える。
「……少なくとも、彼女は傷ついていた。そして、助けを求めていた。我々は万能の神じゃない。あの時点で未来が見えていた訳じゃないんだ。
一つ言えるのは、あの時俺たちは本気だった。思い返してみても、今の自分が怯むくらい真剣だった。人は生きるのに希望が必要だ。俺たちは、彼女の希望になりたいと願った」
アガナタは、おもむろに足元に咲いている小さな白い花々を鷲掴みにしてむしり取り、叩きつけるような動作でそれをばらまいた。僅かに持ち上げた顔。その前髪の間から覗く瞳は虚ろで、仄暗い感情が揺れているように見えた。
「じゃあ何なんだこの結果は? 彼女も救えず、彼女の娘まで生贄にされて。自分たちの勝手な正義を振り回した挙句、誰も救えてなんかいない。それどころか、新しい苦しみを生み出しているじゃないか! とんだ道化だ。そう、不幸をまき散らす道化でしかない! 笑えるよなぁ……」
口元を歪め、嘲笑を浮かべるアガナタ。
親友のその卑屈な様子を目の当たりにし、オッドーは頭に血が上り思わず怒鳴りつけた。
「うるさい!グダグダ言ってんじゃねぇ!
自分が至らなかったって自分を責めて、それで許されるとでも思ってんのか!
あの時俺たちは本気で願って本気で動いた。その結果は思っていたのと違っていて、ハッピーエンドには遠すぎて……。だけど、クヨクヨ言って、その後始末から逃げるつもりはねぇ! 俺は、あの娘の望む道に最後まで付き添う!
始まりは自分勝手な正義感だったとして、既に運命の歯車は回っているんだ。だから、歯車を動かしてしまった俺は、たとえその歯車に巻き込まれて潰され、千切れてしまおうが最後までその役割を果たす! お前は黙ってそこで腐ってろ!」
アガナタが顔を上げてオッドーを睨みつけ、立ち上がりながら叫ぶ。
「それは思考停止だろ! このまま行ったら最後にユオーミは生贄として殺されるんだぞ! せっかく生きていて楽しいと思えたのに、それが死に繋がっているなんて……」
「彼女は巫女として生きると言った。俺はそれを支える。もし途中でやっぱり死にたくないと言えば俺はそれを叶えるべく全力を尽くす。叶うかどうかじゃない。必要なのは彼女に寄り添う事だ! 生きようが死のうが、そんな事は大した問題じゃない。死ぬ間際まで、その最後の刻まで、彼女の味方で居続ける! それが俺の責任の果たし方だ!
お前はお前の道を行けばいい。だが、今お前が見ているのは、ラニーアでも、あの娘でもなくて自分なんじゃないか? 自責の念に堪えかねて、ただひたすらに自分を糾弾して、許されたいだけなんじゃないのかよ! ただ、あの娘の死にお前が耐えられないだけだろうが!」
「黙れぇー!」
アガナタはギラついた目で叫び、堪えきれずオッドーに殴りかかる。
拳がオッドーの肩を叩くが、彼はびくともせず、怒鳴り返した。
「死ぬことばかりに囚われて、今と向き合おうともしないこのボンクラが! 上等だ! 大体お前はァー!」
オッドーの反撃をまともに腹に受け、たまらず胃液をまき散らし、よろめくアガナタ。頭を振って気を取り直し、咄嗟に相手の懐に飛び込むと、その腹に拳を叩き込もうと振りかぶる。が、オッドーの腹の傷を思い出し、動きに迷いが生じた所を、逆に顎に拳を受けてたまらず後ろに倒れ込んだ。
「百年早いわ!」
「くっ、貴様ァー!」
癇癪を起したように再び立ち上がり、アガナタはオッドーに飛び掛かった。
夜の森で、花を蹴散らしながら殴り合う二人を、月だけが静かに見つめている。
アガナタは、力の限りその拳を振るい、挑みかかった。
自分の心を持て余し、どうしてよいか分からず、袋小路に陥った感情をまき散らしてぶつけ合う。
それを受け止め、急所を外しながらも確実に反撃するオッドー。
本当に、コイツには感謝しかないな、と思いながら、アガナタは渾身の一撃を繰り出した。
花の中にうつ伏せで倒れ込むアガナタ。息を切らしながらへたり込み、尻餅をつくオッドー。
夜の森に、二人の荒い息だけが響く。
やがて、息が落ち着いてきた頃、どちらかともなく笑い声が漏れる。
「くくく……!」
「ははは……!」
ひとしきり笑った後、うつ伏せに倒れたままのアガナタが、オッドーの方に顔を捻って話しかける。
「……少し弱気になっていた。すまん」
「ふん」
