第19話 逃走
「離れろ!!」
奉献の徒が橋を戻り切り、ヌクメイの街の入り口で敵味方入り乱れて乱戦となる中、管理神官が叫ぶと同時に腰の袋から取り出した小袋を敵に投げつける。
敵と斬り合っていた青の守護神官は、その言葉に反応して咄嗟に飛び退く。
一方、突然飛んできた異物に敵は即座に反応し、それを剣で叩き切った。
と、強い力で叩き切られた袋から薄茶色の粉末が飛散し、煙のように周囲を覆った。
あっと言う間に広がる煙に包まれて戸惑う敵は、やがてうめき声をあげる。
「ううっ!」
目元を押さえ、何度も瞬きするその瞳は真っ赤になり、次々と涙が溢れ出す。さらに、急に激しく咳き込みだした。尋常ではないその咳き込み具合は異常で、その場に屈みこんだその男は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら咳を繰り返し、もはや嘔吐寸前だ。
青の守護神官も驚いてさらに煙から遠ざかった。
「全員散れ!! 各自単独行動で教会に保護を求めろ! 毒ではないが、煙は吸い込むなよ!」
「主神官は?」
離れた場所から赤の守護神官の声が聞こえた。
管理神官は歯を食いしばって答える。
「置いて行く!」
続けて小袋を周囲に三つ投げ込み、あっという間に周囲は薄茶色い煙に包まれた。
奉献の徒、謎の刺客、朧、憲兵が入り乱れて乱戦となっているこの場所でばらまかれたこの粉末により、辺りは大混乱に陥った。まともに煙を浴びたものは、目を押さえながら激しく咳き込み、立っている事すらままならず、もはや戦いどころではない。
散らばりながら街中に向かって駆けて行く奉献の徒のメンバーを確認する管理神官の目に、反対方向に駆け出し、濃い赤いマントで顔を包んで煙の中に消えてゆく赤の守護神官の背中が見えた。
(馬鹿野郎! 私情を挟むと救えるものも救えなくなるぞ!!)
管理神官は歯噛みしながらも即座に振り向き、何が起きているのか理解が追い付かず、横で震えているナァラに声をかける。
「巫女様、失礼致します!」
そして、驚くナァラを両手で横向きに抱き上げ、自身のマントで包んで煙の向こうにうっすら見えるヌクメイの街に向かって走り出した。
管理神官は彼女を抱き上げたまま路地裏に入り込み、さらに奥に進んだ所でそっと彼女を降ろす。
激しく息を切らせ、汗を滴らせながら、彼は動揺するナァラに話しかけた。
「巫女様……。簡単に言うと、我々は何者かに襲撃されました。あの場には味方もいたのですが、見た目では判断できません。街中にも敵が多数潜伏している恐れがあるため、我々は分散して逃げる事にしたのです」
呆然としたまま話を聞いていたナァラは、理解できているのかいないのか、心細そうにこちらを見つめている。
ナァラに説明していた管理神官は、ナァラの向こう、路地裏の奥から突如現れた影に気づき、咄嗟にそちらに向かって駆けだした。
その男は突然突っ込んで来た管理神官に一瞬驚いたが、それが自分達が探していた標的だと気づいて剣を抜いて迎え撃つ。
管理神官が懐から取り出したナイフを投げつけると、相手は反射的にそれを剣で弾く。が、その時点で相手に向けて跳躍していた管理神官がその脳天に剣を叩き込んだ。
相手の絶命を確認して振り返ると、今度はナァラの後ろで別の男が剣を振り上げているのが見えた。
ナァラは男と目を合わせたまま固まっている。
「巫女様ッ!!」
一瞬でも彼女の傍を離れた自分を呪いながら、手にしていた剣を投げつける。
男がナァラに斬り付けるのと同時に管理神官の投げた剣が回転しながら男の真横の壁に激突して金属音を響かせる。驚いた男の剣筋が乱れ、その剣はナァラの頭ではなく肩を浅く切り裂いた。
恐怖のあまり声も出せずに仰向けに倒れるナァラ。
「貴様ァァァ゛ァ゛!!」
管理神官は獣のような形相で徒手のまま相手に飛び掛かり、相手を押し倒す。
