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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第5章 山中の洞穴:雨の中の絆
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第26話 不都合な真実



 神官長アーオステニアは、何者かが激しく窓を叩く音で目を覚ました。



 彼はその日、翌日に一年に一度の生贄の巫女の儀式があるため、自宅ではなく宮殿の最上階より一階層下の階に当てがわれた私室に泊まり込んでいた。


 寝巻でソファに座ったまま、知らぬ間に寝てしまっていたのだろう。寝つきが悪かったため、葡萄酒をちびちびと飲んでいたのが良くなかったのかもしれない。


 寝ぼけた頭で部屋を見回すが、当然、誰もいない。深夜故に、当然窓はカーテンで閉ざされていた。

 確か、今、何か音がしたような……



 再び窓が激しく叩かれる。


 こんな夜中に、この神殿の上層階の窓が外から叩かれるなど尋常ではない。ちらりとテーブルの上に置かれた護身用の剣に目をやる。警備の者を呼ぼうかと考えたが、しかし、一定のリズムで叩かれるその音に思い当たる節があり、もしやと思い、窓辺に近づいて恐る恐るカーテンの隙間から外を覗いた。


 深夜の窓の外は暗く、室内の方が明るいため、良くは見えなかったが、大雨の中、誰かが窓辺に張り付いている様子がわずかに見える。


 再び叩かれる窓。しかしその音は、先ほどまでと異なり、ノックのような優しい音だった。

 そして、このリズムは……そう、アガナタが子供の頃、兄弟たちと遊ぶ際によく使っていた、自分の存在を知らせるためのものと一緒だった。




 禊の警備に付いていた筈のアガナタとオッドーがずぶ濡れで窓から現れ、そして二人が連れてきた、同じくずぶ濡れのラニーアを見たアーオステニアは、その細い瞳を見開き、黙り込んだ。



 いつも斜に構えた所のあったアガナタが、いつになく真剣な眼差しで父に語り掛ける。

「父上、いきなりすみません! ですが、聞いてください……」


 アーオステニアは、口を挟むことなくアガナタの言葉に耳を傾ける。

 そして、アガナタが一部始終を話し終えてから、初めてその口を開いた。


「アガナタ、お前、覚悟はあるんだな?」

 努めて平静を装うアーオステニアに対して、アガナタは挑むように答える。

「覚悟はあります。父上はいつも”正しくあれ”とおっしゃっていますが、俺はこれが正しいと信じています。」


 黙って見つめ合う父と子。

 アガナタの瞳の中に確たる意思を感じ取ったアーオステニアは、ふ、と息を吐きだすと、静かに口を開く。その手が、僅かに震えているのにアガナタは気が付かなかった。


「分かった。お前の力になろう。まずは、そこらにある布で皆体を拭きなさい。服や毛布を適当に使って、体を冷やさぬように。

 私は暫く出かけてくるが、明かりが廊下に漏れないようにして、誰かが訪ねてきても決して開けないように。部屋に誰もいないように振舞うんだ。部屋の鍵はかけてゆくが、私が戻るまでここに留まる様に。お前はこの部屋のどこに何があるか分かっているだろうから、好きにやりなさい。それから……」


 拳を固く握り、真剣に話を聞くアガナタをじっと見つめ、その眼を鋭くしてアーオステニアは言葉を継ぐ。


「ここから先は一つの間違いが即命取りだ。目的を達成したいなら、自分の願望ではなく、事実に基づいて行動する事。正しさではなく、合理性で判断する事。……これを誓えるか?」


 いつもと事なる父の様子に、少し気圧されながらもアガナタがゆっくりと首を縦に振った。

「……誓います。事実に基づき、合理的に判断します。」


 アーオステニアは満足そうに頷くと、表情を緩めてオッドーに向き直る。

「オッドー、君も先ほどの言葉を聞いたろう。アガナタを支えてやってくれ。」

「分かりました。あの……ありがとうございます!」


 続いて彼は、ラニーアを見つめ、目を細めた。

「あえて、巫女様とは呼びませぬ。……ラニーアさん。せがれの覚悟を信じて、貴女を保護いたします。

 疲れたでしょう。ここは安全ですので、暫くはゆっくりと休んでください。その後は、恐らく長距離移動になりますので、それに備える意味でも。……ああ、後で着替えはお持ちします。」


 再びアガナタに向き直り、その肩を叩いて叱咤する。

「アガナタ、気張れよ!」


 そう言い残して、アーオステニアは寝巻から着替え、部屋を出ていった。




 三人は濡れた体を布で拭き、部屋にあったアーオステニアの衣服を適当に着込んだ後、テーブルの上にあった卓上の水差しの水で喉を潤した。


 その水差しを元に戻したとき、アガナタはテーブルの上に置かれた葡萄酒の瓶を見つけ、意外に思い、思わずそれを手に取った。中身は半分より少し多いくらいだろうか。じっとその瓶を見つめる。


 彼は、アーオステニアが酒を飲んでいる所を見たことが無かったし、自宅に酒の類が置かれているのも見たことが無かった。

 この酒は、自分達が来る前に飲んでいたものだ。何故、と疑問が湧くが、そこで、明日が生贄の儀式の日であることを思い出す。……なんだかんだ言って、アーオステニアは教団内で第二位の実力者であり、重要な儀式を前にして、彼は彼なりにプレッシャーを感じていたのだろうか。


 瓶をテーブルに戻し、アガナタはオッドーとラニーアに向き直る。

 二人は、不安そうな瞳でアガナタを見つめ返した。


 これからどうなるのかは全く分からない状況で、アガナタは自分の中で不安と興奮が渦巻いているのを感じた。自分、そして彼ら二人の運命すら大きく書き換えてしまう程の決断が自分を行ったことを思い返し、思わず身震いする。

