第16話 朧
「ここか…。」
管理神官は、大通りを一本入ったところにある教会を見上げた。
流石にアカネイシア王国第2の都市だけあり、そこにある教会も立派だった。
「ここで待っていてくれ。」
彼が世話人たちにそう告げ、扉を押し開けて中に入ると、天井が高く、明るい聖堂の中程に立っていた初老の男性がこちらに気づき、近づいて来た。顔に刻まれた深い皺。彼は、皺だらけのその顔の中で飛び切り目立つ、眼光鋭い瞳で管理神官を探るように見つめる。
「その半面は…奉献の徒の管理神官殿か?」
「いかにも。これが紋章板です。」
管理神官は、腰の袋から拳ほどの大きさの、円形の金属板を取り出して見せる。
その板には、静かな湖面と月の光をモチーフとした模様が刻まれていた。
紋章板を見つめ、彼は顔を緩めて改めて管理神官に挨拶をする。
「確かに。私は、このヌクメイの教会で主教を務めております、ワークナムと申します。この度は、お勤めご苦労様です。」
「恐れ入ります。いきなりで恐縮ですが、世話人と馬を外に待たせております。可能であれば彼らの案内と補給をお願いしてもよろしいでしょうか?」
ワークナムは、教会の奥の方にいる若者を呼び出し指示を出す。
「こちら、今年の奉献の徒の管理神官殿じゃ。お前は外で待っている他の奉献の徒の方々とその馬を、教会の裏にある厩に案内してくれ。その後、倉庫に行って必要な水や食料等の提供を頼む。分からない事は副主教に聞きなさい。」
若者は管理神官に会釈をして入り口から出て行った。
その後ろ姿を見送って、ワークナムは改めて管理神官に向き直り、自分よりもはるかに若いその顔を見つめる。
「今年の巫女様はどうですか?規則が無ければ是非私もお会いしたいところですが…。」
奉献の徒以外の教団関係者は、原則巫女と直接関わる事ができない。
そもそも、今回のような旅の支援も、事前に伝えられている訳ではなく、ワークナムも前日に関係者から伝えられた。
一年に一度の、この大陸の一大事である生贄の巫女の旅。たとえ少しであっても協力することができるという事は、信者にとって大変な名誉なことなのだ。
そして、それをも上回る人生最大の栄誉。それは、奉献の徒に選ばれるという事。
「今年の巫女様は大変立派な方です。過酷な運命の中で、それでも前を向いておられます。」
目を細め、誇らしげに語る管理神官。
「なるほど、では立派に努めを果たされそうですな。それはよかった。」
嬉しそうにそう話すワークナムを見つめ、管理神官は一瞬眉間に皺を寄せた後、急に顔から表情を消し、話題を変えた。
「それで、本日の宿ですが…。」
「おお、手配できておりますぞ。巫女様がいらっしゃるという事で、この街でも1、2を争う宿を用意させていただきました。きっと巫女様にも満足いただける事でしょう。場所はこの地図のとおりです…。」
いくらかの路銀を受け取り、食料の補給状況を確認した後、管理神官たちは主教に礼を言って宿に向かった。
この生贄の巫女の旅において、彼らのような教会の支援は欠かせない。彼らは、直接巫女に会う事こそできないが、身を挺して世界に平和をもたらすという、その巫女の温情に酬いるため、奉献の徒を通してできうる限りの協力を行う。
奉献の徒の旅のルートを事前に知っているのは、教団のごく一部の幹部と、管理神官のみ。それも、必要に応じて教団から修正が加わる。
教会に奉献の徒の来訪が知らされるのは直前で、身分のよく分からない、しかし紋章盤を携えた信者がその情報をもたらす。
逆に、計画の変更が管理神官に伝えられる際は、その信者がもたらした情報を、地元の教会経由で伝えられる事となる。
つまり、管理神官をはじめとする奉献の徒は、紋章板を持つ”彼ら”と直接接触することは無い。
そもそも、管理神官に対しても、そのような者たちが活動している旨は知らされておらず、旅先で地元の教会を頼るようにだけ指示されていた。
それは教会側も同じで、誰だか分からない者が、紋章盤とともに突然現れるのだ。
各教会の主教は、主教に叙せられた際に、この紋章盤が巫女の旅に関わるものであり、この者に指示に従い、最大限の配慮を行うよう伝えられる。
どこまでも秘密に満ちたこの巫女の旅。
その責任者たる管理神官ですら、その組織の全容を知らされることは無い。
歴代の管理神官たちは、教会にどのように情報がもたらされているかすら知らなかっただろう
その組織を知るものは、教団でもごく一部。教団最高権力者である大導主直属の諜報組織と言われている彼らは、その存在を知る者からは朧と呼ばれていた。
そんな朧が普段どのような任務に関わっているのかは、その存在共々完全に秘匿されている。
だが、問題なのはその朧が生贄の巫女の旅に深く関わっているという事だ。
