第27話 共鳴
ずぶ濡れで洞穴に帰って来た管理神官と守護主神官。
誰もが興味深く様子を伺っていたが、本人たちはその視線にまるで無関心で、ただ衣服が濡れていることに対する不満を口にするだけだった。
二人で掴みあいながら洞穴から出て行った時とはまるで様子が違い、多少のぎこちなさは残るが、いつもと変わらない様子だ。
「服を取り替えたらお前は寝てろ。治るものも治らなくなる。」
「へいへい……。」
アガナタに手伝ってもらいながら着替えたオッドーは、荷物を枕にして再び洞穴の奥に横になった。
そしてアガナタは、ユオーミに断りを入れると、自身も濡れた衣服を脱いで着替えを済ませた。
再び、洞穴に沈黙が訪れる。
身動きが取れない中、この狭い空間で、沈黙は毒だ。ゆっくりと洞窟内に充満し、皆の心を摩耗させてゆく。やがてそれは些細な言い争いとなり、不満と不信の種をまくだろう。
誰もが、そうなる事を恐れていたが、今、この洞窟の中で、一体どんな話題を話せばよいのだろうか? 雨で外の景色は見られず、未来には不安と不確実性が渦巻いている。個人的な会話も禁じられ、やはり黙っているしかないのか……
――皆がそう思った時、横になったまま、おもむろにオッドーが口を開いた。
「巫女様は、”生贄の巫女”の由来についてどこまでご存じですか?」
突然話しかけられたユオーミは驚いたが、素直に答えた。
「ごめんなさい。ただ、皆の平和のために生贄になる、という事くらいしか知らなくて……。」
オッドーは、ばつの悪そうなユオーミを気にかける事もなく、その由来について語り始める。
この大陸は今でこそ平和そのものだが、昔は争いが絶えなかった。特に、十五年間続いた大陸戦争では、大陸に十三あった国々が覇権を争い、日々戦いに明け暮れた結果、荒野には数えきれない程の死体が転がり、畑は焼かれ、略奪を受けて壊された街には孤児たちが溢れていた。
そんな状況を憂い、教団のトップであった大導主が提唱したのが”生贄の巫女”の儀式だった。
当時教団は、今の様に大陸中から信奉されている状況ではなく、本当に小さな集団でしかなかった。
大導主は言った。
「この地上には、人々の悪意と罪が溢れている。それが再び悪を呼び込み、地上を地獄に変えてしまった。だが、神は今一度やり直す機会を与えて下さった。一人の巫女を神が指名し、その巫女が皆の罪を背負って生贄として殉じる事で、神は再び我々を認めて下さる。
初めは小さな一歩かもしれないが、そうすることで神は地上を浄化し、この大陸に蔓延る悪意の黒い霧を払い、地上を神の目の行き届く楽園へと変えて下さるだろう。」
そして、生贄の儀式が始まった。
当然、そんな弱小組織が生贄を捧げた所で、だれも耳を傾けようとはしなかった。
そして、欲望に狂った王族たちが回す悪逆の歯車は止まる事を知らず、多くの人々を押しつぶしながら、戦争は続いた。
――だが、その年、周辺の街から略奪をし、残虐の限りを尽くしていた悪名高いタス王国の王の宮殿が、何者かによって襲撃され破壊された。
「それは、神が再び地上に目を止め、地上に遣わした鬼神である。
我々は、恐れなければならない。己の浅ましい心を。
取り戻さなければならない。相手の痛みを知る心を。
何故なら、鬼神様は見ているのだから。」
宮殿は激しく毀損し、タス王やその側近たちの亡骸は原形を留めぬ程損壊していたという。
そして教団は、毎年巫女を生贄として捧げ、鬼神は、残虐非道の者どもを屠っていった。
力を頼りに悪逆の限りを尽くした者たちは、鬼神の影に怯えるようになり、彼らの回す歯車は少しずつその勢いを失ってゆく。やがて、その歯車は完全にその動きを止め、ついには終戦を迎えたのだ。
十五年間続いた戦争が終結した時残っていたのは、自制と慈悲の心を持つ王たちが納める、四つの国だけだった。
しかし、戦争が終わっても生贄の巫女の儀式は終わらず、今日に至る。
世に悪しき心が芽吹く限り、鬼神の力が必要であると。
大陸戦争の終結から三十年。ただの一度も戦争が起こったことはない。
各国が強く自制心を持ち、一線を越えることは決してない、平和な世界。それが、教団により実現したのだ。
真剣な面持ちで話しを聞いていたユオーミは、思い詰めたような表情で呟く。
