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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第6章 山越え:剥がれ落ちた仮面
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第29話 月光



 山の尾根の木々の間から、遠くヌクメイの街が見下ろせた。


 沈みゆく太陽の茜色の西日が街並みを浮き上がらせるとともに、その影が徐々に深さを増し、街全体を飲み込んでゆく。


 街の端から、隣接する大きな川を跨いで伸びる道のようなものが見えた。恐らく、あれが襲撃を受けた橋なのだろう。

 何だか、あの橋での出来事も、ずいぶん前の出来事のように感じられた。



 山を登り始めてから2日が過ぎ、間もなく3日目の夜を迎えようとしていた。

 最後尾を歩きながら、アガナタは空腹と疲労であまり回らない頭で、ぼんやりと考える。


 このままでは、明日の夜には手持ちの食料は尽きてしまうだろう。

 何か打開策を考えなければならないが、焦ってみたところで何一つ現実的なな方策は浮かんでは来なかった。


 元より食料には不安があったため、食料を分配する際に自分の分を少なめにしていたが、所詮焼け石に水だった。


 前を歩く一行は、西日に照らされて、高木の葉が輝いて揺れる森を一列に進んでいる。

 赤の守護神官が、鹿が見えたとユオーミに囁き、進行方向右手を指し示すと、目を細めてそちらを見たユオーミが、お目当てのものを見つけたのであろう、顔を輝かせた。


 その笑顔に皆が癒されるが、それでも蓄積した疲労を隠す余裕は、最早誰も持ち合わせてはいなかった。



 一行は、開けた平らな場所を見つけ腰を落ち着ける。今夜はここで野営だ。テントは棄ててしまったため、ユオーミも含めて星空の下、毛布で眠ることとなる。


 アガナタは自分の荷物を置くと、その中から皆に非常食を取り出して配り始めた。

 豆と穀物を粉にして固めた携帯食、干し肉と乾燥芋が少々、そして、僅かな乾燥果物。


 三食同じものを食べているせいで、皆それを受け取っても食欲が湧く訳ではなかったが、かといって他に食べるものもない。贅沢は言っていられないのだ。



 ユオーミは、固い干し肉を必死で噛みちぎり、その塩辛さを薄めるために水を口に含みつつ咀嚼する。これはまだいい。問題は携帯食だ。干し肉以上に固いこの携帯食を、ユオーミは噛み砕くことができず、コップに入れた水に浸して、柔らかくしてから食べているのだが……。


「うぅ……」


 ユオーミは珍しく眉間に皺を寄せてこれを食べる。この携帯食は殆ど味がなく、それを水でふやかしている為、食感も悪い。つまり、一口で言うとマズいのだ。

 体力を維持するために必要な事と理解しつつも、これがあるせいで食事の時間が苦行と化していた。


 他のメンバーはそれを避けるため、この携帯食を水に浸すことなく、顔に青筋を立てながら、渾身の力で噛み砕き、ある程度咀嚼してから水で流し込んでいた。


 ユオーミは、その様子を恨めしそうに横目で見ながら、ふやけた携帯食を淡々と口に運ぶ。そして、何とか自分に割り当てられた携帯食を片付けた後、楽しみにしていた乾燥果物をつまみ上げ、顔を綻ばせた。


 今日の果物はイチジクを乾燥させたもので、一人一粒ではあるが、そこそこの大きさがあった。ユオーミは目を瞑り、甘く香ばしいが、ほのかに渋みを感じさせるその香りを十分に楽しみ、それからそっと噛り付く。


 口の中で小さな粒がプチプチとはじけ、濃厚な甘さが口一杯に広がる。思わずうっとりした表情でその味を堪能していると、同じく乾燥イチジクを笑顔で頬張っていた赤の守護神官と目が合った。


 二人して、思わず吹き出す。


「巫女様、その顔だけでイチジクの美味しさが伝わってきますよ。」

「だって……本当に美味しいんだもの。あの携帯食だって、その後にこれがあると思うから食べられるの。ふふふ……。」

「本当に美味しいですよね! 旅の途中で食べた時にはここまで美味しいとは思わなかったのですが、この山越えではご馳走ですね~。」


 美味しそうにイチジクを頬張る二人を眺めて微笑みつつ、アガナタは隣に座るオッドーに話しかける。


「調子はどうだ?」


 オッドーは怪我のせいで大分動きが鈍くはなっているが、幸い傷口は悪化することもなく、少しずつ塞がってきている。しかし、いかんせん食事が貧相で、大男のオッドーには量も足りないため体力の回復は限定的だった。