剣を持つ相手の右腕を左手で抑え、右膝で反対の腕を抑え込むと、彼は迷わず右手の親指を相手の左目に突き立てた。
悲鳴を上げて暴れる相手を改めて押さえつけ、さらに残された目を狙う。
そして、光を失った相手の手から剣を奪うと、直ちにその口の中にそれを突き立た。
息を切らせながら、ふらりと立ち上がった彼は、慌ててナァラに駆け寄る。
「巫女様! 大丈夫ですか!?」
ナァラの左肩の傷は浅かったが、斬られたショックからか目は虚ろで、青白い顔に冷や汗をかき、浅い呼吸を繰り返していた。
「巫女様! 巫女様!」
管理神官は巫女の様子に動揺し、泣きそうな顔でその手を伸ばすが、自分の右手が血だらけなことに驚き、我に返る。
(落ち着け。巫女様の傷は浅い。ショックで動揺しているだけだ。……それよりも、今ここに留まるのは危険だ)
管理神官は腰の水筒の水で右手を簡易的に洗った後、再びナァラを抱え、周囲の様子を伺いながら路地裏の奥を進んでいった。
「巫女様、これを飲んでください。ゆっくりで大丈夫ですよ」
別の路地裏、詰まれた荷物の陰で、ナァラを荷物にもたれかけさせながら、管理神官は努めて優しい笑顔でそう呼びかける。
浅い呼吸を繰り返すナァラは上手く水が飲めず、口からこぼしてしまう。こぼれた水が、保温のためにかけられた管理神官のマントを濡らし、それと一緒に、気付け薬も地面に転がり落ちた。
ナァラは、迫りくる恐怖の中で必死に空気を求め、呼吸を繰り返している。
苦しみのあまり、ナァラの手が管理神官に伸ばされた。
この様子では、暫くはまともに動けないだろう。何よりも、ナァラが苦しむ姿を見るのが彼には耐え難かった。若干十四歳のただの少女が、今、この街で繰り広げられている殺し合いの中心にいる。あまりに過酷なこの状況で、恐怖に捕らわれ身動きすらままならない。そして、こうしている間にも死神の手が伸びているという暗澹たる事実……。
(彼女の心の視線を、恐怖から現実に引き戻さなければ……)
管理神官は苦しみ喘ぐナァラを見つめながら逡巡する。
(何が一番大切かなど、初めから決まっている。悩む必要など微塵もない)
そして、意を決し、ナァラに話しかけた。
「巫女様、大丈夫です。全て上手くいきますよ」
管理神官はそう言い、おもむろに半面を外して右腕でナァラの肩を抱いた。
ナァラの目が、驚きに見開かれる。
そこには、知性的な顔をした精悍な男が、優しく微笑みかけていた。
左手でナァラの手を握り返し、抱いた右腕で優しく肩を叩きながら男は囁く。
「大丈夫……。大丈夫……。何もかも上手行きます。私が、貴女を守ります」
どのくらいそうしていただろうか。ナァラは涙ぐんだ眼で、管理神官の顔を見つめながら彼の言葉を聞いていた。そして、本当に少しずつではあるが、次第に心が落ち着いて来るのを感じ、気づくと浅かった呼吸は普通に戻っていた。
「あ、あの……」
呼吸が落ち着いて来たのを確認し、管理神官が話しかける。
「さぁ、もう少しだけ移動する必要があります。薬を飲んでおきましょう」
落ち着いてくると、肩を抱かれ、手を握られている状況にナァラは何だか急に居心地が悪く、顔が熱くなってきた。
「あ、あの! 私、自分で飲めます!」
恐怖の支配から解き放たれ、常に近い状態に戻ったナァラに管理神官は心底安心して静かに息を吐く。
少しむせながらも、自分で薬を飲むナァラを見届け、彼は先ほどの敵から奪った茶色いマントを身に着けた。
その姿を見つめながら、ナァラがおずおずと話しかける。
「あの、仮面は……」
「ああ、あのような仮面を着けていたら目立ちますし、すぐに見つかってしまうので外しました。本当は駄目な事なので、あまり見ないでくださいね」
確かに、半面を外して茶色いマントを身にまとった管理神官は、ナァラから見てもぱっと見別人に見える。なにより、半面を着けていないだけで印象は全く違っていた。