「巫女が、人々の罪を背負ってその罪と共に殉じる事で悪意の黒い霧を払う。そして、光が届くようになった地上を、天より鬼神が目を凝らして見張り、悪を裁く…」
アガナタは、チラリとオッドーを睨んだが、オッドーは気にも留めず、話を続ける。
他の守護神官達も、黙ってオッドーの言葉に耳を傾けていた。
「毎年巫女の辿るルートには、四つの内の一つの国の王都が含まれており、王族や大臣は必ず告解の儀を受けなければならないのです。何でも、巫女様に罪を告白することで悪しき心を忘れ、善政を行う礎となっているとか。」
突然、拳骨の青の守護神官が口を挟んだ。
「……それって、罪を告白しなかったらどうなるんですか?悪い事企んでる奴は、罪の告白とかしない気がするんですけど。」
答えを持たないオッドーは「知らん」と素っ気なく告げると、もう一人の青の守護神官が声を上げた。
「罪を告白しないと、逆に鬼神様にバレるんじゃないですかね?」
「おお、なるほど! それなら辻褄が合うな!」
拳骨の神官が感心した風に頷く。
"告解の儀"談義で盛り上がる皆を見つめながら、アガナタは場の空気が和むのを感じつつ、一方でユオーミの反応が気になり、その横顔を盗み見る。
彼女は、真剣な面持ちで皆の会話に耳を傾けていた。その表情は、彼女なりに自分の役割の意味を見出そうとする、その姿勢そのものの様に見えた。
アガナタは躊躇いつつも、彼女の様子を注視しながら、一歩踏み込んだ意見を述べる。
「巫女との告解の儀において、不思議なことに、誰もが本音を語ってしまう、という説もあるらしい。神より与えられたその力の前では、王族、大臣ですら、真実を語る事から逃れられる術は無いとか。」
ユオーミがハッとした表情でアガナタを見つめた。
アガナタは、その眼を見つめ返し、「噂ですがね」と付け加える。そして、覚悟を決めて言葉を継いだ。
「事実はどうあれ、自らの企みが露見してしまうと、そう彼らが思えば、良からぬ企みを持つ者たちは巫女様が邪魔になるでしょう。」
ユオーミの瞳が大きく見開かれ、揺れる。
アガナタはそれを確認してから、最後にこう告げた。
「ですから、我々が巫女様をお守りしているのです。」
「いや、それとんでもない奴らですね。これだけ平和な世の中になっても、そんな事を考える奴らがいるなんて……」
赤の守護神官が、心底嫌そうに言う。
「そんな奴らに負ける訳にはいかないな!」
共通の敵を前に、皆の言葉が熱を帯び、洞穴の中に少しずつ活気が戻って来る。
皆がひとしきり襲撃者に対する決意を述べ合い、場の空気が温まった事を確認した後、アガナタはおもむろにユオーミに提案する。
「巫女様、時間もありますので、もしよろしければこの大陸について、ちょっとしたお話でも致しましょうか。例えば、現在この大陸に残る四つの国の名前やその特徴など。」
「え、いいんですか? ぜひお願いします!!」
ユオーミは目を輝かせ、前のめりになって答えた。七年もの間村長の家に閉じ込められ、何も教えられてこなかったせいで、ユオーミは世の中の事をあまり知らず、巫女としてそのことを気にしていた。
アガナタは、落ちていた石を拾い、地面に大陸と国境線を描きながら説明する。
「まず、我々が今いるのがこの辺りで、ここはアカネイシア王国。大陸で二番目に大きな国です。ここが王都になりますね。……じゃぁ、そっちの青の守護神官。アカネイシア王国について知っていることを巫女様に説明してくれ。」
突然指名されて驚く拳骨の方の青の守護神官。
「え、俺すか!? えーっと、えーと。……料理が旨い?」
「それはお前の感想だろうが!」
笑いに包まれる一同。笑いながらも、伺うような表情で赤の守護神官がアガナタに訪ねる。
「あのー、もしかして、順次当てていく、そういうスタイルですか?」
「そういう事だ。次、赤の守護神官、頼むぞ。」
「えぇー!」
悲鳴を上げながらも、彼女は巫女様に良い所を見せようと、必死で知識を動員し、説明を始める。
「アカネイシア王国は、今でも農業大国ですが、大陸戦争前から既に農業に力を入れていたため、戦争中も餓死者は出さなかったそうです。しかし、そのせいで逆に食料を狙った他国から度々侵略を受けたとか。
ですが、猛将と名高かったアルバーダ将軍と、彼が育てた精鋭である、”赤い翼”と呼ばれる騎兵隊の活躍により、十五年間一度も王都への侵入を許さなかったそうです。」