「ああ、悪くない……。」

「そうか。無理はしないでくれ。」


 本調子で無いためか、いつも以上に無口なオッドーの肩を軽く叩き、アガナタは青の守護神官達の近くへ移動する。


 二人は、食事を終えて水を飲みながら談笑している所だった。

 拳骨の方の神官の肩を軽く叩き、話しかける。

「体は大丈夫か? 悪いな、荷物を沢山持ってもらって。」


 彼はアガナタを見上げ、笑顔を見せた。

「私は大丈夫です。まぁ、腹は減りますが、山を下りるまでの辛抱ですから。」


 アガナタは頷き、道案内の方の神官にも感謝を述べた。

「お前のお陰でここまで来れた。感謝する。」


 青の神官は少し照れながら顔の前で手を振ってこたえる。

「いえいえ、お役に立てて光栄です。ですが、私が知っているのはこの少し先までです。そこから先、どうなっているかは分かりません。……ですが、最善を尽くします。」


 アガナタは微笑みを浮かべ、二人の肩を抱いて言う。

「二人とも、頼りにしているぞ。山を下りたら旨いものを沢山食べよう。」


 残りの食料の事を考えると、とても笑って等いられない状況だったが、共に困難を乗り越えるため、今は少しでもメンバーの絆を強める必要があった。

 だが、無事に山を下りたとしても、朧や謎の襲撃者、そして、教団への対応と、問題は山積している。


 一瞬、そもそもこんな山奥をユオーミと進み、運命に抗おうとしている事自体が酷く愚かな事のように思えた。アガナタは頭を振って必死に弱い心に付け込もうとする邪念を追い払う。


(俺が弱気になってどうする! ……ラニーアに誓ったんだ。俺は、全ての災厄からユオーミを守り抜き、理不尽な死によって作られた偽りの平和を終わらせると!)


 アガナタは胸を締め付ける不安に必死で蓋をすると、心を殺し、満面の笑みで山を下りた先の、まだ存在しない未来の話に興じてみせた。




 ユオーミは、そろそろ寝ようか、という頃合いになってアガナタがいないことに気が付いた。

「あっちを見に行くと言っていましたが、確かに戻りが遅いですね…」


 背の高い青の守護神官が指さす方へと、月明かりを頼りに歩くユオーミ。赤の守護神官が護衛を名乗り出たが、ユオーミはアガナタと二人で話がしたいと思い、「すぐそこだから」とやんわりと断った。


 暫く行った先の、道から外れた林の中で人影を見つけ、ユオーミはそっと声をかける。

「アガナタさん。」


 優しい風が木々の間を通り抜け、ユオーミの髪を揺らす。空を覆う木々の葉の隙間から青い月の光が差し込み、二人を照らしていた。辺りには、まばらに群生した小さな白い花が咲き誇り、僅かに揺れながら青白く輝いている。


 しかし、アガナタからの返事は無い。その人影は、両腕を立木に押し付け、さらにそこに自分の頭を乗せるようにして微動だにしなかった。


 よく見ると、何故か両手に黒い手袋をはめており、片方の手には黒い箱が握られている。


「アガナタさん……?」

 様子のおかしいアガナタに、疑問を抱きながらも少しずつ近づくユオーミ。

 すると、目の前の人影から浅い呼吸を繰り返す音が聞こえた。


 ふと、不安になる。この人影は、本当にアガナタなのだろうか? ユオーミの知っている普段の様子とは随分異なっているようだが……。

 思わず足を止め、見つめるその背中は、僅かに震えているように見えた。


 再びユオーミに呼びかけられ、彼は、手に持っていた黒い箱を取り落とす。

 そして、ゆっくりと振り向いた。


 振り向いたその顔は、半面を着けていなかった。


 確かにそれはアガナタだった。だが、血走り見開かれた目、だらしなく開いた口元は、ユオーミの知るアガナタのそれとは似ても似つかなかった。


 アガナタは、ユオーミの左手首に巻かれた紐飾りを見つめる。


 雨上がりの山を越えるにあたり、ユオーミは「足首だと汚れるから」という理由で紐飾りを手首に付け替える事を申し出た。


 より目立つ位置にその場所を移した紐飾りは、ユオーミの前向きな気持ちを代弁しているように思われ、アガナタは微笑みながらそれを承諾したのだった。


 その紐飾りをじっと見つめ、アガナタが呟く。



「……ラニーア?」



「……え?」

 その口から出たその名前に、ユオーミは酷く驚くと共に、アガナタが纏ういつもと異なる雰囲気に反射的に後ずさる。


 だが、それよりも早くアガナタが動いた。飛び掛かる様に一気にユオーミとの間合いを詰めると、強引にその腕の中に彼女を抱きしめる。


「!!」


 突然のアガナタの行動に驚き、さらに、その耳元で囁かれる言葉を聞いて、ユオーミは言葉を失った。


「ラニーア、ラニーア! ラニーア……良かった、無事だったんだね。」


 尋常でないアガナタの様子に、恐怖を覚えつつも、ユオーミは彼の腕を掴みながら必死に訴える。

「アガナタさん、しっかりして下さい! 私はユオーミです! ラニーアお母さんではありません!」


「ユオーミ……?」

 アガナタはゆっくりとユオーミを腕の拘束から解放し、まじまじとその顔を見つめる。


 アガナタは、彼女がユオーミだと気づくと、激しく視線を彷徨わせた後、ユオーミの両肩に手を置いて呟いた。


「すまない……。俺のせいでこんな事になってしまった。ラニーアを救えず、君まで生贄の巫女にしてしまうなんて。」


 ユオーミは戸惑う。アガナタが何に謝っているのか分からなかったが、彼が通常の状態でないのは理解できた。次に何をされるのか分からないという恐怖はあったが、それでも、唯一”自分”の事を知っていて、なおかつ守ってくれている彼を信じて踏みとどまる。