旅の途中、いや旅が始まる前から奉献の徒のメンバーは常に朧に監視されている。
もしも、奉献の徒としての適正を持たないと判断すれば、すぐに代わりの者が派遣されるだろう。
決して姿を現さない彼らはしかし、奉献の徒を監視するとともに、地元の教会経由で指示を出し、その旅の道筋をコントロールしているのだ。
つまり、大陸に幅を利かせるこの巨大な教団の一大事業である巫女の旅を、大導主が直接管理し、教団幹部を含め、一般の信者を間接的にしか関与させていない事になる。
(その朧が、奉献の徒の中に混ざっている…。それは恐らく、何かしらの情報を掴んでいるが、確証がないという事だ。もし計画を完全に掴んでいるなら、間違いなく私を排除しているだろうからな…。)
大通りに出ると、周りを歩く人間が一気に増えた。
この中のどこかにもきっと朧が潜み、こちらを伺っているのだろう。
(絶対に、外されるわけにはいかない。そのために、完璧な管理神官であらねば…。)
管理神官は空を見上げ、昼の日差しに目を細める。
そして、ちらりと振り返り、世話人たちが後を付いてきているか確認した。
能天気そうな太り気味の青の世話人。
つぶらな瞳の、あまり人慣れしていない痩せた青の世話人。
ふっくらとした世話好きそうな赤の世話人。
細い目をした、気難しそうな赤の世話人。
それぞれの顔を見つめた後、前に向き直る彼の眉間には深い皺が刻まれていた。
ナァラは、石畳に置かれた旅芸人の帽子の中に、恐る恐る3枚の銅貨を投げ入れる。
礼を言う旅芸人と、二言三言会話を交わし、彼女はそそくさと守護主神官たちの方に戻ってきた。
「お金、ありがとうございました。」
銅貨を渡してくれた守護主神官にはにかんだ顔で礼を言うナァラ。
少し赤い目で見つめられ、守護主神官はうまく言葉が出ず、曖昧に頷いてそれに答えた。
ナァラは、この旅で知らないものと沢山出会ったが、この「楽器」と、それにより生み出される「音楽」については、今まで見てきたものとは異なる、直接心を揺さぶるようなその力に、驚くとともに感動を覚えた。
「楽器と音楽って、素敵ですね…」
「巫女様、あれはリュートという楽器なんですよ。」
自分は演奏できないにも関わらず、なぜか自慢げに赤の守護神官が告げる。
「さぁ!飯にしましょう!」
空気を読まず、突然叫ぶ拳骨の青の守護神官。
呆れた顔でそれを見つめる守護神官たちの視線を受け、彼は不思議そうな顔をする。
「え?」
それを見て、思わずナァラは笑ってしまった。
調理した食品を売る露店が両側に並ぶその通りに、様々な食材やスパイスの匂いが充満し、そこにいる者の胃袋を刺激する。昼が近いからだろう、通り全体に人が溢れ、活気に満ちていた。
「巫女様、欲しいものがあったら言ってくださいね?」
物珍しさと、食欲をそそる匂いに目移りするナァラを見て微笑みながら赤の守護神官が告げる。
そんな巫女たちから少し離れた場所から、守護主神官は周囲に目を配る。
立ち込める匂いと熱気に目を細めながらも、注意深く周りを観察していると、ふと違和感を感じ、そちらに目を向ける。
多くの人が食べ物を買い求める中、みすぼらしい格好をした一人の子供がその人々の合間を縫いながら、やがて人混みに消えてゆくのが見えた。
それは、ここで食品を買い求める人間の身なりではない。だが、子供ゆえに、大人の陰に隠れて目立たずに目標に近づくことができる。そしてそれはそれは、逃げる際にも当てはまる事でもある。
(別段珍しい話では無いが…。)
やがて、通りの奥の方で怒号が上がった。
「待ちやがれ!この泥棒!!」
人々が一斉にそちらに目をやる中、何が起こるか既に知っていた守護主神官は、逆に、群衆に目を走らせる。
(!)
その群衆の中に、明らかに怒号の声の先ではなく、巫女を見つめている目つきの鋭い若い男がいた。顎に髭を蓄えたその男は、そこら辺の露店から、昼食を買うために抜け出してきたような格好をしている。
守護主神官はニヤリと凄みのある微笑みをこぼし、相手に気づかれぬよう、静かに怒号のした方に向き直る。
(あんな目つきの悪い客商売人がいるかよ。それにしても…やはり朧は実在したか。見えない陰に怯えていた訳ではなく、実在することが確認できたのは大きな収穫だ。あの小僧のお陰だな…。)
通りの奥の方でわっと声が上がり人垣ができてゆく。
「捕まえたぞ!誰か警吏を呼んでくれ!!」
不安そうな瞳のナァラと、その横にいる赤の守護神官がこちらを見ている事に気づいた守護主神官は、ゆっくりと頷き、人垣に向かって歩き出した。その口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
(我らの巫女様は、今度はどんな覚悟を見せて下さるかな?)
