第25話 過去
「もう、ここらで良いだろう」
土砂降りの雨の中、森が少し開けた場所で守護主神官が振り返る。
既に洞穴からは大分離れており、声も、姿も見られる心配はなかった。
アガナタは半面を外して地面に叩きつけ、守護主神官を睨みつけて言う。
「朧も近くにいない。言いたいことがあるなら言え、オッドー!」
名前を呼ばれた守護主神官はアガナタを睨み返す。そして、彼もまた半面を外して放り投げた。その凛々しくも勇猛な面構えの男が、獣のうなり声のような叫びを発した。
「そもそも初めから気に入らなかったんだ。お前、何故ラニーアの娘を巻き込んだ!
あれはラニーアの娘だろう? あの娘を使って何を企んでいる!? そんな事をしてラニーアに恥ずかしくないのか!!」
唐突にラニーアの名前を聞かされたアガナタは、目を見開き、冷静さを失って叫ぶ。
「俺がユオーミを、ラニーアの娘を巻き込む様なマネをする訳がないだろう! そもそもあの娘は、ユオーミは生贄の巫女じゃないんだ!!」
苛立たし気にオッドーも吠えた。
「また訳の分からんことを! 巫女でもないのにどうして俺たちと旅をして、今この山の中に逃げ込んでいるというんだ!! お前は俺までもはぐらかそうというのか!」
「嘘じゃない! もともと巫女に選ばれたのはあの村の村長の娘で、その名前がナァラなんだ!!」
「ハァ!?」
「あのジジイ、巫女を入れ替えやがった。そしてあの子にナァラと名乗るように強要した」
オッドーは驚きを隠せず、口を開いたまま固まっている。
激しい雨が二人の体を叩き、既に衣服はずぶ濡れだった。
「……待て、巫女のすり替えなど、そんな事が可能なのか!?」
「分からん。だが、現実はそうなっている。あの村でユオーミに会い、あのラニーアの生き写しのような顔を見た時、心臓が止まるかと思った。そして、あの娘は足首にラニーアが俺にくれた物と同じ紐飾りを捲いていた。だから、初めて会った時から彼女はナァラじゃ無く、ユオーミだと確信していた」
「なら何で……」
「だが、あそこで俺がユオーミを知っていることがバレたら、間違いなく朧によって彼女の身元が暴かれてしまう。巫女の入替えなんて前代未聞だし、教団の沽券に関わるから徹底的な調査が行われるだろう。それだけは絶対に避けなければならなかった!
だから、彼女を巫女として受け入れ、我々が直接彼女を守るしか無かったんだ!!」
「そんな……。これは、偶然なのか? それとも、ラニーアが……」
アガナタは激しく顔を歪ませて吐き捨てる。
「ふざけるな! ラニーアがこんな事を望む訳が無いだろう!」
激しい雨の中、雷が空を縦に切り裂き轟音とともに視界が一瞬光に包まれた。
圧倒的な光の中の白い世界で、お互いのシルエットだけが向き合い、一瞬の事でありながら、まるで時間が止まったような錯覚を覚えさせた。
オッドーは、雨に濡れながら思い詰めた表情で立ち尽くすアガナタをじっと見つめ、言葉を継ぐ。
「……だが、偶然ばかりという訳でもないだろう? 旧知の仲の俺とお前が同時に奉献の徒に選ばれるなんて、通常あり得ない。……お前の親父が噛んでるのか?」
アガナタは伏し目がちに答える。
「父の力を利用した。ただし、あの人は何も知らない。ただ、十五年前のあの事件を知っている一人として、俺とお前に同情してくれているんだと思う。……それだけだ」
「……」
アガナタは、真っ直ぐオッドーを見つめる。
「十五年前のあの事件が全てを変えてしまった……」
激しく雨が降り続ける中、二人は睨みあったまま動かない。
その記憶が彼らに何を思い起こさせるのか。
アガナタの顔は苦痛に歪み、オッドーは青ざめ、歯を食いしばる。
――そう、十五年前のあの日も、こんな天気だった。
アガナタがオッドーと初めて出会ったのは、六歳の時だった。
大導主の右腕であるアーオステニアの養子として引き取られたアガナタは、ある日、同い年という理由で、アーオステニアの同僚の息子であるオッドーと引き合わされた。
それは、孤児であったアガナタが少しでも早く新しい環境に溶け込めるように、というアーオステニアなりの優しさだったのだろう。