「カ、カッケェ!」
ワイワイと騒がしくなった輪の中で、ユオーミが笑っている。その笑顔は、年相応のもので、アガナタは、その様子を見て満足そうに頷いた。
そうして突然始まった雨の洞穴での講義は、時に笑いを交えつつ日が暮れるまで続いた。
夜が更ける頃、皆は既に眠りについていたが、寝付けなかったアガナタは一人洞穴の外の様子を伺っていた。
既に雨は止み、時折吹いてくる風が、雨に冷やされた空気を運んできて、思わず身震いする。
洞穴から出て、確認するように一歩一歩ゆっくりと歩くが、足元はぬかるみ、暗さと相まって、ともすれば足を取られそうだった。
条件こそ良くないが、見上げた夜空、その雲間から星が見え始めた所を見ると、明日の天気は大丈夫そうだ。
胸元の金属棒は沈黙を守っている。明日の朝、地面の様子を確認して方針を決めようか……等と考えていると、後ろで小さな悲鳴が上がった。
「あっ!」
反射的に振りかえると、ユオーミが泥に足を取られてよろめいている姿が見えた。
アガナタは泥を捲き上げながら咄嗟に駆け寄り、何とかその手を掴む。手を引いて倒れ込みそうな彼女を何とか引き起こすと、今度は自分がバランスを崩して倒れそうになるが、必死で踏ん張る。
しかし、のけぞった上半身がゆっくりと後ろに傾き始める。
(あ……まずい!)
全身泥だらけになるのを覚悟したその時、ユオーミがアガナタの体に抱き着くように引き寄せ、その結果、アガナタは何とか体制を立て直した。
ふう、と一息つき、ゆっくりと体を離しながら、アガナタが感謝の意を述べる。
「巫女様、ありがとうございます。」
「……いえ、こちらこそ、ありがとうございました。」
俯きがちに、ユオーミが答えた。
空を見上げ、ゆっくりとユオーミが前へと歩み出る。
「眠れませんか?」
アガナタに背を見せたまま、ユオーミはそれに答えず、語り始めた。
「あの、今日はありがとうございました。すごく楽しかったし、勉強になりました。……私が、色々と知りたがっている事を気遣ってくれたんですよね?」
アガナタは口元に微笑みを浮かべる。
「楽しんでいただけたようで何よりです。皆も何だか張り切ってくれましたからね。」
少し間を置いて、再びユオーミが口を開いた。
「何故、生贄の巫女が狙われるのかも、教えて頂いてありがとうございました。私に気を使って言わないでいてくれたんですよね……。」
アガナタは、黙ってユオーミの背中で揺れる薄紫色のマントを見つめる。
「知らなければ、考えることすらできない。私は村から出て、強くそう思う様になりました。だから、たとえ怖い事でも、綺麗じゃない事でも、私には、本当の事を教えて欲しいんです。」
「巫女様……」
何と答えようかとアガナタが逡巡していると、おもむろにユオーミが振り向いた。
雲の隙間から月が覗き、二人を優しく照らす。
「お願いします。アガナタさん。」
アガナタは名前を呼ばれた事に驚き、咎めようとする。
しかし、彼女のその悪戯っぽい笑顔に毒気を抜かれ、言いかけたその言葉は口から出ることなく霧散した。
その偽りのない笑顔を見ていると、そんな事はどうでも良いと思えてくる。
今、この瞬間、彼女は間違いなくユオーミなのだと、そう思えた。
屈託のない笑顔に、アガナタもつられて笑う。そして、その気持ちに応えた。
「わかった、ユオーミ。君には、本当の事を言う。でも約束してくれ。真実を知った事の苦しみを、決して一人では抱えないと。君の苦しみを、俺にも背負わせて欲しいんだ。君はもう、一人ではないという事を、忘れないで欲しい。」
ユオーミは、目を丸くしてアガナタを見つめる。
やがて、その瞳が潤み、一筋の涙が頬を伝った。
時折吹き付ける冷たい風が二人マントを揺らしたが、ユオーミの心は、温かく包まれ、満たされていた。
そしてユオーミは、涙を流しながら、飛び切りの笑顔でアガナタに応じた。
「はい!よろしくお願いします!」
これにて5章「洞穴」は終了です。
次章 道なき山越えに挑む一行。極限状態の中、剥き出しになってゆく心。
その先に待ち受けているものは一体何なのか――?
<毎週 月・金 更新中>
【次回】第6章:山越え 第28話:道のり
10/31(金)19:00頃 更新予定です