人垣をかき分けて、最前列に出る守護主神官とナァラ。その輪の中心では、先ほどの子供が1人の大人に組み伏せられていた。近くに、焼いた肉片を薄いパン生地でくるんだものが落ちている。これを盗もうとしたのだろう。
「放せ!放せー!」
子供は大声で叫びながら身を捩り逃げようとするが、大人の力にびくともしない。
やがて二人の警吏が人垣を分けて現れた。
「こいつが泥棒か?」
問いかける警吏に対し、子供を組み伏せている男が答える。
「こいつです。こいつがこれを盗もうとしたんです!最近この辺で続いていた窃盗もこいつの仕業に違いない!」
髭を生やした警吏が屈んで子供の髪を掴み、その顔を上げさせる。
「ふん。不敵な面構えだ。大人をなめるとどうなるか思い知るんだな。おい、縛り上げろ。」
若い方の警吏が、腰に下げていた縄を使って少年を縛り上げた。
縄がきつく食い込むと、少年は顔をゆがめて大声を出す。
「おいらは何もやってない!盗みを働いたのは他の奴だ!エンザイってやつだぜ!」
髭の警吏は立ち上がり、何の感情もこもらない顔で子供の顔を蹴り上げた。
「ムズカシイ言葉を知っていて偉いな。…そこに落ちている食い物は何だ。もう少しマシな嘘をつけ。」
ナァラは思わず守護主神官の袖を掴んで見上げる。
ちらりと横目でナァラを見返しながら、守護主神官が問いかける。
「何でしょうか、巫女様?」
「あの、…あの子を助けてあげられませんか?」
守護主神官は大げさに驚いてみせる。
「助ける…?彼を何から助けたいとおっしゃるのですか?
あそこに盗んだ食べ物が落ちている。周りの大人も見ていた。この状況で、彼が無実だというのは無理がありましょう。」
ナァラは気圧されながら、それでも必死で言葉を探す。
「…でも、彼の身なりは貧しく、お、恐らく孤児ではないでしょうか。食べる事にも事欠いて、やむなくやったのかもしれません。」
守護主神官は冷たい目でナァラを見つめる。
「それを判断するのは我々ではなく、この国の法です。
ご無礼を承知で質問いたします。
今、巫女様は助けるという言葉を使われましたが、巫女様が助けたいのは、彼の境遇に同情するご自身の苦しい気持ちでしょうか、それとも生贄の巫女として、これから裁かれるであろう彼の罪を無かった事にしたいのでしょうか?」
ナァラはその言葉に衝撃を受け、思わず呆然とする。
(私は…彼を助けたいと思った。では、助けるとは何?やったことを無かった事にしたとして、彼はきっと再び盗みを働く…。
今、私が願ったのは、守護主神官さんの言う通り、自分の胸の内の苦しさを取り去りたいという、ただの我儘だった…?)
守護主神官は、目の力を緩め、そっと告げる。
「行動には責任が伴います。彼は盗みを犯した。であれば捕まった以上裁きを受けるしかありません。
ただし、その法を捻じ曲げるほどの信念と覚悟を貴女が示されるのであれば、私はそこの警吏を切り捨て、少年を解放することもできます。その結果発生する全ての責任を負う覚悟があるのであれば…。
貴女は生贄の巫女です。全ての人々の代表です。その貴女が信念と覚悟を示す限り、守護主神官である私はあなたの剣となりましょう。
ですが、今、それを示すことができないというのであれば、その胸の苦しみは、貴女が自分でどうにかするしかないのです。」
ナァラは、立場に甘え、我儘を言った自分を恥じた。
引き立てられてゆく少年を暗い瞳で見送りながら、ナァラは、それはまるで、自分が引き立てられてゆくのを見送るような、そんな錯覚を覚えた。
(私は、偽物の巫女…けれど、偽物にすらなれていなかった…。
私は、私に良くしてくれる奉献の徒の皆の期待に応えたい…。残された命を、俯いて過ごすのではなく、胸を張って生きたい。)
本当は目を合わせたくない、そんな気持ちを押さえつけ、ナァラは守護主神官を見上げる。
見返すその視線を正面から受け止め、気持ちを伝える。
「ありがとうございます。私が間違っていました。
…あの、はっきりと言ってくれてありがとうございます。」
「…こちらこそ、出過ぎたことを言って申し訳ありません。
さぁ、気持ちは乗らないかもしれませんが、食事を選びましょう。食事を食べた後、巫女様にお見せしたいものがあります。きっと、お知りになりたい事だと思いますよ。」
彼はナァラの精一杯の気持ちに対し、ぎこちなく微笑みを返し、応える。
(思えば、彼女はまだ子供だ…)
勝手に期待して失望し、ちょっと言い過ぎてしまったことに負い目を感じつつ、その胸の痛みを抱え、彼は再び歩き出した。
いつもありがとうございます。感想、お待ちしています!
【次回】 第17話:円環
9/22(月)19:02頃 更新予定です