そして、力のこもった瞳で宣言する。
「俺は、ユオーミに生きて欲しいと願っている。だが、彼女は巫女としての自分にしか価値が無いと思い込んでいる。……だから、俺は、生贄の巫女を終わらせると同時に、彼女に新しい世界を、生きるに値する現実を提示する必要がある。
俺を信じてくれたラニーアの為に。ラニーアに誓ったあの頃の自分の為に。そして、生きたいと願うユオーミの為に……
俺は、どんな手を使ってでもそれを成し遂げる」
半ば呆れながらオッドーが答える。
「志が高いのは結構なことだが……実現可能な夢にしておけよ?」
「俺がこの勝負に勝つには少しでも生贄の巫女の真実に迫る必要がある。さっきはその為の実験をしていたのだが……間が悪い事にユオーミが来てしまい、結果、死にたくなる様な醜態を晒してしまった」
「……是非その醜態ってのを見てみたかったが。……実験?」
アガナタは倒れたまま腕を伸ばし、黒い箱を指さした。
オッドーがその箱を拾い上げ、その黒光りする手のひらサイズのそれを観察する。
その上質で重厚感のある箱は頑丈に作られており、箱が勝手に開かないように金属の留め具を備えていた。
「これは?」
「管理神官に渡される、告解の儀に用いる祭具の一部だ。他の祭具とは異なり、これだけは、命に代えても守り抜き、決して人手に渡る事の無いよう厳命されている。……開けてみろ」
思わずアガナタを見つめるオッドー。そして再び箱に視線を戻し、留め具を外して、恐る恐る見た目よりも重いその蓋を開く。
箱の中は2つに仕切られ、左側には小指の爪ほどの大きさの黒い丸薬が、右側には白い粉が詰め込まれていた。
「左は、儀式の前に巫女と、管理神官が服用する気付け薬。右が、儀式の際に焚く香の中に混ぜる清めの砂だ。砂とは言うが、実際には粉に近い」
アガナタはゆっくりと体を起こし、鋭い目つきでその箱を睨む。
「告解の儀とは一体何なのか? 朧にも、奉献の徒の皆にも知られずにその薬の効果を確認するチャンスは、山越え中の今しか無かった。
昨日、その丸薬を飲んでから白い粉を吸ったが、何も起こらなかった。まぁ、丸薬については、元々意識をはっきりとさせる効果があるのだが。
そして今日、丸薬を飲まずにその粉を少し吸った所、頭がぼうっとして、理性の力が働かなくなった。何だか気分が良くなり、無性に思ったことをしゃべりたくなったんだ」
「……」
驚きに目を見張るオッドーを見つめ、アガナタは強い意志の宿った瞳で、ゆっくりと頷いた。
「ええと、つまり……、管理神官さんは、少しでも食料が持つように、自分の分の食料を減らしていて、お腹が減りすぎて、見つけたキノコをこっそり食べたら幻覚を見て錯乱してしまった。そこに私が来て言い争いになった、という事ですか?」
「そういう事です」
神妙な顔でそう答えるオッドーを見つめ、それからアガナタを見つめるユオーミ。
言葉にしてみると、いかにも知性が足りていなさそうな残念なその内容に、内心オッドーを恨みながらも、アガナタはユオーミに頭を下げる。
「巫女様、失礼な事を言ってしまい申し訳ありませんでした……」
「では、私は先に皆の所に戻りますが、二人ともあまり遅くならないようにお願いします」
そう言って、オッドーは杖代わりの枝を突きながら去って行った。
「先程は、すまなかった。実は……」
語り始めたアガナタを、ユオーミが制する。
「待って。仮面を外して話してください。……お願いします。貴方の気持ちをちゃんと聞かせてく下さい」
彼女の声は少し震えており、最後の方は消え入る様な小声ではあったが、確かにアガナタに届いた。
アガナタは半面を外し、ユオーミを見つめる。ユオーミも、その瞳をしっかりと受け止め、見つめ返した。彼女の瞳が不安の色に揺れているのを感じたアガナタは覚悟を決め、話し始める。
ラニーアも生贄の巫女だったこと。15年前の巫女の儀式の際、逃げ出してきたラニーアをアガナタとオッドーが匿ったこと。アガナタがあの村で「ナァラ」と出会った時から、それがナァラではなく、その身代わりの巫女ユオーミであると気づいていたこと。けれどその場でそれを暴くとユオーミに危険が及ぶ可能性があったこと。その結果、苦渋の決断としてユオーミを生贄の巫女として受け入れたこと。