 今、彼を救えるのは自分しかいないと、そう思った。


「逃げるんだ。生贄の巫女なんて辞めて。君が犠牲になる必要はない。今なら引き返せる。巫女を辞めて普通に暮らすことだってできるはずだ! 大丈夫、教団はこちらで何とかする。だから、山から下りたら……」

 突然捲し立てるようにしゃべり始めたアガナタに、ユオーミは俯いて呟く。


「……普通って、何ですか?」

「え?」


 ユオーミの中で、何かが爆ぜた。


「じゃぁ、どうしろっていうんですか! お義父さんもお義母さんもいなくなってしまって、誰からも必要とされず、誰の目にも止まらず、ただ使用人として雑用をこなしがら生きているだけの日々。

 ただ、息をして、そこにいるだけ。外にも出られず、楽しみなんて何もない。それでも、生きているだけ恵まれているんだって思おうとした! でも、それに一体どんな意味があるんですか。私はいてもいなくてもどうでもいい存在だったんです!


 そんな中、突然あの娘の身代わりとして生贄の巫女になれって……。初めは、ついに棄てられた。何で私ばっかり、って思ったけど、でも、……外の世界は、とても美しくて、時々怖いこともあるけれど、みんな優しくて。わ、私が生贄の巫女である間は、みんな私を見てくれて、毎日新しい事ばかりで、楽しくて……嬉しくて。生きていていいんだって。生きていて良かったって。

 

 いつか終わってしまうって知ってます。でも、巫女であるうちは、ここにいていいんだって。みんな私の事をちゃんと見てくれてるって。一人じゃないんだって……。私にはこれしかないんです。だから……だから私は最後まで巫女として勤めを果たします。立派に努めたいと思っています。


 それなのに、どうしてまた私から奪おうとするんですか! 巫女をやめて、どこでどうやって生きるっていうんですか! もうあの家には戻れないし、戻りたくもない。知り合いも親戚も誰もいないこの世界で、私にどうしろっていうんですか。ただ生きながらえる事に、一体どんな意味があるっていうんです! そんなのあなたの独善でしょ! 私に押し付けないで!


 私は、わたしは……うぅ……」


 ユオーミはアガナタの手を振り払って走り去る。

 アガナタは、我に返ったような顔を青ざめさせて、一人月明かりに照らされたまま、その場に立ち尽くしていた。




 色々な感情が小さな体の中で暴れるのを感じながら、ユオーミは山道を走る。


 疲れ切った足は次第に重くなり、やがて完全に勢いを失った彼女は、気づくと、とぼとぼと歩いていた。何だか無性に悔しくなり、思わず目に涙が滲んでくる。


 冷たい風が後ろから通り過ぎ、彼女は思わず身震いし、薄紫のマントで自分の体をくるんだ。


 気持ちが落ち着いて、少し冷静になってくると、正直自分が正しいのかどうかすら分からなくなり、彼女は立ち止まる。ふと月が雲に隠れ、辺りが闇に包まれた。


 急に心細くなり、来た道を戻ろうか、と迷っていると、雲が去ったのだろう、再び月が世界を青白く照らし出す。


 そして、彼女の正面、その少し先に、オッドーが杖代わりの枝を片手に佇んでいた。

「何やら大きな声が聞こえましたので、様子を見に来ました。」


「あの……。いえ、別に……。」

 ユオーミは、何をどう説明して良いか分からず、俯いてしまう。


 そんなユオーミの様子を見ながら、オッドーは溜息を吐きながら、優しい声色で語りかける。

「あのバカが、何かやらかしましたか。」


 その、言い方が何だか妙に可笑しくて、ユオーミは顔を上げた。厳しくもあるが、アガナタへの信頼に満ちたその言葉に何だか気持ちが温かくなり、困ったような顔で、けれども口元に僅かに微笑みを浮かべて答える。


「ええ、そうなんです。……でも、多分私も馬鹿で、二人とも馬鹿だったみたい。」


 オッドーは意外そうな顔をしつつ、彼女のその複雑な微笑みを見つめ、彼自身も微笑んだ。




お読みいただきありがとうございます。


<毎週 月・金 更新中>

【次回】第30話:誓い

 11/7(金)19:00頃 更新予定です

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