その瞳は、深い井戸の底を覗くようなものではなく、ナァラを見つめる優しい眼差しは、どこか太陽を思わせた。
彼は自分が着こんだマントとは別の茶色いマント地面に置き、剣を使ってその長さをナァラ用に短く調整し、それからナァラに話しかける。
「お体の調子はどうでしょうか? もし大丈夫なら、少し仕込みをしたいのですが……」
管理神官とナァラは大通りを堂々と歩く。
管理神官が周囲に目を走らせると、中には憲兵や、素性の分からない男が剣を抜き身で持って走っている姿も見えた。
一旦は落ち着きを取り戻し気付け薬を飲んだとはいえ、何時襲われるか分からないこの状況はナァラにとって恐怖でしか無い。ナァラが管理神官の腕に片手でしがみつき、不安そうに辺りを見回しながら歩いているのも仕方がないというものだ。
「怖いのは分かります。ですが、あまりキョロキョロしないように。大丈夫です。周囲は私が警戒しますので」
管理神官にそう囁かれ、ナァラは周りを見回していた自分に気づき、今度は逆に正面を一心不乱に見つめながら歩きだす。
目的としていた駅馬車の駅へと辿り着くと、管理神官は駅舎の前で馬車を見送っていた駅の職員に声を掛る。
「職員さん、ちょっといいかな?」
中年の駅員は管理神官と、その腕にしがみつくナァラをちらりと見ながら応じる。
「何でしょうか?」
「実は、お願いがあってね。
僕たちは、将来を誓い合った仲なんだけど、両親は僕を別の女性と結婚させようとしていてね。いわゆる政略結婚ってやつさ」
普段の管理神官とかけ離れた喋り方、そして突然のその内容に驚いて思わずナァラは足の力が抜けてふらつき、さらに強く管理神官の腕にしがみつく。そして、見上げた先にあるそのすまし顔を凝視した。
「はぁ」
駅員は胡散臭そうな目で管理神官を見つめる。
管理神官は前髪をかき上げながら、腰の袋から金貨を1枚取り出し、駅員の目の高さに掲げながら続ける。
「だから、僕らは駆け落ちすることに決めたんだ」
駅員は、管理神官の顔と金貨を見比べたまま黙り込み、ちらりとナァラを横目で見た。
その少女は、顔を赤くして男の腕にしがみついている。
確かに、おそろいのマントを身に着けた二人、そして少女のそれは丈こそ合っているが、フードのサイズは合っておらず、旅慣れしていない世間知らずな駆け落ちカップルと言われれば、そう見えないこともなかった。
「それで、うちの実家は中々の金持ちなんだけど、恐らくすぐに父が人をやって僕たちを探しに来ると思うんだ。
そこで駅員さん、誰かが僕たちの事を聞いてきたら先ほど出発した東の港町行きの馬車に乗った、と答えて欲しいんだ。実際は歩いて湖畔の町の方に向かうんだけどね」
そう言って金貨を駅員の手に握らせる。
「いや、その……」
駅員はチラチラと後方の駅舎の方を気にしている。
「大丈夫、誰も見ていないよ。何なら実際に切符を買った事にしても良い」
そう言って今度は銀貨を三枚取り出してさらに男の手に押し込んだ。
「実際には、僕らは切符はいらないから、うまいようにやってよ。ね、人助けだと思って」
自分の給金の数か月分に当たる大金を目の当たりにし、男の瞳が怪しく光る。
さっとその硬貨を受け取ると、すぐさま自分の胸ポケットにしまい込んだ。
「人助けじゃぁしょうがないですな!お引き受けしましょう」
咳ばらいをしながら、少し興奮した様子で駅員が告げる。
最後に管理神官は、二人の逃走中の服装について、男の方は半面を着けている等説明し笑顔で別れを告げた。
「任せてください。ええ、若いお二人の未来を祝福いたします。無事に添い遂げられますように」
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【次回】 第20話:紐飾り
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