「ラニーアを救えなかった俺からしたら、忘れ形見であるユオーミまでもが生贄の巫女になる、しかも他人の身代わりとして偽物の巫女になる事なんて、とても受け入れられなかった。だけど、俺はそれを自分の意思で選択した。自分でも反吐が出るような最低な事をしている自覚はあったんだ……」
「そんな……、そんなこと、無い。今更白々しいかもしれないけれど、守ってくれて、ありがとうございました」
「いや……、うん」
ユオーミの言葉に、込み上げるものを抑え切れなくなり、アガナタは思わず口元を押さえ、顔を横に向けた。
「お母さんも、生贄の巫女だった……。でも、儀式の直前に逃げ出した……」
ユオーミは思わず視線を下げ、黙り込む。
あまりに多くの事実を受け取り、彼女も何をどう感じればいいのか分からないのだろう。アガナタは黙ってその様子を見つめていた。
やがて、ようやくユオーミが顔を上げた。
「お母さんが儀式から逃げ出した理由は、分からないんですよね?」
「ああ、それについては、聞かなかった。聞くことがラニーアを苦しめると思ったから」
アガナタは、あの雨の中逃げてきたラニーアの衣服が乱れていた事を思い出し、強烈な怒りが込み上げてきたが、目の前のユオーミを見つめて心を落ち着ける。彼女に、憶測でそんな話をする事は、とてもできることでは無かった。
だから、違う言葉を口にする。
「ラニーアは、儀式の途中、何かから逃げてきた。それが何かは分からないが、君も、できればそこに近づけたくないと思った」
ユオーミの揺れる瞳がアガナタを見つめる。様々な思いが去来する彼女の胸の内を思い、そこに浮かぶ不安の色を、何とか消し去りたいと思った。
「でも、大丈夫。君を無事に神殿まで届けた後、そこで行われる儀式では、世話人を除く奉献の徒が巫女の身辺の護衛を行うことになっている。だから、俺は君のすぐ近くにいる。何かあれば、すぐに逃げておいで。必ず君を守るから。だから、君は胸を張って巫女の務めを果たせばいい」
ユオーミは真剣にアガナタの言葉に耳を傾けていた。アガナタはその顔を見つめながら、何としてもユオーミを、そしてその笑顔を守りたいと思った。
「実は、君が巫女の務めを果たした後、生贄として死ななくても良い方法を探している。今は具体的な方法は見つかっていないけど、何とか見つけてみせる。……信じて任せて欲しい」
アガナタの言葉に、驚きの表情を見せるユオーミ。やがてその表情は、悲しい目をした優しい微笑みに変わった。
「ありがとうございます。……アガナタさんって、本当に優しいんですね。でも、無理はしないでください。私は難しい事は分からないけど、それでも随分無茶なことを言ってるって分かります」
アガナタは胸を締め付けられ、思わず叫ぶ。
「必ず、必ず見つけてみせる。だから……」
「ありがとう。ちょっとだけ期待して待ってます。でも、間に合わなくてもアガナタさんを恨んだりしません。……ただ、最後まで傍にいてください。それだけは約束して欲しいです」
彼女にこんな事を言わせる自分の無力さに、気が狂いそうになる。アガナタは、自分の中で吹き荒れる激情を抑え込みながら、彼女の手を取り、誓いを立てる。
「約束する。ユオーミ、俺は必ず側にいて君を守り抜く」
自分には、こんな見せかけの約束しかすることができない。その絶望のあまり、アガナタは自分を呪い殺したいとさえ感じた。
先程、オッドーは「生きようが死のうが、そんな事は大した問題じゃない」と言っていたが、アガナタはそうは思わなかった。
(誓いなど意味がない、結果が残せなければ……)
湧きおこる自らへのどす黒い感情も、過去への後悔も、なにもかも全て飲みこみ、アガナタは黒い炎をその心に宿す。
(俺は、あらゆる手を使って結果を出す。結果さえ果たせれば、この身が引き裂かれようが地獄の炎に焼かれようが構いはしない)
淡い月光が手を重ねる二人を優しく照らし、青白い光に包まれた彼らの影が小さな白い花の上に落ちる。その傍を風が吹き抜ける度、二人の心を表しているかのように、揺れる花やその葉が二人の影を波立たせていた。
いつもありがとうございます。感想、お待ちしています!
<毎週 月・金 更新中>
【次回】 第31話:血
11/10(月)19:00頃 更新予定です