当時のオッドーは、今からは信じられない程引っ込み思案で、自分の思いを口に出さない少年だった。孤児生活の性か、アガナタは同年代の子供に比べて明らかに大人びており、周りの子供に上手く溶け込めなかったが、煩くなく、下らないことを言わないオッドーに対しては次第に心を開くようになっていった。
そんな彼らが十四歳になった時、二人は生贄の巫女のとある儀式の警備の任に抜擢された。
巫女が生贄として神に捧げられる「生贄の儀式」。その直前の三日間、巫女の俗世の穢れを落とすために執り行われる「禊」という儀式がある。
山にもたれ掛かる様に作られた神殿の最上階の最奥、そこから通じる山の斜面に作られ、高い壁で囲われた「神域」と呼ばれる広大な庭園。禊は、その神域で行われていた。
生贄の巫女に関する規則も現在程厳格ではなく、その警備は奉献の徒とは別に選抜された若者の仕事であり、その年、アガナタとオッドーはその一員として抜擢されたのだった。
十四歳だった彼らは、神域に張られた天幕で大導主と巫女が三日間の禊を行う間、神域内の城壁沿いの警備を命じられた。と言っても、切り立った山の上に、さらに人の背丈の五倍はあろうかという壁で守られた神域に入れる者などいるはずもない。神域に至る道は一つ、神殿の最上階の最奥の扉のみであり、そこ以外を警備する理由は彼らには分からなかった。
そんな理由もあり、警備任務自体は非常に緩く、まだ大人というには幼い彼らは時間を持て余し、同僚の目を盗んでは城壁沿いを探検したりさえしていた。
その探検の中で、彼らは神域の中に小川が流れていることを知り、その水が神域のどこから外に出てゆくのか調べたりもした。
そんな緩い感じでの禊の警備ではあったが、生贄の巫女の儀式に関与するという事は教団において非常に名誉な事であり、それは、教団内における出世に大きな影響を及ぼすと言われていた。
だから、そんなゆったりとした時間を過ごしつつも、彼らの中には、自分たちの未来への希望が満ちており、将来は二人して守護騎士団のトップに上り詰めてやろう、等と息巻いたりもしていた。
好天にも恵まれ、何事もなく禊の儀式は進んでいたが、最終日の午後から急に雲行きが怪しくなり、夕方前には土砂降りの雨となっていた。
神域内には建築物もなく、割り当てられた警戒区域には雨除けとなるものは何もない為、二人は黙って雨に濡れながら夜通しの警備に付いていた。
雨に遮られてよく見えないが、二人の視線の先には禊の為に張られた大きな天幕があり、翌日の生贄の儀式を控え「くれぐれも間違いがないように」、と上からは厳命されていた。
天幕を囲うように、一定間隔で警備が配置されているが、彼らはそれを無視して二人で話をしていた。
「……って、一体どんな間違いが起こるっていうんだよ。なぁ?」
雨に打たれて不機嫌なアガナタが隣のオッドーに愚痴る。
「うーん。なんだろうね? そもそも、俺たちは何からあの天幕を守っているんだろう?」
すっかり背が伸び、アガナタより頭ひとつ背が高くなったオッドーが首をかしげながら天幕を見つめた。
「さぁ? ……まぁ、仕方ないな。取りあえず、怪しい奴がうろついていないか確認するか。しかし、マントとフードを身に着けていても、この雨じゃあちこちずぶ濡れじゃないか。ああ、嫌だ」
「今夜頑張れば、無事に任務完了だよ。他の警備に見られると困るから、それぞれの持ち場に戻ろうか」
アガナタはつまらなそうにオッドーを見てため息を吐く。
「お前相変わらず真面目だな。大丈夫だよ、この雨で隣の区域を受け持つ奴も良く見えやしない。まぁ、俺たちが二人の持ち場の真ん中でこうしているからとも言えるが……。雨の中一人で立ってても詰まんないだろ。どうせ何も起きやしないし」
「うわっ!」
すると、突然オッドーがアガナタを指さしながら大声を上げ、しりもちを付いた。
「おいおい、何してんだ? 大雨だから周りには聞こえないだろうが、大声を上げるのは感心しないぞ。……なるほど、暇だから俺を脅かそうってか? 面白いけど……」
「違う! お前の後ろだ!!」
「は?」
アガナタが振り返ると、そこには全身ずぶ濡れで白い衣装を身に着けた少女が立っていた。