 だが、「守る」という誓いの言葉の舌の根の乾かぬ内に、今ここで弱気になるのは二人に対して不誠実だと感じた。だからアガナタは、無理やり笑顔を作って二人に語り掛ける。


「大丈夫。父さんが力を貸してくれる。今は体を休めよう。」




 結局その後、あらゆる問題を解決してくれたのは、アーオステニアだった。


 どれくらい時間がたったのだろうか。雨がやみ、窓の外が僅かに明るくなりはじめた頃、アーオステニアは三人分の着替えを抱え、宮殿内の自室に戻ってきた。彼は疲れ切った顔で、三人に対して、着替えた後、開門の時間を待って宮殿の正面から退出するように告げた。


 三人とも驚き、不安を口にしたが、アーオステニアは「大丈夫」とだけ告げ、結果、その通り三人とも宮殿の正面出入り口から堂々と出る事ができた。



 アーオステニアは、この時点で、既に全てに手を回していた。


 宮殿を出た後も、アーオステニアのメモ書きに従って行動することで、アガナタとオッドーは、最終的にラニーアを聖都から離れた村に匿うことに成功した。


 未来は見通せなかったが、絶望的な状況から五体満足で彼女を匿う所まで行けたという事実に、アガナタは驚くと共に、義父に畏敬の念を覚えた。


 自分たちの決断に対して、口先だけではなく、行動で答えてくれた義父。その思いに酬いることができる自分になろう、父が誇れる自分であろうと、アガナタは心に強く誓った。




 あの日、三人を匿い、そして送り出した後、アーオステニアは私室にて眉間に皺を寄せ、苦悶に満ちた表情で残った葡萄酒を煽っていた。


 朝の陽ざしを嫌い、カーテンを閉ざしたままの薄暗い部屋でソファに腰掛け、天井を見上げながら両手で顔を覆う。


「素晴らしい息子だ。正しい心と、揺るがぬ胆力……。」


 振るえる手の指の隙間から覗く瞳。その愁いを帯びた瞳には涙が滲み、悲しみを湛えていた。


「だが、この世界はそれだけでは生きてはゆけない。代償が、必要なんだ……。」


 目を強く瞑り、大きく息を吐き出す。慣れない酒を煽ったせいか、座っているのに体が回るような錯覚を覚えつつ、アーオステニアはゆっくりと立ち上がる。

 ふらつきながら、何とかテーブルの上の酒瓶を掴み上ると、力任せに床に叩きつけた。


 酒瓶は下半分が粉々に砕け、中の葡萄酒とともにガラスの欠片が飛び散った。まき散らされた葡萄酒は、まるで血のような染みを絨毯に描き、瓶の上半分が円を描きながらその上を転がる。


 アーオステニアは抜き去った剣でその転がる瓶を叩き割り、床に剣を突き立てると、そこに体重を預け、肩で息をしながらただ、床の染みを見つめる。


 その暗い瞳には、何も映ってはいなかった。




 巫女の失踪の翌日、各国から招かれた王族たちの目の前で、何事もなかったかのように生贄の儀式は執り行われた。

 いない筈の巫女がそこにいて、巫女が逃げ出したという噂など無く、当たり前のように、例年と同じようにその儀式は生贄の巫女の死をもって無事終了した。


 ただ少し例年と違ったのは、巫女が布で顔を隠していたという事だけだった。


 そして翌年から、生贄の巫女の儀式は教団ではなく大導主が直接管理するようになり、また、その細部まで朧の監視の目が敷かれるようになった。



 あの日、あの場所で何があったのか、知る者は殆どいない。


 あの年、生贄の巫女の儀式に関わった者たちは、全員がその功績を認められて栄転し、そして、その全員が栄転先で変死した。だが、儀式に関わった者が記された名簿には、何故かアガナタの名前もオッドーの名前もなく、別人の名前が記録されており、そのおかげで二人は難を逃れる事となった。




 激しい雨に打たれながら睨みあうアガナタとオッドー。


 半面を外した彼らは、過去から来る胸の痛みに顔を歪めながら、けれど、目を逸らさず真っ直ぐに前を見つめる。


「それで、お前は何を企んでいるんだ? 俺まで巻き込んで、まさかただ出世したい等とぬかすなよ。」


 オッドーのあざける様な瞳に怯みもせず、アガナタが答える。


「お前の力が必要だった。だから巻き込んだ……」

「何の話だ? 答えになっていないぞ!」

 話が見えず、苛立たし気にオッドーが話を遮った。


 オッドーにとってアガナタは盟友だ。彼が本気で願うのであれば、大抵の事は協力する気はある。だが、黙って奉献の徒に巻き込むのはどうした訳だろうか? 朧の監視があるとしても、事前に相談があってもよさそうなものだが……


「お前、何を企んでいる?」


 そんなオッドーに向けて、アガナタは獣のような顔をして言い放つ。



「生贄の巫女を、終わらせる。」



 その瞬間、激しい雨が降り続く中にありながら、オッドーは全ての音が消え去ったような気がした。


 初め、彼はアガナタの言葉の意味を理解することができなかった。


(生贄の巫女を、終わらせる……?)


 やがて、この雨がしみ込むように、ゆっくりと時間をかけ、その言葉の意味する所と、その重みが頭に染み渡った時、再び激しい雨の音が響き渡り、オッドーは顔を僅かに歪ませながら、呆然とアガナタを見つめていた。





いつもありがとうございます。感想、お待ちしています!


<毎週 月・金 更新中>

【次回】 第27話:共鳴

10/27(月)19:00頃 更新予定です

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