「うおっ!!」
思わずアガナタはのけぞり、そのまま転びそうになりなったが、泥だらけの地面で踏ん張り、なんとか持ちこたえる。
少女の衣装や顔はこの雨に打たれてずぶ濡れだったが、はっきりと姿が見える所を見ると、どうやら幽霊の類ではないようだ……。
びしょ濡れの髪が顔にべったりと張り付き、真っ赤な目をした少女は、絞り出すような声で確かにこう言った。
「助けて……」
アガナタに状況は良く分からなかったが、少女が来た方向には天幕がある。それはつまり、この少女が天幕から逃げ出してきたという事を強く示唆していた。そして、その天幕にいるであろう少女は一人しか思い当たらない。
「も、もしかして……巫女様でしょうか?」
少女は、必死の形相でアガナタの腕を掴んで叫んだ。
「お願い、助けて!!」
その時、アガナタは違和感を感じて彼女の胸元に目をやる。
彼女のもう片方の手は、襟元から胸にかけて引き裂かれた衣服がはだけないように抑えており、また、左肩にある別の裂け目からは、彼女の肩が露出していた。
アガナタは少女の瞳を見つめる。
その顔は悲痛そのもので、その赤い瞳は、この雨とは別のものも彼女の頬を流れているであろう事を物語っていた。
(あの天幕にいるのは、いる筈なのは、大導主様と……巫女様。それ以外の世話人等の可能性もあるが、こんな深夜にいるとは考えにくい。
それとも、天幕が何者かの襲撃を受けた? ……いや、そうであれば事前に警備が気づくはずだし、天幕付近でそのような動きは見られない。では……)
二人きりの天幕。引き裂かれた衣装。逃げ出した巫女。
(大導主様が、巫女様に、手を付けた……)
アガナタは言葉を失う。
やがて、彼の体の中から形容し難い怒りが湧きおこった。
(何があったのかなど知りたくもない!)
「ねぇ! お願い!!」
再び彼女の叫び声が響く。
どうしてよいか分からず、オロオロとしながらオッドーが声を掛けた。
「お、おい、アガナタ……」
アガナタは周囲に目を走らせるが、雨のお陰で他の警備の姿は見えない。
激しく脈打つ心臓の音が妙に大きく聞こえ、アガナタは自分が酷く緊張している事を自覚した。
彼は気が付いている。逃げ出したこの巫女の願いを叶えるという事は、恐らく途方もない代償を伴うだろう。だが、今、目の前で泣いて助けを求めている巫女……この少女を捕らえて教団に差し出す等という真似が、どうしても自分にはできないとも感じていた。
孤児である自分を拾い、育ててくれた義父の顔がよぎる。
教団の神官長という、大導主に次ぐ第二の地位にある養父。自分がこれからしようとしている事は、その養父を裏切る事になるのだろうか……?
だが同時に、その養父の言葉を思い出す。
「いいかアガナタ。人間というのはその心の在り様からして弱く、脆いものだ。だが、それでも正しい道を歩むことができるのもまた人間。
アガナタ。だからこそ、心を強く持ち、正しくあれ」
(心を強く持ち、正しくあれ……)
にわかに天幕の方で何やら怒鳴り声が聞こえ、多くの明かりが集まりだした。
もう、考えている時間はない。
アガナタは、自分の腕を掴む巫女の手をそっと解くと自分の両手で包み込み、その瞳を見つめて宣言する。
「我々が、貴女をお守りいたします!」
絶望の中で出会ったわずかな希望に、巫女はその眼を見開いて驚くと共に、声を詰まらせた。
「ありがとう! ありがとうございます!!」
アガナタは彼女に自分のマントを着せると、オッドーを振り返り、短く告げた。
「オッドー、俺はやるぞ。お前はどうする?」
眉間に皺を寄せ、ギラついた瞳で見つめるその口元は、歯を剥き出しにし、獣のように笑っていた。
状況を飲み込み切れていないオッドーはその言葉に驚きつつも、力のこもった目でアガナタを見つめ返す。
「俺も、やる。当たり前だろ!」
何もかもを覆い隠すような雨が降り続く中、三つの影が、神域の闇に溶けていった。
お読みいただきありがとうございます。
<毎週 月・金 更新中>
【次回】 第26話:不都合な真実
10/24(金)19:00頃 更新予定です




